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일어일문학연구검색

Journal of Japanese Language and Literature


  • - 주제 : 어문학분야 > 일어일문학
  • - 성격 : 학술지
  • - 간기: 계간
  • - 국내 등재 : KCI 등재
  • - 해외 등재 : -
  • - ISSN : 1226-2552
  • - 간행물명 변경 사항 :
논문제목
수록 범위 : 24권 0호 (1994)

특별강연 : 해석과 비평의 원리 ( 解釋と批評の原理 )

(Konishi Jinichi)
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本稿では韓國語と日本語における統語構造と韻律的特徵との對應關係を分析した. 具體的には, 統語的にあいまいな文の意味區別に關與するFOとポ-ズの役割を音響分析と合成音聲による知覺實驗によって明らかにした. その結果, 次のようなことがわかった. 第1に, 兩言語において, 右枝分かれ構造の文の統語境界においてはポ-ズとFOの上昇が觀察される. ただし, ポ-ズは必須の要素ではないが, FOの上昇は必ず存在する. 第2に, 兩言語において, 右枝分かれ構造の文の發話では統語境界直前の句の最終音節の長音化が認められる. 第3に, FOとポ-ズを操作した合成音聲による知覺實驗の結果, 兩言語において, 統語境界を明示する最も重要な韻律的特徵はFOである. 第4に, 兩言語において, ポ-ズはFOほど大きく統語境界の明示化には貢獻しない. 第5に, 兩言語において, 右枝分かれ構造の文の發話における統語境界直前の句の最終音節の長音化現象は統語的にあいまいな文の意味の知覺判斷には大きな影響を與えない. ただし, 右枝分かれ構造の文としての自然性の維持には必須の要素である.

간약일본어 (簡約日本語)와 대자경어 (對者敬語)

노현송(Hyun Song Ro)
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前國立國語硏究所長の野元菊雄は, 在職當時, 外國人のための日本語敎育事業の一環としていわゆる「簡約日本語」を創ることとし, その作業に着手した. 國際共通語としての日本語を世界に廣く普及させるためには日本語の難しいところを取り除き, エッセンスだけを敎える必要があるという趣旨のもとで提案されたのが, この「簡約日本語」である. しかし, この「簡約日本語」にはいわゆる對者敬語の取り扱いと關連して問題と思われるところがあり, 本稿はその点を取り上げてみたのであるが, その要旨を簡單にまとめてみると, 次のとおりである. まず「簡約日本語」では形容詞文の過去丁寧體として「Aいでした」の形を採用しているが, これはもう一つの過去形つまり「Aったです」の形と比較して, どちらがもっと一般的表現であるかを考えてみる必要がある. 兩者を比ぺてみると, 「Aったです」の方が壓倒的に多く使われ, その使用度は「Aいでした」と比べものにもならないほどである. にもかかわらず,「簡約日本語」で「Aいでした」の形が採用されている主な理由は, この形の方が形容動詞文「Naでした」ゃ動詞文「Vました」などと平行的で均整が取れ, 覺えやすいからだということである. しかし,ただ覺えやすいからということで, 言語事實の慣用を人爲的に變えて不自然な表現を覺えさせるのは, いくら「簡約日本語」でも問題と言わざるを得ない. 次の問題点は, 動詞の活用を敎えないで, 動詞に「ます」を付けて「ます」の活用だけを敎えることにより,「Vますなら」「ますれば」「Vます時」「Vますと」「Vませんと」などのような不自然な表現が現われる, ということである. これらの表現も使われないことはないが, やはり一般的な表現とは認めがたい. このように,「簡約日本語」での對者敬語の使い方は實際の言語生活からだいぶ離れている. 日本語を世界に廣く普及させるためには日本語の難しいところを取り除き, エッセンスだけを敎える必要があるという趣旨はいいが, だからといって, 實際の言語生活を無視し, ただ覺えやすいからという理由だけで言語事實に人爲的な修正を加えてはいけない. したがって, 「簡約日本語」は現代日本語の語法や言語生活の範圍內で簡略化されるように硏究されなければならないであろう.

ダロウ ( 다로우 )의 의미 용법의 개관

정상철(Sang Cheol Jung)
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從來, ダロウについては「推量の助動詞」という見方が支配的であったが, (1)「何て頭のいい奴だろう!」佐久間が話を聞いてため息をついた.(セ-ラ-服,178) ダロウには上例のように推量とは解せない用法もあり, ダロウを無條件·無前提で推量形式であるとする從來の議論の不充分さが示唆される. 本稿ではこのような現狀を踏まえて, ダロウ文を對象とし, 文の表現類型や聞き手指向性の有無といった談話條件(discourse condition)の觀点から, その主な用法が以下のように,「推量」「確認要求」「疑い」「感嘆」の四つに分類されることを提案し, 諸用法の統一的且つ有機的な說明を與えようとするものである. ·推量 (2)「なぞですわ. 暴力かもしれないし, 家のために犧牲になったのかもしれないし, おそらくあたしは兩方だろうと思うの」(二人, 94) ·確認要求 (3)「そばに, 誰かいるのね」「ええ」「奧さんでしょ」「ええ」(愛人物語, 27) ·疑い (4)「だれが殺したのだろうか」. 犯人はつかまったのだろうか. 死刑になったのだろうか. なんのために, ルリ子のような小ちゃな子供を殺したのだろうか. どんな顔をしたやつなのだろうか」(氷点上, 318) ·感嘆 (5)「なんて氣もちのいい方なんでしょう. 私も, あの方みたいにうまれてきたかったわ. つまんない, 私」(若い人, 196)

사역문 (使役文)의 의미 용법의 분류

권승림(Seung Lim Kwon)
한국일어일문학회|일어일문학연구  24권 0호, 1994 pp. 91-120 ( 총 30 pages)
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本稿は日本語の使役文を對象とし, 使役文の有する多樣な意味·用法を分類した. また, 本質的な問題として, なぜ使役文が樣樣な意味を表すことが出來るかについて考察した, その際, 他動性と對照させながら使役性の定義を行い, 典型的な使役文の有する意味素性を抽出した. その意味素性をも含めた次のような要因を基準に10種類の使役文の意味·用法を取り出した. [使役文の意味·用法の分類に關與する要素] [A] 使役主の意味素性 [B] 被使役者の意味素性 [C] 使役事態に對する意圖性の在處 [D]使役主の동きかけの性質 [E] 事態(event)間の繼起關係 [F] 基本動詞の性質 上記の基準により次のような意味用法を取り出すことが出來る. [1] 指示 : [+animate)の使役主と技使役者を含意し, 使役主を主語とする基本的な用法である. 使役主の동きかけは間接的であり, 使役事態に對する意圖は使役主にある. [2-1] 誘導-利益收受- : 使役主の동きかけが直接的な指示等によるものではなく, 被使役者に氣づかれない동きかけによって被使役者を間接的に仕向ける意味を表す. [2-2] 誘導-利益賦與- : <利益收受>の場合は, 基本動詞の制限を受けないが, <利益賦與>)は再歸性を有する基本動詞の使役文に限る用法である. [3] 許可 : 使役事態に對する意圖性を使役主ではなく被使役者が持っている場合の用法である. その現れとして使役主が背景化し, 被使役者を主語に据えた文が多く見られる. [4] 放任 : 使役文の含意する, 二事態間の繼起關係が上述の用法と<放任>を區別する要因である. <許可>までの用法は使役主の被使役者に對する동きかけの事態が被使役者の動作實現の事態より先行しているが, <放任>の場合は被使役者による動作の方が使役主の동きかけより先行している. [5] 放置 : 意味成立の條件は<放任>と同樣であるが, 使役主あるいは被使役者が旣に行われている事態に對して使役主が積極的に阻止しないことを不本意と感じていることを表している. [6] 非使役行爲 : 旣實現事態に對する態度表明を表しているという意味で<放任><放置>と同類に入るが, この場合は使役主による동きかけが一切行われていない. 實現した事態に對する使役主の感想が述べわれる場合が多い. [7] 直接的使役行爲 : [+animate]の使役主と被使役者を含意しながら使役主の동きかけが直接的な動作によるものである. [8] 操作 : <直接的使役行爲>より非常に他動詞文に接近している使役文である. 被使役者が無情物[-animate]であるが, [+animate]的に捉えられている. [9] 原因 : 使役主が無情物である場合と, 使役主の性質に關わらず基本動詞が認識·感情動詞の場合に成立する用法である. 以上のように使役文の意味·用法の分類にとどまらず, 今まで考察の及ばなかった用法間の相關關係をも考察した. このことによって他動詞文·使役動詞文との關係の中で使役文を捉え, 他動詞文から典型的な使役文までを連續的に捉えることが可能になった.
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本稿は聞き手の言語行動という興味深いテ-マについてあいづちという言語行動を調査方法と期待される結果から大きく二つの觀点からアブロ-チする. まず, 對面的な言語行動であるテレビ·ラジオと對面的な言語行動ではない電話を通じて, その頻度と變化の要因, 表現形式などについて克明に韓日比較として解明し, あいづちの打ち方と關連づけて話し方などについても考察した. 次に, あいづちのイメ-ジと相手や場面による頻度の變化等はアンケ-トを通じて實態調査を行い, 韓日比較を試みたものである. 要するに, 本論文は多角的な實態調査-電話·テレピ·ラジオ·アンケ-ト調査-を通じて, その運用の實態からイメ-ジまであいづちという言語行動についての綜合的な比較硏究を目ざしているものである.

야택범조 (野澤凡兆)의 작품 - 그 배해사적 (俳諧史的) 가치와 한계

유옥희(Ock Hee You)
한국일어일문학회|일어일문학연구  24권 0호, 1994 pp. 145-163 ( 총 19 pages)
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野澤凡兆は蕉門俳諧の円熱期に芭蕉と最も親密な關係にあった弟子の一人であゐ. 彼は芭蕉との出會いによって內在的な才能を發揮し, 獨自の句を多數殘しており, その作風は新境地を模索していた元祿期の芭蕉に逆に刺激を與えたものと見られる. 本稿は凡兆の生涯を芭蕉との關連のもとで簡單に調べたあと, 彼の詩世界の本質を分析し, 俳諧史の一轉換期を明らかにすることを目的とした. 凡兆は元祿3,4年頃芭蕉と非常に親しくなり, 一躍蕉門の宿願事業であった『猿蓑』の編者として拔擢され, 作品においても108人の入集作者のうち師の芭蕉をも凌駕する最多の句を收錄すなど目覺ましい活躍をするが, 『猿蓑』直後, 凡兆は反芭蕉グル-プに近付き, 急に芭蕉と遠ざかる. その問獄中生活をも送ることになリ詩作は退步の一途を천る. ところが, 全盛期の凡兆は, 俳諧をして觀念や唯美主義がら出て俳味あふれる庶民詩として定着させることに一翼を擔當している. いわば, 生動する自然をキャッチする觀察力と, 感覺性と印象性に富んだ描寫法, 日常の庶民の生活感情を淡淡と描きだす方法, そして繪畵的技法にも似た洗練した構圖意識, 最後にこれらを效果的に表現するため, 修飾語や說明語なしに適切な素材だけを配合する方法などはそれまでの俳諧では見られない畵期的な新境地であった. これは師の芭蕉にも刺激を與え, 凡兆との交際後の芭蕉の句には主情や主觀から出た凡兆と類似した句が多數見られる. ところで, 芭蕉と離反後, 凡兆は言語遊戱や比喩法などを用いたごく平凡な句だけを詠むようになる. 勝れた才能にも拘らず持續的發展が遂げられず, 凡兆の俳諧が短期間に衰徵してしまったのは, 現存する俳話などによると彼の敗けず嫌いの性格的要素と確固とした人生觀, 自然觀が缺如していたためと見られる. 大家としての一生を送ることはできをかったものの, 凡兆の全盛期の作品は俳諧を日本の風土詩として局限せず, 短詩型として獨自的に發展する方向を示したものと見られる. 俳句が世界文學的な次元で考えられる今日において凡兆の俳諧は十分再照明するに値すると思う.
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ロンドン體驗のもっとも顯箸な結實といえる『文學論』の序に, 漱石は「倫敦に住み暮らしたる二年は尤も不愉快の二年なり. 余は英國神士の間にあつて狼群に伍する一匹のむく犬の如く, あはれなく生活を營みなり」とロンドン生活が不愉快な嫌岳すべき日日であったことを表白している. 1900年代の英國と日本との關係からみれば, 大きな落差があったのである. 近代化が遲れ, ひたすらは西歐化をすすめる過程をたどってはいたが, 故國での後盡性は否定すべくもなかった. 漱石は先進文化に驚異を覺えるとともに, わが身のコンプレックスを感じないわけにはいかなかった. 三四郎が東京生活で感じた喪失感にはおそらく, イギリス留學中の漱石の思いが投影されている三四郎は傳統的な田舍の世界もいやだが, そうかと言って, ハイカラな洋風化された世界にもすんなりとはいっていけない. 文明開化の象徵である미녜자子に强く引かれながらも, 彼は, 彼女の性格や, 彼女のつかっている環境にはいっていけない. 미녜자と三四郞, 都會人と地方人と生い育った環境の相違は, 當然この靑春の迷蒙の受けとめ方も, 對應の仕方の上に表われている. 미녜자の能動的な, 局面の對應の速さは, 自己への開眼とともに三四郎からの訣別に及んでいる 三四郎にみられる生硬さは, 「半間」の自覺となって自己への 逡巡と躊躇とがつきまとっている. 미녜자のような鮮やかな轉身を遂げることはむずかしいのである. ロンドンにあった極東の留學生としての色んな生活感情が, 三四郎の心情や行動に反映している. 小說の結未部分の「森の女」の前で,「迷羊, 迷羊」と繰り返えす三四郎は, ロンドンの霧の日日に, 行くべき道を失い, あてどなくさまよう漱石の自畵像に外ならない. 明治40年,「私の頭は半分西洋で, 半分は日本だ」と漱石が語っているように,『三四郞』には, 歸國して眺めた明治の文明開化に對する漱石の暗鬱な思いが書きこめられているのである.
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志賀直哉は1910年「綱走まで」で文壇に登場して活潑な創作活動をすることによって作家としての位置をかためていく. この「綱走まで」を1910年(明治43年)4月創刊された文藝雜誌『白棒』に發表し, 以後多數の作品もこの雜誌に發表する.「白樺』を中心としてあつまった靑年作家たちを白樺派というが, かれらは西洋の人道主義や新理想主義の影響を受け, 自然主義や眈美的な情緖世界に反對して, 人間性の弱さや醜さを認めながらも, その中に理想を見いだそうとする, いわば現實に立脚した理想主義を唱え, 大正の初めの文壇の主勢力となった. 個性の尊重を特色としたので必ずしも一派の色彩にかたまらず, 各自の作風を自由に示した. かれらは何を見ても何をするにも一度自分で確めてみるところから出發したのである. 志賀は小說に必要な劇的條件, 思想, 主題, プロットのいろいろの制約から表現を解放し, 自己の心理や感情だけを表現する自由を手に入れた. 彼は作品の題材を狹く限定してはいるが, それは限定された中に自分の思想は完壁に表現し得る自信があったからである. そして彼が銳く, 簡潔な文章をつくりだすことができたのは, その生き方や作品への對しかたが自己に忠實であったからである. また志賀文學には作者の暖かい心が作品の底を流ていて, それが基調となっている作品がほとんどである. 1920年 表された「小僧の神樣」にもそのような志賀文の特徵がよく表われている. 志賀文學の成熟期に書かれた「小僧の神樣」にはわからないことをわからないままでおこうとする, 主人公の謙虛さがあり, そのような自己の中の不可知な部分に對して, 彼は自己の意志を超えたものとして認識したのである. これは今まで氣づかなかった自己の限界を認識し, さらには人間の限界性をさとることである.

전전하광일랑 (前田河廣一郞)의 위나니미즘적 소설기법에 관한 일고찰

오황선(Hwang Seon Oh)
한국일어일문학회|일어일문학연구  24권 0호, 1994 pp. 209-230 ( 총 22 pages)
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前田河廣一郎は, フランスのジュ-ル. ロ-メンのユナニミズムからヒントを得て,「主人公のない小說, すべての人物が主人公となる小說, 群衆それ自身の占有する小說の舞臺」を描こうとし,「三等船客」をはじめ一連の航海物小說を創作している. 彼は, 特定の人物ではなく, 一つの場所の行動する集團全體の姿を描くことによって, プルジョア思想としての個人主義を否定し, 私小說的な狹さから逃れて, 社會主義思想としての集團主義を肯定しようと努めた. 作品の舞臺は, 日本を遠く離れ, 太平洋の眞ん中, 露領力ムチャッカ半島, アメリカとメキシコなどに廣まっており, そのスケ-ルの大きさで勞動者集團をリアルに描出している. 前田河廣一郎は, ユナニミズムの手法を應用, 反抗意識をもつ下層民たちの集團的生をとらえ, 初期プロレタリア文學一傾向を代表する作品を殘こしているのである.
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