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Journal of Japanese Language and Literature


  • - 주제 : 어문학분야 > 일어일문학
  • - 성격 : 학술지
  • - 간기: 계간
  • - 국내 등재 : KCI 등재
  • - 해외 등재 : -
  • - ISSN : 1226-2552
  • - 간행물명 변경 사항 :
논문제목
수록 범위 : 30권 0호 (1997)

여성들의 근대일본 ( 女たちの近代日本 )

(Haga Toru)
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山形縣生まれ. 一九五三年東京大學敎養學部フランス科第一期生として卒業. 五五∼五七年佛政府給費留學生としてパリ大學に留學. 六十年東大大學院人文科學硏究科比較文學比較文化專門課程修了, 六三年同大敎養學部專任講師, 六五年助敎授を經て七五年敎授. 八三∼八八年同大大學院比較文學比較文化の主任を務める. また六五∼六七年米國プリンストン大學客員硏究員, 七五∼七六年ウッドロ-·ウィルソン硏究所(ワシントン)硏究員, 國立國際日本文化硏究センタ-敎授. 一九九七年四月から大正大學文學部敎授. 專攻は近代日本比較文化史. 文學博士. 多數の著書があり, 岩倉使節團の硏究を出發点として「大君の使節」『渡邊華山·優しい旅びと』『明治維新と日本人』『平賀源內』(八一年サントリ-學芸賞受賞)など, 明治維新史および江戶期の洋學と洋學者を硏究. また「與謝蕪村の小さな世界』で俳人蕪村へとさかのぼる. 一方, 明治以降の文學と美術の比較文化史にも取り組み, 「みだれ髮の系譜」, 大著『繪畵の領分」(八四年大佛次郎賞受賞)のほか.「文化の往還』「繪のなかの東京」『昨日の空-東大駒場憧憬集』がある.

추성 (秋成)의 인간학과 문학 - 『 지 』 의 문제를 중심으로 -

강석원(Suk Won Kang)
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上田秋成は一般に作家として知られているが, 彼の殘している業績を見る限り彼は作家というより國學者として見るべきであると思われる. 從って秋成の作品を理解するためには彼の國學, 卽ち彼の學問と思想を理解する必要がある. 彼の作品において絶えず學問性が問われているのもそこに原因がある. 本論文は, そういう視座から秋成の國學に見られる「智」に對する認識の問題が彼の作品にどういう形として表われているのかを明らかにしようとする試みである. 秋成は「智」に對して否定的であったし, 自分の考えを『遠駝延五登」のような學術的著作にたくさん書き殘している. そればかりでなく彼は『癎癖談」のような諷剌小說や「瞻大小心錄』のような隨筆,「春雨物語」のような讀本等, 創作 の中にも自分の考えを余す所なく書き殘しているのを見る. そこから秋成の文學は彼の學問と密接な關係にあり, またそれは「戱作」という近世文學の-つの特徵であった.

미야자와 켄지 (宮澤賢治)의 새 삶의 모색 - 여동생 토시코의 죽음을 계기로 -

고한범(Han Bum Ko)
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賢治の『春と修羅」第一集には, 妹とし子の死を悼んだ詩が「無聲慟哭」と「ォホ-ンク挽歌」という兩章に收められている. そして, 彼女の死が衝擊的であっことは, 「無聲慟哭」の章のなかで「永訣の朝」『風林」「白い鳥」などによく描かれている. そしてまた, 盛んな詩作活動を見せていた彼が, 死後半年ほどその活動を中斷していることからも推測することができる. 賢治にとってとし子の死が衝擊的であったほどに, 彼女の死による衝擊から逃れるための彼なりの解決が必要とした. その解決のために生れたのが, 弟子の就職を依賴するための旅行, いわゆる挽歌旅行による「ォホ-ンク挽歌」の章である. しかし, その挽歌旅行の終着驛だといえる「噴火灣(ノクタ-ン)」にたどりついても, 彼女の死後幸福を確信しながらも喪失の悲哀を克服することほできなかった. 「風景とオルゴ-ル」の章の冒頭にある「不貪欲戒」では, とし子の死別體驗を通じて精神的に成熟された賢治の姿が見られる. そして, 「雲とはんのき」では, 實踐的な生を決意する賢治の姿が描かれてあるが, その裏面には死者と斷絶されて現實を行かねばならぬ彼の寂しさがうかがえる. ところで, とし子の所在を追求して北の方へ旅立ったが, 死を內面に定着させずに挽歌群を終えた賢治にとって, 「雲とはんのき」で南の方へ出發する決斷は必然である. ここに, 死者による悲哀の沒入から回復していく賢治の姿がうかがえる. 實踐的な生への決意などの內面的變化に迫られていた賢治は,「宗敎風の戀」でこの變化を促す動因となった關東大震災にふれている. そこで, 關東大震災は, とし子の喪失感を克服して決然たる信仰に基づいた實踐的な生へというふうに, 賢治の內面に變化をもたらした決定的な事件のように描かれてある. しかし, 關東大震災は賢治に社會意識を深化させる決定的な動因となったといえるものの, この事件の發生によって彼の社會意識が芽生えたのでは決してない. 何故かといえば, 「雲とはんのき」で決斷された必然的な生の裏には, 旣に社會意識が內包されてあるからである. 以上, 妹とし子の死別體驗を通じて精神的に成熟された賢治が新たな人生を出發する過程において, 彼女に對する喪失感を宗敎的に洞察し整理する形で, その喪失感を社會的問題に對する關心の深化へと昇華させていく姿が, 彼女の死を悼ん詩と「風景とオルゴ-ル」詩篇のなかに投影されてあることかわかる.

일본의 소위 고전 (古傳)의 침사 (枕詞) 해독의 연구

김공칠(Kong Chil Kim)
한국일어일문학회|일어일문학연구  30권 0호, 1997 pp. 91-121 ( 총 31 pages)
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秘傳의 古歌의 것으로 전해 오는 8개의 古傳의 枕詞의 리스트를 확인하고 그것의 被枕詞와의 共起관계도 모두 조사하여 필자 나름의 한국어적 접근방법에 의한 수식피수식의 일치 관계의 성립 여부를 추구하여 본 결과 그것이 거의 완벽하게 성립하는 것을 확인하였다. 이 중 새로이 해독한 5개의 枕詞 가운데 1) pisakata(久方)no `아득한` 과 2) aragane `새로 운` 은 古今集假名序에서 상관적으로 풀이되고, 4) kamukaze(神風)ya `大壁` 는 神武紀의 역사적·지리적 전승과 관련되는 점에서, 7)tamapoko(玉○)no `앞으로 갈` 는 枕詞 - 被枕詞 - 이동동사가 뭉뚱그려지고, 8) amazakaru(天離) `비천한` 은 被枕詞와의 유의관계로 모두 일치관계가 잘 이루어지고 있다. 이와 같은 枕詞의 한국어적 復元의 성과는 오래동안 가리어져 왔던 일본의 萬葉集의 유래와 그에 대한 한국어적 영향을 백일하에 드러내는 것이 된다.

일본어외래어의음성적 특질

김숙자(Sook Ja Kim)
한국일어일문학회|일어일문학연구  30권 0호, 1997 pp. 123-151 ( 총 29 pages)
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日本語の表記は, 平假名, 片假名, 漢字, ロ-マ字, そしてアラビア數字の5種類の文字から成り立っている. 現代日本語の特徵の一つは, 西洋外來語の增加現象であると見ることができる. 本稿は日本語の音韻體系の中から, 外來語が示すいくつかの特質を共時的立場から考察することにする. 日本語の語彙體系は, 和語, 漢語, 外來語, 混種語から構成されている. 語種の結合類型を見てみると, ①和語+漢語(ごみ有料化), ②和語+漢語+漢語(がん予防食品), ③和語+外來語(ごみアセス), ④漢語+外來語(電子レンジ), ⑤漢語+外來語+漢語(緩和ケア病棟), ⑥外來語+漢語(アイドル歌手), ⑦外來語+和語(アジする), ⑧外來語+外來語(べストセ-う-), のような樣樣な方式で表わされている. 固有語である和語は, 元元, 1音節ないし2音節語が大部分を占めていたが, 同音異義語が多く發生する現象を避けるために漢字語で代用することもあった. しかし, 現代日本語では新しい事物に命名する時, 多くの場合漢語と外來語が結合するが, これは漢語の造語力と關係があると見られる. 外來語の表記ば `原音主義` 原則によって, 發音と表記を最も近い音と文字で表わしている. が, 外來語の原音と日本語の音韻體系の違いにより, 日本語の音韻に置きかえられたり, 音節數が原音の音節數より增加してしまう場合が多い. また, 日本語の拍數にも變化をもたらすことになり, 從來の拍數以外に外來語の音を表わすため, 22個の新しい音節が現代日本語に追加された. 現代日本語の外來語の全體の72%∼89%が英語を原語としているのに注目し, このような外來語の語例を中心にいくつか音聲的特質を考察してみると, ①開音節化現象(CV型音節), ②原音に現われない促音の揷入, ③母音の統合現象, ④和製英語の出現, などをあげることができる. 方言によって, 一つの外來語の語例がそれぞれ違う樣相で使われている場合もあり, 外來語の歷史的變化過程によって, 同じ事項をニ通りに表記する倂用現象なども問題点として殘る. しかし, 共通語である東京方言を中心とした日本語の外來語の正しい理解のために, 音聲面の考察と分析は意義のあることであると思う.

다자이 오사무 (太宰治) 후기소설의 허상 (虛像)

김영관(Young Kwan Kim)
한국일어일문학회|일어일문학연구  30권 0호, 1997 pp. 153-179 ( 총 27 pages)
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太宰治は虛無主義的な作品を書く作家として知られており, またかれ自身の生涯が悲劇的な終末迎えた作家でもある. しかし反面, 簡潔な文章と私小說のように見えながらも虛構性の優れた作品を絶妙に作り出す. ところが, 問題は虛構性を作る過程で, 讀者の前で作品の虛構性を强調するため呼訴と哀願をする方法の中に一種の矛盾性がいくつかの作品に存在しているいう点を發見することができる. それは確かに作品を興味深く道引くための作者太宰治の手段であるが, それにたいする適切な硏究はまだ盛んではない. 1947年から1948年まで書かれた太宰治の小設, 「父』, 『家庭の幸福」, 「櫻桃」,「トかトントン」, 『人間失格」は眞理發見のための主人公の苦痛と心理描寫が誇張表現され構成上の矛盾として現われる. それは『父」, 「家庭の幸福」, 「櫻桃」, 『トカトントン』, 「人間失格」, この五つの作品で共通した特性は主人公らが$lt;おそろしいところ$gt;と見做している現實を生きて行く主人公たちの考えと行動の不一致の要素が時間の流れるほど元來の意圖とは違う主人公に變身するという点である. それは作品で一貫してかかれていない主人公の言行不一致のせいで作品をあきあきさせる要素として作用し. たびた讀者を食傷させる原因でもある. それがこの五つの小說で構造的な矛盾で表われる誇張表現の濫發であり, 主人公が求めている$lt;正義$gt;と$lt;眞理$gt;さがしの過程で現われる僞善と虛像であった. 矛盾構造を持っているこの作品群の特徵である文章の誇張, または逆設的な表現のいちばん代表的なものが,「父」の場合$lt;父は義のために遊ぶ$gt;, $lt;親が有あるから子は育たぬのだ$gt;であり, 『家庭の幸福」では, $lt;家庭の幸福は諸惡の本$gt;と言う表現であり, 『櫻桃」では$lt;子供より親が大事$gt;であるという表現などである. また,『トカトントン」の場合, 虛無であると讀者が分析しやすい$lt;金槌の音$gt;が, $lt;虛無の情熱をさへ打ち倒し$gt;てしまった$lt;トカトントン$gt;という逆設的な形態で現われるし, また『人間失格」で世の中と人間に對する$lt;不安と恐怖$gt;のために設定された主人公の$lt;道化$gt;がだんだん世の中と人間に正面にふつかって行く$lt;一本勝負$gt;にかわるのである. そうしながらも作者太宰治, あるいは主人公らは自身の狀況が少しでも不利に展開されると, 卽ち, 作品がもっと興味を誘發させることができない場合, 誇張された表現と逆說的な矛盾構造で, 讀者に哀願する呼訴策として, 依然として世の中をくおそろしいところ$gt;と見做し, 甘ったれながら作品を導びくのである. しかし, そのような矛盾点のある設定にもかかわらず, 解讀法は作品の興味の誘發の手段として作用される点でとらえるべきで, このような硏究が各作品の正しい讀みに何よりも重要な要素であることは違いないと言えるだろう.

マデ ( 마데 )의 통어관계와 ' Topic Prominence ' 기능

김은희(Eun Hee Kim)
한국일어일문학회|일어일문학연구  30권 0호, 1997 pp. 181-209 ( 총 29 pages)
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ある命題に系列的に對立する他の命題を背景として, ある命題を取り立てる機能を `Topic Prominence` 機能と命名し, その機能をになう形式マデの總語關係と意味を考察してみた. 格助詞との關係においては, マデが『が』, 『を』と結合すると, 格助詞の方が脫落する. 取り立て詞マデが具體的な意味に加え, 語用論的な意味も含んでいるからである. その一方でその他の格助調には後接する. 格助詞「まで」と他の格助詞の結合には注意しなければならない. 取り立て詞同士の結合においては, マデは前接するが, 助詞同士の結合においては語彙性が强いと前接し, 文法性が强いと後接する. マテは他の助詞に比べて先行要素の選擇が比較的自由である. 活用形にも後接することができるが, 主に副詞的な用法で使われるものと結合する. この統語現象はマデが副詞的な用法で使われることと密接な關係にある. どのような從屬句と共起するのか, またどのょうな文末表現と共起するのかを考察してみたところ, 統語的な關係よりは意味のつながりを重要視するので, 意味の矛盾や衝突を起こさなぃ限り共起することがわかった. マデの文中での意味特性として, [同類の事態(項目)の含意], [意外性], [極端性], [不調和]を油出することができる. [同類の事態(項目)の含意]の意味特性は, 格助詞としての「まで 」か客觀的にそれ以下のものを含意することに類似している. このように格助詞としての「まで」は客觀的にそれ以下のものを含意するのであるが, 取り立て詞としてのマデは主觀的にそれ以下の項目を含意することもあれば, 何も含意しない場合もある. 實質的に同類の事態(項目)は含意するか否かによって, マデの `Topic Prominence` 機能はニつの用法に分けることができる. そして實質的に同類の事態を含意する場合は, その中で-つだけを取り立てる `Single Out` 用法として使われており, 實質的に含意していなぃ場合は, その事態だけを浮き彫りにする `Relief Situation` 用法として使われている. したがって, マデの `Topic Prominence` 機能には「文中のある要素を取り立てて, それに對する他の要素との論理的な關係」を表すとする從來の說明に, 論理的な關係を表すのではないが, その事態だけを浮き影りにする `Relief Situation` 用法がつけ加えることができる. しかし, 事態を浮き彫りにする `Relief Situation` 用法では實質的に含意する項目がなぃとは言え, 假想的には含意することもありうるのである.
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橫光利一の文學的生涯は, よく「孤軍奮鬪」の過程であると言われる. この言葉は橫光文學に對する否定的な側面をあらわすと同時に, また「新」文學の追求のために努力した橫光の實驗精神と創造精神を認めた上での評價と言えよう. 文學史的な評價において, 新感覺派文學と新心理主義文學とは西歐文學との密接な關連から生まれたモダニズム文學の一系列に屬する. 本稿では, 橫光の新感覺派時代と新心理主義時代を, 「新」+「感覺派」と「新」+「心理主義」と見る立場から, その修飾語としての「新」の持つ意味を西歐文學との關連を通して考察してみた. その結果, 橫光の新感覺派時代における「新」の意味と, 新心理主義時代における「新」の意味とは, 橫光の文學的意圖から見て, かなりの差があることが分った. つまり, 新感覺派時代における「新」は, 西歐文學の積極的受容の意味であって, 新心理主義時代における「新」は西歐文學の克服過程という意味であるということが分った. 橫光文學におけるその「新」の意味の意圖的變化過程は, 一種の文學的$lt;轉向$gt;の道であったし, その$lt;轉向$gt;はまた「新」しぃ文學實驗のための必然的な前提となっているのである. 結論的こ, 本稿で考察した橫光の文學的轉向とは, $lt;文學形式の轉向$gt;と$lt;文壇意識の轉向$gt;を含んだ, 西歐文學の受容から克服への$lt;文學精神の轉向$gt;であって, それは一言で言うと, $lt;西歐$gt;的なものから$lt;日本$gt;的なものへの觀点の變化であったと見ることができる.
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謠曲『姨捨』の典據についてはさまざまな設があるが, 主として內容的な類似性から典據が考えられるのが一般的な傾向といえる. 『大和物語』や『俊賴髓腦』などの作品や, 中世の古今注がその典據として擧げられるのもこうした傾向を脫しているものではない. しかし, 本稿では, 作品の典據をそのような表面的な類似性から深ることに疑問を抱き, むしろ典據世界け根底を流れている-つの文學的な傳統に着目して見たのである. その文學的な傳統というのは, ほかならぬ「月影の作用」というものをさす. 謠曲『姨捨』は, これによって典據世界と密接に結ばれており, 『姨捨』の主人公の老女における複雜な內面構造に迫まるためには, これを拔きにしてはならないと思う. こうした考えにもとづいて, 本稿では, 謠曲『姨捨』の中に描かれている老女の人物像を考えてみるための-つの準備段階として, その典據世界における「月影の作用」の有樣の分析を試みてみたのである.

일본의 문학과 언론의 반향을 통해본 ' 최승희 ' - 일본에 심은 조선의 혼 -

노영희(Yeong Hee Ro)
한국일어일문학회|일어일문학연구  30권 0호, 1997 pp. 261-283 ( 총 23 pages)
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日本で出販された平凡社版の 《世界大百科辭典》 に收錄されている `崔承喜` に關する記錄を見ると, $quot;朝鮮の舞踊家. 石井漠の下で硏修の後, 1930年代から朝鮮をはじめ, 日本, 歐美, 中國の各地で千回余の公演おこなぃ, 民族的傳統美を生かしたモタン·タンスによって$lt;半島の舞姬$gt;の名を世界にとどろかせた(以下省略)$quot;. となっている. このように$lt;半島の舞姬$gt;という名を世界に とどろかせた`崔承喜`が日本人の心の中ではどう映されていたかを, 本論文で小設家と劇作家, そして歌人とその他の文化人が描いた彼女に關する文章と回想を通じて調べてきた. また, 一般大衆のなかに生かされている崔承喜のイメ-ジを調べるため當時のマスメデイアの中に登場する崔承喜の足跡をたどってきた. 多樣な文化人ばかりでなく, 大衆と共にした彼女の生涯をたどって見た時, 崔承喜が日本人の心にいかに强く`朝鮮人の魂`を傳えてやったかが分った. 彼女の舞踊を見た日本の文化人たちは彼女の舞踊の中に含まれている `民族の香` と `藝術的な香氣` を見出していた. それに日本文化の根據を感じさせる朝鮮の强い魂を彼女の舞踊を通じて認識していた. 當時の朝鮮はいかにも弱くて悲しい存在であった. しかしその半島の朝鮮からきた崔承喜の舞踊はその悲しさを越えて生じた强い意志をにおわしていた. それをみた日本の文化人たちは朝鮮にたいする認識をかえたり, 朝鮮にたいする理解を廣めたりしたであろう. 崔承喜が `半島の舞姬` というのを明かにし, 日本の舞姬たちと比べた時, 彼女の卓越した藝術性を稱讚にたえなかった. 崔承喜は生きていた時は日本人の心と一緖にしたし, 彼女が日本を去ってから50年以上が過きた現在も彼らの追出と共に `非常の女性` として追億されていることが分った.
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