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Journal of Japanese Language and Literature


  • - 주제 : 어문학분야 > 일어일문학
  • - 성격 : 학술지
  • - 간기: 계간
  • - 국내 등재 : KCI 등재
  • - 해외 등재 : -
  • - ISSN : 1226-2552
  • - 간행물명 변경 사항 :
논문제목
수록 범위 : 31권 0호 (1997)
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한국어의 「 - 게 하다 」 와 일본어의 「 -(さ)せる 」 - 생산성의 차이를 중심으로 -

강영부(Young Boo Kang)
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本論文は, 韓國語と日本語の生産的な使役形式である「-게 하다」と「-(さ)せるかの生産性の違いについて論じたものである. その結果をまとめてみると次 とおりである. 1. 兩言語の單純動詞を「-게 하다」와「-(さ)せる」の形式に使役化する場合, 後者の方が前者より多くの制約を受けるために生産性が低い. このことは複合動詞の場合においても同樣である. 2. 兩言語の謙議語はそれぞれ「-게 하다」と「-(さ)せる」の形式への使役化が可能である. しかし, 日本語の「お∼する(いたす)」形式の謙議表現は「-さ)せる」の形式に使役化することが不可能である. 3. 韓國語の尊敬語は「-게 하다」の形式への使役化が可能であるが, 日本語の尊敬語, 尊敬形, 尊敬表現は「-(さ)せる」の形式への使役化が不可能である. 4. 兩言語の「-게 하다」「-(さ)せる」形式の使役形を「-게 하다」と「-(さ)せる」の形式に使役化することは同音連鎖を起こすために不可能である. 5. 韓國語の受動形は「-게 하다」の形式への使役化が可能であるが, 日本語 の受動形は「-(さ)せる」の形式への使役化が不可能である. (一方, 韓國語の使役形は受動化が可能であるが, 日本語の使役形は受動化が可能である.) 6. 韓國語の可能表現は「-게 하다」の形式への使役化が可能であるが, 日本語の可能形と可能表現は「-(さ)せる」の形式への使役化が不可能である. 7. 韓國語の自發動詞, 自發形, 自發表現は「-게 하다」の形式への使役化が可能であるが, 日本語の自發動詞, 自發形は「-(さ)せる」の形式への使役化が不可能である. 8. 韓國語のアスぺクトの形式は, それが動作の進行を表わすにせよ變化の結果の狀態を表わすにせよ, 「-게 하다」の形式への使役化が可能であるが, 日本語のアスぺクトの形式はどの場合においても「-(さ)せる」の形式に使役化することが不可能である. これらの結果は單にニつの形式の生産性の違いだけを示しているのではなく,「-게 하다」と「-(さ)せる」の意味的, 統語的機能の違いを解明するのにもよい參考資料になりうると思う.
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日本語には話し手が自分がもっている情報と同じ情報が聞き手にもあるということを確信し, それを聞き手に確認しようとするいわゆる確認要求表現というのがある. その代表的な表現形式には「ね」「だろう」 「じゃないか」がある. これらの表現は文末に位置し, 多樣な意味を表しているが, 共通的に確認要求という意味をもっていると言える. ところが, これらの表現を注意深くしらべてみると, もうひとつの共通的な用法を見つけることができる. それはいままで「ね」をのぞいてはほとんど取り上げられていないが, 話し手の聞き手に對する情報共有志向という語用論的な用法である. 「ね」「だろう」「じゃないか」は確認·同意(共有情報確認)要求という本來の機能を用い, 必らずしも確認·同意(共有情報確認)要求が必要な文脈や場面でもないのに話し手に使われ , 話し手の主張き聞き手が受け入れやすくするように聞き手にも話し手と同じような主張や情報が存在しているかのように見せかける情報共有志向の動きをしている. また, これらの表現は次のような共通的な語用論的特徵を有している. a. 省略しても文脈上大きな意味の違いはない. b. 情報領域は話し手に減する. c. 聞き手に對する確認·同意(共有情報確認)要求ではなく, 話し手の主張に近い. d. 話し手と聞き手との共通の情報領域を想定することで, 話し手の主張を和らげ, 聞き手が受け入れやすくする.
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本稿は拙稿1992, 1995での分析そもとに, 「してしまう」の基本的な意味をモタリティに求め, その意味を$lt;自分の本意に反した運動の實現に對する話し手の殘念さ, 意外さ, 照れなどの感情·評價的な態度$gt;や$lt;自分の本意である戶惑い, 煩わしさ等から逃れるため實現を急ぐ話し手の感情·評價的な態度$gt;とに分けることから出發し, これまで「してしまう」と同じく扱われてきた「しちまう」「しちゃう」が現代日本語においてそれぞれの意味特徵·用法を持ち, これらの三つの形が何らかのものさしによって使い分けられているのではなぃかに注目し, 多樣な方向から分析したものである. まず, 「してしまう」「しちまう」が主に殘念さ等の感情を直接的に表すのに對し,「しちゃう」は相手のことを配慮して感情を和らげて表現する傾向がある. 「しちゃう」のこのような意味特徵は現代日本語において自分に好ましい運動を$lt;照れ$gt;等の感情で紛らわそうとする話し手の意圖とつながって好んで用いられている. つまり, 殘念さの程度においても「しちまう」「してしまう」「しちゃう」の順に弱まっており, 文體, 時代, 話し手の性別による偏りが見られる. なお, 「しちゃう」がたしかに比較的直接的な感情表現を愼む女性趣向の言い方ではあるが, 男性=話し手の比率も43%に及んでいることから女性語であるというこれまでの認識には問題があることも指摘したい. 最後に, これらの形の選擇が話し手や相手によるというより場面の狀況によることを確認し, 同一の相手に對する場合でも公的な場面なのかどうか, よそよそしい關係なのかどうか, また殘念さの程度の强弱等によって使い分けられていることを指摘し, それを丁寧體の使用率が「してしまう」「しちゃう」「 しちまう」の順に多かったことと關連づけて設明しようとした. この硏究では會話においての音の縮約から生した三つの形が時代と共にそれぞれの意味特徵·用法を持ちつつ發展し, 話し手により意識的に使い分けられていることを明らかにしたのである. この硏究が「してしまう」の意味究明はむろんのこと, 「しちまう」「しちゃう」の意味硏究の出發点になることを期待したい.

「 だろう ( 다루 ) 」 와 「 ようだ ( 요다 ) 」 「 らしい ( 라씨 ) 」 의 차이

김동욱(Dong Wook Kim)
한국일어일문학회|일어일문학연구  31권 0호, 1997 pp. 95-120 ( 총 26 pages)
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本稿は, 「ょうだ」「らしい」と「だろう」の意味の違いを, 「單純終止形」と『う/よう」の形の對立という觀点から究明しようとしたものである. 本章では, 「だろう」と「ようだ」「らしい」に考察のム範圍を制限したが, 「みたいだ」「(し)そうだ」や「かもしれない」「にちがいない」などの, 他の推量の助動調も「∼だ」や 「∼い」の「單純終止形」の形をしており, 「う/よう」の形をとる「だろう」はかなり特異であると言える. だが, 文法の體系的な說明のため, 「だろう」が他の推量の助動詞とともに一括して分類されるようになってから, 「ぅ/よう」の形態と意味を內包している「だろう」だけの特性が, 充分に意識されてこなかったように思われる. 本稿は, 「ようだ」「らしい」と對立的な觀点から, 以下のような「だろう」の特性を論じた. 「ようだ」「らしい」は現實を反映する條件節と呼應し,「だろう」は現實を反映しない條件節と呼應する. さらに, 同一の條件節の內容を, 「ようだ」「らしい」は現實を反映する內容にし, 「だろう」は現實そ反映しない內容にする傾向が見られる. 「ようだ」「らしい」は, 現實に實在する根據そ前提とする「根據前提型」推量の意を表わし, 「だろう」はそういった根據き必ずしも前提としない「根據非前提」推量の意を表わす. 「ようだ」「らしい」は不確かながら判斷が終了しだことを示し, 「だろう」は判斷が終了していをぃことを示す. このため, 「だろう」は, 結論を迫る成分とはあまり呼應せず, 疑いの意を表わす成分とは自然に呼應する. 「だろう」に限られて「確認」の用法が存在するのは, 「だろう」が判斷を終了していないことを示す形式だからである. 判斷を終了せず, 一部疑問を抱いてぃたところを相手に確認しようとするのが, いわゆる「だろう」の「確認」の用法である. 「だろう」は助動詞でありながら, 終助詞の「ね」と非常に類似した意味を表わすことがあり, 他の推量の助動詞に比べて異質な特性を有する.

중학교 일본어 코스디자인을 위한 기초조사 및 분석

조문희(Moon Hee Cho)
한국일어일문학회|일어일문학연구  31권 0호, 1997 pp. 121-155 ( 총 35 pages)
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韓國では2,001年から中學校でも日本語を敎えようとする立案がなされている. 本稿はこの課程のコ-スデザインのための資料を提示する. 一つはアンケ-ト調査·分析による資料提示, もう一つはすでに中學で日本語を敎えている中國·オ-ストラリアの場合のガイドライン, 敎科書の構成, 敎師などについての資料を集め提示する. 娘の學校(世和女子中學校:瑞草區 盤浦洞 所在)でクラフ活動の時間に日本語を敎えている筆者は日本語を選んだ學生にアンケ-ト調査を實施し, それをデ-タべ-ス化し, 分折を行なった. 調査項目は(1)日本語を選んだ理由(2)日本語を學習したことがあるか(3)とんな日本語が習いたいか(4)日本誘に對するイメ-ジ(5)日本に對するイメ-ジ(6)將來の希望なとであった. 中國の敎科書は1994年發行の初版試用本『日語』 3冊を中心に紹介し, オ-ストラリアは『よろしく シリ-ズ』『NIKO NIKO』 , 『MOSHI MOSHI』 , 『PERA PERA』 を主に紹介する.
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日本語の初級課程における文字の指導はひらがな, 漢字, カタカナ願になっている. しかし, 現在の文字の指導は, ひらがな, 漢字に偏って行なわれているのが實狀である. 戰後から始まった本格的な外來語の借用は日本社會の急激な變化, 經濟高度成長と供に增加し續けている. そのため外國語として日本語を習っている學習者たちも日本語化した外來語, 卽ちカタカナ語を勉强しなければならないと考えている. 工業系の專門大學の場合, カタカナ語の學習は特に重要である. それは專攻分野を理解するためばかりでなく, 卒業後專門職に從事する際にも有效に使われると思われるためである. 本稿ではカタカナの指導過程での表記テストの誤用例を通じて, カタカナ學習の現狀と問題点を考察した. 二次(1次は文化語, 2次は工業用語)のテストを實施し, その結果を分析したところ, 文化語の正答解は工業用語より高かったが內容面には似通った結果が現われた. (表5.7.8.參照) 1. あらかじめ學習した單語は正答解率が高い. (カメラ, ラジオ, ミルク, イオン) 2. 原音意識が障害を起こす場合がある. (ランプ→ レンプ, スイス→ スウィス, ソケットレンチ→ ソケットランチ) 3. 類似した文字の誤用 (ウ→ワ, ミを逆に書く) 4. 長音の誤りが最も多い. (エレべ-タ, ニュ-ス, ミュ-ジカル, エネルギ-, ブレ-キ, キ-ボ-ド) 5. 拗音ァ, ィ, ユ, オの誤用 (フィルタ→ ビルタ, ファクシミリ→ べックシミリ) 1, 2次のテストの誤用例を土台とし, 次のようなカタカナ文字の指導の方案を立てることができる. 1. カタカナの指導に適當な時間を割り當てなければならなぃ. 2. 日本語の學習者に對し音韻體系, 音韻構造に關する指導が先行するべきである. 3. 現行の外來語の表記についての指導敎師の硏究(勉强)が必要である. 4. カタカナ書きの敎材の硏究, 開發が求められる. 5. 學習者のカタカナ表記は日本の基礎敎育課程で指導するべきであリ, 指導された後にも, 學習は持續的なかタカナへの關心と練習が要望される.

한국에 있어서의 일본어교육 연구의 동향과 향후의 과제

신용태(Yong Tae Shin),신석기(Suk Ki Shin)
한국일어일문학회|일어일문학연구  31권 0호, 1997 pp. 179-196 ( 총 18 pages)
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本稿の目的は過去の日本語關連硏究の中で, 日本語敎育に關する硏究の動向を調べてそしてこの動向分析を基にしてこれからの日本語敎育に必要なことを 摸索することである. 調査の結果, 今まで297件の日本語敎育關連の硏究があった. その結果は次の表のようである. 上記の表からこれまでの日本語敎育硏究分野で(音聲·音韻敎育分野)と[文法·表現分野]の硏究が主流を成している(單一分野としては[日本語敎育全般に對する考察]が一番多かった). 全體的に見て各分野の詳細な部分での詳しい硏究が望まれると思う. 上記のような動向分析から本硏究者は次のような考えを整理して見た. ① 日本語敎科敎育に必要な基礎敎育に關する硏究-つまり, 讀み, 書き, 話し, 作文敎育-が多く成されることが望まれる. 特に漢字の讀みと書きに關する效果的な敎育方法の硏究が强く望まれる. ② 視聽覺資料, 映像資料を利用した日本語敎料敎育硏究がほとんどない狀態である. そしてこれからの情報化社會を向えて日本語敎育の分野にもコンピュ-タを使って敎育を行うことが望まれる. 特にマルチメディアシステムそ利用した映像敎育とインタ-ネットを活用した日本語敎育に開する硏究が待たれる.

『 겐지모노가타리 (源氏物語) 』 소고 - 무라사키노우에 (紫上)의 도심과 그 행방 -

김유천(Yoo Cheon Kim)
한국일어일문학회|일어일문학연구  31권 0호, 1997 pp. 197-219 ( 총 23 pages)
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『源氏物語」の女主人公紫上の道心を考えることは, 紫上論において欠くことのできないテ-マであるとともに, 『源氏物語」を理解する上で素通りできない重要な問題でもある. 本稿では, 紫上が源氏との愛情關係を通して出家を志向する必然性とその行方について, その表現性に注目しながら考察した. まず, 紫上の出家表明には, 女三宮の降嫁以降, 源氏との愛情關係の變容と自身の存在を反芻してきた內面の苦惱が敷かれていたことを, 「世」や「身」の表 現を通して確認した. 次に, 彼女の出家志向が, 明石君と女三宮の榮華の高まりと呼應する形で物語世界に表出する点が注目された. 彼女たちに比べて, 源氏の愛情のみを唯一 の據り所とする自身の限界と 源氏の寵愛の喪失を必至とする絶望的な認識こ そが彼女の道心を導き出しているといえよう. これは源氏の妻としての地位と榮華を現實約にまえてくれるような血緣約な紐帶が欠如している彼女の位相を浮き彫りにしている. また, 彼女の述懷を通して, 源氏の寵愛を獨占するすぐれた宿世を持ちながら, 同時にそれゆえに苦惱と憂愁から逃れ得ないわが身に絶望する彼女の內面に觸れた. さらに, 出家する女君, 特に父朱雀院によって源氏との絶望約な夫婦關係から出家へと救い取られる女三宮を通して, 紫上は血緣的な紐帶が女性を宗敎的な領域に救濟してゆくという道心の次元でも疎外されていることを指摘した. 最後に, 道心の行方として, 源氏の愛執に固く縛られている一方で, 彼女自身が源氏に對する憐憫を捨て難く抱いていたことを確めた. また, 深い道心そ抱きながらも, 極樂往生という幻想に收斂されず, 自身の孤獨な死を現實として直視しようとする認識を, 「薪盡きなん」ゃ「我獨り行く方知らずなりなむ」などの特異な表現に注目して考えてみた. そこには來世での安易な救濟を懷疑するような物語の眼差しがあるといえよう. このように紫上の道心の特異性は, 孤立無援の彼女が源氏と愛情のみで離れ難く結ばれているという虛構性の達成と密接な關係があるといえよう. そして, 佛敎的な救濟の次元に收斂されないこと, 卽ち彼女を最後まで出家させないことこそが物語の論理であるといえよう.
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本稿では最初の勅撰集である『古今和歌集』を中心にその中に詠まれた屛風歌を拔き出して詠まれた背景とその和歌の性格, そして屛風歌の中に詠みこまれた歌枕の役割などを八代集を通して調べてみて, 歌枕が屛風歌の中でどのような位置をしめしているかを考察してみた. 屛風歌とは, 倭繪屛風の色紙形に書かれた畵讚の性格をもつ和歌のことであるが, 平安初期の宮廷で作られていた唐繪屛風には, 讚として漢詩が書かれていたが, 日本的な畵題や描法による倭繪屛風の發達にともない, その讚に和歌が書かれるようになったものが屛風歌である. 『古今和家集」の中に屛風歌はきわめて少ないが, 屛風歌を『含今集」的なるものから『拾遺集」的なるものへ移る間の和歌史的介在要因として把握する論もあり, また, 奧村恒哉氏は文獻上に見える屛風歌の作例が延喜五年をさかいに激增するのに着目して, その現象を和歌勅撰の結果としてみなして屛風歌の流行とそれにともなう專門歌人の成立は醍호朝の産物であると結論づけている. 『古今集』の屛風歌(總18首)はその性格上, 主に題畵によって四季の繪を見て詠んだ月次屛風歌が主流をなしている. このような和歌はだいたい賀歌の部に配列されたが, それは祝賀宴を行うとき, 主人の後に屛風を立てる風習と共に長壽をるとか, またはその屛風の繪を通して慶祝の意味を現した. また, 八代集の中の『拾遺集』と『新古今集」の中の歌沈も景物を通して祝福と神への祈りをあらわしているのがわかる. このように歌沈を詠みこむことによって景物との接木とともにもっともその和歌の象徵性を强めたが, 景物それじたいが長壽を意味するとか(松), 苦しいことやつらいことなどを忘わるとか(忘草), 老いることや長生きを意味する白雪を詠むとか, かぞえきれないほど多い數字を現す千鳥を詠み, 慶祝と長壽の意味がある初春の若菜のような景物を詠んで賀歌に期塔している. このような意味からみると, 屛風歌 ↔歌枕 ↔景物との相互關係はより密接であると言える.
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