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일어일문학연구검색

Journal of Japanese Language and Literature


  • - 주제 : 어문학분야 > 일어일문학
  • - 성격 : 학술지
  • - 간기: 계간
  • - 국내 등재 : KCI 등재
  • - 해외 등재 : -
  • - ISSN : 1226-2552
  • - 간행물명 변경 사항 :
논문제목
수록 범위 : 32권 0호 (1998)

「 야마토 언어 」 의 성립 (「 やまとことば 」の成立 )

(Koyasu Nobukuni)
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일본어 일상회화에 있어서 화자와 청자사이의 대인관계에서 보여지는 의식(이하, 「대인의식(對人意識),)은, 주로 인칭대명사, 접두사 「お」, 동사와 조동사의 존경표현 등에 의하여 나타난다. 그리고, 일본어의 특징중의 하나인 종조사 「よ」에 의해서도 대인의식이 표출되고 있다. 문말에 위치한 표현형식에 의한 대인의식의 표출은 현대 일본어의 선조인 江戶語에서도 찾아 볼 수 있다. 본 연구의 목적은, 江戶후기의 구어자료인 희극작품에서 보여지는 文末詞 「べい」에 나타나는 「대인의식」을 구체적인 표현 예를 기반으로하여 명확히 밝히는 점에 있다. 江戶語 구어자료의 선정에 있어서는. 江戶語 성립시기와 완성시기를 두루 포함할 수 있도록 배려하였다. 즉, 明和期 18세기 중순부터 文化·文政期, 그리고 明治期 초두인 19세기 후반까지를 연구대상 범위로 설정하였다. 우선, 이 기간중에 간행된 작품중 37개의 작품을 선정, 그 중에서도 「べい」가 보여지는 14개의 작품을 본 연구의 고찰대상으로 하였고, 희극작품중에서 「べい」가 나타난 표현예를 157개나 찾아 볼 수 있었다. 고찰한 결과, 「べい」는 주로 보통체(普通體)에 접속된 형태로써, 「べい」「べイ」「ペい」「べエ」등 그 표기에 있어서 다양성을 띄고 있으나, 「べい」그 자체가 활용되었다고는 할 수 없으며, 추량, 의지, 권유등의 의미기능으로 사용되었다는 것을 알 수 있다. 그리고, 「べい」의 사용이 화자, 청자 양쪽 모두가 하층계급에 위치한 사람들이거나, 또는 어떠한 형태로든지 상하관계에 있어서 쓰여졌음을 구체적인 표현예로서 증명해 보일 수 있었다. 그러나, 정중체(일본어에서는 「丁寧體」가 일반적임)에 접속되어 사용된 표현예도 극소수 보여지고 있다. 이것은 「べい」그 자체에 대우성이 포함되어 있는 것이 아니라, 「ます」문체가「べい」에 의하여 나타난 대인의식, 즉 하층계급의 요소를 다소 승격화(昇格化) 시킨 결과라고 볼 수 있다. 본 연구는 江戶후기의 희극작품에서 보여지는 「べい」의 의한 대인의식을 구체적인 표현예를 기반으로하여 고찰해 왔다. 앞으로 고찰대상 작품을 보다 폭 넓게 조사연구함으로써 「べい」가 갖추고 있는 대인의식을 보다 엄밀히 고찰해 나가겠다.
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本稿は, 小倉進平(1940)·岩淵悅太郞(1942)等で誤用と指摘された2例(「惡風をあうて」,「ゑいひより(日和)をあわしられたほどに」)を含めた『捷解新語』原刊本に現れる「あう」の用例すべてについて檢討したものである. 『捷解新語』原刊本に現れる自動詞「あう」は, 全部で8用例あるが, 形態的には「-にあう」(4例)と「-をあう」(4例)に二分される. 自動詞「あう」は, 通常「を」をとらないとされるが筆者は, 原刊本が書かれる時期まで「あう」は,「を」格と「に」格の兩形をとっていたと考える. 「人間名詞」が「を」格をとる場合は, 竹取物語の「かぐや姬を必ず逢はむ設けして」などの用例に見られるように, 「逢いたい相手は, 他ならぬかぐや姬」であり, 逢いたい相手に對する氣持ちをこめて, かつ「とりたて」乃至「强調」の意味で「に」ではなく,「を」が用いられたと考える. また, 「とが(科)にあう」「接待にあう」の用例において見られるように, 康過聖は「無生名詞+にあう」という形態を認識していながら,「惡風をあうて」,「ゑいひより(日和)をあわしられたほどに」,「惡風をあわず」においては,「に」ではなく「を」を敢えて用いているのは, 上記「人間名詞」の場合と同じく, 文脈上やはり「强調」の用法と考えたい. 助詞「を」は本平間投助調であったと言われ, 對象を表す場合, 普通省略して用いられない場合が多かったとされる. 「を」を用いる場合は, 特に强調して明確に言い表す必要がある場合のみ「を」が用いられたという本來の「を」の性質を考えると,「あう」と共に用いられる名詞 (「惡風」,「ゑいひより」)を强調するために,「-をあう」という形態が用いられたと考えることもできよう. 原刊本の「-をあう」が改修本·重刊本においては, すべて「-にあう」に統一されていることから原刊本の書かれた時期は, 自動詞「あう」が「に」格のみと共起するようになる過渡期であったように考えられる. つまり, 原刊本が書かれる時期は助詞「を」の使い方の燮化の時期でもあったという可能性も考えられるのである.

활용의 오용에 대한 평가 - 평가자의 속성을 중심으로 -

조남성(Nam Sung Cho)
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本稿では, 韓國人日本語學習者の活用の誤りに對する, 日本語母語話者の履性による評價を, 理解度, 不快度, 自然度の觀点から, その違いを調べた. その主な結果は次のとおりである. 日本語母語話者(評價者)の屬性による活用の誤りの評價は, 性別においては不決度, 自然度, 年齡別と學歷の差においては理解度, 不快度, 自然度, 外國語の能力の有無においては不快度, 自然度に對する判定に影響を與えることがわかる. この結果からは, 韓國人日本語學習書の活用の誤りを評價する際, 韓國人日本語學習者の傳達の相手である日本語母語話者の屬性を考慮した評價が必要であることがいえる.

ラ 를 뺀 언어 고찰 ( ラぬきことば 考 )

장명준(Myung Joon Jang)
한국일어일문학회|일어일문학연구  32권 0호, 1998 pp. 91-116 ( 총 26 pages)
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規範文法は規範となる文法的事實を見つけ出し, それを體系立てるという立場をとる, 正しく書き, 話すという目的のもとに考え出されたもので, 基礎的と判斷される文法的を基に法則をたて, それに合致しないものは例外などの扱いで對象から除外する. 能動詞の發達に洋って, 五段活用以外でも「見れる, 來れる」の類が大正末から昭和初年ごろに東京語で用いられ始める. しかし規範文法では容認できない言い方として標準的な言い方ではないという立場である. 本稿は可能表現の「來れる, 食べれる」などの諸般學說を考案し, その上, 使用實態調査を行なうことによって, いわゆる「れる」形の可能表現を明らかにしようとする. 實態調査は東京部に住んでいる10歲代 から60歲代までの男女500名をその對象にして次の6項目を上げている.「來れる, 食べれる, 着れる, 敎えれる, 來れをい, 敎えれない」それは語感と言語の使用頻度數のための考察である. 例えば, 語幹の一音範と二音節のことば, 重なることば, そして否定の助動詞ないと接續する場合である. 調査內容は性別, 年齡別, 職業別, 出身地域調査である. 本稿の1次調査は1980年の10月, 11月, 2次調査は1988年の7月, 8月, 3次調査は1996年の1月, 2月である. 調査方法は直接個別面談である. 國立國語硏究所とその他の硏究者が行なった調査資料も補うことにした. 1949年國立國語硏究所の「東京方言實態調査第1次, 2次準備調査」, 1971年 土屋信一の「東京語의語法のゆれ-兒童生徒言語調査結果報告」, 1974年 國立國語硏究所の「大都市言語生活の實態調査」である. 實態調査の結果,「れる」形の中で頻度數が高くて語感のいいことばはその使用率が著しく高いし, 使用速度も急速に擴散している. しかし頻度數が底くて語感のよくないことばはその使用率も落ちるし, 使用速度も鈍いのである. けれどもラぬきことばは全般的にその勢力を强め,「れる」形化が進んでいるのは事實である. だから高い使用率の「來れる, 食べれる」等に對してもう標準的な言い方として位置付けられる段階にまで至っていることを公表せねばならないと思う. 受身の『られる』形と可能の『れる』形の分化が行われていると思われる.「れる, られる」による可能の表現は受身, 自發, 尊敬などの他の用法との混沌を避けて成立したとか可能表現としては「食べれる」 を使い, 受身としては「食べられる」を使って區別しようという意識がどかにはたらいているとか「食べれる」が次第に增加するのは, 表現形式の單一化への課程にあるものと考えるという設は說得力があると思う.

「 X 가 Y 니 나루 ( XがYになる ) 」 구문과 「 X 가 Y 가 되다 」 구문의 대조연구

남영복(Young Bok Nam)
한국일어일문학회|일어일문학연구  32권 0호, 1998 pp. 117-143 ( 총 27 pages)
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本稿は「XがYになる」「X가 Y가 되다」構文における「なる」「되다」の意味·用法を「變化」「決定」「關係の成立」「動作の成立」の四種に分類し, 對照考察したものである. 本稿の結果をまとめると次のとおりである. 1. 變化 ①「變化」の場合は「なる」と「되다」が對應するのが普通である. ②「Y」が「時間と關聯する表現」の場合, また病氣にかかったことを表す場合に「なる」と「되다」が對應しない例が觀察される. 2. 決定 「決定の場合は「なる」と「되다」の對應關係が一應成立はするが, 「X가 Y가 되다」構文の形での對應よりは「X가 Y로 되다」構文の形での對應がより許容度が高く一般的であるようである. 3. 關係の成立 ①「關係の成立」の場合「なる」と「되다」が對應するのが普通である. ② まず人間關係を表す表現で韓國語では「X가 Y가 되다」構文が成立するが, 日本語では「XがYになる」構文が不自然に感じられる場合がある. そして「資格」の表現の場合韓國語では「X가 Y가 되다」構文が成立するが, 日本語では「XがYになる」構文が成立しないようである. 4. 動作の成立 ①「Yになる」の「Y」が「する」と結合して他動詞になりうる場合の「Yになる」には「Y가 되다」が對應するようである. ② まず「Yになる」の「Y」が「する」と結合して自動詞になりうる場合の「Yになる」には「Y가 되다」が對應しないようである. また韓國語の「Y가 되다」構文の「Y」が「하다」と結合して他動詞になりうる場合の「Y가 되다」に「Yになる」が對應しない場合も多い.そして事件の直接的な原因になる動作主が文中に明示される場合日本語では「Yになる」構文が成立しにくいが, 韓國語では「Y가 되다」構文が成立する.

추성 (秋成)의 국학 (國學)과 방주 (芳洲)

강석원(Suk Won Kang)
한국일어일문학회|일어일문학연구  32권 0호, 1998 pp. 145-166 ( 총 22 pages)
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儒者の言說に見える所謂漢意は, 國學者が一番排擊したものである. ところが秋成の思惟の世界にはその漢意がよく現れているのを見る. 國學者秋成に見える漢意はどこから起因し, 又それは何の意味を持っているのであろうか. その問の答えを通して秋成國學の特徵を明らかにしようとするのが本論文である. 本論文は五つの項目に分けられており, 一. 序論では, 儒學の國學への影響の問題を通して本論文の目的について述べる. 二. 秋成國學の源流では, 秋成の國學にはその正統的國學の性格と共に陶淵明等との關係から漢意の要素も含まれているのを明らかにする. 三. 秋成國學と儒學では, 秋成の思惟の世界に及ぼした儒學の樣樣な影響について述べる. 四. 秋成と芳洲では, 秋成と宣長の思惟における差別性の問題を通して, 秋成に及ぼした芳洲の影響とその思惟の共通点を明らかにする. 五. 結論では, 以上から今日における秋成國學の意義について述べる.
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夏目漱石の『草枕』は1906年, 雜誌「新小說」9月號に發表された中篇小說で, 漱石の作家としての地位が確立された作品である. これは時期的にみると, 日露戰爭終結後まだ一年しか經っておらず, この戰爭は作品に少なからぬ影響を與えたと思われる. 事實, 漱石はこの作品の時代的背景を日露戰爭中に設定している. しかし, 今までこの作品に對する硏究は時代的な背景から分析しようとする試みはあまり行われなかった. その主な理由は言うまでもなく, 漱石と日露戰爭との關聯性を日本の硏究者達が意識的に避けようとしたところにある. したがって, 今までのこの作品に對する斷片的な硏究から拔け出し, この作品を日露戰爭と關聯させて結合的かつ多角的に分析する必要があると思われる. そこで本稿では『草枕』を執筆する前後に漱石が書いた斷片, 日記, 書翰などの分析を行ったのであるが, それを通してつぎのようなことをつきとめることが出來た. すなわち, 漱石が作品の中で畵工である `余` を通じて, ミレ-の書いたオフェリアの畵に代表される西洋コンプレックスを克服せんとしていたことを `余` の心理變化をたどりながら理解することができた. また, その過程で彼がどのように `神の知らぬ情で, しかも尤も神に近き人間の情` である `憐れ` という日本美を再認識したかを考察した.
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本考の目的は$lt;批評(ジャンルとしての批評ではない思想·意識の秩序化の機制としての批評)の時代$gt;と言える明治20年代の北村透谷の評論が, 今なお連續して特っていると思われる意義を吟味することにある. つまり, 彼の思想が日本の$lt;近代性と主體の形成$gt;及び$lt;近代精神の秩序化$gt;にどういうふうに作用し, どのような問題意識をなげかけているかを究明することにある. その結果として, 彼の評論の中で一貫して追求されている「我」「精神の自由」「一國を形成する固有の思想」などが封建主義に對する新しい時代的要求としての$lt;主體(subject)$gt;の形成についての先驅者的認識であることが明らかになったのであるが, 特に注目すべきなのは, そこでなされた西歐規範の支配に對する$lt;自律する主體$gt;の形成への要求が現在の日本の$lt;主體$gt;の實在のついての問いかけにつながっていると思われる点である. 北村透谷の問題意識から百年, 彼の$lt;自律する主體$gt;の要求についての百年間の成熟は何であろうか.
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