글로버메뉴 바로가기 본문 바로가기 하단메뉴 바로가기

논문검색은 역시 페이퍼서치

일어일문학연구검색

Journal of Japanese Language and Literature


  • - 주제 : 어문학분야 > 일어일문학
  • - 성격 : 학술지
  • - 간기: 계간
  • - 국내 등재 : KCI 등재
  • - 해외 등재 : -
  • - ISSN : 1226-2552
  • - 간행물명 변경 사항 :
논문제목
수록 범위 : 46권 2호 (2003)
초록보기
4,500
초록보기

문학,일본학 : 『비탄니리원사거작가』고

재등마자 ( Saito, Asako )
5,700
초록보기
万葉第3期を代表する女流歌人大伴坂上郞女は多くの相聞歌を詠んでいるが、挽歌は唯一新羅からの尼理願の死を悲しんで詠んだ長歌·反歌 (卷三·460·461) があるのみである。この歌は左註によれば、母石川命婦の許に送り屆けだ書簡文であったことがわかる。冒頭では母と娘にとっては旣知のことであるにも拘わらず、尼理願が新羅から來朝し、大伴家に寄宿するに至った事情が詳細に述べれていて、構成としてこれまでの挽歌の方法を踏襲したと言える。 しかし、當時の律令體制のもとでは尼が在宅していることは稀ことであった。新羅の尼理願が大伴邸に寄宿した背景にとしては、白鳳時代の新羅佛敎への傾倒や、父大伴安麻呂がその受け人れ口であった太宰元帥であったことと共に、日本における最初の尼が大伴氏から出ているという大伴氏と佛敎との深い係わりなどかあると考えられる。 この長歌と反歌に繰り返し詠まれている「生ける者死ぬといふことに免れぬものにしあれば」や「留めえぬ命にしあれば」は佛敎的表現でおり、異母兄の大伴旅人との歌との類似が見られる。しかし、命が「免れぬ」「留めえぬ」ものとして とらえられている例はこの歌を除いては万葉中類がない。このことは坂上郞女が十代半ばから體驗したの多くの 代別をこの歌に投影することにより、れまでにはない命ら表現がとられたものと考えられる。 なお、「敷拷め家」とは枕や床の枕詞で共寢を意味する「敷拷」が「家」の前に置かれたものであるが、これもまた獨自の用法である。ここにも枕詞「敷拷」の相聞性と家とを結びつけることにより、幼い頃から共に暮らしてきた理願への親密な想いを表出しようとした創作意識が窺われる。このようにして大伴坂上は自己の悲しい體驗を通じ、獨創的な文藝を生み出していった。

문학,일본학 : 『원씨물어』에 나타난 옥만상의 의미 - 기대,시련,극복의 삼중주 -

이상경 ( Lee Sang Gyeong )
5,600
초록보기
本稿では옥만の人生を、光源氏の視点からではなく、옥만の內面的變化と成長を中心にして、その本質的な人間像とその意味について考察してみた。 まず<親のヘ期待>においては、自分の明確な意志を持つ옥만ではあるが、京での生活が옥만の意志以上の大變なものであるだけに、歸京はしても賴る當てのない自分の將來に不安を抱き、<親に期待>するようになる옥만の內面世界に注目した。そして<親に期待>するという自然な情感が、光源氏に引き取られるという試??によって、<實父に執着>するようになる옥만の心の變化を見出した。次いで<光源氏による光と影>では、光源氏の懸想という<影>によって苦しんだ옥만も、光源氏の<親らしさ>による<光>によって光源氏の人間的良さが分かるようになり、そうすることでやがては<實父への執着>も意味のないことであるということに氣づくようになる옥만に注目した。しかし理想的な男性である冷泉帝に巡り會い、尙侍として出仕することを快心したものの、光源氏と實父の二人の親皆に賴れないという現實を悟り、再び苦惱するようになる옥만の內面世界を見出した。續<鬚黑との結婚の意味>では、鬚黑との結婚が納得できにないまま、옥만は冷泉帝に出仕するようになるが、遂げられなかった愛を恨む冷泉帝の言葉に、옥만は自分の冷泉帝に引かれていた心も消え失せ、ついに、纖細で人情深かった光源氏の人間的良さを懷かしく思うようになる옥만の內面世界に注目した。光源氏の四十賀の祝を契機に옥만は鬚黑夫人でありながらも、同時に<光源氏との緣>があることを表明し、光源氏を<心の故鄕>に思うようになる。流離の世界と紙一重の、限界の世界をぎりぎりに生きてきた옥만が、ようやく肉親に對する執着を超越して、<人間的な絆>の世界を見出したのであゐ。 しかし亡き夫である鬚黑を懷かしく思いながら、母として父親のいない子供の前途を悲觀する옥만の晩年の姿からは、はかない人生に例外はないという嚴格な眞理と、流離から始まった特に苦勞の多い人生ではあったが、普遍的な人生に自分の位置が確保できた옥만の幸運が、矛盾ではあるが凝縮されて表れているように思うのである。これが光源氏の運命に直接的な影響を及ぼす本傳系の人物達とは違って、逆境を內面的成長によって克服し、自分の人生を切り開いていく別傳系の옥만に付與された、もう一つの普遍的人間像であり、ここに옥만像の眞の意味があると思うのである。

문학,일본어 : 강호가무기에서의 청현망혼의 연출

가등돈자 ( Ga Deung Don Ja )
5,600
초록보기
本論文は、江戶歌舞伎における淸玄櫻姬物の淸玄亡魂の演出の一つである淸玄骸骨について考證考察することを目的とする。 淸玄櫻姬物は、淸玄が櫻姬への戀に落ちる「淸水寺の場」、櫻姬に執着する淸玄がその執心ゆえに殺される「庵室の場」を軸とし、その後、殺された淸玄が異蛇や幽靈となる趣向が知られている。 本稿ではまず、これらに加えて、勝川春章の役者繪「四世巖井半四郞の櫻姬と五世市川團十郞の骸骨」及び신본『鳴呼笑』に見える「そ??ふもの」の돌によって、淸玄亡魂を骸骨の扮裝で演じる演出が存在したことを明らかにした。 また、番付、評判記、役者繪などにより、五代目團十郞が淸玄亡魂を演じた明和4年(1767)、 安永元年(1772)、 天明3年(1783)の3度の內、 安永元年と天明3年の2度は骸骨の演出であったこどを明らかにし、明和4年の場合も骸骨の扮裝であった可能性があることを指摘した。 續いて、五代目團十郞の演じた安永元年、 天明3年の淸玄亡魂は、二人淺間の趣向である点、物語の本筋の淸玄と淸玄亡魂とを別の役者が演じるという配役であった点で、父四代目團十郞が寶曆7年(1757)に演じた淸玄亡魂を繼承したものであったことを指摘した。さらに、役者評判記の記事かみ骸骨の所作が市川家の得意藝として捉えられていたことを明らかにした上で、二代目團十郞が寬保2年(1742)に鳴神上人の死靈を骸骨の姿で演じていたことを考え合わせて、骸骨の藝と市川家のつながりを論じた。 最後に、五代目團十郞以後、淸玄櫻姬物でも他の作品においても骸骨の趣向か取り入れられなくなった理由を考察した。第一には、人氣役者が全身を隱すような扮裝で舞臺に立つことが觀客役雙方にとって望ましいことではなかったためであり、第二には、骸骨の所作は奇拔さに主眼があり、作品の新たな地平を開いたり新たな趣向を生み出たりすることもなければ、藝が繼承承されることもなかったためである。

문학,일본어 : 추성의 분도론

강석원 ( Kang Seog Won )
6,000
키워드보기
초록보기
秋成は、自筆の『安??言』で何度も「分度」について觸れている。そして、それは主に宣長に對する批判に用いられているのを見。本稿は、その分度の實體を探り、それが秋成の國學思想や文學、それから彼の人生にどのように投影されているのかを明らかにするところにその目的がある。 先ず、國學との關係については、『安??言』を中心に、宣長に對する批判等樣??な事例を通して、秋成の言っている分度は「庶民の分度」であるのを明らかにする。 次の、文學との關係については、「癎癖談」を中心に、分度と秋成の癎癖との關係について調べ、そこから秋成の文學觀の底にはこの分度が內在しているのを明らかにする。 最後に、人生とか生活面と關係については、『膽大小心錄』を中心に、秋成がどういうふうに自分の分度觀に沿って、それを實生活に移していたかを明らかにする。 以上の考察を通して、秋成の分度觀は、彼の國學や文學は言うまでもなく、彼の人生においても深く影を落としているのが分かった。

문학,일본어 : 조선물어에 대한 고찰 - 권1을 중심으로 -

박정자 ( Park Jeong Ja )
한국일어일문학회|일어일문학연구  46권 2호, 2003 pp. 89-111 ( 총 23 pages)
6,300
초록보기
この論文で木村理右衛門の著書『朝鮮物語』卷一の2と卷一の3を中心、『朝鮮物語』の內容と『日本書紀』『古事記』『三國史記』『三國遺事』などに記述されている歷史的な記述と異なる記述、卽ち矛盾する記述を比較しながら分析してみた。まず『朝鮮物語』の卷一の1で、「垂仁天皇卽位三年、新羅國の王子天の日槍といふもの、はじめて來朝して羽太玉·足高玉·제리옥·鹿赤石·出石小刀·출석이모·日眞鏡·態神籬右八品を朝貢した」という部分を分析して、『朝鮮物語』は『日本書紀』『古事記』に直接依據していないことが分かった。また新羅國の王子が朝貢したというこては日本が朝鮮より優越するということを示している。卷1-3の三韓が日本に屬する事は、神功皇后の三韓征伐に對する記述であるが、新羅王が「春秋のみつぎをかく事なからんとかうべをた??いて平伏す。」や「今より以後なが組み次を??毛てしたかひたてまつらんとやくをなす。」といった部分は、わが國が日本の服屬國であるという意識をはっきり示している記述であることが分かった。『朝鮮物語』は寬延3年(1750)の出版とされているが、その時代は江戶幕府時代で、朝鮮と200年あまり、戰爭が無くて最も平和な時期であった。それにもかかわらず日本は朝鮮通信使によって高めらた朝鮮への關心を利用して『朝鮮物語』の內容にも前から傳えられていた朝鮮觀、つまり、朝鮮は日本の朝貢國であるとう意識が見られる。

문학,일본어 : 나쓰메 소세키의 『문』론 - 소스케(宗助)의 불안 -

윤은경 ( Yun Eun Gyeong )
한국일어일문학회|일어일문학연구  46권 2호, 2003 pp. 113-129 ( 총 17 pages)
5,700
초록보기
『門』という作品を考察するにあたって、宗助夫婦のドラマティックな過去が彼らの現在にどう關わってくるかということが問題になる。 谷崎潤一郞をはじめとして從來の多くの硏究者は、宗助とお米が一括りされ一體感を持った存在として描かれているところに注目し、理想の夫婦を描いた小說として『門』を讀み取ろうとしている。しかし、そういった見解には從えない。「一つの有機體」「運命共同體」といった設定のもとで漱石が冒頭かから注意深く描き出している宗助の盡きない不安に注目されるからである。 テキストの表層によれば、宗助の不安の原因は安井に起因する。しかし、「安井への罪-罪の意識からくる絶えざる不安としう罰」(小宮豊降)といった圖式は、『門』の說明には充分ではないと思われる。 本稿では、まず小說の現時点、宗助が自ら疑っている「神經衰弱」の內實について考えてみた。「神經衰弱」は亡夫の財産について處分の經過を問い正さねばならない瞬間に宗を躊躇せしめ、小六の學費の件に對しても「神經衰弱」だから仕方がないと言わせる。自分の異常を自覺しながらもそれに身をまかせ、一向そこから拔け出そうとしていない宗助の在り方をさぐっていけば、「過去」と呼ばれる時間をきっかけに變り果てたことがわかる。ところが、現在の自己と自己を決定した過去を思い、宗助はなぜ「運命」という言葉を想起するのか。宗助は「運命」という言葉とともになぜ「恐ろしさ」や「不思議」、「不愉快」といった感覺を連想するのか。こういった疑問を手がかりとして現在彼が認識している過去の事件やそれに起因する漠たる彼の不安の實體をさぐってみた。 「成らうことなら、自分丈は陰氣な暗い師走の中に、一人殘つていたい」と思う宗助の「ぼんやりした掛念」、彼が抱く漠たる不安は、逃れることの出來ない內に菓食うものであり、樣??な姿として現れるものである。參禪は「自分とは何者」かを取り태し、自分を圍んでいる不安から逃れる方法を得るための「試み」であったが、宗助に何一つ片付けた解決は提示されていない。むしろ、「自力」としてはどうしようもできない存在は「運命」「偶然」、「時」の流れだけでなく、樣??なかたちで現れるということがさらにあきらかになだけであった。それに、いくら「運命共同體」に結ばれている夫婦だとしても「自己」に包含できない他者との近づけない距離もこの小說は物語っていると思われる。

문학,일본어 : 『해와 독약』론 - <이야기>와 등장인물 상을 중심으로 -

김경희 ( Kim Gyeong Hui )
한국일어일문학회|일어일문학연구  46권 2호, 2003 pp. 131-156 ( 총 26 pages)
6,600
초록보기
『海と毒藥』は昭和32年、『文學界』に、それぞれ「海と毒藥」「裁かれる人??」「夜のあけるまで」として3回億にわたって連載され、翌33年4月、文藝春秋新社から單行本として刊行された。 この小說の題材は、周知のように第2次大戰中に九州帝國大學文學部で起った米軍捕虜生體解剖事件を取り扱っている。しかし、作者は實際のできごとを背景としなから、「私はその事件そのものを書く氣持ちは毛頭なかった。私の內部にあるもので事件を變容させ、別の次元に移しかえてみるつもりだった」(『出世作のころ』)と語っているように、作品自體を現實の事件とは違った次元のもとにつくりあげたフィクションである。だが、事件關係者からの抗議などが起こり、その背景となった事件の眞相を巡って事實と小說との相違点を分析する試みなども行われている。 遠藤周作の問題意識は、常に上記したような場に始終している。このような作者自らの問題は、さらに一神論と汎神論の比較、對立、相克、という關係論へと展開され、彼の文學の基調音となっていくといえよう。しかし、下山孃子が遠藤がキリスト作家として「西歐の基盤をふまえた一神論の基督敎を日本文學に消化することが如何に至難ぞあるか」(「基督敎と日本文學」)と身をもって體驗し、苦鬪した作家であるとしても、「キリスト敎や聖書についての何をかの知識や情報を持ったない限り遠藤文學の讀解は困難である」という事態を招くのではないか、それはまた「遠藤自身も嫌う護敎文學となる危險性をもつことになるのではないか」と指摘しているように、彼の文學をキリスト敎的次元から讀み解こうと腐することにおいてのみ、遠藤文學を理解しようとすることは、護敎文學としての讀みの强制となる危險性を示すものであることも見ておく必要がある。ここではそうした問題点を踏まえて、構造主義を經た現在の文學硏究の一つの生き方としてナラロジ-(語り·語り手)の着目しつつ、登場人物の人物像とともに、彼らが示している神の正義について考察してみた。
5,500
초록보기
「「白い人」を書いた後、私はやがて、「黃色い人」を書く義務を感じます。神のない世界には、ドラマがないという苦しみがあります。」と述べた遠藤は『白い人』の發表六ヶ月後に『白い人』を發表した。 この時期遠藤文學表われている<神>の姿は、人間の罪を赦すよりは、むしろ裁く怖い<父性的神>として描かれてある。このように初期文學に表れている父性的<神像>がこの時期の遠藤の神觀であると考えられる。ところが、このような神觀あ時点から徐??に變化し始まるが、その變化の轉換点になったのが『黃色い人』であると思われる。したがって、『黃色い人』を通して遠藤の神觀がどのように變化したのかを考察したのがこの論文の目的である。 『黃色い人』は、誰もが死んでいく戰爭という狀況のなかで、<ぼく>が自分に洗禮を授けてくれた高槻の收容所にいる<ブロウ神父>宛に送る手紙と、元神父である<デュラン>の日記とで構成されている。 <デュラン>が自分の日記を<ブロウ神父>に屆けてほしいと賴んだ理由は、元神父だった自分の生と、自分の過ちさ告白するためである。ここに登場する<白い人>は、<神の世界>のなかで生きている人物であり、その一人である<デュラン>は、神父の身分として守るべき獨身の純潔という戒めを破ったことが、結局神を裏切ったことだと考え、その罪意識から逃れるために自殺を圖ろうとする。ところが、<黃色い人>である<千葉>と<絲子>と<キミコ>は「神があってもなくてもどうで良い」と思いながら、罪意識に痲痺されている。 罪意識に惱まされた<デュラン>は、自殺を圖るために手に入れた拳銃をずっと持っていたが、刑事に發見されるのを怖れていた末、<ブロウ神父>の所にその拳銃を密かに隱そうとした。<ブロウ神父>は、八年間の生活の面倒を見てくれた恩人でもあり、唯一の自分の味方であるのに、彼に自分の罪を擦り付けようとした。<デュラン>は<ユダ>のように<ブロウ神父>を裏切った。二度もユダになった<デュラン>。赦されない罪を犯しながら罪意識に惱まされている彼の目に映ったのは<ブロウ神父>が開いておいた『パンセ』の「哀愁の中のイエス」であった。そこには、「基督はユダのうちに敵意を見ず、自分の愛する神の命令を見、それを言いあらわし給う。なぜなら、ユダを友と呼び給うからである」と書かれてある。 この時期遠藤がバスカルの『パンセ』を自分の小說に引用したのは「ユダを友と呼ぷイエス像」を望んでいたからではないか。『黃色い人』の構成から見られるのは、この作品を書く時期の遠藤には、人間の罪を裁く神ではなく、その罪人を許す<神>を示したかったと思われる。だから<ユダを友と呼ぶイエス像>を引用することで<ユダを許すイエス>を導人し、人間の罪を許す<神>を表そうとしたのである。 遠藤は、この作品を初めとして<許しのイエス像>に段??接近していくことになる。そして、そのイエス像<私のイエス>として形成しつつ、自分の文學の世界を形づくっていくことになる。又、その試みを通して人間の罪を裁く<父性的神>を中心とする「父の宗敎」から、罪を許し、なおかつ受け入れる「母の宗敎」へと接近していくことになったのであろう。
1 2 >