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Journal of Japanese Language and Literature


  • - 주제 : 어문학분야 > 일어일문학
  • - 성격 : 학술지
  • - 간기: 계간
  • - 국내 등재 : KCI 등재
  • - 해외 등재 : -
  • - ISSN : 1226-2552
  • - 간행물명 변경 사항 :
논문제목
수록 범위 : 48권 2호 (2004)

일본문학,일본학 : 오토모노 야카모치 작품에 있어서의 반가 -장가작품 (20)408-12-

박상현 ( Park Sang Hyeon )
5,600
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万葉集に多く見え、平安時代以後衰退した和歌の一體に長歌がある。この長歌は一般的に長歌と反歌からなっている。その意味で私は長歌と反歌をあわせる呼び方で、長歌作品という言葉某を使いたい。 さて、先行硏究は万葉歌人大伴家持の作品における反歌に興味を示してきたが、それについての評價はそれほど高くない。すなわち、先人は家持の反歌が初期万葉時代の反歌のように、單に長歌の內容を要約·反復したと評した。しかし、近年に人って、今までの家持の反歌に對する見解に批判的な硏究者が出はじめた。その中で注目に價する硏究者が一昊である。朴は家持の反歌を「要約的な反歌」といい、それは長歌の主題をより明確にする役割を果たしたと指摘する。 本稿では防人の悲別をテ-マとした家持長歌作品のうち、「防人が悲別の情を陳ぶる歌」((20)4408-12)を取りあげて、家持の反歌について檢討してみた。以下、考察を結果を記しておこう。 まず、長歌の最終句「家に告げこそ」によって、長歌と反歌は密接にかかわっていた。次に、四つの反歌は單に長歌の要約·反復ではなかった。第一反歌は第二反歌を、第二反歌は第三反歌をそれぞれ導いていた。要するに、反歌同士は單に竝べられているのではなく、お互いに密接な關係にあることが明らかになった。 つまり、本稿では多くの先行硏究のように、一槪に家持の反歌を長歌の要約·反復で捉えることが望ましくなくことを指摘した。また、「防人が悲別の情を陳ぶる歌」を通して知られるように、この作品における反歌は朴のいう「要約的な反歌」では說明できないことも指摘した。その意味で家持の反歌についての評價は全面的に見直さなければならないと考えられる。

일본문학,일본학 : 고금화가육첩의 본문고 -만엽가를 중심으로-

구정호 ( Gu Jeong Ho )
5,200
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古今和歌六帖(以下「六帖」)は1200余首の万葉歌を所收している。そのおびただしい人集歌のため、近世の契沖による本格的な硏究以來、最近まで硏究が續けられある程度まとまった成果をあげている。にもかかわらず、從來の硏究で使用してきたテキストは主に、寬文年間の版本系の本文であった。本稿は今までテキストとして使ってきた版本系の本文は果たして信用できるものか、ということから出發する。方法として六帖の「寫本系」の本文と「版本系」の本文をいちいち句ごとに比較き行れい、さらにそれを万葉集の諸本との比較を行った。 その結果、寫本系より版本系のほぅが一致度の上から寫本系の本文より3倍以上の一致度を示してして、善本のように考えられるが實際版本系の本文には近世の万葉集の新訓が混入しており、信用度という面では寫本系の本文がはるかに高いことが判明した。これからの六帖の硏究においては、特に万葉集關連硏究では、必ず寫本系の本文を底本とすべきことを本文批判の側面から論じた。

일본문학,일본학 : 경극파가의 표현 -위겸가를 중심으로-

박혜성 ( Park Hye Seong )
5,600
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京極爲兼(きょうごくためかね)は京極派歌人グル-プの理論的指導者である。伏見院の擁護を受けて鎌倉南北朝期におけるめまぐるしい政治狀況の中で、歌人として政治家として波瀾万丈な生を送った。本稿では爲兼の歌論及び實作からその目指そうとした歌の世界を考察してみる。 爲兼に關する先行論文はかなり多い。これらの論文は主に爲兼の傳記硏究から始まり、歌論書の問題を多く取り上げている。本稿ではこのような先行論文をふまえて、爲兼の實作を考察し、彼の目指した和歌論及び和歌の世界をたどってみることにする。まず、和歌の考察に先立って、京極派歌人の和歌の基本精神であった『爲兼卿和歌抄』から實作分析の手がかりになる部分を檢討してみたい。その結果、この歌論に一貫して流れているのは「心」の問題であり詞で飾るだけの「心」の伴わない詠法が一番惡いと考えているのがよく見て取れた。 次に爲兼が實作においてこの「心」の歌論をどう具現していたか、彼の和歌および、彼の撰進した『玉葉和歌集』の例から考察してみることにする。爲兼のめざす歌論の據り所は「心」の問題であり、その心の歌論を先に完成させ、後に實作をそれに近づけていくという歌論史上には稀な詠作課程をたどっている。 爲兼の編纂した『玉葉集』は二條派の歌人の立場から書かれたて『歌苑連署異書』で多く非難を浴び、爲兼自身の歌も難が付けられた。それは爲兼の歌が傳統的な和歌から離れて斬新な施しているのである。 『風雅集』に入集されている爲兼の歌は實景を眼にして時間とともに移りゆく景色を見事に捉えた歌が多い。また、爲兼の歌の表現においては上句と下句の間に一瞬の休止を置き、遠近感または對比の效果をもたらす三句切れ「~て」の表現が目立つ。二條派からの多くの批判はあるが、敍景歌においては「心」の問題を據り所に天象語及び雙貫句法、時間的推移をうまく表した多くの秀歌がある。 しかし、戀歌においては心理分析をしすぎたために實感のこもっていない說明的な歌になってしまっているものが多い。これは「戀の歌をばひきかつさて、人の心にかはりても、なくなくその心を思やりてよみけるとぞ」という歌論の實現がうまくいかなかったためではなかろうか。つまり、實生活に戀の感情を味わうことのなかった爲兼がその心になりかえっても結局は實感のとぼしい僞りの感情としかなり得なかったということである。故に、戀歌においてはなおさら「心理分析的歌」すなわち實感のこもっていない理屈っぽい歌が多く見られた。 いずれにしても京極派歌論の根底をなしている『爲兼卿和歌抄』の「心」重視の思想は歌論および實作においても充實に具現されていることが爲兼の歌を通して知ることができ、そういった爲兼の歌論が以後京極派歌人に大きな影響を及ぼして行くことになったのである。

일본문학,일본학 : 『가이도기(海道記)』에 나타난 자조성 연구

이영경 ( Lee Yeong Gyeong )
5,900
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中世紀行文學の一つで『海道記』の今までの硏究史を一通り見ると、未だに明らかになっていない作者究明、または傳本、語彙·語法·文體といったような文章表現を中心とした硏究がほとんどであることが確認できる。言い換えれば、日本の紀行文學の嚆矢とも言えるべき『海道記』が紀行文學として獨自性を確保するには不足なところが多いのも否定できない事であろう。ここで紀行文が名所案內記名または見聞記のような單純な旅行記錄の本來の意圖を越え文學的な價値を認められる、すなわち紀行文學になりぅる條件がなんであるかの問題が出て來る。このような意味の上で特に<敍景性·鄕愁·自照性>といっ槪念などが紀行文學を特徵づける主要な要素として取り上げられる。よく紀行文に見られる<出發·路程·目的地·歸路>4つのメカニズムの形式的な特性と<敍景性と鄕愁>などの內容的な敍述特性を備えていてもそれらのすべてを紀行文學として位置づけることは出來ない。その條件を滿たす直接的な要素は外でもなく例の<敍景性>と<鄕愁>の中から芽生えている敍述者의の內的自我に對する省察、または<自照性>である。 このような意味から本稿は『海道記』を紀行文學としての考察において、よずその分析の졸を自照文學におくこととし、`旅行`を媒體に敍述者の內面意識がどのように變化していくかについて特に<自照性>の槪念を中心に論を進めた。その結課『海道記』で旅行者である敍述者は旅行を自照と內省の場として選擇し、その過程の中で新しく認識された隱された自分の內面意識の推移を敍述している事が分かった。出家した者が自分の身の上を哀れみ、人??に嘲弄されることを知りながらもつまらない自分の心を表すため記錄(愚懷の爲に此を記す)したという執筆動機から推察できるように著者は明らかに『海道記』の中で敍述者自分の內面の心情狀態を`旅行`という媒體を通じて表現している事が確かめられる。 日記·隨筆·紀行が<自照文學>のカテゴリの中で論議され、その自照性の與否が文學性の價値を究明する尺度である事を考える時、紀行文學としての『海道記』の文學的な潛在性は十分であろう。卽ち、著者は`旅行`という媒體を通じて隱されていた自分の內面世界を凝視するようになり、その場合行『海道記』は自分の心と心の變化を間接的に細??と表現している作品であると思われる。

일본문학,일본학 : 문부지의 메신저

김영 ( Kim Yeong )
5,600
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文付枝と心情との關係は、傳えたいメッセ-ジがあり、それを傳えるために文付枝が贈られるという構造である。そして、受け手側はその文付枝を通じて、贈り手の心を理解するということである。それを文付枝の「歌言葉的機能」とする。卽ち、文付枝のみやり取りされる場合でも、文付枝を媒介にして受け手と贈り手、兩万の相互了解が成り立つのである。 その中で、「歌言葉」は旣成和歌の傳承享受によって不斷に造成され、特定のイメ-ジを含んだ言葉として、それが王朝貴族の日常生活に浸透することによって、連想型の「文付枝」が平安朝に共通語として定着するようになったのである。特に、文付枝の贈答は「贈り手」と「受け手」の存在を想定できるコミュニケ-ョンとう意思表示であり、その折と場において相互的、複合的に發揮される歌言葉的機能があるのである。それは歌言葉から連想される不特定多數の引歌から、その狀況によってさらに限られるとともに、獨詠歌では表せない、贈答歌の機微や機智が加わるようになるのである。そこにはいわば、徹底した言葉遊びの世界が存在するのである。

일본문학,일본학 : 『원씨물어』의 미의식 - 춘추우열 논쟁을 중심으로-

김종덕 ( Kim Jong Deog )
5,800
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『源氏物語』の自然描寫は物語の背景となるばかりでなく主題や登場人物のイメ-ジにも深く關わっている。特に六條院の女君たちは四方四季に分けられた空間が與えられ、女君たちの人物像は四季の景物によって描かれている。そこで、登場人物の名前もその性格や嗜好によって自然界の植物、景物、住んでいる場所とも深い關わりを持っている場合が多い。 例えば、藤壺、若紫、葵上、六條御息所、空蟬、夕顔、末摘花、용월야、花散里、明石、朝顔、옥만、雲居雁、浮舟、夕霧、柏木、光源氏、薰、내궁などのように、登場人物の名前は四季の美意識と深く關わっている。特に옥만十帖には四季折??の美意識か語られ、人物と自然が一體化されている。これらの自然表現と四季の美意識は如何に物語の論理としていているかを分析しようとする試みは、つとに古注釋から硏究がなされている。 四季の季節感や春秋優劣の爭かは『万葉集』の額田王以來、論爭された問題で、『源氏物語』の옥만十帖にも光源氏を中心とする人間關係に自然像がつむぎ出されている。六條院の四季のうち、春と秋は特に重んじられ、優劣の論爭が行われるのは古來の習わしであったのである。前述のように紫上と秋好中宮との春秋優劣論爭によって、六條院は一層華やぎ、光源氏は四季の中心となってそれを主催する。通時的な文學史では、『万集集』では秋、『源氏物語』では春、中世和歌になるとやはり秋が優勢であると言えよう。問題は、このような漢詩や和歌の傳統を受け繼いだ自然表現や四季の美意識が物語に導人され、登場人物の性格を規制し、物語の主題を紡ぎだしているという点である。 以上で日本人の季節感に春秋優劣の爭いがあることは確かだが、その論爭の行方に何があるのか。本稿では『源氏物語』の四季と春秋優劣論爭で、自然と人間が一體化されている表現の論理を確認することができた。特に、少女から胡蝶卷に至る紫上と秋好中宮との春秋の爭いな中心に、四季の美意識が如何に和歌に詠み입まれ、人物關係を規制しているかを確認することができた。

일본문학,일본학 : 『이향보삼음하의백운』의 주석 (1)

최충희 ( Choe Chung Hui )
한국일어일문학회|일어일문학연구  48권 2호, 2004 pp. 99-113 ( 총 15 pages)
5,500
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宗祇は全生涯を通じて數多くの連歌作品を殘してその中にも三人の編んだ三吟は四つがっている。 最初の三吟は1473年に宗元、元用と編んげ『三吟何路百韻』である。これは、宗祇の初期の作品に屬する三吟で、他の三吟に比べてあまり質的に目立たない作品である。二番目の『水無瀨三吟百韻』と三番目の『湯山三吟百韻』は作品性と技巧の面でも優れたので多く硏究されている。最後の三吟は1502年4月に弟子宗碩·宗坡と編んだ『伊香保三吟何衣百韻』である。この百韻は宗祇が箱根湯本で臨終を迎える3ヶ月前に詠まれた三吟である所から最晩年の宗祇の三吟の特徵を把握するに適した作品である。 にもかかわらず、この作品についての注釋が全く施されていないから硏究が進められないのが現實である。本稿では、こういう現象を考慮に人れながら、宗祇の最後の三吟である『伊香保三吟何衣百韻』の注釋を試み、この注釋を基にして作品世界を把握して見ようと思う。 分析の方法としてはまず一句ずつ注釋を試み、各折の單位で特徵をき出して作品世界を사いてみることにした。 初折表の8句は、全體的に視覺と聽覺との調和が取れている。初折表であるから意識的におだやかで變化があまり目立たないよう氣を配っている。宗祇の句は、發句が少し印象の强すぎる傾向はあるが、第4、第7句はやはり宗祇のらしいうまさをよく表現し切っている。宗坡は、第3、第6句の中で聽覺表現を通して時節と場所とを暗示してくれている。初折表では三人とも自分なりの持ち味をよく表したと言える。 初折表の1 4句は、全體的にかなり暗いと感じられる。初折表の作品世界としては珍しいほどである。第 1 1、1 2、1 3 の句は秋の寂しさの絶頂を詠んだ句で、第 1 5 句は無常の述懷、第 1 7 句の戀の句をはさんで、第 1 8 句から第 2 2 句までは遁世の句になっている。これらのような暗くて憂鬱な句風は、この百韻の卷かれた伊香保で宗祇が發病したということと無關係ではあるまい。この面では、宗祇、宗碩、宗坡の三人の中で、宗碩の付句が他の人に比べて質が落ちていることがわかってくる。第 1 7 句、2 0 句などの宗碩の句はあまりいい付句とは言えない。それを受け繼いだ宗坡がうまく處理しているところから宗坡の技量が目立っている。宗祇は全體的に無難な句を付けて、他の二人の句に比べて目立たないように氣を配っている。 二折表の 1 4 句は、前半部の戀の句では幻想的な戀心を讀んでいるが、中半から隱遁者の心境や秋の寂しさが現れ、後半でも「萩」「霜」「あらし」などの表現から暗いイメ-ヅの作品が取められている。この面の宗祇の句を見ると、第 2 5、2 8、3 1 句の中で「いかにせし」「いつく」「誰」だどの疑問を現す代名詞を多用していることが特徵として拳げられる。また、文末の表現として「初わん」「增らむ」「月ならむ」のように推量の助動詞を多用していることが目立つ。他の二人の句があまり目立たないのに比べ、この面で宗祇が自分の方から座の雰圍氣を引っ張る座長の役目をうまく果たしていることを把握することができる。 紙面の關係で、本稿では『伊香保三吟何衣百韻』の二折表までの 3 6 句の分析を試みたが、二折裏似下の句は次の機會に載せることにする。

일본문학,일본학 : 대중문화로서의 〈충신장패러디물〉, 그 전용과 취향

강지현 ( Kang Ji Hyeon )
한국일어일문학회|일어일문학연구  48권 2호, 2004 pp. 115-133 ( 총 19 pages)
5,900
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忠臣藏ものの轉用を通して、その趣向の流れにおける特色をつかむことを本稿の目的とした。 1701年の赤穗事件、1748年の『假名手本忠臣藏』、それから<忠臣藏もの>ともいえる膨大な話型が樣??なジャンルにおいて生まれた。これを可能にした背景として、大量出版時代としての江戶時代という文化的背景を見逃す手はない。だからこそ、戱作という小說散文類小だけでなく、各種のメディアの中から忠臣藏の世界はできるのである。その中から本稿では、浮世繪·繪雙六·謎繪·黃表紙·滑稽本というマスメディアを取り土げたのみである。同時に、江戶のメディアの中心作家として創作世界を廣げ、新しい創造に苦心していた山東京傳·十返舍一九を對照してみることによって、江戶という都市のものの感じ方や考え方(例えば、遊びの文化としての影繪、繪文字、文字繪という判じ物の大流行)が考察できた次第である。
6,500
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講談(明治中期以前 講釋)は慶長(1596~1615)の頃、赤松法印という人がl家簾の前て。げ源平盛衰記。ぽ太平記$などの軍男な構した二とから始まった。 托れが7い叫朋になって講談師がかるいろな技法を使って自分か什れる前の出求事を恰も見てきたようにq、しく聞かせで寄席の鰍を幻惑させたのである。 それてその叩け「。糊朋抑兄て束たようなをき」という川柳がりれたのてある。 そしてにf、末期から明冶時代にわたって十盛期を迎えた。窩談は明治維新年はりれた俺Ⅱ麟台にも大きな影響をサえることになる。 それは漱石の円位こり筆。硝向、沖lⅠ的小『通でざ山寺、いろんな女かわも分るし.また.初期の代表作品でもある『再斐は猫である㎡6)では多弁次の迷苧を前に耽たせて直接に㎏n(㏄の逸品」という講談-%、をやつていることかわも分る。 って、本稿ては漱石の所謂講談「A卑田㏄の逸品」の分析を適して漱石が講談師のどのような技法を援用して作品を謂いているかを分析してた。 その結果、漱仁は心理的な仙ク)果をあげるための典故の小用、衷的摘ぢするための背の具的帖報、そしに十き十きとした臨場感をかすための凝汚曲を使って抗苦を幻惑させたことか分った。 これの股は的かわ講談師が寄席ての衆を幻惑させるために使、たア法て、幼い頃かも描淡に趣味があった漱石は彼等とⅡじF法を使って.抗名田舟が想像力をかたで、時Ⅵと牢問をり越えて訂接にしているかのように幻惑下ぜたのである。
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本論文は、本作品敍述構造の深層に潛む、キリスト敎原罪論と關連するモチ-フこそが本作品の主題と直結する象徵的意味を含み持つものとみ、その意味解讀を通して作品の主題及びその獨自性を確認してみようとしたものである。 主人公おぎんは信仰を通し、人間の精神の自由を抑壓する幕府のキリスト敎禁制に逆らい、死への恐怖を乘り越え自らの魂の價値を追求する。そして反對に棄敎を通しては、キリスト敎の獨善的、權威的敎理が齎す地獄への恐怖を乘り越え、人間の魂が生まれながらに備え持っている善惡の分別力を回復している。 芥川は、おぎんに人間の精神の自由を抑壓する脅威的戒律の超克を可能にさせた力の源泉を<エワ>の原罪が人問に齎した善惡の分別力に求める。周知のように<エワ>は、「この實を食べると神のように目が明るくなり善惡を知るようになる」という蛇の誘惑によって、神の정を破る罪を犯した人類の母である。キリスト敎ではそのような<エワ>の罪を原罪とし、世界に罪と死を、そして神と人間の關係の破綻を齎した根源と見做す。そして原罪により破綻した神と人間の關係を回復するためイエスが十字架の上で血を流さねばならなかったとする。本作品で芥川は、キリスト敎側のそのような原罪論を否定せず理解し受容している。しかし芥川はそれに止まらず、<エワ>の原罪は、神の人間に對する極限の愛を確認させる契機となり、また人間の魂に善惡を分別する能力を備え持つようにさせ、人間をして自ら考え、選擇しつつ、自らの運命を切り開いていく自律的存在とさせたというより積極的な意味な見いだしまた重視している。 芥川は本作品で、<エワ>による原罪を、人類に善惡への分別力を齎せた契機として意味付與することにより、人間の魂の價値を强調すると同時に、キリスト敎本制がもつ權威的屬性を暴きつつ、人間の自律的生の正當性を主張する。芥川の獨創性は、そのように、キリスト敎の神話を利用し、むしろ、キリスト敎が持つ權威的屬性に反抗し、神に從屬した存在ではなく自律的存在としての人間像を主唱することに成功している点にある。芥川は、本作におき、おぎんの信仰及び棄敎を通して、人間の本來の魂への信賴を表するとともに、人間の精神の自由を主張し、それを抑壓し歪企める權威的力に對する反抗の意志を明らかにしているのである。
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