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일어일문학연구검색

Journal of Japanese Language and Literature


  • - 주제 : 어문학분야 > 일어일문학
  • - 성격 : 학술지
  • - 간기: 계간
  • - 국내 등재 : KCI 등재
  • - 해외 등재 : -
  • - ISSN : 1226-2552
  • - 간행물명 변경 사항 :
논문제목
수록 범위 : 62권 1호 (2007)

일본 중세문학에 그려진 여성의 실연(失戀)과 출가

김선화 ( Seon Hwa Kim )
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出家は日本の女性にとっていかなる意味を持つのであろうか。古代から日本の女性達は樣樣な理由で出家した。平安時代には貴族も含めて卽婚女性が尼になる場合が多く見られる。上層貴族女性の場合の出家の原因は父親や主君の死をきっかけにする場合と自分の病氣を治すために出家する場合が一般的である。中世になると出家する原因がより多樣になり、その中でも夫の死や女性の人間關係(特に男との關係)という內發的な要因が多くなっていく。本稿ではこのように樣樣な出家の樣相が現れる原因はなんであろうか。それが日本の中世を生きる女性の生き方といかに關わっているのであろうかについて考察した。男に捨てられたらそれを恨んで恐ろしい存在になるのではなく、出家することが中世女性に求められた生き方であったと思われる。中世の女性の生き方における、未婚女性の出家は一見失戀の逃避所として認識されやすい。しかし、出家した女性には愛の可能性は排除されるという側面から考えると、彼女らの出家には失戀という動機はあるものの、自らの內發的な意志によって出家を選擇しているということは相手の男に對する積極的な自己表現であると思われる。相手の男との愛情關係が續けられるというその可能性を自ら排除することによって「愛の相手」になれない、尼という宗敎者になることによって<主-從>關係を轉覆していくのである。特に相手の男に自分が出家するということを知らせる行爲はこのような關係を構築していく重要な役割をはたしていると言える。中世の「捨てられた女」が逆に「捨てる女」として變化していく過程に「出家」という行爲が配置されるのである。
5,700
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本稿では金石範文學の土台をなす思想の背景と、『火山島』全7卷が執筆される前の發展的段階にある作品の檢討を目的としているが、その中でもハングルで書かれた『火山島』の位置と役割についての考察に重点をおいた。20代の若い作家が接した〈濟州4·3事件〉に對する衝擊を生生しく描き出している「1949年の日誌より」を通して、金石範文學の出發が垣間みられたし、ハングルで書かれた『火山島』の考察では「鴉の死」を『火山島』全7卷へとその構成の擴大のために盡くした努力の過程が確認できた。そして「鴉の死」、ハングルの『火山島』、『火山島』全7卷と結び付いていく主な登場人物の比較考察を通じて、積極的な革命鬪爭から實踐的虛無主義者へと變わっていく主人公の姿が確認できたが、これは作家の祖國をながめる狀況認識の變化からきたものと考えられる。またハングルで書かれた『火山島』の執筆動機及びそれの中斷の背景に對する考察を通じては、日本語創作への惱みが分かってきたし、朝鮮連との摩擦が作家の鬪爭的革命意思に無主義的傾向を呼び寄せるきっかけとなっていたことも確認できた。ハングルで書かれた『火山島』は、本稿の考察をもって確認されたとおり、たび重なる困難な狀況によって中斷されたにもかかわらず、日本語による創作を止めて、祖國の言語をもって創作にとりかかったという實踐的努力こそ高く評倆されなければならない。そして「鴉の死」で試された〈濟州4·3事件〉の形象化は、ハングルの『火山島』により長編としての可能性が試みられ、とうとう大長編『火山島』が生まれたことを考えると、ハングルで書かれた『火山島』の意義は少なくないと言える。

アポリアとしての「モダンガ-ル」

신하경 ( Ha Kyoung Shin )
5,900
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「モダンガ-ル」とは、關東大震災のあと、斷髮や洋裝をした女性の出現を指す用語である。いままでの先行硏究では、その「モダンガ-ル」をその時期に花ひらく都市文化を象徵する存在として捉えてきた。しかし當時の言說を探ってみると、「モダンガ-ル」の都市風俗としての特徵よりも、むしろ、都市/農村、日本/西洋、家父長制/女性の主體性などのさまざまな葛藤が噴出される議論の<場>を形成したことがより注目されるべきである。それも「モダンガ-ル」はそれを觀察する文化人の<知>の樺組を寫し出すと同時に、さまざまな矛盾をさらけ出すことで<アポリア>として機能した。その「モダンガ-ル」をめぐる議論は實體としての存在に先立ち、表象のレベルで議論されるが、それを可能にしたのが婦人雜誌や映畵などの新しいメディアの介入だった。それを要約的に言うならば、「モダンガ-ル」の表象は大衆消費社會の形成のなかで認識され始めた、都市型の、無定形な大衆の登場を目擊した文化解釋者たちが、婦人雜誌やアメリカの映畵といった、これも新しい文化媒體として注目され始めたメディアを經由し、そのメディアに表れた女性像を大衆の解釋に當てはめて認識した結果として生じたものである。そのようにして〈實體〉をともなわない「モダンガ-ル」の表象が可能になり、また「モダンガ-ル」言說は往往にしてその「新しい」文化の是非を問う文化解釋者の間の〈文化論〉の論戰場として機能したのである。ここにおいてはじめて<發見>された大衆としての女性はやがて一九三○年代の<銃後の婦人>という戰時期の女性像に收斂されていくことになる。

정복준이론 - 人物造型の戰略と現實認識-

신현태 ( Hyun Ttae Shin )
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初期の私小說風の「私」の限界を克服した井伏준二の中期は、庶民の生活に삼み出ている日常茶飯事の切實さをいかに自然なかたちで形象化するかという、作家的課題を着實に成り遂げる過程であった。簡單に、庶民の日常と言っても當然のごとくそれぞれ異なる日課によって多樣な人間模樣が井伏作品に描かれている。昭和という未曾有の激動の時代を、思うがままに己の生を營んで行くのは言葉通り、至難のわざである。時には國家の壓力、時には非人間的戰爭の被害、時には社會の動向、いずれをとってもその時代を生きる人間には逃れられない運命だったのである。そういった時代の流れを庶民の側から暖かい眼差しで一つ一つの事實や現象を冷靜に凝視し、それを過不足なく精緻に描き續けてきた井伏の作品には、時代や社會の動きが把握できる樣樣なコ-ドが潛んでいて、井伏の作家的姿勢や銳い目の機能が讀み取れる。本稿で、取りあげた三作共に、井伏文學の優れた特徵がかなり鮮明に浮彫りにされていて、井伏が捉えた現實とまたその狀況に適合し、獨特のリアリティ-をもつ人物造型はこうした井伏文學の奧深さを支えている具體的な證據でもある。井伏文學には戰前、戰後を生き拔いてきた庶民の强靭な精神と生命力のような民衆の眞の姿が溶け입まれており、それこそ、その獨特な文學世界の絶對的な安定感と信賴を支えている肝心な要素なのである。

근대화와 모방 -『치인의 사랑』에 나타난 서양풍조 -

이한정 ( Han Jung Lee )
5,900
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本稿は、1924年から書かれた谷崎潤一郞『痴人の愛』を取り上げ、日本の近代化と伴い西洋文化を受容する際に行われた「模倣」の樣相とそれによってもたらされた文化受容の問題を考えてみた。日本の近代化は所謂「西洋化」と言われるが、それは日本の文化を西洋化することで達成しようとした近代化の方針から生まれた言葉である。このような日本人の西洋化は鹿鳴館の「猿眞似」として比喩されたが、それが『痴人の愛』にまで投影されている。ナオミはダンスス·ホ-ルに來ている日本の女性の洋裝を「猿眞似」という言葉を使って嘲弄する。しかし、それは「讀者」から眺めると彼女自身にもあたる比喩である。1920年代に入ると大正デモクラシ-の展開やメディアの發達などによって人人の生活も急速に洋風化していく。『痴人の愛』はそれらの同時代の歐化の風潮を描いており、特に「模倣」の樣相だけを通してみるかぎり、西洋文化を受容する態度が近代初期の西洋人の眼に映った日本人の樣子と變わっていないことを仄めかしている。また、それを日本人同士の眼差しとして交差させて、日本の近代化における「模倣」の本質を問い直すものとして書いたのである。そして皮相的な眞似による西洋文化の受容が日本人の正體性の混亂を招くことを示唆するものとして表れているのである。

서파급(序破急) 의 원리(原理)와 생성과정

임찬수 ( Chan Soo Lim )
한국일어일문학회|일어일문학연구  62권 1호, 2007 pp. 91-106 ( 총 16 pages)
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世阿彌の能樂論書では序破急について觸れている。一日の曲目の構成原理として用いたり、曲目の時間的配列として取り入れたりしている。元元、序破急は音樂の用語であり、現代の樂章に當たるものである。そこからだんだん意味が廣くなって、舞踊や連歌 · 能などさまざまな芸術において指導原理として用いられた。能においての序破急は一切の事に適用されるものと認識された。が、一日の番組の演出的區分、一曲の脚本構成上の區分として、その槪念が定着した。『拾玉得花』に至っては、成就という觀点からその意味を追求しており、それに「妙=花=面白き」などにも通じるものとして受け入れられた結果、哲學的 · 芸術的な用語になった。序破急の槪念を能に取り入れるようになったのは、まず連歌の影響であろう。歌論書や連歌論書には、樣樣な歌體を序破急という言葉をもって說明したり、百韻構成に序破急という配列方法を當てたりした。二番目の影響は秘傳からである。世阿彌は序破急の成就は言葉だけではなく、情趣をも伴っていないと成り立たないと言っている。又、序破急以外の槪念、例えば、皮肉骨の場合にも、父親からの秘傳が無かったら彼自身さえも知れなかったと述べていることから、書籍からの情報收集ではなく、自分の流派から傳えてくるものを賴りにしていることが明らかになった。
5,800
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本稿は日本の作家である芥川龍之介と韓國の李箱の小說から「齒車」と「失花」を中心にその表現法における類似性を考察したものである。いわゆる20世紀の小說文學を理解するのに重要で核心的な槪念である<意識の流れ>という技法は文字どおり論理的な因果關係のない談話などが入りまじながら微分化された狀態の意識が浮び上がり次第に記述される表現法で、芥川と李箱の小說兩方に現われる。そのような技法で書かれたこの小說の特徵はひんぱんな場面轉換と主人公の回想と連想作用などに現われ、同じ語句の繰り返しが詩的なリズム感と作品での主人公の意識を連結する意圖的な暗號となっている。それだけでなく、語句の繰り返しは小說の各章を連結する意圖的な構成とも受け取れ、また多くのアポリズムと外國語の多用、象徵的な色彩のイメ一ジが小說に匿名性を持たせた結果、小說における敍事性が弱化する傾向があらわれたのである。このような現象は芥川においては<話らしい話のない小說>を表明した文芸理論の結果であり、李箱においては時代相を反映した檢閱の問題と1930年代の韓國で流行していた短文主義の影響であろうと思われる。結局、このような技法は小說における話(プロット)があまり重要でないという、いわば<詩的小說>として現われるようになったといえるだろう。このような詩的小說はその特性上全般的に小說の敍事性が弱化する特徵があり、敍事性の弱化とは作家が不安定な個人の思考とさらに、主體が述の對象としての現實の不透明性(不定性)を認識していることを表す意味があると思われる。

아쿠타가와 류노스케의 종교관

하태후 ( Tae Hu Ha )
한국일어일문학회|일어일문학연구  62권 1호, 2007 pp. 125-141 ( 총 17 pages)
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芥川の全作品約200編余りにはキリスト敎を直接的に素材した作品が約1割を超え、また彿敎を素材にした作品も10編余りを過ぎる。そこには『仙人』のように道敎的な背景を持っている作品もある。それだけではなく芥川は『河童』という作品で彼が命名した〈近代敎〉と〈生活敎〉という獨特の宗敎を作り上げた。芥川は『今昔物語集』などの古典作品を素材にして作品を書いたため彿敎的な要素も當然作品に入っている。しかし芥川に敎は相對的な存在だったにすぎない。すなわち彿敎は彼にキリスト敎のように自分の存在をかける重さは持っていなかった。それでは芥川のキリスト敎認識はどうだったのか。芥川のキリスト敎認識の土台はなによりも〈聖書〉そのものにあり、また〈人間存在〉そのものにあった。彼が大事に取り扱ったのはキリストの受難の姿であってキリスト敎のドグマではなかった。彼はキリスト敎信仰の入り口まで行ったにもかかわらず、信じることは難しいようであった。『河童』「14」には芥川の宗敎觀に對してうかがうことができる場面が描寫されている。しかしここには生活敎と近代敎という相反する二つの宗敎を入りまじている。芥川が「發狂か自殺か」を控えて本當信じたかった宗敎は「生命の木」で旺盛に生きて行く生活敎であったが、結局はこれも信じられなくなる。結局芥川は生活敎を捨てることで「世紀末の惡鬼」が導く世紀末宗敎である近代敎に歸る結果になるように作品を構成している。結局は「神の愛を信ずることは到底彼には出來なかった。あのコクトオさへ信じた神を!」という告白が彼の宗敎に對する正確な立場の表明だったと見なければならないであろう。

전후 일본 교육에서의 "공(公)"의 이데올로기성 -초,중학교 도덕교육을 중심으로 -

김경옥 ( Kyung Ok Kim )
한국일어일문학회|일어일문학연구  62권 1호, 2007 pp. 143-163 ( 총 21 pages)
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長い間、議論されてきた日本の敎育基本法が2006年12月15日に改正された。從來の敎育基本法の理念が個人尊重に偏重されており、そのことが敎育の危機をもたらしたとし、改正內容の中心理念は「公共の精神を尊重して」という文言を始めとして「公」を强調するものとなった。一般的に「公」は``public``と解釋される。「公:public」を構成するのは公民であり、公民は「公」の構成員として「公」の中での權利と義務を同時に持つ。したがって「公」の重視は「社會構成員としての權利と義務の重視」という槪念を持つこととなった。これが``public``槪念としての「公」であろう。しかし日本での「公」は、社會構成員としての權利と義務の中で、義務を强調する傾向が强いと言える。そのため、國家に對する個人の義務としての「奉公」という意味により近くなったのだった。このように日本の「公」は、ただ``public``としての槪念で理解するより、「奉公」という槪念で理解しなければならない。「奉公」はその對象が國家なので愛國心を稱えることとなる。したがって「公」を重視する敎育は愛國心敎育と異なるものではないと言えよう。日本での「公」の敎育は次のような二つのレトリックを用いつつイデオロギ一として機能する。第一、「公」敎育は、事實上、國家主義を志向する愛國心敎育である。それにもかかわらず、個性尊重·人格完成を目標にするデモクラシ一的敎育理念と兩立させるという方法を利用することによって、「公」敎育自體の正當性を確保した。すなわち倂列する敎育理念が相互補完的機能を持つという論理を適用して「公」敎育を問題視しないようにした。第二、現在日本で深刻な社會問題になっている靑少年問題を「公」敎育を通じて解決することができるという大義名分をつくって「公」敎育を正當化させている。すなわち文部科學省は「公」敎育を輕視したからこそ、いじめ·不等校·校內暴力·學級崩壞·凶惡な靑少年犯罪が發生したのだと「公」敎育を正當化させているのだ。以上、第一と第二の正當化を見ればわかるように、「公」はレトリック(虛僞)的イデオロギ一性を持つと言えよう。道德敎育は知識の一つとして學習できる性格を持たず、人格形成という考え方、すなわち精神を作ることと密接な關連がある。そのため、個人の自律及び自由を前提にする人格の完成のための敎育こそ必要である。それにもかかわらず、日本では個人の存在價値を高めるための自律よりは、集團の存在價値を高めるための愛國心を道德的價値で位置づけようとしているのではないかと思われる。

『남자는 괴로워(男はつらいよ)』의 테마분석

이동일 ( Dong Il Lee )
한국일어일문학회|일어일문학연구  62권 1호, 2007 pp. 165-181 ( 총 17 pages)
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『男はつらいよ』シリ-ズは1969年8月27日、第1作「男はつらいよ」が公開されて以來、1995年12月23日の第48作「寅次郞紅の花」まで日本人の心を捉えてはなさなかった世界最長壽映畵である。なぜ日本人はアンチ · ヒ-ロ-を主人公にした映畵を愛し續けたのだろうか。26年という長い時間で、この作品が日本人の心をつかんだ理由、さらには日本人が持ち續けるであろうこの映畵の意味というものを、次のようにまとめてみたいと思う。まず、その一、落ちこぼれた人間の名譽回復である。日本人は落ちこぼれた寅の人間性に拍手喝采した。寅は現代社會からドロップアウトした人間である。まともな職業についていないフ-テンである。なぜ、落ちこぼれたのか。あまりに人間的だからである。純粹に人間的でありすぎるといまの世の中ではまともに生きていけないのである。人間性が尊重されるなんとも不可思議な逆立ちした社會である。その二、時代遲れの寅に、日本人が失ってしまった溫かさに觀客は支持した。いわゆるアナクロニズムの時代錯誤な人間を通して、高度成長の日本でひたむきに前に向かって走る現代人を逆說的に笑いとばしたのが日本人の幅廣い層に受け入れられたのであろう。その三、中央に對する地方の復權を主張しているこの映畵を痛快に感じた。失われゆくものへの鄕愁の念でもある。その四、放浪と定着の相互憧憬に共鳴した。定着と放浪は相互にあこがれており、憧憬しあっている。この相互を喜劇として繰り返しバリエ-ションとして奏でつづけているのが『男はつらいよ』シリ-ズである。その五、家族のつながりは世界の連帶に通ずると語りかけることへの共感である。その六、人間を信賴する作品を生み出し續けている映畵監督山田洋次に對する、そして監督の思いを寅次郞というキャラクタ-として演じきった役者渥美淸に對しての共感である。最後に、不幸な時代の希望である。それは絶望の中の希望である。これが『男はつらいよ』シリ-ズが何であったかというか一番中心になる部分である。もう少し言葉を變えると、不幸な時代に夢と希望を笑いのなかに語り續けてくれた映畵として、二十世紀後半の映畵史また文化史にさん然と殘るものであると思う。
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