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일어일문학연구검색

Journal of Japanese Language and Literature


  • - 주제 : 어문학분야 > 일어일문학
  • - 성격 : 학술지
  • - 간기: 계간
  • - 국내 등재 : KCI 등재
  • - 해외 등재 : -
  • - ISSN : 1226-2552
  • - 간행물명 변경 사항 :
논문제목
수록 범위 : 91권 2호 (2014)

공해문학에 보이는 법신관 -『삼교지귀』와 『성령집』를 중심으로-

구운파 ( Yun Bo Qiu )
6,300
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본 연구는 공해(空海·774-835)의 대표작인 『삼교지귀(三敎指歸)』와 『성령집(性靈集)』을 중심으로, 공해 문학의 법신관(法身觀)을 고찰한 것이다. 진언밀교(眞言密敎)의 법신사상은 공해 문학의 중심사상이며, 공해 문학의사상적인 토대라고 말해도 과언이 아니다. 그리고, 법신사상은 공해의 종교인으로서의 문학의식을 반영하고 있다. 법신세계에 대한 문학적인 묘사는, 어디까지나, 특정한 대상을 경계하기 위해서다. 불교이론의 난해함을 문학적인 표현을통해서 해석하는 것은, 독자에 대한 배려이며, 사람들을 진언밀교에의 길로 이끌기 위해서다. 그의 문학창작은, 세속의 문학작품과 다르고, 중생구제를 목적으로 하고 있다.

다무라 도시코의 논설에 나타난 여성문제

권선영 ( Sun Young Kuean )
6,000
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この論文は田村俊子の論說を通して彼女の思想を調べるのを目的とした。まず、「日本婦人運動の流れを觀る」ではカナダの女性運動との比較を通して女性開放運動が參政權の獲得を最初の段階に置きながらも女性勞動者を中心にした女性勞動運動でなければならないことを强く主張している。これは當時、母性保護論爭の中心に立っていた山川菊榮の結論に全的に同義したことだと考えられる。山川菊榮は女性解放は、資本主義の經濟體制の中では不可能であり、經濟體制の變革だけが實現出來る方法であると主張したわけである。當時、社會主義に傾倒されていた田村俊子は山川菊榮の社會主義女性解放論に强い印象をうけたと思われるが、二番目の夫である鈴木悅の影響も-助したと思われる。田村俊子は「新しき母性敎育とは?」で生物學的な次元での女性の敎育を論じているわけではない。「女性」敎育は男性と同等な條件で知性敎育を受けなければならないという趣旨での田村俊子の主張は當時の男性のための女性敎育、子女のための女性敎育に離れていたからである。俊子は眞正な「女性解放」の實踐事項として男性との同等な知性敎育が優先するべきだと主張することで、「家庭敎育」に女性敎育の目標をおいた敎育審議會の決定に積極的な抗議を表現したのである。この二つの論說により、田村俊子は「女性解放」を超える「人間解放」の思想にもっと近づいたことが分かったのである。田村俊子は根本的に女性が-人の國民として、-人の個人として男性と同等に敎育を受けなければならないことを積極的に論議の場で呼び入れたのである。彼女の小說に貫通するメッセ-ジが論說にも再び別の語法で周圍を喚起させたことで彼女の書くことが注目される。また、田村俊子の論說だけではなく、カナダ以後の色んなジャンルの書くことを積極的に檢討するのは、これからの田村俊子硏究の多樣性を確保する面で以後の田村俊子硏究の課題になると思われる。
5,600
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『古事記』と『日本書紀』の神代傳承に現れている「木(樹·木)」のモチ-フは、天上世界や地上世界、地上世界や天上世界、地上や地下世界をつなぐ「疎通」や「移動」の媒介物として、そしてあるいは神たちの避難先、あるいは神や神たちが派遣する使者の神聖な初降臨地として描かれている。また「木」は、木そのままの姿で傳承に書かれている場合もあるが、柱や千木のような木材の變形形態として書かれ天上·地上·地下という、それぞれ違う世界への疎通や移動の觀念の産物としても描かれている。それは、國土の3/2が森林で、その森林と歷史を共にしてきた人-であるこそイメ-ジ化できる觀念ではないかと思う。また、上田正昭によると「日本の神觀念の特徵の-つとして去來性と遊行性が擧げられるが、日本の神は、常住不變の性格を持っているのではなく、いつも移動して崇拜されながら成長する」という。その時、神たちが移動通路のために賴る所が「木」であり、あるいはその「木」は神たちが鎭座する神木にもなる。このような「木」が、日本神話と代表されている『古事記』と『日本書紀』の神代傳承では天上·地上·地下という空間の中で神の疎通や移動のための觀念の産物としてイメ-ジ化され古代日本人たちに畏敬や崇拜の象徵的な存在となっている。
6,100
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具として存分に利用されていることが內面の樣子である。要するに佐助の春琴への巡禮, お互い同士で相手は、-人の人物よりは-つの世界であるのプロセスが作品に貫いている反面、佐助が自分の目を自害して盲人になったと告白する場面では春琴の佐助への感動やしばらくの巡禮が行間から讀まれる。第二に、この小說には春琴のサディズムと佐助のマゾヒズムの二つの軸で支えられていることは廣く知られている常識であるが、作品の內面にはナレ-タ-が春琴を虐待しているもう-つのサディズムの軸が存在していることも指摘すべきであると思う。なぜなら、アイデンティティ-が疑われるほどの春琴の過度な惡女ぶりが作品のあちこちに目立つからである。このナレ-タ-の行爲は春琴の惡行を戱畵化して際立たせることによって佐助の犧牲者ぶりを强調したいという目的で行われていることは言うまでもない。春琴のサディズムと佐助のマゾヒズムとナレ-タ-のサディズムとが三つ巴のように作品の內部で動いているのである。要するにナレ-タ-は春琴のイメ-ジを崩していくが、佐助のイメ-ジは彫刻していくのがかんじられる。第三に、二人のエゴイズムであるが、春琴のエゴイズムだけが浮き彫りにされていて、外見上の讀みでは佐助のエゴイズムはないがしろにされがちである。しかし、作品の內側では春琴のそれは本能的であり、しかも果敢なものが目立っているのに對し、佐助のそれは眼に見えないところでゆるやかに執拗さを增していくのである。春琴のエゴイズムが感情的であり、とぎれとぎれのものであるとすれば佐助のエゴイズムは絶え間ない執着に支えられていると言える。實際に春琴の暮らしの範圍には限界があり、自分の身分に甘えているに過ぎないが、佐助は小使の身分から師匠に至るまでの身分の上昇は勿論、春琴とは事實上の夫婦關係になり、ついには戀の化身にまで崇められていることからも分かる。最後に佐助の自害行爲によって二人が和合する逆の發想が輝く場面も確認できた。
6,200
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能樂の解釋に關する先行硏究を見てみると、そこには政治的な問題は排除されている。しかし、淨瑠璃や歌舞伎のように能樂にも當時の政治的な問題が絡んでいるという解釋を提示した硏究者たちがいる。それはとくに能樂「白樂天」に關する讀み方において浮き彫りにされているが、近年、このような立場でこの作品を考察しているのが天野文雄氏である。氏はこの作品が1419年に行われた朝鮮による對馬討伐と關係があると考えている。本稿はこの天野氏の論を檢討し、「白樂天」が1419年になされた對馬における朝鮮の外寇討伐に限らず、中世における日本の對外認識と政治的な狀況、ひいては國際情勢をも反映しているものとして捉え直している。

『源氏物語』에 나타난 참배여행의 의의와 作意

김종덕 ( Jong Duck Kim )
한국일어일문학회|일어일문학연구  91권 2호, 2014 pp. 107-126 ( 총 20 pages)
6,000
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『源氏物語』を中心に登場人物の參拜旅行がどのような意義と主題に展開されているのかを考察した硏究である。物語の登場人物が參拜旅行をすることは空間を移動し、神佛の靈驗を得るスト-リに展開される。そこで、本稿では『源氏物語』の主題を形成する源氏の石山寺參拜、明石-族の住吉詣で、玉蠻や浮舟の初瀨寺參拜を分析した。源氏の石山寺參拜では以前關わりのあった中流階層の女性空蟬と再會し、後に二條院に迎えることになる。そして源氏と明石-族は住吉詣でによって榮華と家の繁榮をもたらすことになる。玉蠻は別れた親に會うために長谷寺に參拜し、浮舟は初瀨寺からの歸りに薰と내宮に出會うことになる。また橫川の僧都-行は初瀨寺の靈驗で宇治川に身を投げた浮舟を救出したと思う。このように『源氏物語』の參拜旅行は單純な空間移動ではなくて、長編物語の主題を展開する契機と作意になるといえよう。本稿では平安時代の-般的な參拜旅行を參考にしながら、『源氏物語』の寺社參拜が物語の主題と話型にどんな役割をしているのかを究明した。特に『源氏物語』の代表的な主題を構成している石山寺參拜と住吉詣で、そして長谷寺參拜の意義などを考察した。そこで登場人物の參拜旅行が如何に物語の人間關係を先取りし、作意となって主題をリ-ドしていることを確認した。

일본 상대문헌신화에 나타난 玉의 상징성 고찰-고고학적 유물과의 상관성을 중심으로-

박민영 ( Min Young Park )
한국일어일문학회|일어일문학연구  91권 2호, 2014 pp. 127-151 ( 총 25 pages)
6,500
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神話とは古代人たちが日常に抱く宗敎觀によって描かれた虛構の世界である。その神-の活動した舞台背景に古代の人間世界が持ち入まれ、思想が語り傳えられたものだ。すなわち、古代人たちにとって神話の世界とは、現實と等質次元の、遠い過去の世界と映じていたに違いない。以上のような歷史的理解に基づいて見ると、そこに二つの次元を超えたかかわりあいを分析してみる余地の幾つかは殘されているといえよう。ここでは、日本神話の玉と日本の遺跡出土の玉との關わりについて考察する。先ず、神話の玉に關する字の字典的な分析と、タマに關する辭書的な分析をした。その上、神話に現れた玉を示す用語を抽出し、その形に關する考古學的名稱を捕らえた。そして、考古學での遺物としての意味に基づき、神話上の玉の持つ象徵性を二つとして分類した。ひとつは、裝飾的意味の玉として、イザナキがアマテラスに讓る首飾りの「御頸珠」が擧げられる。これを裝飾する目的は稜威を象徵するためである。玉の持つ靈的な能力によって、首長としての權力が保てる。このような古代の樣相は、古墳出土の玉とその考古學的な見解を通じて認められている。また、スサノとアマテラスの「誓約」段にも「曲玉」という形で玉の靈力が現れている。もう-つ、祭祀的意味の玉は、「天岩屋戶」のアマテラスを招魂する祭式だともする神話の中で、祭儀的な道具としてよく描かれている。日本の遺跡の中では、玉が發見された祭祀の跡を、4·5世紀の祭祀遺跡として認めている。この考古學的見解とともに、神話に現れた祭祀玉の樣相を多角的に見た。さて、古代人において玉は、その稀な物質的價値までも、首長たるものの持つ貴重な裝飾品として認められた。その質によって異なる神秘的な光までも、靈的な力が發揮されると信じられた理由のひとつである。それで、稜威を表すためにも、死んだ後の靈魂を守るためにも、體にまた遺體に飾られた。そのゆえ、神を祭る祭式には、無くてはいけない必須的な祭儀道具になったのである。以上のように、文獻神話の記錄と、考古學的成果である遺物とのかかわりあいを中心に、タマの持つ象徵性を考察した。

내촌감삼(內村鑑三)의 죽음에 대한 인식 -2인칭의 죽음을 중심으로-

박상도 ( Sang Do Park )
한국일어일문학회|일어일문학연구  91권 2호, 2014 pp. 153-174 ( 총 22 pages)
6,200
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本稿では、內村鑑三の晩年の核心思想である再臨思想硏究の前段階として、內村鑑三の死に關する認識について考察した。特に內村鑑三の生涯に於て-番愛していた二人の女性、妻のかず子と娘のルツの死に關する內村の認識を中心に分析した。かず子の死は內村に耐えがたい苦痛を與えたものの、結局は彼女の喪失を通して日本という<國>と<國民>に氣づき、彼にとって万有は回復するに至る。『基督信徒のなぐさめ』中、「愛するものの失せし時」にはこのような彼の內面的價値がよく表れている。そしてルツの死は、內村にして具體的に死に對する認識構造を露呈させた。ルツの死はかず子の死と同樣に彼に大きな苦痛を與えた事件であったことは間違いない。しかし、內村はこの苦痛の中で死に對する認識を深化させた。まず、彼はルツの最後の瞬間を見守りながらルツの死が、單によい世界へ行ったことであることに氣づく。再會の可能なところにルツが先に行っていることに氣づく。ルツの平安の中での安息は、天國が實在するところであることを實證する事件であったのである。こういうわけで彼はルツの死を祝すべきものであると言った。それはルツの肉體から罪が除かれた狀態で死を迎えたからである。ルツの死は結局、救いの完成へと入る事件であるため祝すべきものであると彼は認識していた。このようにルツの死は-時的に恐怖と苦痛を與えたが、彼はこの事件を通して、淨化され、單純な信仰を持つようになった。何になろうということ、何かをなそうということ、すなわち野心を捨てるようになったのである。このような彼の死に對する認識はルツの死後、もっと深化した。そして死へのこのような認識は晩年の思想の核心である再臨思想の根源をなすものであると言うことができる。
6,100
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本稿では芭蕉·蕪村·-茶の俳句の中、五節句を扱った俳句を取り上げて、その當時の歲時風俗の姿と歲時風俗に對する感性を考察した。歲時風俗はとても廣い分野なので、それを特徵別に、江戶時代の祝日である五節句、日常生活の風習、宗敎風習に分類した。また、芭蕉·蕪村·-茶は代表的な近世の俳人として認められ、彼らの作品は今まで好まれているので、彼らの表現や感性に基づいて歲時風俗の姿やその表現法、歲時風俗に對する感性とその變化などを探った。彼らの俳句を節句別に分類して分析した結果、彼らの作品に現れる共通的な特徵と差は次のようである。-、正月に關する句が-番多く、正月の風習 を表す語彙も多樣である。貧しい生活の中でも自然に慰められて生きる姿勢が見られる。二、桃の節句に關する句は殆んど雛人形を詠んだ。蕪村は雛人形の樣-な描射で雛祭りの風習を表した。三、端午の節句の場合、芭蕉も蕪村も幟と종を詠んだ。桃の節句と端午の節句の行事は子供の健康を祈る祝いとして縮小されていると考えられる。四、七夕の節句に關する句では短冊のような華麗な行事などは見られず、綺麗な自然の調和や季節の變化に關するのが多い。しかし、蕪村は七夕の傳統的風習を表現した。-茶は七夕の情緖と離れ、とても諧謔的に詠んだ。また、-茶には桃の節句、端午の節句、菊の節句に關する句がない。五、芭蕉と蕪村は菊を對象にして表現したが、菊の節句に關する句は殆んど詠まなかった。彼らの菊は殆んど觀賞用のものであり、被綿の風習を表すものではない。このように歲時風俗を對象にした俳句には折-の特徵や自然現象、風俗の光景、その行事に對する心の動きが現れている。五節句以外に日本の-般生活の風習には相撲、田植え、更衣、砧などがある。それらに關することは今後の課題とする。

보력기문(寶歷奇聞)「唐人殺し」에 관한 고찰

안대수 ( Dae Su An )
한국일어일문학회|일어일문학연구  91권 2호, 2014 pp. 197-217 ( 총 21 pages)
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1764年4月7日癸未使行の客館である大坂西本願寺で都訓導の崔天宗が對馬通詞の鈴木傳藏に殺された事件はその後「和漢拾遺」系統の實錄と「朝鮮人難波の夢」系統の實錄で作られた。1919年12月に發行した寶歷奇聞「唐人殺し」は「和漢拾遺」系統と「朝鮮人難波の夢」系統の要素が混ぜている新しい形の作品である。藍嶋と室津において日本接待役が自殺した物語は「和漢拾遺」系統から影響された事で、千歲が桂彦と別れる場面と鈴木傳右衛門が千歲を身請する設定は「朝鮮人難波の夢」系統の要素を取り入れた描射である。寶歷奇聞「唐人殺し」は「朝鮮人難波の夢」系統のように桂彦の死を千歲の夢と結び付けないで鈴木傳藏が母に聞かされた實父の存在を卜船將崔尙を通して確認する方法を取っている。また鈴木傳藏が崔天宗に人參の密貿易を止められた場面で、鈴木傳藏が崔天宗に感じる恨みは人參で利益を得ることができなくなったことから實父への仇討ちに替わっていく見事な裝置も作った。しかし寶歷奇聞「唐人殺し」は「和漢拾遺」系統のように浜松で宿所を分ける問題が原因で崔天宗(塞傳宋)が鈴木傳藏を毆る部分や「朝鮮人難波の夢」系統のように千歲の自殺、また鈴木傳右衛門の遺書で鈴木傳藏が必ず崔天宗(才天蒼)を殺さなければならぬ口實を作らないで「和漢拾遺」系統の最後の部分を眞似した。つまりこれは寶歷奇聞「唐人殺し」が「和漢拾遺」系統と「朝鮮人難波の夢」系統を結び合うことができなかった證據とも言える。
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