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The Japanese Modern Association of Korea


  • - 주제 : 어문학분야 > 일어일문학
  • - 성격 : 학술지
  • - 간기: 계간
  • - 국내 등재 : KCI 등재
  • - 해외 등재 : -
  • - ISSN : 1229-9456
  • - 간행물명 변경 사항 :
논문제목
수록 범위 : 10권 0호 (2005)

『平家物語』の人妻たち, 2 -維盛の正妻を中心に

감영희
5,000
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『平家』の女性を中心にどのような新しい人間が創造され、造形されていたかを考察しようと思う次第、本稿では家の女性の正妻の姿から、特に「維盛」の妻のことについて檢討しながら當時の正妻の在り方に迫ることにした。1.まず、維盛の妻は「維盛都落」をはじめ『平家』の諸段に多く登場していて、その人物に現實性が感じられる。ここに『平家』作者の女性への高い關心と正妻という新しい妻像が浮かび上がる。2.妻に再婚までも進められる維盛の姿には、もう一つの武家層の夫婦關係が察せられる。卽ち妻の夫への全面的な依存、獻身的な奉仕、絶對の服從を押し付ける夫權中心の關係がそれである。3.武家政權確立の後は次第に男性支配社會の特質が各方面に現われてきて、夫婦關係においても夫權の絶對化が進んでいた當時、維盛の妻への再婚を進めたことは、武家層ではとても考え難いことであって、この面で『平家』の高い文學性が認められる。4.維盛の正妻は「貞女は二夫に見えず」と云う武家の正妻として道を步んだ女性である。夫の死後、殘された彼女は現界の苦惱を一人で단いながら「他事を投捨てて夫の後世を弔うべき」と云うわけで出家して維盛の後世を弔ったし、死ぬよりも苦しい現世で人妻として貞操を守り、再婚することなく「貞心を忘れる」ものにはならなかったということで、武家の習俗法をよく守った武士の正妻像を見せてくれる。5.このことから、維盛の妻は完全な脇役であるが、自然な姿で戰亂期を生き拔けた人間の姿を代表しているし、これはつまり正妻及び母としての女性を見る『平家』が、新しい女性像として正妻のことを創造していることと考えられる。卽ち、母としての道に堪えた强い姿、正妻としての德ある女性に、その時代の特性を把握した結果であって、中世女性のもう一つの正妻のタイプが『平家』にはあると言える。

芥川龍之介『地獄變』論

정인문
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良秀の「恍惚たる悲壯の感激」と感じる部分を中心にして、作品の批判的視点およびそれに對する批判を付け加えてみた。從來の理解はおおむね、娘を良秀が持つ「たった一つ人間らしい情愛」の對象ということに止まっていた。しかし、筆者は、語り手が理解する娘の意味にすぎないと思った。この二人の關係においても子煩惱的次元で愛をとらえてはいなかったのではないかと思われる。語り手のこのような恣意的判斷はこれ以後もしばしば繰り返されている。その上、良秀の芸術家としての苦惱の核を見るべきだと考えるが、しかし良秀の芸術の評價が實在感の有無、その都合に向けられている点にまず留意しなければならない。つまり、その實在感は、あくまで芸術的追求、技術的加工によって作り出されたものとして意識されている。だから、それは極めて意識的な、芥川の創作方法に基づいた行爲であろう。それは肝心の良秀や大殿は語り手の偏った眼と世間の준を通して紹介されるのみで、その內面に立ち入った心理描寫などは當然のことながら一切ない。したがって兩者のの心理や行動に付きまとう一種の曖昧さは避けられない。それは、地獄變神話、傳說と呼ぶ物語そのものの觀念的な圖取りが、ほとんど自動的に描き出されたということ自體に、この作品の性質とまた一面において底の淺さとがあるのではないかと思う。

『坊っちゃん』論 -坊っちゃんの淋しさを中心にして

김복자
5,500
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生後まもなく里子に出され、翌年には養子にやられた漱石を敍して、「金之助の一番古い記憶に登場するのはこの鹽原夫婦の姿、より正確にいえば父も母もない空虛な世界に置き去りにされた自分自身の姿である。」と江藤淳はいう。これだけの部分にも漱石の存在に對する深い同情の氣持を感じることが出來る。『坊ちゃん』に於いて、漱石は過去に體驗し得なかった母との觸れ合いを下女の淸の中に入れ、聖なる母としての崇高化されたこの世ならぬ無私の愛と信賴がどんなものであるかを描いたものである。明るいユ―モアにみちた『坊ちゃん』の外貌の底部に「滑稽の裏には眞面目がくっ付いて居る。大笑の奧には熱淚が潛んでいる。雜談の底には추추たる鬼哭が聞こえる」というものである。『坊ちゃん』は、無鐵砲で、人生への知惠を欠いた主人公が損に損を重ねて、ついに市井に撤退するまでの話で、同化吸收しようとする有形無形の力を切斷し、獨りでも背筋を伸して生きていたことの話である。それは漱石の淋しかった幼少期の一つの姿であり、淸という下女に、14、5才で死に別れてしまった最愛の母の姿を乘せた追悼の歌だったのである。

『靑탑』と『新女子』 -兩雜誌の創刊辭を中心に-

이상복
한국일본근대학회|일본근대학연구  10권 0호, 2005 pp. 87-104 ( 총 18 pages)
5,300
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日·韓兩國の女性の手による雜誌『靑탑』と『新女子』の創刊號の創刊辭と全般的な流れを通して女性の自我と舊社會的な束縛から脫皮しようとする新女性像を調べた。女性が女性であるよりは人間として生きることを願った女性解放の路線を敷いた運動でもあった兩誌は、兩國における傳統的な女性の生き方に抵抗し、女性の意識啓蒙運動の先導的な役割を단い、女性運動の大衆的な基盤の構築に盡力した。『新女子』は『靑탑』より九年も遲く刊行されたにも關わらず、日本とは比べられぬほどの構成と內容面で、まだ新しい女の自我が先進化されなかった部分が多い。しかし、兩雜誌にはいまようやくこの厚い壁をつきやぶることの必要性が廣く認識され出し、家父長制による矛盾から脫出しようという、限りない熱望とその實現のあり樣が表現されている。結局、積極的に 主體的な生き方 を實踐できないのは保守的で頑固な、家父長的イデオロギ―が注入されていると見ることができよう。まだ女性解放意識をもっていない段階であった。このような時代背景の中で、兩誌が特別に重要な意味をもつのは、女性が作った雜誌を通じて今までの女子を無條件に拘束して壓迫しながら踏みつけて來た不平等から男性が文學の中心を占めていたそこに、女性文學が參入して位置を確立したためである。その上、女性讀者を對象とする、作品の發表舞台を提供した女性雜誌誕生の功績は大きい。

김억의 문예활동 속에 나타나는 창작과 번역의 혼동 양상의 일면

한승민
한국일본근대학회|일본근대학연구  10권 0호, 2005 pp. 105-116 ( 총 12 pages)
4,700
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Kim-uk`s activities are very important in the development of Korean modern poetry. He played a leading role in writing poetry, translating foreign poetry, and introducing western literary thought. He worked in the period of Japanese occupation of Korea, when it was difficult to have its own literary background and tradition. Under these circumstances, he was actively engaged in the introduction of western literary thought. This essay aims to survey his role in the introduction of western literary thought and his own views on the methods of creation, and to trace the similarities and the aspects of confusion between his creative poetry and translation poetry. In conclusion, he shows some confusions in creation and translation, but his leading role left a great accomplishment in the history of modern Korean literature.

一六○七年通信使行と「饗應」考

김애경
한국일본근대학회|일본근대학연구  10권 0호, 2005 pp. 117-135 ( 총 19 pages)
5,400
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통신사는 임진왜란·정유재란에 의해 단절된 한일양국관계가 복원되기를 원했던 토쿠가와 막부의 정치적 요구와 츠시마번의 경제적인 필요성, 한편, 조선의 내정재건과 북방 방위의 문제가 연결되었던 것이다. 조선과 일본의 입장에 따라 다르겠지만, 이 향응이라는 시점에서 통신사를 볼 경우, 통신사에 대한 막부의 성대한 접대는 일본 국내의 정치적·경제적 문제와 연결되어 변질하는 과정에서 생긴 사상과 관념이었다고 말할 수 있다.

근대 한일관계와 민중종교운동 -개항기 천리교운동을 중심으로-

이원범
한국일본근대학회|일본근대학연구  10권 0호, 2005 pp. 135-155 ( 총 21 pages)
5,600
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植民地朝鮮における天理敎運動は植民地體制下の支配國の宗敎としてのジレンマを持つものであった。當時の天理敎運動は多くの場合、病氣や死という平穩な日常性からの離脫した次元を背景に展開され、日本人の布敎者と韓國人の信者の間には對面的な關係がもたらす情緖的信賴感が構築されていた。このような事實からすれば、天理敎運動は植民地社會の支配―被支配の兩國の關係の狀況論理を前提として說明することができなくなる。が、社會的な存在である宗敎集團としての天理敎運動が植民地社會の秩序原理と無關係ではいられなかってことも事實である。したがって、植民地朝鮮における天理敎運動は歷史的な脈絡の中で位置づけられる「植民地布敎」と宗敎運動の必然的な廣がりとして位置づけられる「海外布敎」という兩側面に對する檢討が必要となる。兩國の民俗社會の共通的な基盤の上で展開された天理敎運動は、植民地統治という政治的な狀況によって條件付けられたことは確かであるが、にもかかわらず、病氣や死という「限界的な狀況」を媒介に成立した信仰的連帶には、時代的な狀況に還元されないそれ自體の歷史的存在根据があった。兩國民衆の交流の場が非日常性のカテゴリ―に屬したものであったが故に、時代的觀念の世界の影響から離れた生活者としての共感帶を形成することができたのである。
5,300
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本稿で述べる「新宗敎の社會福祉活動」とは、布敎·敎化活動とは別に、新宗敎敎團が廣く一般社會と接觸·交流、あるいは貢獻をなすことなどを目的として行う活動をさす。ただ、こうした活動は、布敎·敎化活動と常に明確な區別ができるわけではない。布敎·敎化の一環としての社會福祉活動という場合も數多くある。宗敎敎團が行う社會福祉活動となれば、それも當然であろう。しかし、必ずしも敎勢の擴大を直接的な目的としない社會福祉活動が增えていることも事實である。したがって、「全人間的福祉の追求」という側面から宗敎團體が行っている福祉活動について硏究する必要性が提起される。このように新宗敎敎團は多くの分野で積極的に社會活動を行っているが、その代表的な敎團の一つとして「天理敎」が擧げられる。天理敎は戰前から「慈善救濟活動」という名稱で社會福祉活動を行い、幼兒および學校施設·醫療活動·國際援助活動などの幅廣い分野で社會に貢獻している代表的な日本新宗敎敎團の一つである。このように展開されてきた天理敎の社會福祉活動を通じて、天理敎の社會福祉事業及び福祉施設などの現況を把握し、實踐における肯定的な側面と否定的な側面を明確にすることが本稿の目的である。そしてそうした活動における天理敎社會福祉の獨自性を明らかにすると同時に、實踐主體としての天理敎と福祉事業の調和を目指す總合的な福祉活動について考察する。

世俗化プロセスからみた日本新宗敎の社會活動

제점숙
한국일본근대학회|일본근대학연구  10권 0호, 2005 pp. 175-189 ( 총 15 pages)
5,000
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世俗化プロセスのなかで、今は脫 私事化の現象であるといわれている。宗敎の世俗化とは、特定時期の現象ではなく、近代以來から現在までの一つの世界史の流れとしてみつめなければならない。世俗化プロセスの進行やその內容においては、地域や國家的特性、またその文化的傳統によって樣樣である。脫-私事化として日本の新宗敎の社會活動は、その說明變數として有效であると思われる。特に創價學會と立正교成會は、脫-私事化の道程の先にたっている社會活動をしている。本稿では兩敎團の社會活動を、價値·理念の次元、政治的次元、經濟システム次元、社會·文化的次元にわけて、脫-私事化と關連性を明らかにすることを目的にする。

『시마자키 도송, 島崎藤村의 자연주의 소설』

용석인
한국일본근대학회|일본근대학연구  10권 0호, 2005 pp. 191-206 ( 총 16 pages)
5,100
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A Study on Simajaki Dosong`s Naturalist Novels This paper aims to analyze the naturalistic characteristics reflected in Simajaki Dosong`s novels such as Hakai, SinSei, and Ie. In Dosong`s works, two major characteristics are found: First, this papaer deals with status-confession and self discovery in Hakai, autobiographical nature and self-confession in SinSei, and feudalistic life and the pursuit of a new way of living in Ie. Second, Dosong`s naturalism is found to include some romantic nature.
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