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  • - 주제 : 어문학분야 > 일어일문학
  • - 성격 : 학술지
  • - 간기: 반년간
  • - 국내 등재 : KCI 등재
  • - 해외 등재 : -
  • - ISSN : 1598-4990
  • - 간행물명 변경 사항 :
논문제목
수록 범위 : 12권 0호 (2009)
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本稿では、日本語の史の中でも特に消滅という点に注目して近世に焦点をてて、近世日本語までには用いられたが現代日本語では見られなくなった江語の敬語命令表現「しやれ」→「しやい」の語尾化について、全的傾向と完了時期を中心にして考察してみた。特に明和~享和期の江語資料39種(江落本類31種、江本類4種、表紙類4種)の語尾化の態の分析結果に基づいて、上方語と敬語命令表現「なされ」→「なさい」の語尾化の全的傾向及び完了時期と比較しながら時期、資料、位相、地域による速差とその原因について討してみた。その結果、幾つかの特的事が明からにされたかのように思う。まず、語尾化の全的傾向としては、①明和期と安政期間における「しやれ」→「しやい」の語尾化の速差が見られる。②江語資料の部間による速差が認められて、江落本類の「しやれ」→「しやい」の語尾化は江本類及び表紙類の語尾化よりはやい。③位相的な面から見ると、男性語と女性語間による「しやれ」→「しやい」の語尾化の速差は見られない。④地域的な面から見ると、江語の「しやれ」→「しやい」の語尾化は上方語の語尾化よりはやい、という事が指摘できた。一方、語尾化の完了時期としては、⑤口頭語、つまり話文における「しやれ」→「しやい」の語尾化の完了時期は「なされ」→「なさい」の語尾化の完了時期である明和期までよりい安永期と推定される、という事が指摘できた。特に、このような事の中で②③④は「なされ」→「なさい」の語尾化の傾向と大一致すると言えようが、①は傾向を異にすると思われる。なお、⑤も「なされ」→「なさい」の語尾化の完了時期と異なるという点から注目される。
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本論文は、1920年代の朝鮮で新傾向派文の代表的な作家として知られた崔曙海の面世界を把握して、その意識の流れによる階級的·民族的の葛藤が、日本語にされて日本文段に表された次の3編の小の中で、どんな相を表わしてくるのかを考察するにある。崔曙海原作の日本語小 「飢餓と殺戮」、「紅」そして 「二重」で感じることのできる共通的な心理は、日帝の植民政策による矛盾された社構造にする認識であり、ここで派生された內面的の葛藤の表出は、小の背景によって、明らかに化を見せている。これらを考慮にいれて作品をよく見れば、場所の移動は的な面に比例し、また、作家の意識が化されるによって、階級も反されて表れてくる。又このような意識の化は、作品の背景によって、階級的·民族的の抵抗の表出も格段な差を見せている。このような点は、作家が彼の小の中で、``搾取者被搾取者``、``ブルジョア無産者``の構である階級の問題と、``支配國殖民``、``支配者支配される者``の構造である民族の問題を取り扱いたかったし、ここに民族的な抵抗を盛りもうとしたことが推量できよう。しかし、曙海の小は極限況に追われた閉鎖的な個人の葛藤を、自分に迫を加えてくる他者や、不特定多を通じてそれを解消させようとした点で、その限界性があると言えよう。これは曙海が際のを重要視した結果、當時社の構造にする根本的な問題の認識に到したにもかかわらず、その葛藤の解消方法を社的な側面で表わすことができない小な<個人世界>で解決しようとした原因があったといえよう。このような世界は彼の小說で敍事の制約をもたらす。のみならず、作中の主人公としてまわりの人を破局に同行して、反動的人物としての個人にとどまるように作用してしまう結果をもたらす。これは社的な順接を難しくするばかりでなく、民族にする意識を ``民族民族``にまで昇華させることができず、ついには時代と民族の悲劇を事件の展開だけで絶的なことに受け入れる作家の限界を現わしていると言えよう。
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昭和初期の中野重治文は、「プロレタリア文」として見なされた。しかし、これまでほとんど注目されることがなかったが、この時期の中野文は 「移動」にする豊富な心でちており、またそれが 「方法」というかたちで投射された 「移動の文」でもある。本稿は、この時期の代表作とされる 「雨の降る品川」を取り上げて、中野の文的想像力において 「方法化された移動」というものの持つ意味を考察した。それをまとめると次のようである。第一に、中野は視点の移動がもたらす 「異化」の方法を通して、存の天皇表象にする政治的批判を行なった。第二に、詩 「雨の降る品川」の想像力は1920年代朝鮮人渡航史を含む、半島と列島の間で行なわれた往復する移動に基づいている。第三に、後中野の行なった自己批判は、ナショナリズムへの屈服にする告白ではなく、ナショナリズムを克服することの困難さについての重な模索の産物であった。
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<政治の季節>と呼ばれた1960年代に表された大江健三の 「日常生活の冒」は1960年代の大江の文キワドである<政治的人間>を作品化したものであるといえる。この作品は明治期から1960年代までの人物の生き方と死を通じて、日本の政治運動の問題を提起していると思われる。作品では、政治的運動の問題としてモラルの不在がげられているが、モラルが前提とされていない政治運動は現させる力を持たず、持されがたいという問題意識が現れている。作品では、<政治的人間>を 「旅に出るほう」と定義されているが、ここから 「旅」にする表現がモラルを象していると思われる。ところが、旅にする表現は 「旅」と 「旅行」が現れている。この二つの表現の意味について探ってみると、現代の典的な意味と明治期の意味が異なることが確認できる。現代の典では、二つの言葉は同義語のように明されているが、明治期の文章から確認すると、二つの言葉は立的に使われていたことがわかる。明治期の 「旅」には苦行の意味があり、また知識(作品での表現ではモラル)を得るための行動という意味があるが、「旅行」には的なイメジがあり、行動の容であるモラルが不在していることを象していたといえる。「日常生活の冒」では、明治期から1960年までの政治運動が失敗しけている相が描かれ、このような政治運動の史を通じて、日本での政治運動の難しさを調していると思われる。作品では、日本での政治運動の失敗の原因の一つとして、運動の主となる個人のモラルの不在がげられている。すなわち、日本での政治運動にして、形式としての政治的運動は存在するが、その容になるモラルが存在せず、ひとつの流行的な現であるのではないかという問題意識が提起されていると思われる。このような主題は 「旅」と 「旅行」という二つの言葉を通じて反映されているが、モラルを調するために、現代典的な意味ではなく、明治期の意味を借用していると思われる。モラルの意味を持っている 「旅」とモラルの不在を意味する 「旅行」という明治期の意味を通じて作品の主題が象的に現れているといえる。そして、「旅」と 「旅行」の明治的な意味を積極的に借用することから、大江健三の明治期にする態度が浮かび上がっていると思われる。それは、現代では忘れられているモラルの重要性が求められた時代として明治期が調されている。このような明治期(または近代)への態度は、明治期を軍主義家への始点として考えれ、否定するべき時期として扱われてきた現代以後の態度とは異なる、大江の特的な面であると思う。
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