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  • - 주제 : 어문학분야 > 일어일문학
  • - 성격 : 학술지
  • - 간기: 반년간
  • - 국내 등재 : KCI 등재
  • - 해외 등재 : -
  • - ISSN : 1598-4990
  • - 간행물명 변경 사항 :
논문제목
수록 범위 : 4권 0호 (2005)
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本稿では、日本語の發話中に現れる韻律の特徵を「への字」タイプとして、アクセント核の位置が變形された合成音聲を實驗材料とし、「東京語話者」と「韓國人學習者」と「中國人學習者」に「日本語らしさ」の觀点で評價を依賴した。その結果、「東京語話者」の判斷する「日本語らしさ」には本來單語に付隨しているアクセント核の位置が重要な判斷の根據となっていることがわかり、アクセント核の位置が變形されて、しかも、「への字」の韻律のパタ―ンで現れる音聲に對しては「頭高型」の例文が最も「日本語らしくない」と感じていることがわかった。このような結果は、韓國人學習者が、日本語の韻律を習得しようとするときの學習方法にとりいれることもできよう。つまり、「東京語話者」は「頭高型」の單語が變形されると日本語らしくないと感じるので、アクセント型の暗記や發話の練習は「頭高型」を中心に行うのが效果的だと言える。また、「韓國人學習者」は、單語ごとに付與されていアクセント核の位置とは關係なく、すべての例文が「への字」タイプで發話されている音聲に「日本語らしさ」を求めていることがわかった。韓國人學習者の日本語音聲に對する先行硏究から得られた「平坦調」という發話における特徵をもち、聽覺の面では「への字」パタ―ンの韻律から「日本語らしさ」を感じ、誤った判斷をする、あるいは、「東京語話者」との大きな違いを示している韓國人學習者にはもっと體系的で學習者の誤用パタ―ンを調べた上での日本語の韻律に對する敎育が必要であることを示す結果となった。さらに、同じ學習者群に屬し、母語が異なるグル―プとして「中國人學習者」も被驗者にしているが、この場合は、母語の聲調パタ―ンに多いとされる句の最後の拍が下がるパタ―ンに「日本語らしさ」を求めていることがわかった。これは、中國人學習者を對象にして、日本語の韻律の習得に妨げとなる要因を調べた先行硏究とも一致した結果であった。このように、目標言語の韻律の特徵を捉えるにあたって、母語の違いによってその捉え方が異なることが學習者にはみられるため、目標言語にある韻律の特徵には注意が向けられにくいのである。ここで目標言語の韻律の特徵が韓國人學習者には「聞き取れない」という表現を避けて、「注意が向けられない」と表現するのは、學習者に日本語の韻律の特徵として現れる高低の差を比較出來るような「比較對象」を持つことで、韓國語のソウル方言では弁別力を持たない聲の高低の差へ注意がむくようになるからである。この「比較對象」を持った場合の聽覺力の效果については今後の課題にし、次期にご報告することとしたい。
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本稿では近代日本語から現代日本語への定着過程にみられる近代日本語の特徵を、『國定讀本』の語彙を通じて近代明治譯語のうち現代も使われている一般生活用語としての定着という視点から考察した。硏究方法としては『明治のことば辭典』の漢語をま差分析し、その現存する漢語が『國定讀本』にどれぐらい見られるかを考察した。また明治の漢語が普通敎育の日常漢語へ轉換する過程において、どのような漢語がどの程度現存し、今日の日常生活語にどれぐらい反映しているか把握するために、出版頻度數、專門分野別、明治漢語の出自別に分析した。その結果は次の通りである。1.『國定讀本』の2字漢語は計6158語で、そのうち2字漢語は6159語中期別推移をみると國定1期593語、國定2期2822語、國定3期2549語、國定4期2825語、國定5期2976語、國定6期1299語である。2.『明治のことば辭典』の漢語は全部で1341語で、このうち『國定讀本』の漢語と一致する漢語は216語である。3.『明治のことば辭典』の漢語と『國定讀本』の漢語の期別一致の場合の漢語を出現頻度數別、意味別に分析した。明治の專門漢語が普通敎育の日常漢語へ轉換する過程において、『國定讀本』の漢語として現存し、今日の日常生活語に反映していることが把握された。
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本稿は日本語從屬節(連用節)の時制現象において基準時点の選擇が行われる原理及びそれにつく時制解釋について考察することを目的とする。先行硏究によると、「時点の原理」や「構文的意味による時点の差」などによって、ある程度說明が可能であるというが、より體系的な說明が必要だと考えられる。從って本稿では節の內部での時制要素であるル形―タ形對立の出現を基にして從屬節を1類·2類·3類從屬節に分類して各各に時制解釋原理を與えて、ここに接續助詞類の意味·機能を組み合わせる場合、從屬節の時制を體系的に說明できると反定した。次に具體的な用例をもって調べてみた結果、1類從屬節は時制要素の對立がなく、主節時を基準時点とする。2類從屬節は1類と3類の中間的な性格を持つ從屬節として主に主節時を基準時点とする。3類從屬節は主に發話時を基準時点とするが、場合によって主節時を基準時点としたりする等、柔軟性を示している。今後の課題は柔軟性を示す3類從屬節の基準時点選擇に關してもっと子細な說明ができるようにすることである。
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本稿は江戶初期大藏流の狂言師の大藏虎明によって書かれた『大藏虎明本狂言集』を中心にして、そこに出ている順接條件表現についての考察である。文語資料に記錄されている文法事項は、口頭資料に比べて、規範性が强く、定型化した表現として現れるという限界性を持っている。從って、本稿では旣存の文語資料の限界性を認識し、定型化した條件表現ではなく、實際の生活で使われている口語の中の條件表現の獨特な特徵を把握することをその目的とした。また、口語の中での具體的な順接條件表現の特徵を考察するため、同時代の口語資料である『天草版平家物語』との比較を通して順接條件表現の諸樣相を比較及び分析してみた。その結果、『大藏虎明本狂言集』における順接條件表現の場合、その臺本の時期的な性格上、それぞれ近代語に分化、發展していく過渡期的な諸樣相が現れていた。特に、恒常條件の場合にそのような傾向が目立ち、古代語から近代語へ移行していく過渡期的な性格が强く現れていると言える。
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國際競爭社會に適應し主導的な役割を果たしていくためには、若い主役たちが外國人と外國語で円滑にコ平ュニケ―ションできる力が必要とされる。第7次敎育課程では、このような時代的流れに沿い、コ平ュニケ―ション能力の向上が强調されており、樣樣な角度からの授業モデルの硏究が求められている。本硏究で提示する授業形態は、韓國人敎師がネイティブ敎師と協同授業を行なう形であり、ネイティブ敎師のみが授業を擔當するネイティブ單獨授業と比較する形をとった。協同授業では、ネイティブ敎師の發話を十分に理解できない生徒を對象に、聞き取り中心の指導を强化し、自信をもって會話することのできる授業の雰圍氣作りを目指した。協同授業とネイティブ單獨授業の比較調査で、生徒の聞き取りと話し方の領域においてはっきりとした變化が見られたことにより、協同授業の形態がコ平ュニケ―ション能力と密接な關わりを持つということがわかった。
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本論文はホテル從業員を對象に日本語の敬語使用の實態を調査し、問題点を把握した後、效果的な日本語敎育の方法を提示することに硏究の目的をおいた。このような硏究目的を達成するためにホテル從業員の日本語の敬語使用に對する認識と實態を調査し、これに對し日本人觀光客が感じる好感度を分析した。アンケ―トを通してホテル從業員の敬語使用の實態と日本人觀光客の好感度を分析した結果は次の通りだった。ホテル從業員の多數が尊敬語とはいえない單なる丁寧體を使用してしたり、サ―ビス言語では言語表現を省略してはならないというホテル敬語のル―ルを無視した点がたいへん目についた。すなわちホテル從業員は日本語の敬語が正しく使用できておら差、それによりホテルを利用する日本人觀光客はホテル從業員の日本語の敬語に對して好感度があまりよくないという調査結果だった。
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本論は、高校の日本語敎育においてカタカナがどのように扱われ指導されているかを明らかにすることを目的とし、第7次檢定敎科書內に使用されるカタカナ語の調査を中心に、以下のように考察しまとめたものである。ま差、第7次檢定敎科書に現れるカタカナ語の種類と總數を調べた。その結果、敎科書によってカタカナ語の種類や使用量に大きな差がみられた。これは敎科書ごとに、カタカナ語を採用する際の基準が曖昧であることを示している。今後は敎科書に採用されるカタカナ語を質、量ともに一層充實させるべきであると考えられる。また、敎科書採用語彙を選定する際に參照される基本語彙についても、カタカナ語を中心に考察した。その結果、基本語彙に含まれるカタカナ語は少ない上に、現在の語彙使用頻度を反映していると言いがたいため、基本語彙選定についてより明確な基準が設けられることが必要であると考えられる。續いて、高校の日本語敎員のカタカナ(語)敎育の實體をアンケ―ト形式で調査し集計した結果、敎師達の多くはカタカナ語の重要性は認めている反面、授業時間におけるカタカナ指導時間はさほど多くはないことが明らかになった。その理由として、カタカナ指導の敎材不足、指導法がわからない、また學生側のカタカナに對する學習意識の不足などがあげられた。最後に、授業時間におけるカタカナ語敎育のありかたについて考察した。ま差、カタカナ語の定着を圖るために各敎科書に設けられた練習問題などを取り上げ紹介し、さらにカタカナ文字を覺えさせるための方法について考察を加えた。以上の考察の結果、今後のカタカナ語敎育のために、①敎科書におけるカタカナ語彙の擴充を圖ること、②基本語彙の妥當性を高めるために學生のニ―ズなどを反映させる、③外來語音など、カタカナでのみ表記される文字や長音記號の提示、④カタカナに關する副敎材や指導法硏究の活性化などが必要であると結論づけた。
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本稿は、韓國の日本語學習者にとって大變難しいと指摘されている、``完了相``を表す「-ている形」の重要性と理解度を調べ、今後の學習方法に新たな道を開くことを目的としている。そのために、ま差韓國語と日本語テンスの違いとアスペクトの捉え方について調べ、``完了相``についての槪念を硏究したうえで、言文一致運動直後の3編の小說、『浮雲』、『蒲團』、『春』の中から``完了相``「-ている形」の占めている部分と韓國語譯の言葉遣いに現れる時相の差について調べた。また、それを基に母語干涉を受けた狀態でのアンケ―ト調査で現實の``完了相``「-ている形」に對する理解度を調べた。本稿でこの3編の小說を資料とした理由は當小說が言文一致運動直後、すなわち明治後期に書かれたものであり、その明治後期の小說に``完了相``の「-ている形」がどのくらいの使用頻度を占めていたかを知っておくことで、現代反名遣い文の小說にみられる``完了相``調査の意義がみいだせると考えるからである。また、今回のアンケ―ト調査は母語の干涉をみるために、韓國人日本語學習者と日本人韓國語學習者の雙方に行った。その際、アンケ―トの各質問には母語の解釋を付加し、母語干涉の影響が强いほど、互いに學習目標言語が理解できていないと判斷した。それは、第二言語に母國の影響があるほど兩言語のテンスとアスペクトのカテゴリ―は違ってくると考え、學習者がどのように兩言語のテンスとアスペクトを考えて言葉を學んでいるのかが解れば、今後の學習方法に一つの方向が見えてくると考えられるからである。今回の硏究の結果をまとめると、韓國語と日本語はテンスとアスペクトの面でお互いに全く同じではなく、また明治後期の小說で``完了相``「-ている形」が多く使われている反面、その韓國語譯に直譯が出來ないものが多かったことや、アンケ―ト調査によって、兩語の(えの間違いから``完了相``「-ている形」の學習難度が高いことが解った。しかし、韓國人の日本語學習者にはテンスとアスペクトとの問題点を初級の學習者に理解してもらうことに無理があり、せめて覺え書きの生じぬように敎習せねばならない。そのため、いくつも例を擧げ說明して理解させるあるいは、初級段階だけでなく上級段階でもひきつづき敎えるなどの方法があるが、とにかく敎える際にしっかり韓國語と日本語のテンスとアスペクトの差について說明した上で學習させることが必要だという結論に至った。
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『徒然草』を構成する內容範圍は極めて多岐にわたっている。多樣な內容の中に有職故實的な章段と呼ばれる一群がある。有職故實的章段は、作品全體のなかでかなりの比重を占めてはいるが、積極的に語られたり意味合いを問われたりしたことはあまりなかった。本稿では、ま差有職故實の意味を察し、兼好の生きた時代における有職故實の意味を追及してみた。兼好は神道關連の家の出で、出家はしたものの時代と自分の身分及び時に對する正確で銳い觀察眼をもっていた人物である。兼好が生きていくためにとった方便が有職故實だったともいえるだろう。そういう見方がとれるなら、『徒然草』の中の有職故實的な章段は、今までの通說通りに單純な趣味的記錄と見るには違った感じで見えてくる。作品で一番最初に有職故實に關する內容が登場するのは第33段と第34段である。個別記錄としてではなく、前段とのつながりを積極的に見つけだそうとこころみた。作品の內面での問題だけではなくて、『徒然草』の有職故實的章段は中世の說話集ともかかわりがあると思われる。故實說話と呼ばれる類がある。公事という部をもつ說話集には『江談抄』『十訓抄』『古今著聞集』『古事談』などがあるが、祭りをはじめ年中行事、ものの起源などへの深い關心が見られる。『徒然草』の有職故實的な章段の一番主流といえる內容と重なることがわかる。そういう段の指向というなら、それは話題に對する典據及び本說、根元または本質であろう。動亂の時代に、ものごとの本來の意味と起源を根據とする法式と典據をたいせつに扱うこういう章段は、當時の權威と名分をつかみだそうとする努力の一環から出たものとみることができるだろう。一方、『徒然草』の思想的側面をいうとき、儒敎·佛敎·道敎との關連性の上で論じられる場合ていくとき、見過ごせないのが、道敎と神道の密接性である。兼好の時代、神道界では鎌倉佛敎の隆盛に對する對抗意識から著作活動なども盛んだったが、その理論を體系化し論理を展開するとき老莊思想を援用しているからである。これを考慮にいれると、宮廷を中心にする規範から出發する有職故實は、天皇をその頂点に置く神道と、決して無關係ではないことがわかる。本質にこだわる『徒然草』內の表現と有職故實的な內容の敍述とは、神道的側面にまでつながると思われる。
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『世間娘氣質』と『世間子息氣質』の先行比較硏究は主に兩作品の話素の類似点と相違点を擧げることであった。本稿では兩作品の話素の比較により得られるものを追って行きたい。これは『世間娘氣質』をはじめ氣質物の特徵を把握する上で大變有效な作業であり、浮世草子史上の『世間娘氣質』の位置づけとも關連してくる。その方法として、兩作品の序文、導入部、本論、結末部の順に具體的內容を確かめていくことにする。本稿で行われた比較分析の結果、明確になったことは次の四点である。第一に『世間娘氣質』の序文を『世間子息氣質』、『本朝二十不孝』の二つの序文と比較してみると、本作品の一次的執筆意圖は單に娛樂性にあると考えられる。第二に、江島其적は『世間娘氣質』に對する讀者の期待、卽ち『世間子息氣質』を繼ぐ氣質物であるので前作と同樣、娛樂性の裏面に敎訓性を有しているであろうという讀者の期待を裏ぎって、作品の導入部より逆轉の面白さ、つまり意表を突く話素を展開させる。第三に『世間娘氣質』は全17の話素のうち、8の話素を『世間子息氣質』と共通の話素にしているという点である。卽ち『世間娘氣質』の執筆は『世間子息氣質』を前提にしていることには間違いないと言えるのである。最後に序文と導入部で江島其적の『世間娘氣質』の逆轉の意圖に氣づいた讀者は本作品を『世間子息氣質』と『本朝二十不孝』のうち、自然前者に近いものとして讀み進めたであろう。しかし、最終章に至り作者はもう一度彼の得意技である逆轉の修辭學を驅使する。結論を急げば、『世間娘氣質』は『世間子息氣質』の影響を最も濃厚に受けた点は認めながらも、その構想に於いて『世間子息氣質』を意識したと同時にこれを逆轉させ用いようとした点にも注目すべきである。これは『世間娘氣質』の導入部により證明された。そして、江島其적はもう一度讀者の意表を突き、逆轉の發想を用いて結末部に『世間子息氣質』よりは『本朝二十不孝』の構想を明確に用いるのである。したがって、江島其적は『世間娘氣質』の執筆に於いて、文章の修辭法としてのみ逆轉の手法を用いるのみではなく、この作品の全體の構想に於いても逆轉の手法を採ったと言えるだろう。
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