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Journal of Japanese Studies (JAST)


  • - 주제 : 어문학분야 > 일어일문학
  • - 성격 : 학술지
  • - 간기: 계간
  • - 국내 등재 : KCI 등재
  • - 해외 등재 : -
  • - ISSN : 1225-6277
  • - 간행물명 변경 사항 :
논문제목
수록 범위 : 27권 0호 (2006)

日本のODA政策におけるNGOの參加

조규철
6,400
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國際社會でのリ一ダ一シップを追求しながら有效な外交手段を開發してこなかった日 本にとって、ODAは最重要な對外政策である。本稿の目的は日本のNGOがODA過程に どれだけ參加しているかを考察することである。日本でODAの政策決定とその實行をめ ぐって、政府と市民團體間の協動と呼ばれる關係の實態が何かを把握するためのもので ある。そのために、まずNPOまたはNGOという用語が日本でどういう意味で使用されて いるかについて定義し、日本の市民團體を政府の下請け的存在として把握することは單 純な見方だという。日本でNGOと呼ばれる國際協力團體の大部分は法人であるこ とを明らかにする。日本のNPO法人の半分以上は醫療福祉活動をしている團體であるの に實際に介護保險の事業者として活動している團體は極めて少ない理由も明らかにす る。日本政府の財政惡化を補うためにNPOが政府に包攝されているという先行硏究によ る反說を否定する。 日本のODAは戰後處理のための賠償と經濟成長のための輸出振興を目的として始まっ た。日本の國益優先ODAのが國內外の批判と反省を受けてきた經緯を考察する。年 代後半から日本のODAの理念と援助方式が東西冷戰の終結という國際政治環境の變化 とともに大きく變わり、その後、政府とNGO間の對話·連携·共同事業が制度的に活發 してきた歷史的展開を考察する。また、日本の代表的なNGOであり政府と日常的な接觸 をもつを事例調査する。 1980年代まで日本でODA予算は國防予算とともに聖域とされ每年急增してきた。しか し、1990年代末から日本政府はODA政策に對する全面的な見直しをしなければならな かった。ODAは人道主義と國益追求というつの目標をもっている。このつの目標の 中のどちらをどれだけ優先させるかについて、外務省とは異なる立場を堅持してき たが、2003年に改訂されたODA大綱が表わしているように、ODA過程への國民參加は 避けられない選擇だった。膨大なODA資金の分配めぐる諸主體間の政治過程は本格化し つつある。

한ㆍ일 유비쿼터스 정책 비교와 u-Japan 발전 방향

김윤호
5,700
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最近世紀の情報通信パラダイムに定着されているユビキタスの槪念は韓國と日本を 含めた主要先進國でも21世紀の國家經營の核心で浮刻されている。これによってユビキ タス戰略は單純に分野に局限された技術的の槪念ではなく現代國家の當面課題の解 決、國家社會システムの革新と最適化、國民生活の質向上など望ましい世紀知識情報 社會實現のための最適代案として位置づける。 本硏究は韓日間の比較硏究を通じてU-Japan戰略の方向性を拔き出すのた。韓日間の インタ一ネット及び情報化水準を比べた後、韓日間のユビキタス具現の主要環境と戰略 を比べる主要要因として政策推進動向政策基本方向推進主體硏究開發方向などを設 定して、韓日間のユビキタス政策具現の戰略的な違いを論議を盡くした。これを元で日 本の分析を通じて望ましいU-Japan戰略を提示した。結論的に、日本が年世 界最尖端國家として世界を先導するためのU-Japan戰略は後と一緖に片付く。一番目、日本の强みと外部機會を活かすために“Made in Ubiquitous Japan”商品と して世界經濟をリ一ドする新市場を創出しなくてはいけない。二番目、日本の弱味と外 部機會を活かすために生活者中心のサ一ビス提供を目標に提示しなくてはいけない。三 番目、日本の强みと外部脅威に對處するために各種通信規制緩和及び外國人投資環境が 組成しなくてはいけない。四番目、日本の弱味と外部脅威によろしく對處するために各 種の個人保護法律强化及び社會的共感帶形成が必要で、全國土が均衡的に發展する共 生のユビキタス環境作りをしなくてはいけない。
5,600
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韓末の留學生監督部は、同時期における渡日韓國留學生運動の中心的存在であった。また同時期の留學生監督は、保護國期の國權回復運動を全面的に支援し、留學生運 動の成立及び展開に重要な役割を果している。韓國倂合後、武斷統治を行った初代 朝鮮總督寺內正毅は、1911年に渡日朝鮮留學生に對する監督體制の整備に着手した。一 方の朝鮮留學生運動は、1912年の學友會の創立で再集結し、年の東京·獨立 宣言を行った。それはさらに朝鮮3ㆍ1獨立運動の導火線となる。 本稿は、東京2ㆍ8獨立宣言が行われた「武斷統治」期における朝鮮總督府の留學生監 督體制と渡日朝鮮留學生の實體を明らかにし、その歷史的背景について考察した。朝鮮 留學生の取締りのために1911年に制定された朝鮮總督府留學生規程は、官費留學生 はもちろん私費留學生をも留學生監督の對象とするものであったが、さらに朝鮮總督寺 內は、從來の留學生監督に加えて新たに憲兵留學生監督を任命する。總督府は、朝鮮留 學生の渡日に制限を課したが、他方で、植民統治に對する留學生の不滿を和らげるため の政策を平行させた。このような總督府の留學生政策によって、渡日朝鮮留學生の性格 もまた大きく變化する。しかし、武斷統治期の留學生政策は、東京2ㆍ8獨立宣言に よって破綻を余儀なくされ、總督府の統治方針はいわゆる「文化政治」に轉じた。それ は、以降の在日朝鮮留學生社會の擴大や留學生運動の多樣化をもたらすことになる。

만요슈의 문답가와 장(場)의 문제

구정호
5,700
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本稿は万葉集內に問答または問答歌という部立下に分類された歌中、短歌を中 心としてその特徵の檢討を試みたものである。集內に問答歌と分類されているものはほ とんど、相聞の部類に屬するものであり、その類型においては一般の贈答歌のように、 問いの歌の詞をそのまま受け入れて答の歌を詠む類型がもっとも多いのであるが、贈答 歌と異なる特徵として目立つのは從來人口に膾炙する歌をすこし變えたり、そのまま答 の歌として使用したりすることである。もうひとつ、贈答歌と相違なる点は場のことであ る。一般的に贈答歌というのは歌が詠まれる場を共有するというべきであるが、万葉集 內の問答歌は歌垣のように問いの歌と答の歌が同一の場を共有するもののほか、宴席で の同一作者による問歌と答の歌の作成や万葉集の編者が類似する歌を人爲的に問答とい う部立の下に配置したような痕跡が見えるなど、いろいろ多樣な特徵を見せているとい えよう。
5,600
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中世末から近世初へかけて盛んであった說經、古淨瑠璃などの語り物の多くは家の沒 落と再興の樣相を本地譚の構成で綴るという共通点を示す。ところで語り手は家族の解 體と家の再繁盛というテ一マを語るにあたって家族構成員の役割を固定し、その存在性 に差をつけることによっていわゆる理想的な家族像を創り出している。したがって本稿 は古淨瑠璃一心二河白道に現れた家族像を主に女主人公である櫻姬と父親ならびに 夫との關係性を中心に眺め、家族共同體の危機と再繁盛を成し遂げる過程の內に見られ る娘の存在位相あるいは役割、そして神佛の救濟の有樣などを考察してみた。 この作品は當時、多くの語り物がそうであったように神佛の本綠を說く本地物の形式 を借りて家族共同體の解體及び再繁盛の樣子をテ一マとする。しかし家の危機ないし沒 落の原因を主に家父長の不在に求めている他の語り物とは違って一心二河白道で は家の危機をもたらすものとして娘の重層的な位相を擧げており、娘自ら自分の負的 な存在性を取り除いていく過程を家の復興の過程と連動して語っている。 このような展開で語り手は娘のイメ一ジを家の解體の動因であると同時に家繁盛の主 役であるという、相容れない二つの存在性をあわせ持った人物として作り上げる。した がって娘の櫻姬は自分の負的な存在性を原罪として受け入れ、これらの罪を贖うために 出家し、やがて家の跡取りとなるべき男の子を生むことによって娘としての義務を全う するのである。 一方、娘の出家と極樂往生の有樣を追求してみれば、あたかもこれらは彼女自ら選んだ 行動の結果のように說かれているが、實は物語の行間には男性の邪戀による罪業さえ女性 に報いさせるといういわば女人罪障說に基づいた救濟の論理が動いているといえる。

「ものはかなし」 -平安時代の女性の境遇と女流文學の誕生-

이혜원
5,600
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『かげろふの日記』は、散文文學作品において、女性の手になる現存最古の作品であ る。男性ではなく、女性によって書かれたという点は注目すべきであり、そのため、か げろふの日記は、女性が自己の生活を直接に對象とし、現實生活を深いレベルで取り 上げた初めての作品として評價されている。 その一端として注目されるのが、「ものはかなし」という言葉である。『かげろふの日 記』の作者は、その序文において、自らの境遇についてものはかなしと認識し、それ は、跋文や上卷本文にもたびたびあらわれている。このような女性による自己認識は從 來の男性の手になるとされる作品にはみられなかったもので、かげろふの日記の特徵 として注目される。 『かげろふの日記』前後では、從來の男性の手になるとされる作品には「ものはかな し」という言葉は見えず、『源氏物語』『狹衣物語』など『』かげろふの日記以降の作品 には、ものはかなしは女性の境遇を示すことばとして登場している。これは、それま で男の手になったために見逃されてきた女性の苦惱が事實性を持って描かれるように なったということを示すようで、『かげろふの日記』はまさにその嚆矢と言える。 從って、本稿では、上記のような見通しを持って、『かげろふの日記』と『源氏物語』 における「ものはかなし」という言葉を通して、「ものはかなし」と嘆く女性の境遇を考 察し、その結果、ものはかなしという言葉は、女性が、自らが不安定な男女關係の中 におかれていることの不安、苦惱をあらわす言葉であるということを述べた。そして、女 性たちが置かれたそのような境遇を背景にして、『かげろふの日記』を始めとする平安時 代の女流文學作品が生まれたということを述べた。

語りとしての歌謠物語について

이권희
6,900
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記紀の語りとしての歌謠物語について、多樣な議論が行われてきた。記紀の物語における歌謠の意味は、しばしば文學性とか抒情性、あるいは人間的感動をもたらすものと いったようなことばで說明されてきた。しかも、最近は韻文という異なる樣式による複次 的な時間構造による複線的〈場面〉の形成に、歌謠物語の構成原理を見いだしている。 それは正しい指摘かもしれない。しかし、倭建命の歌謠物語のように作中世界が時間的 にも空間的にも大きな擴がりを見せている場合、このような方法では限界がある。問題は、そのような文學性や抒情性、あるいは人間的感動が、王權の書なる『古事記』のな かで、いかなる方法によって描かれて、具現されているかである。それへの具體的な究明 なしに、ただ樣式の差にこだわりすぎて敍述の立體性だけを强調するならば、文學性や 抒情性、あるいは人間的感動ということばは、ただ抽象的なことばに終わってしまい、 結局、何も言っていないのと同じことになってしまうだろう。 歌謠物語は「カタリ」と「ウタ」の、特に「ウタ」のもつ含蓄性や、それによって期待 される抒情の廣がりを目指して、最初から意圖され試みられた、高度の文學的な手法による産物である。特に、一つの段落の終わりの部分に歌を据えることによって、抒情の 廣がりを狙っている。歌をもって物語を締め括り、その歌によって抒情の廣がりを得るという歌謠物語の方法は、和歌の世界で育まれた抒情の世界が前提になってからこそ可 能になる、高度な文學的技法である。日本語を書くということに、まだ十分成熟されていなかった散文表現、その散文形式だけでは滿たされない古代人の「情」を、一字一音 式のウタを通して、すでに確保されていた「ウタ」の抒情性によって、見事に描き出 すことができたのである。從來、古代文學の寶庫として、または古代の物語の在り方を 示す重要なテキストとして『古事記』『日本書紀』兩者を比較して論じる場合、古事 記の方が斷然高く評價される理由を、歌謠物語という樣式の志向はよく說明している のである。天皇の世界の確立という大きなテ一マを、天皇自身の營みとして語る『日本 書紀』がある一方で、倭建命の悲運の歌謠物語として語る『古事記』がある。ここに『古 事記』完成者の文芸的趣向や、創作的意圖が强く感じられると同時に、これこそ『古事記』の目指した語りのの方法であったと言えるのではないか。

20세기 일본 연극과 셰익스피어의 만남

최충희
5,300
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國際化の時代を迎えて世界各國の文化交流が頻繁に行われているのが事實である。その中で演劇を通しての文化交流も活發に行われている。 特に20世紀に入ってからは一國にとどまっている文化が見付からないほど國際交流が 頻繁に行われている中で、演劇を中心としてその交流に一端を探ってみるのも意味ある ことであろう。それで、本稿ではシェイクスピアというイギリスの劇作家の演劇作品を通 して世紀の日本演劇との交流實體を把握するのに目的がある。單純な把握にとどまら ず日本演劇とシェイクスピアの作品の間に發生する相互テキスト性と相互文化性を中心 とした實際的な交流樣相を把握するのに重点がある。 まず、全體的な樣相を把握するために日本に入ったシェイクスピア作品の歷史を考察 してみた。 次は、シェイクスピア作品の日本への導入に深く關わった坪內逍遙とシェイクスピア との交流の實體を考察した。 次は、日本の傳統的な演劇である歌舞伎、文樂とシェイクスピアとの關係を考察した。 以上の分析の結果、シェイクスピアの作品は20世紀の日本文學に至大な影響を及ぼし ていることが分かった。特に日本の傳統文芸の改良運動にもかなり影響をおよびそてい ることがわかった。文樂の場合は直接交流というよりは實際の交流のきっかけはみつか らないが、かなり似たような要素があることがわかった。一般的に文化の交流というが、 直接交流のない時代、場所でも相互テキスト性や相互文化性がうかがえるということを 把握することが出來た。

고구려지명의 지명어미에 대하여

이인영
5,900
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從來、『三國史記』地理誌記載の高句麗地名は、一方では日本語と、もう一方では新 羅語と關係があると指摘されている。高句麗地名にみえる兩面性をどう說明するかが課 題のひとつだったといえる。本稿では九つの高句麗地名の地名語尾をとりあげて個別的 に考察した。特に注目したのは地名語尾吐堤の對應である。吐堤の對應は新羅 地域に次のような用例がみえるからである。 漆?縣本漆吐縣景德王改名今漆園縣券三十四新羅 漆吐縣は伽倻國が位置していた地域に隣接しており、「高句麗地名的」と指摘した 推良火一云三良火から近いところに位置している。地名語尾「吐」は「北方地名 語尾」あるいは新羅名として硏究者の觀点によって違っているが、この地域にどのよ うな理由で高句麗地名的な地名語尾吐が存在しているかについてはこれまで注目し なかった。歷史の記錄の上では高句麗がこの地域に進出したという根據は見つからな い。したがって、高句麗地名ひいては高句麗語という槪念はより廣い觀点から解釋する 必要がある。高句麗語という槪念では百濟と高句麗、そして伽倻と日本をつなぐ言語の ル一トを合理的に說明することが難しいからである。
5,800
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本稿は、身體名詞と動詞との組合わせで表す再歸用法を動詞の形態と名詞の意味特徵を基準に、その類型を分類し、類型の特徵を分析したものである。再歸用法の形態的·意味的類型は次の通りである。[1]他動詞を取るタイプ [A]身體名詞+他動詞[-□-/-e-]系列 : 手をたたく、手をあげる、息を吐く、氣持を押さえる [B]身體名詞+他動詞[-s-/-as-]系列 : 腕をまわす、息を切らす、思いをめぐらす [2] 使役形動詞を取るタイプ [C] 身體名詞+ 使役形 [-ase-]系列 : 目を走らせる、視線をはずませる、心を踊らせる 他動詞を取るタイプの場合、他動詞の形態素·意味特徵の違いにより、[A] [-□-/-e-]系列と[B] [-s-/-as-]系列に下位分類した。使役形動詞を取るタイプは[C][-ase-]系列に分類した。[A]系列と[C]系列は[B]系列を中間タイプとし形態的連續性を見せ、 意味的にも連續性を表している。兩タイプは、他動詞あるいは使役形動詞と身體名詞 の對格補語との組合わせで再歸性を表すという共通点を有する。しかし、他動詞文と使 役文とはその事態成立の有り樣、すなわち、動作主あるいは使役主と對象あるいは被使 役者との間の力動的な關係において大きな違いを見せている。それは、動作主あるいは 使役主が行爲の對象となる身體名詞をどのような形で、どの程度の强さで制御しているのか、という点から見ると、それぞれ、他動詞文と使役文の本來の姿を見せているとい うことである。 再歸用法の類型分析を通じ、その下位タイプが分類された他、その結果から他動詞文 と使役文の根本的な違いについての議論も再度檢證されたことになる。
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