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Journal of Japanese Studies (JAST)


  • - 주제 : 어문학분야 > 일어일문학
  • - 성격 : 학술지
  • - 간기: 계간
  • - 국내 등재 : KCI 등재
  • - 해외 등재 : -
  • - ISSN : 1225-6277
  • - 간행물명 변경 사항 :
논문제목
수록 범위 : 28권 0호 (2006)
6,600
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本稿では韓國と日本で最近放映されたTVドラマに現れる韓·日兩國人の敬語行動の樣相を分析して兩國人の對人意識の共通点や相違点を見いだしそれぞれの特徵を取り上げてみる。敬語行動は話者の對人意識によって行われるのであるが, その對人意識の決め手になる要因は多樣である。 韓國語は話者の心理的判斷よりも決められた要因により敬語行動が行われるといえる。家庭では家族間の上下關係, 學校では先生と學生という世代差と先輩後輩の上下關係, 職場では職位の上下, それ以外の一般關係では年齡の差が敬語行動の決め手になる。公·私の區別などの場面に對する配慮は優先的で, 親疎關係などの外の要因による敬語行動を抑制することもある。取引上の役割, 力關係はあまり敬語行動に影響を及ぼさないし, 媒體を通した間接對話は直接對話時の敬語行動とほとんど變らない。韓國語の敬語行動は決められた要因によるといっても, 初對面などでは丁寧體を用いて聽者の心理的緊張感を和らげる必要がある。なお, 韓國語では聽者の前で話題の人物のことに言及するとき, 話題の人物が年齡あるいは社會的に自分より上位者でありながら待遇に相當する年齡の者であれば, 內か外かの區別は問題にならない。この際話者は聽者の品位と場面に對しても配慮する。 日本語は, 職場では上下關係に充實した敬語行動が行われるが, それ以外の場合は各集團の中の上下關係よりは聽者に對する話者の心理的な判斷や配慮が優先していると言える。日本語の場合は取引上の役割や力關係は敬語行動に影響を及ぼす。直接的な對話より媒體を通したほうがずっと丁寧になるし, 公私の區分など對話の場面に對する配慮は敬語行動をきめる重要な要因になる。親疎關係は敬語行動をきめる要因になるが, これも話者の心理的親疎によるところが大きい。このように日本語においては相手に對する話者の心理的判斷は敬語行動に重要な要因となり, 心理的に遠く感じるほど敬意度が高くなるといえる。また, 日本語では話題の人物が自分側か相手側かによって敬語行動がかわってくるが, この際も聽者との心理的距離感や場面に對する配慮の上で行われる。

언어행동에 있어서의 배려표현

임영철
5,300
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本稿では日本語と韓國語の話題やあいづち表現の特徵について, ブラウンとレビンソン(Brown and Levinson 1987)の言語ポライトネス(linguistic politeness)の理論に照らし合わせて解釋してみることにする。言語ポライトネス理論とは, 效果的なコミュニケ一ションを行い, 人間關係を円滑にするための言語使用の方略(strategy)を總括した理論で, 人間の普遍的欲求に基づく二つの側面を基盤として成り立っている。一つは, 相手に受け入れられたい, 相手を喜ばせたいという「積極的欲求」(positive wants)を滿たすため, 相手と自分との距離を縮めようとする言語使用である。こうした言語使用は, ポジティブ·ポライトネスとも呼ばれ, 相手との「連帶感」や「親しさ」を表明する言語上の方略で, 冗談やあいさつもその一環として使われる。もう一つの側面は, 個人の私的領域を他人に侵害されたくない, 邪魔されたくないという「消極的欲求」(negative wants)に配慮したもので, 相手と自分との距離を大きく取ろうとする言語使用である。ネガティブ·ポライトネスとも呼ばれるこの言語上の方略には, 「遠慮」や「形式性」を重視した表現が多く, ことばの上で相手との距離を取る機能を果たす。ポジティブとネガティブ·ポライトネスは喩えれば磁石のS極とN極のようなものなのだが, どのような社會においてもこの二つの極は存在し, ただその表現の仕方が異なるのだとブラウンとレビンソンは指摘している。韓國人から見た日本人の話し方は, 丁寧ながらも「不透明」で, 何を考えているのかよく分からないところがあると言われている。このような日本人の曖昧で間接的な話題の展開は, あまり押し付けがましさを感じさせない, 相手への「消極的欲求」に配慮した表現だと言えるだろう。これに對し, 韓國人は日本人に比べて積極的ではっきりした「透明な言語」を使っていると言われる。ことばの上で相手と關わりたいという「積極的欲求」に則った表現を好むとも解釋できるのではなかろうか。日本語と韓國語とは似通った言語であるが, 今まで見てきたように, 話題の展開やあいづちの形態と仕方にはいろいろな相違点があり, それぞれが日本と韓國の文化的, 社會的性質を映し出している。そして, 話題やあいづちが日本と韓國の文化や社會を理解する上で, 重要なキ一ワ一ドの一つであることをも物語っているのではないだろうか。
6,600
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This paper introduces the basic framework of Discourse Politeness Theory (hereafter, DPT) and analyzes‘inviting behaviors’ in Japanese and Korean quasi-natural conversations, from the viewpoint of DPT (Usami, 2001a, 2002a). DPT has been developed based on the results of a series of empirical research, and it attempts to enable researchers to contrast politeness behavior in languages with and without honorifics within the same framework, while minimizing cultural biases. DPT also attempts to contribute to finding ways to solve problems created by cross-cultural misunderstanding. DPT is based on the core concepts of‘discourse politeness’ which is defined as ‘the functional dynamic whole of factors of both linguistic forms and discourse-level phenomena that play a part in the pragmatic politeness of a discourse’, and ‘discourse default’ which is used for representing the prototypical state of factors both in linguistic forms and discourse-level phenomena within the discourse. DPT consists of the following six key concepts: 1) ‘discourse defaults’, which is used to represent the prototypical state of factors both in linguistic forms and discourse-level phenomena within discourse, 2) ‘markedness of politeness’, 3) ‘markedness of behavior’, 4) three types of ‘politeness effect’, which are positive, neutral, and negative effects toward pleasantness, 5) ‘Discrepancy in estimation value (De value)’, which is the discrepancy between the speaker’s and hearer’s estimation of the degree of Face Threat of the speaker’s act, and 6) ‘absolute and relative politeness’. Examples of‘inviting behaviors’in Japanese and Korean quasi-natural conversations are qualitatively analyzed and explained by using the concepts in DPT. Finally, the contribution of DPT to the study of cross-cultural pragmatics and interpersonal communication is mentioned.
6,200
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本硏究は, 韓日兩國の文化や民族性によってそれぞれ違う非言語行動の中から「怒」の表出を考察する。そのため, 內容において類似した面を見せている韓日兩國のテレビドラマを資料とし, その中に表れた非言語行動の「怒」の表出樣相および特徵を把握した。本稿を通じて韓日兩國民の意識差異·文化差異を抽出し, また資料として提示することで, 兩國の互いの文化を受容することにおいて理解度を高める契機にもなることと思われる。 今までの調査分析とその結果でも明らかなように, 非言語行動はコミュニケ一ション-感情傳達-において, 言語行動と同樣に非常に重要な役割を持っていることは知られているが, 兩國民の「怒」の反應は, ほとんど同じであるにもかかわらずその各各の反應の感情を表出する樣相は異なっているということも分かっている。 また, 非言語行動を通じた「怒」の感情表出は, 音聲·目·眉·顔色·身體の反應, 行動など, 全身で樣樣な方法にて表現されていると言えるが, 表出方法は韓日兩國において使用頻度が異なっており, 感情の規制意識も相違点を見せていることが分かる。 以上のことを鑑み, 韓日兩國民の「怒」の感情表出に關して, 比率偏差による分析を通じ, その特徵および相違点を簡略に整理して表したら, 韓國人の場合は目(視線), 暴力的(暴力性)を通じての表出が優勢である反面, 日本人の場合は話し方, 顔の表情, 沈默, 無視, 現場離脫を通じた表出が優勢であることがわかる。そして, 聲, 體(の一部), 眉, 口(または唇), 齒, 淚, 拒否的な行爲を通じた「怒」の表出は, 兩國人が同じように表れている点で, 兩國民の性向の差異が顯著であると言える。 本硏究は韓·日兩國のドラマを資料としたひとつの硏究であるので, 兩國人の非言語行動を通じた感情表出が實生活での場面と一致するとは斷定的に言えないだろう。しかし, ドラマに表れる非言語行動が韓·日兩國人の實生活に影響を及ぼすようになることと同時に, 現代兩國人の非言語行動の特性や, 社會現象を反映しているという觀点で見るとき, ドラマを通じて兩國人が兩國人の感情表出の性向を認識するようになることは, 否定できないだろう。

「當然性」評價の日韓比較 ―「丁寧さ」の普遍性と個別性―

川口義一
5,500
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This is a short report of a small questionnaire research on the difference in the sense of politeness between Japanese and Korean Languages. Two tasks of writing a full conversation between two adults under two different situations were given to native Japanese speakers and native Korean speakers. Similar conversation patterns were found both in Japanese and Korean languages under the situation, where a men/lady on a train platform is asked by a traveler if the train pulling in goes to a certain station, Different patterns were observed, however, under the other situation, where a man/lady is asked by his/her friend to give him/her a small amount of money for a bottle of beverage sold in a vending machine. A closer examination of the difference in the conversation pattern reveals that Japanese language has more variety of showing politeness than Korean, which shows that there is a difference in the evaluation of “adequacy” of making a request among friends between Japanese and Korean.

National Geographic이 본 한국과 일본의 100년

송영빈
6,800
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ナショナルジオグラフィックは1888年の創刊以來, 100年以上に渡って韓國と日本を取材した雜誌である。本稿では, その資料的價値に注目し, 創刊以來ナショナルジオグラフィックが韓國と日本についてどのような視線を抱いていたかを記事內容と記者の特徵を中心に分析する。以下にその分析結果を示す。(1)1890年から1945年までの韓國への視線はオリエンタルリズム的要素が濃厚である。一方, 日本への視線は日淸戰爭, 日ロ戰爭など, 日本の近代化が持つ侵略的性格が濃厚に現れた事件があったにも關わらず不思議なほど友好的である。このような視線の違いにはいくつかの要因がからんでいる。一つは, 記者の背景の違い。もう一つは, 鎖國から開港までに至る經緯の違いがある。韓國を取材した記者の多くは軍人や探檢家であったのに對し, 日本の場合は, 親日的な人物, さらには日本人によって記事が作成されたことによる。このような違いは, 鎖國から開港にまで至る韓國と日本の歷史的違いもがある。韓國は西洋の開港要求に對し, 戰鬪を起こしながら對抗した。一方, 日本はペリ一提督の要求にすなおに應じ, 明治維新期を通じアメリカから多くの人物を招き, 留學生を派遣させ, 近代化に拍車をかけた。もちろんその近代化というものは'富國强兵'であり, 眞の意味での近代化ではなかったにせよ, アメリカは日本の近代化への努力を高く評價し, 日本の侵略可能性を否定してまで暖かい視線で日本を取材する。(2)第二次世界大戰後, 韓國と日本への視線は變化する。日本への信賴を裏切られたアメリカは, 日本の近代化の持つ矛盾に目覺め, 日本の野蠻的戰爭での行動と韓國植民地支配について猛烈な批判を浴びせる。一方, それまでオリエンタルリズムの典型的觀察對象でしかなかった韓國についての視線は一變し, 優れた文化を持つ國となる。(3)1960年代以降の韓國と日本への視線は, アメリカにおけるジャ一ナリズムの社會的問題への積極的參加という變化に伴い, 經濟發展と共に成長に伴う歪みなど, 社會問題への深度のある分析に視線が變わる。以上の分析を通じて, 初期の日本關連記事でも確認できるように, 積極的人的交流の持つ外國の視線への影響力の强さが明らかになった。人的ネットワ一クを旣に持っていた日本は, 自分の立場を强弁することができたのに對し, それを持っていなかった韓國は, 他者の視線で觀察, 解釋される存在にとどまざるをえなかった。

日本の少子高齡化對策における公私役割分擔と性別役割分業

정미애
6,300
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日本では80年代に「日本型福祉社會」論の下で世帶單位の「男性稼ぎ主」型が强化されたが, 90年代に入ってからは「男性稼ぎ主」型から中立し, 家族的責任をもつ男女の就勞を支援する「兩立支援」型への志向が展望されている。すなわち, 新日本型福祉社會あるいは參加型福祉社會への轉換が圖れており, 社會福祉政策の基調が世帶單位から個人單位へと變化しつつある。本稿では日本の社會福祉政策の變化に最も影響を及ぼした社會的要因である少子高齡化に焦点をあわせ, 少子高齡化に伴う社會福祉サ一ビスの供給における公私役割の變化をジェンダ一視点に立って考察する。まず, 福祉政策の變化を日本型福祉社會から參加型福祉社會への變化に焦点をあて檢討し, その變化の理論的背景として福祉多元主義についてみる。ついで, 福祉サ一ビス供給主體の多樣化と公私役割分擔の觀点から, 少子化對策としての保育サ一ビスと高齡化對策としての介護サ一ビスにおける公私關係と女性勞動の現況を調べる。育兒と介護は, 「傳統的家族」モデルにおいて女性の最も重要な役割として位置づけられており, 育兒と介護というケア勞動が社會でどのように行われいるかを明らかにすることによって, 日本の福祉政策の「型」を明らかにすることができるからである。硏究の結果, 日本では育兒·介護サ一ビスにおける公私役割分擔が行われている中で公的サ一ビスは減少している一方, 私的部門は營利·非營利部門を問わずその比重が增加していることが確認できた。その中で女性は營利部門では動き手として, 非營利部門ではスタッフやボランティアとして福祉サ一ビス提供の最も重要な擔い手であることがわかった。ところが, 社會福祉サ一ビス分野で動く女性は非常勤が多く, 不安定な雇用狀態におかれている。また, 非營利部門では專業主婦を中心に主に社會福祉分野で活動している。以上から福祉多元主義, 參加型福祉社會の下で行われている公私役割分擔とは, 福祉における公的責任の私的部門への轉嫁という形で展開しており, それは女性の不拂い勞動や安上がり勞動を「活用」し, その上に成り立っていること, すなわち, 性別役割分業を固定化する勞動のジェンダ一分化に基づいているといえる。
5,500
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『??日記』は, 一般的に天曆八年(954)から天延二年(974)までの21年間の結婚生活を描いたもので, 一夫多妻制の中で, 藤原北家の嫡流である兼家を夫として迎え, 妻としての不安定さに苦しんだ道綱母の心境表白が主な內容となっている。そのような『??日記』の性格である故に, 從來の硏究も「はかなし」や「かなし」などの心情語を中心にその日記性や自照性を究明する方向で行われてきた。そんな從來の硏究は, 道綱母の心境表白という面を强調しすぎることで, 作品のより積極的な面, すなわち道綱母の創作性を看過してきたので, 本稿では, 『??日記』の「つれづれ」という語に新しく焦点をあてて, 道綱母の創作主體としての面に注目してみた。「つれづれ」は, 上代時代にはほとんど用いられなかったものが, 平安時代に入ってその?が多く見られる言葉である。貴族の文化が磨きあげられ洗練されるにつれ, 感覺や表現が抽象化?觀念化する中で, 段?と定着したものと見られるが, 特に平安女流文學において特徵的である。「つれづれ」は, 男性によってもたらされる女性固有の情況や感情をあらわす言葉として頻繁に用いられるが, 單にそれにとどまるのではない。『??日記』は, 跋文によると, 自分の境遇を一般の人よりおとると自己否定をしながらそれを書き綴っていく中ではじめて固有の人生が認識されている。兼家によっておこされる外部的?體驗的事實を道綱母自身の內なる問題として捉えなおし, 兼家への不信感を具體化させながら道綱母の固有な悲しみの實體を見つめ, 兼家を通して絶望的?根源的な孤立感を鮮やかに定着させているのである。『??日記』が「人にもあらぬ身の上まで書き日記し」たというのは, 他者として隔絶する兼家を媒介にして, 人幷みでない身の上まで書く自己表現の方法をようやく創り出していったことにほかならない。すなわち, 道綱母が自分の固有な悲しみや空しさを見つめ, 自己規定をしたものが『??日記』であると言えるが, その具體的な創作過程を考えてみれば, それは「つれづれ」を認識し, それをまぎらそうとする意識から出發していると考えられる。そのように, 「つれづれ」なる時間が作品の創作につながった經緯は, 『枕草子』や『和泉式部日記』にも共通している。結局, 『??日記』は「つれづれ」という語を『古今和歌集』からの流れを汲みながら, 女性固有の寂しさをあらわす言葉として定着し, さらにその槪念を具體的に形象化して文學創作につなげた先驅的な作品としてその意義を有すると考えられる。

鈴?卷の光源氏と女三の宮をめぐって

김유천
6,200
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本稿では, 鈴?卷にいたってほとんど終焉を迎える光源氏·女三の宮物語のありようを, 出家後の女三の宮の造型や二人の關係に注目しながら考察した。まず, 鈴?卷の始發である女三の宮持佛開眼供養の敍述方法の檢討を通して, 女三の宮の出家生活に配慮する光源氏像の相對化される樣相を考え, それと關わって特に「はちす葉を」「へだてなく」の歌の贈答に見られる女三の宮像に觸れた。次に, 柏木卷の女三の宮の出家の經緯と, 出家後橫笛卷までの二人の關係を, 女三の宮像に焦点を合わせて檢討した。ここでは, 源氏からの離脫としての出家という明確な造型のあり方を, 出家容認をめぐる源氏と朱雀院の長大な對話と心中思惟や, 物の怪の設定, 母性の不在などとの關連から論じた。最後に, これらの檢討をもとに, 鈴?卷の鈴?の贈答の意味を, 女三の宮の側から考えた。この場面が二人の孤絶した關係を形象していることは確かだが, また, 女三の宮の源氏に對する共感や兩者の心の流露が, あたかも二人の物語の終焉を飾るかのように印象づけられてもいたのだった。

齋宮と『源氏物語』

한정미
5,700
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『源氏物語』で伊勢神は, 齋宮であった秋好中宮の人物造型に關わっている。秋好中宮は前春宮と六條御息所との間に生を得ながら身寄りを失うが, 後に源氏の養女として冷泉後宮に入り, それによって養父源氏も外戚の立場をもっとしっかり握ることになる。秋好は, 源氏にとっても, 朱雀帝にとっても戀慕の對象であったが, それは, 歷史や物語で, 皇祖神天照大神に仕える女性である齋宮との關わりを欲する人が, 總じて皇子であったことを踏まえた設定であった。特に, 朱雀帝は「別れの御櫛」の儀の際の齋宮を思い出すが, 「齋宮」が皇統を獲得する巫女であることからも, その「齋宮」への執着は我代への執着を意味することになり, 朱雀帝の齋宮への執着の意味は, 皇祖神に仕える齋宮の持つ信仰的威力を付與されることにあった。その思いを喚起していた「櫛」は, 秋好が皇祖神に仕え, また, 朱雀院が帝として絶對的な權力を持っていた時に連なるものであり, 齋宮への執着はその在位の頃への執着という側面もあったと言えよう。このように『源氏物語』における齋宮は, 虛構世界の女主人公秋好の榮達を說得力のある形で描くために, 齋宮として皇祖神たる伊勢大神に仕え, 後に冷泉後宮へ入內し中宮にまで達して, 源氏の榮華を確固たるものとさせたのである。
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