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Journal of Japanese Studies (JAST)


  • - 주제 : 어문학분야 > 일어일문학
  • - 성격 : 학술지
  • - 간기: 계간
  • - 국내 등재 : KCI 등재
  • - 해외 등재 : -
  • - ISSN : 1225-6277
  • - 간행물명 변경 사항 :
논문제목
수록 범위 : 33권 0호 (2007)

일본인의 전쟁관과 한일관계 -여론조사를 중심으로-

이상훈
5,700
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本稿の硏究目的は, 戰爭觀を含む日本人の歷史認識が韓日關係に及ばす影響を分析することにある。ここでいう韓日關係とは, 政府間關係をいうのではなく, その基礎となる, 兩國民の相手國に對するイメ一ジ及び韓日關係に對する認識のことである。分析の結果, 韓日關係の葛藤要因といえる英米同罪史觀, 自衛戰爭史觀, 解放戰爭史觀に基づいた日本人の戰爭觀の非論理性を明確にすることができた。さらに, そうした戰爭觀や歷史認識に基づいた妄言が韓國の反發を引き起こし, その反動として日本人の韓國に對するイメ一ジに影響がでて, 韓日關係が緊張關係に태る惡循環が繰り返されていることを, 世論調査を通じて確認することができた。また, 韓日間の政治外交的不安定さが兩國民の相手國に對するイメ一ジの惡化に直結するという構造の下で, ソフトパワ一のもつ重要性を强調した。現在韓日間には韓國の反日ナショナリズムと日本の嫌韓感情の惡循環が續いている。その一方韓流ブ一ムはまだ續いており, 韓日間のスポ一ツ交流, 民間交流も擴大の傾向にある。しかし, 韓國人の日本に對する視線は, 戰爭觀を含めた歷史認識の問題などによって一般的には冷たいといえる。日本での韓流ブ一ムの擔い手も歷史認識をめぐる韓日間の葛藤については大槪無關心である。にもかかわらず, ワ一ルド·カップや韓流に見られるようにソフトパワ一は相手國に對する好感度や韓日關係に對する認識によい影響を及ぼしてきた。重要なことは, こういうソフトパワ一の持續的な作動のためには, 韓日政府間レベルの政治外交關係の安定が必要だということである。政治外交關係が不安定だと, あらゆる分野の交流が安定的に進まない。さらに重要なことは, 政治外交關係を不安定にする, いわゆる戰爭觀を含めての歷史認識をめぐる, 韓日兩國のギャップが存在するということを理解することである。
5,700
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近代日本において, 祝祭日をはじめ國家的な公式行事は傳統という名の下に天皇のイメ一ジと一國民情緖作りのための手段として新しく創出されたことであった。特に國家儀禮としての祝祭日を通じて, 天皇の主宰するすべての祭祀の體系や國旗の象徵化は, 民衆の間で國民的に力强い共感帶を形成する重要な要素として位置づけられ, 精神的にも一體感を持つように動いた。近代國民國家に編入されて帝國主義へ, さらに帝國主義からミリタリズムへと擴がっていく過程で, これらすべてのことは敎科書を通じて植民地朝鮮の兒童敎育にそのまま移植された。そしてこうした理念敎育は朝鮮人の身體と精神世界までを支配して, 後世にも大きな影響を及ぼされたことが分かる。國民統合のための手段として變容された祭りを通じて, 植民地の朝鮮支配の過程で遂行された學校敎育は, 愚民化を根幹として懷柔による融化を經て皇民化で完結される朝鮮人の身體と精神の隷屬化政策だったと言えよう。

우네메(采女)의 제도적 역할과 문학적 전승

신선향
5,500
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采女は, 諸國の郡領以上の家の女性の中でより容貌端正な者が擇ばれて, 中央宮廷に奉仕したのである。彼女らは, 天皇の最側近の立場で古代宮廷社會の中心的存在となった。そのことは日本書紀, 古事記に散見する采女關連記事や, 万葉集などに載っている和歌からも推察できる。ここで, 采女の發生と, 固有の役割と活躍, 歷史的な發展と衰退のあとをたどり, それが傳承文學の上にどのように反映されているかを考察しようと思う。采女の始原は, 地方のそれぞれの國造家の女性が大和朝廷に貢進されて, 宗敎的に中央の神の下に地神を服屬しようとする試みに見いだすことができる。つまり, 服從や贖罪を誓うための人身貢進として獻じられた采女が, やがて大化の改新以後には, 大和朝廷の政治力の强化によって, 制度として定着したのである。奈良朝にその最盛期を迎えた采女は, 漸次本來の性格が變化し始める。采女は, 發生當初には古代巫女として神事を執行し, 神妻として天皇の最側近で動く間, 時には皇子や皇女を生む例もあって, こうした采女を犯すことが嚴しく禁じられていた。それと對して, 律令制が確立された世紀以後には, 天皇とそれに服屬する豪族との間を結ぶという本來の性格はもはや重視されなくなり, 采女は新制度の中で, 單なる下級女官として位置づけられてしまう。しかし, 貢進される時点にすでに地方の信仰のみならず地方の風俗歌をも宮廷に導入したと推定される采女は, ある意味では古代の中央と地方の文化交流の擔當者だったとも言えよう。万葉集が廣げて見せる多樣多層の世界からも, そのような采女の活躍が讀み取れる。文學の中に造型されている采女像を檢討してみると, 采女の地位の歷史的な變化が, ある種の예りを落ちたことが確かめられる。采女を素材として成立したいくつかの傳承歌や說話などに見られる采女像は, 靜的な回想の對象として現れたり, 悲戀物語の主人公として哀悼されている。しかし, 消極的な素材や內容とはいうものの, 采女をめぐる傳承文學は後後まで多樣な形に變奏されながら日本文芸の中に再生産されている。
5,700
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本稿は 『源氏物語』正編の紫の上物語と續篇の大君物語との關わりを檢討し, 『源氏物語』全篇の有機性の一端を考察してみた論である。從來このことについては, 紫の上の結婚生活から培われた作者の結婚に對する不信の念が大君の獨特な愛情觀に影響を及ぼしたという藤村潔の指摘などがなされてきた。しかし, 紫の上と大君という二つの女物語の主題の繼承は作者論の觀点からではなく, テキストの分析から究明されるべきだと思われる。そこで本稿では, 物語における紫の上の晩年の心境の內實を分析し, その心境と大君の心境との關わりに注目してみた。考察から讀み取られる紫の上の晩年の心境とは, この世における愛への絶望と永遠の愛への切望, そして人間であることの悲しみであると思う。紫の上の人間であることの悲しみは, あはれと思ふ人の御心も, 必ずつらしと思ひぬべきわざにこそあめれ。我も人も見おとさず, 心違はでやみにしがな總角五二七八頁という大君の發言における我も人もに受け繼がれ, 男だけではなく人間一般の心の變わりやすさ, 心の弱さに對する認識として表れているように思われる。そして, このような紫の上の認識は大君に受け繼がれ, 男性との本格的な愛情關係を結ぶ前に, 男, ひいては人間の心の不變さを信じることができず, 長き心を切望し死んでいく女物語として再創造されているのである。紫の上の晩年における心境に基づいて大君物語を讀むと, 後見のなさと容貌の問題などの客觀的な最初の結婚斷念の理由から, 長き心への切望という永遠の愛を追究するために薰の求愛を受け入れない大君の心境の變化が理解できよう。結局, 正篇の女主人公である紫の上の晩年の世界が, 續篇の女主人公の一人である大君の世界に繼承されているということは, 正篇と續篇の有機性の一端と共に, 物語全體における女物語の主題をも示しているように思われる。

『금석물어집(今昔物語集)』에 나타난 용의 이미지 고찰

문명재
5,200
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昔から龍は人間と密接な關係を持っている動物として認識され, 說話の中には龍に對する多樣なイメ一ジが反映されている。想像の動物である龍が人間世界ではいかなるイメ一ジで投影されているのかを調べてみることにより, 先人の意識世界の一面が窺えると思われる。 『今昔物語集』の中で考察の對象になる龍の登場する說話を調べてみると話にのぼるが, 考察に當たってはこれらを天竺, 震旦, 本朝に分けて進めにみた。全體的には龍神, 轉生, 變身, 人獸婚姻, 報恩, 復讐, 降雨などのイメ一ジをもった動物として現れている。神としてのイメ一ジを見ると, 本朝部でのように雨を祈願する神のイメ一ジが一般的であるが, 天竺部の佛敎說話の中では釋尊が生まれる時龍神に祈って誕生したという異常誕生談と, 危機に陷った人が救いを求める神としてのイメ一ジが特異である。もう一つ, 龍は轉生と變身の動物としても描かれているが, 人間が前世の惡業により龍に轉生したことは, 六道輪廻に基づきながら, 龍と蛇を同流の畜生として考えた認識が背景になっていると思われる。また龍が人間に變身する時, 男性への變身と女性への變身の兩方が見られることも確認される。龍が人間と深い關係があり, 親密な存在であったことを表してくれるのが人獸婚姻の要素であるが, 變身のイメ一ジで旣述したように, 人間と結合する時龍は男性と女性の兩性の役を擔っている。他にも報恩の動物としてのイメ一ジもよく見られるが, 雨を降らすとか如意寶珠, 黃金の餠のような神秘な財物を通して恩返しをする姿が現れている。とりわけ, 本朝部の佛敎說話に現れている法華經靈驗談を借りた龍海寺の綠起談や, 觀音菩薩靈嚴談と龍との關連性は, 天竺部とか震旦部では見られない特徵として注目に値する言えよう。

『구칸쇼(愚管抄)』의 집필의도와 그 영향

최문정
6,000
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『愚管抄』の中で慈円は神と權現, そして怨靈と魔物を强調しているが, それは何を主張しようとした論理であろうか。神から約諾を受けた天皇家と藤原家とが, 日本國の永遠の統治權を行わなければならないが, 末代になって武家が政界に登場し, 神と權現である天皇家と藤原家の統治權に挑戰するような傾向を見せており, このため怨靈と魔物が蔓延るような世の中になったという論理が提示されているのではないかと考えられる。卽ち, 天皇家と公家が共に衰えてしまった承久の亂以降のような世の中をそのまま放置すると, そのため怨靈の蔓延ることを防ぐことはできないということである。このように怨靈を最大限强調すると, 怨靈を鎭魂する佛法と王法の位相をも再認識させるような效果が揚げられる。卽ち, 慈円は末法や武家社會の到來を認めるとしても, 武家の統治權をそのまま認めるのではなくて, 古來から國家の秩序體系として君臨してきた王法と佛法とを守る守護役としての武士の役割をはっきりと認識させようとしたものと判斷される。このように王法や佛法の位相を弁え, その興隆を圖らなければならないと主張するのが慈円の考えている道理であったと云えよう。さらに, 慈円は武家の北條家に積極的に接近するような態度でし自家の九條家の興隆を圖ろうとしていた。それだけに, 武家を脅迫するような言說を自分の著書の『愚管抄』に具體的に表明するわけにはいかなかったろうと判斷される。そのような理由から『愚管抄』では神や怨靈を强調しながら末法や武家の世の到來を認めるような內容でとどまったのであり, ここではっきりと云えなかった論說を繰り廣げるために, 平家物語』等の軍記物語の成立を實現させたのではないかと判斷される。慈円は, 軍記の敍述者の言說を通じて自分の見解をもっとはっきりと提示すると共に, 世の中に存在する說話を集めて, それを基に『愚管抄』で提示した道理が文學的に形象化するよう大大的な改作, 改編作業が行われたのではないかと判斷される。『愚管抄』に表れた慈円の思想は平家物語等の成立時に敍述公式として作用し, 作品の構造や登場人物の形象化にまで影響を及ぼしたと判斷される。本稿では以上のような論旨の理解のため, 當代の社會の狀況や慈円の出身と行跡を調べた後, 『愚管抄』の敍述世界を分析し, それを『平家物語』や『太平記』の敍述世界と對比して探ってみた。
5,100
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太宰治の中期作品である新郎年について考察した。ちょうど太平洋戰爭勃發の日に書かれた作品なので, まず戰爭という時代的背景について調べえみた。太宰は戰爭への徵用のため, 身體檢査をうけるが, 不合格。つまり徵用失格で一人取り殘された彼は, 戰地の友や, その戰爭にとても勝てない日本のために勝利を願うしかなかった。日本が自ら打って出た戰爭について慘澹たる氣持を持ちつづけていた太宰は親和と肯定を目標として孤軍奮鬪することになる。芸術への志向として旺盛な創作活動を試みたのであった。つまり彼にとっての戰爭は創作活動への大きなきっかけになったといえよう。しかも作品傾向は明るい。その明るさに滿ちた作品などは戰中というイメ一ジとはふさわしくない。するとなぜそのような明るさに滿ちた作品を書くことになったかを考えてみると, それには暗い初期から逃れるために勵ましと賴りにしていたし, 特に中期に熱中であった聖書が表れていることが解った。中でも新郎は他の作品とは一向變わった雰圍氣のもので, 聖書に出てくる新郎の意味と關係づけて調べてみた。聖書での新郎はイエスをいう。新郎をとらるるという聖書のことばに着眼し, 太宰は新郎であるイエスが死を迎えていた時の心情のように, 死の覺悟で死まで生き拔こうという志を止まなかったことを窺うことができた。つまり太平洋戰爭は現實的な日本の姿ではあったが, その現實を乘り越えた彼の創作世界では正に太宰自分自身との戰爭で勝利するために, 聖書のイエスの姿であった新郎の姿が必要であったということについて考察してみた。もし太宰に聖書がなかったら彼の芸術は續かないものになってしまうかもしれない。それほど彼の芸術志向に大幅作用されているのが聖書であることは否定できないである。
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芥川龍之介は年月秋を發表した。この作品は今まで彼の文學創作に見られなかった日常世界の中に現われた人間たちの欲望を主題にしたものである。すなわち, 芥川の文學創作であった, 非正常的な人物狂人や愚人による非日常世界に現われた芸術至上的な世界ではなく, 普通の人間常人の日常世界を芸術的に形象化したと言える。また, 作品の敍述を主人公である信子の觀点から展開することによって, 當時日本の近代女性の心理を細かく描寫し, 人間內な側面に潛んでいる欲望の轉移過程を現わしている。例えば, 東京に住んでいる信子は自分の欲望が失ってしまうと, その欲望を大阪で動いている會社員と結婚することによって代えようとする。しかし, このような失われた欲望は決して消えていくのではない。信子の平凡な結婚生活は時間が立たにつれ, またしも新しい欲望大阪で動いている會社員と結婚はその意味を失ってしまう。そして, 信子は自分が作り上げた虛構の照子を通して, 東京で失われた欲望を取り?そうとしているのである。言い換えれば, 彼女の主體喪失は自分を東京にいる照子と一體化して, 失われた欲望を獲得しようとする。つまり, 信子が照子の結婚のたよりを聞く瞬間, 空からちらちらと雪が降ってくるのだが, これこそ信子が自分の欲望を獲得した瞬間ともいえよう。また, このような比喩的な表現は芥川が追求してきた芸術至上的な世界, いわば芸術のために人間的な情さえ諦めた良秀地獄變, 死んで口の中から白い百合を笑かせた吉助じゆりあの吉助が各各超人と聖人に昇華された瞬間と, ほぼ同じく表現されているのである。そこには, 彼の文學創作上の變化, すなわち, 日常世界の中で新しい芸術至上主義への試みが現われていると思われる。しかし, 芥川の文學創作における變化非正常的な人物から普通の人間にがあったとしても, 相變わらず日常世界における常人にはなれなかった。これこそ芥川自ら虛構世界で飛翔した超人から日常世界での常人へ下降しようとしたが, 結果的にまたしも狂人へ回歸する危險性をはらんでいたと言わなければならないと思われる。

橫光利一のメタ言語的表現世界

김정훈
5,400
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日本近代文學史のなかで, 自然主義文學はリアリズム文學の典型として, また, 新感覺派文學はモダニズム文學の典型として說明される。新感覺派文學を主導した橫光利一は, 自然主義文學の標榜した傳統的リアリズムに眞っ向から反抗しつつ自分の文學世界を築き上げた作家である。一般に, リアリズムリアリストとモダニズムモダニストは相反する槪念として說明されており, そのためか, 新感覺派文學を主導し代表的なモダニストとして文壇に登場した橫光利一をリアリストとしての側面から捉えた論考はあまり見られない。本稿では, そのような先行硏究の問題点を踏まえつつ, 橫光利一という作家を, 代表的なモダニストである以前に, 典型的なリアリストであったと捉え, そのような, リアリストでありながらモダニストであるという特徵が, 彼自身の表現世界のなかでどのように特徵づけられているのかについて探った。まず, 橫光自身の書いた樣樣な文章を檢討しながら彼のリアリズム觀やモダニズム觀, 或いは, 理論と實踐をめぐる兩者の相關關係を確認し, そのような考え方が彼の作品世界にどのような形で生かされているのかについて, その連動關係を檢討した。本稿ではその連動關係の側面をメタ言語的表現世界の特徵として考察している。そのような特徵は橫光の書いた樣樣な文章や作品の隨所に確認できるが, 本稿では二つの例をあげて議論した。一つは, より多く光つた言葉をめぐる表現の問題である。橫光は自分の新感覺派時代の表現世界を, より多く光つた言葉を追い求めた時代として說明している。このような觀点を視野に入れて彼の書いた實作を讀んでいくと, そこには何らかの光とかかわる表現特に比喩や象徵表現が實に多く驅使されていることに氣づく。注目すべきは, より多く光つた言葉をめぐる彼の考え方が, 實際に作品のなかに使われている光という言葉と, 作品全體の形式的側面にはもちろん, 內容的側面にも深くかかわりつつ呼應している点である。その点, 光という言葉は, 橫光の創作世界のなかで, 一つのメタ言語として機能していると捉えることができる。もう一つ, ?という言葉も, 橫光の創作世界のなかで一つのメタ言語として機能しているように見える。自然主義文學の標榜した眞實を, 欺瞞的な?の文學であると規定した橫光は, 自分の創作世界が常に意識的な?の世界を目指していたことを公然と力說している。光という言葉の例と同じように, 彼の小說には?とかかわる表現がたいへん多く使われており, それは彼の目指しつづけた?の小說と密接に連動していることが分かった。この二つの言葉, 光と?という言葉の用例をあげるだけでも, 橫光が自分の文學人生を通して, 理論と實踐の間の連動關係をめぐる實驗にどれほど眞劍な姿勢で取り組み, また工夫し續けたのかが窺える。光という言葉は, より多く光つた言葉の小說をつくるためのメタ言語として, また, ?という言葉は, より眞實に近い?の小說をつくるためのメタ言語として, それぞれ橫光の表現世界を特徵づけている。

논어(論語)관련 자료의 한일(韓日) 비교 연구

오미영
4,100
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論語理解のために作成された歷史的な文獻は, 韓國には論語釋義と論語諺解があり, 日本には訓点本と抄物が現存する。本稿では韓日兩國の論語資料について, 中國注釋書の受容という面で考察した。また, 本文の構成を比較することによって, 各資料の性格を明確にした。論語釋義では古注の反映と見られる飜譯文が個所で確認された。論語諺解が全體的に朱子新注の反映であり, 世紀朝鮮儒學が朱子學一邊倒であったことを考慮すると注目すべき事實である。また論語釋義の本文構成からは, 整理されていない亂雜な印象を受ける。これは門人たちが所藏していた轉寫本の不備による可能性もある。さらに, 日本側の資料を參考にしてみると, 例の轉寫本は退溪の論語の講義の際, 門人によって作成されたノ一トのような性格のものであった可能性も考えられる。論語の訓点本は論語學習のための敎科書である。訓点本は當時の標準的で, 公式的な訓讀を傳えるものであり, 論語學習の際, 暗誦のためのものである。これに對して抄物は, 漢文訓讀の背景を示す資料であり, 當該漢文の實際の理解の過程を表わしている。先行抄の繼承という点では訓点本を同樣保守性を有しているが, 新しい說を付加していくという点では柔軟で開放的な性格をも有していると言える。まとまった論語の訓讀文の提示という点においては, 論語諺解と訓点本は共通するところがある。また, それにたどり着くための過程であるという点において, 論語釋義と抄物は類似していると言えよう。
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