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일본연구검색

Journal of Japanese Studies (JAST)


  • - 주제 : 어문학분야 > 일어일문학
  • - 성격 : 학술지
  • - 간기: 계간
  • - 국내 등재 : KCI 등재
  • - 해외 등재 : -
  • - ISSN : 1225-6277
  • - 간행물명 변경 사항 :
논문제목
수록 범위 : 44권 0호 (2010)
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本稿では近代日本において國民國家の樺組みの中で構築された民謠槪念が帝國主義のイデオロギ一を抱え迂むことで變質していく過程を, 一九一○年前後から內地と植民地朝鮮で編纂された民謠集の編纂意圖を分析することで明らかにしようとした。西歐の影響を受けて成立した近代日本の民謠觀が中國由來の從來の政敎主義的な民謠觀と區別される最大の特徵は, 國民ないし民族を喚起させる集團としての民衆という歌唱主體が古來歌ってきた民謠を國民文化創出の基礎となる崇高なものとして發見した点であった。しかし, このような民謠觀は, 日本の帝國主義戰爭を契機として勃興した强力なナショナリズムに支えられて積極的に推進された採集と硏究が植民地をその對象として抱え迂むことにより矛盾に直面し分裂していった。この矛盾は本來民謠が地方性と自然性を帶びつつもその固有性を削ぎ落として公共性を獲得し國民文化という均質的な價値に取り迂まれる過程で避けることのできないものでもあった。すなわち, 民謠の固有性が國民性への志向を强く持てば持つほど, その採集の範圍が日本の統治權の及ぶ圈域とほぼ一致してしまうのである。そしてそれが植民地を含む帝國と運命を共にすることで, 一元的な帝國の聲に對する幻想は特に被植民者にとっては固有な聲の抑壓と排除として動いてしまった。そのため, 民謠の歌唱主體を統治の對象とみなす前近代の中國的民謠觀の視線といみじくも重なってしまう結果となった。採集の主體が國家權力であった場合は, 民謠蒐集の目的が社會敎育による敎化政策に集中しているため, より一層中國的民謠觀への回歸が鮮明になったのである。それが一九二○年代に入ると, 學界や敎育界を中心に都會化ㆍ近代化の矛盾に對する批判として鄕土の固有性を重視する鄕土敎育や民俗學が盛んになり, このような立場に立っていた知識人たちによって民謠蒐集が行われたりした。しかし, 鄕土の固有性や民族の特殊性といった差異は, 相互矛盾や衝突を來たさず帝國あるいは大東亞へと絶えず動員される限りでの獨自性であったといえる。近代國民國家日本で民謠の價値が發見され普及ㆍ宣傳される過程と植民地帝國日本が鄕土敎育を通して多樣な地域的な差異を描いていく過程は, 一見すると標準語政策, 身體規律, 衛生などのように, 近代至上主義に埋沒され多樣性を消去して均質的な國民を作ろうとする近代の企畵とは異なり, 各地域の多樣性を尊重し固有の價値を認めているように見える。しかし, それは實は帝國の版圖を均一なものと見なし, 成員たちを自發的に動員して均一的に配置しようとする, もう一つの近代企畵だったのである。
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Through this research know that In the early 1990s With a drop in asset value due to the collapse of the bubble phenomenon in the Japanese general trading companies had a big damaged. Mitsubishi firms through The long-term management plan has rearrange the organization and The closed the part of lower profitable and enthusiastic integration has to overcome the crisis. Consequently, rather than other Shosha is relatively competitive firms has intensified. The Mitsubishi has a business model transformation and This has enhanced the competitiveness of customers and investment destination and Raised to improve the corporate value. In many parts of the building has given rise to a strong value chain. It lead to that revenue and profitability while pursuing business performance was good and it has to improve achievement and Improved revenue internal stability As a result, to have substantial business. This study knows that Mitsubishi for a preemptive response to the overcome of crisis and Aggressive behavior. That suggest to South Korea``s business structure to improve the present and future direction in situation of As poor and lack of achievement and the loss of presence.
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2007年7月1日, 日本で海洋基本法が施行されて, 世界海洋秩序の流れに對應する國內の法律的根據を備えた。海洋基本法は旣存の各省廳に分散されていた行政業務に關して, 總合的ㆍ一括的管理を通じて, 自國の海洋權益の確保を打ち出している。海洋基本法は衆議院本會議で可決されてから(2007年4月3日), わずか90日のみで法律が成立した。ここに至るまでには,「海洋基本法硏究會」の活動が大きな影響を及ぼした。「海洋基本法」は議員立法ではあるが, そのプロセスには政界ㆍ學界ㆍ官界ㆍ業界などそれぞれの活動が融合して, 短期間に立法化された珍しい例である。また, 硏究會から始まった新しいケ一スだと考えることができる。このケ一ススタディ一を通じて, 日本の審議會ㆍ硏究會硏究に寄與することができる。「海洋基本法硏究會」は2006年4月から12月までの10回の硏究會を通じて國連海洋法及び日本の海洋政策, 海洋基本法案の論議を行っていた。海洋政策硏究會財團と日本財團, 自民黨を中心に海洋基本法の成立ための合議ができるようになった。與黨である自民黨からは中國に對應する國內法整備を推進するために「海洋基本法硏究會」にも參加し, 海洋基本法の制定ができたのである。海洋基本法の立法過程での「海洋基本法硏究會」の論議は議員立法の實質的審議を代わりにするし, その特徵は次のようである。第一,「海洋基本法硏究會」は爭点管理と總論收斂の役割を擔っていた。第二,「海洋基本法硏究會」では合意を出すのにおいて迅速性が見られる。第三,「海洋基本法硏究會」は‘海洋權益’を主要議題にして自民黨の實質的に動くを呼び出したのである。第四,「海洋基本法硏究會」は海洋資源開發において業界の政策支持を得たのである。したがって, 海洋基本法は議員立法の形で行っていたが,「海洋基本法硏究會」の主導で日本の``海洋權益``を確保するため成立されたと考えられる。

1950년대 후반 북송문제에 대한 한ㆍ미ㆍ일의 인식과 대응

이현진
6,300
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The issue of Koreans resident in Japan in the latter half of the 1950s was handled under an out of ordinary practice of sending them to North Korea, rather than being discussed within the framework of the Korea-Japan Conference (1951-1964). An observation of how the issue was raised during the bilateral talks and the actual execution of the repatriation plan provides a window into the logic behind the Korean and Japanese government positions as they participate in the bilateral talks as well as a general view of the intervention means and position of the US government during the process. Under the influence of economic interests and the logic of the Cold War, normalization of the Korean-Japan bilateral relations took place in a way that relinquished any attempt to resolve the thorny issues of the past between the two countries. However, it is interesting to note that the approach taken by US and Japan vis-a-vis the issue of “repatriation” to North Korea created a certain paradox to the Cold War logic of reinforcing blockade against the USSR. Indeed, the repatriation manifested that there exists room for compromise with the Communists within the context of diplomatic pragmatism and that a strong logic of economic interest was at play in the conclusion of the consequential bilateral treaty. All in all, the historic nature and genuine identity of the Koreans living in Japan at the time were largely ignored in the process of sending them to North Korea. Indeed, diplomatic pragmatism was at play in the course of the "repatriation" and the matter was masked as an issue of human rights, under the circumstances of acutely contradicting interests among Korean, US and Japanese governments. It is in this respect that no party among the three governments of Korea, US and Japan can claim immunity to their accountability in the issues of the Korean residents in Japan.
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平安時代の老女戀愛譚は如何に傳承され, 物語の作意として文化コ一ド化しているのかについて考察した。特に上代以來の老女戀愛譚に登場する和歌や男女の交際を分析し, 老女戀愛の實體と美意識を究明した。そして老女戀愛譚と優雅な男女の戀愛を對比させることで, 人間の本性と物語の二重性を調べて見た。折口信夫は古代王權を確立した神?や天皇はいかなる戀愛をも受け入れたことを指摘している。また物語の世界で理想的な色好みの在原業平や光源氏と交際する老女も例外ではなかった。このような色好みの條件は和歌, 音樂, 習字が基本で, 男女の戀愛においては必須敎養であった。例えば, 『古事記』の赤猪子, 『伊勢物語』のつくも髮の女, 『源氏物語』の源典侍はそれぞれ年寄の女性であったが, 色好みの男性に戀愛の感情を抱いて求愛する。また彼女たちは烏滸的な行動をしながらも, 和歌を贈答することで理想的な戀愛をする。すなわち, 若い男女の優雅な戀愛と老女との烏滸的な戀愛が同時に語られることで人間關係が相對化され, 讀者に物語の面白さとカタルシスを提供する逸話になっているのが老女戀愛譚である。本稿では平安時代の物語文學におけるは老女戀愛譚の傳承と作意を考察した。古來, 王朝文學は‘をかし’や‘もののあはれ’として定義されてきたが, 理想的な色好みは優雅な戀愛ばかりでなく, 老女との戀愛も受け入れることによって王權が完成されるものであった。一般の讀者はこのような老女の好色や烏滸的な行動, 歌德說話からカタルシスを味わったと思われる。
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本稿は林義端の浮世草子『玉櫛?』卷三の第一話「畜生塚」を取り擧げ, 義端の構想と怪異性を中心に考察した。「畜生塚」は, 豊臣秀次が關白の職を剝奪された後, 1595年高野山で側近と共に切腹自殺させられ, その子と妻妾30余人は三條川原で處刑された所謂秀次事件を題材にしたものである。林義端は, 1691年淺井了意が死ぬと, 翌年には彼の遺稿集『狗張子』を出版して, その序文を書き, 同年10月には『剪燈餘話』を出版している。義端はそれに止まらず, 上記の作品を眞似て『玉櫛?』を刊行しており, それによって彼の作品構想における先行怪異譚の影響, 及び了意の創作技法との比較を通して, 義端の作品形象方法について考察するのが注目されている。本話について, これまでの硏究では1625年頃刊行された『聚樂物語』が出典であるとされていた。しかし, 本稿で注目したのは義端が秀次事件のみを描いたのではなく, 幽靈との出會いと契り, 別れ, 歷史について評判するという, 原話には見られない幽靈交歡譚としての話型を利用して, 話を再構成したということである。例えば, 好色の人としての左門の人物造形及び情景描寫, そして幽靈との出會いの過程は『伽婢子』の「金閣寺の幽靈に契る」の內容を全體的な骨格としたうえで, 『剪燈餘話』の「江廟泥神記」から着想を得て作り上げたものである。また, 幽靈との契りの部分は, 『伽婢子』の「牡丹燈籠」から構想を取ったものであり, 幽靈との別れは『剪燈新話』の「綠衣人傳」からヒントを得たものである。更に, 幽靈が語る秀次の逸話について, 義端は『聚樂物語』だけでなく淺井了意の『將軍記』も机上に置いて直接參照しながら執筆したことを新たに指摘できた。義端は本話の創作において, 自分にとってまだ生?しい記憶として殘っていた秀次の惡逆の逸話を素材としているが, これは江本裕氏が指摘した通り, 了意の怪異譚の形象方法と基本的には同じものである。しかし, 了意の場合, 中國の話を一次出典としながら人物ㆍ時代ㆍ場所ㆍ事件を日本のものに變え, 二次出典として日本の通俗的な歷史書を踏まえて肉付けを行っている。それに對して, 義端は日本の通俗的な歷史書と『剪燈新話』『剪燈餘話』『伽婢子』などの和漢の怪異譚に見られる幽靈交歡譚の話型を解體してそれを再構成したうえで, 日本の通俗的な歷史書を利用して作品を構成したのが特徵である。

지카마쓰의 조루리에 나타난 막부비판

한경자
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本考察では主に近松の後期の淨瑠璃作品を中心に幕政に關する內容(期待, 贊成, 批判)がどのように描かれているのかを檢討した。江戶時代は幕府の檢閱があり, 當代に起こった事件や人物などを實名で登場させることには憚りがあった。近世戱曲において最も當代性を持つ作品として誰もが『反名手本忠臣藏』を思い浮かべる。周知のように赤穗浪士の事件を脚色した作品はこれが最初ではない。先行作品のうち後の作品に影響の大きかった近松の淨瑠璃『兼好法師物見車』や『碁盤太平記』は1710年頃の作品である。この時期から近松は當代の事件, 政治に關する內容を作品內に盛り迂むことが多くなってきたようにみえる。しかし, 近松は時事性だけを浮かび上がらせることなく, 登場人物の義理と人情を絡み合わせながら劇を展開させている。近松が劇作家として活動していた時期は5代將軍綱吉(1680一1709), 6代將軍家宣(1709一1712), 7代將軍家繼(1713一1716), 八代將軍吉宗(1716-1745)の時代である。中でも家宣と家繼の治世は「正德の治」と呼ばれ新井白石の儒學をもとにした文治主義といわれる諸政策を推進した時期であったため, この時期には幕政に對する期待感があらわれている。しかし, 惡法で知られた綱吉の「生類憐れみの令」や吉宗の儉約令などは最近歷史學の方では見直しが行われているが, 近松の淨瑠璃を見る限り當時の庶民の實感とは隔たりがあることが確認できる。幕府の檢閱があったが淨瑠璃本に關しては制外とされていたといい, ほかの出版物よりは規制が嚴しくなかったせいか幕府への批判が間接にではあるが, 隨所に確認することができる。江戶時代の庶民の幕政への意識を考察する上で淨瑠璃は格好の素材といえるだろう。また, 近松以降の作品としては, 大坂で頻繁に上演された太閤物が幕府への批判を含んでいるとされる。反德川色が濃厚であるといわれているこれらの作品への檢討を今後の課題としたい。
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『春雨物語』は, 上田秋成が晩年の約十年間をかけて書かれた物語集で, 九つの短編と一つの歌論に構成されている。本稿では, 『雨月物語』「淺茅が宿」の女主人公である宮木に關する筆者の考察にもとづいて三十年という時間の隔たりをもって書かれた『春雨物語』「宮木が塚」の女主人公である宮木を中心に考察を行った。具體的には, 「淺茅が宿」に見る俳諧的發想の連想法などが晩年の作品「宮木が塚」においてどうのように表れているのか, 結局, 本作品における作者の意圖は何であるかについて追求してみた。「宮木が塚」は, 遊女宮木に關する傳承を素材にして作られた空想の物語であった。本作においては, 『淺茅が宿』とは違って, 怪異は表現されず, 女主人公である宮木は登場している周邊の人物から苦しみを受けながら人間關係の中で苦惱している姿を見せているのであった。また, 地名と關連した傳承から連想される言葉などが作品の展開において重要なモチ一フの役割をしていることが分かった。作品中の地名及び題名において, 連想を動かせた命名の仕方が用いられたことなど, すなわち, 連想の仕掛けや連想の發想が動かされているのはまさしく俳諧的發想と言うことができるであろう。

다카무라 고타로(高村光太郞)의 자기유적(自己流謫)

김문봉
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本稿は, 高村光太郎の詩における自己流謫について考察したのである。光太郎において自己流謫の意味が何であり, どんなきっかけを通じて自己流謫が行われ, どのような在り方と內容で展開していったかを考察したものである。自己流謫の樣相は肉體的なものと精神的なものに分けて考察してみたが, その結果を整理すると次のようである。1)光太郎における自己流謫は, 中日戰爭の勃發直後から戰後最初期に至るまで自信の戰爭詩人として犯した過ちと罪過について身を東北岩手縣の酷しい山小屋に置き, 山林孤棲を通して自身の暗愚や愚劣の典型を極める自己究明を指す。  2)光太郎は敗戰後,その身を東北の酷しい山小屋に置き, 肉體的にはもはや自己流謫の道を步んでいて, 精神的には相變わらず戰爭詩人の立場に立って, 文化强國を築くことによって世界制覇を夢見る稀に見る特異な存在であった。3)光太郎に本格的な自己流謫は, 戰後民主化の進展に從って自身に及んでくる戰爭責任の追窮と戰犯の處罰要求, そして自身の天皇(制)からの解放からくるものであった。自省の始まりは自分の詩のために多くの草分が死んで行ったことであった。4)肉體的の自己流謫の在り方は, 嚴酷な自然の中での孤節された老軀の苦痛と限りない忍耐と積雪, 山小屋の暮らしの喜びとしゃれ, 造型と精神と女體の飢餓からくる人體飢餓の極限狀況に追われる。そこで求めていったのは智惠子の世界であった。智惠子との共存を通じて山小屋暮らしは一層活氣を帶び, とうとう人に贈り物を送るようなかいのある暮らしぶりである。智惠子との世界を實現した光太郎が出會ったのは諦念と觀照の無機世界であった。光太郎の肉體的な自己流謫は7年間にかけての實に充實な茨の道程であった。5)光太郎の精神的な自己流謫は暗愚と典型を見極める自己究明であった。これは自分の過ちについての自省, 天皇(制)に對する態度などのものと, 自分の考え方がどのように變わっていったかの問題に分けられる。「暗愚」では解明と辨明で彩られている。「蔣先生に慙謝す」, 脫却の歌」「典型」に至る。自省と謝罪の水準は進んだが, 天皇の戰爭責任を認めていない点, 光太郞の自省と謝罪の眞正性には依然として問題が殘る。光太郎が求めて行った東洋的な新しい秩序の築きによる東洋的な價値の重視と回歸と日本的な回歸は戰爭期のそれとは異なる國際主義の性格を含んだものであるが, 抒情の變革期の光太郞の「綠色の太陽」のそれと比べれば後退である。
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「われらの時代)」(59.7)を書く頃, 牧歌的な小說家から現實的な小說家へと方向轉換を意圖した大江は, 日本の現實を描く自分の武器として「性的なもの」を選擇した。これは大江が現代の日本靑年を「性的な人間」と捉えたことと密接な關わりがある。そうした大江の考え方を書き表しているのが「われらの性の世界」(『群像』59.12)というエッセイである。本稿の目的は, このエッセイの構成および, そこに說かれている「政治的な人間」と「性的な人間」の槪念を明らかにすること, さらに, このエッセイと「性的なもの」を方法として書かれた小說との相關關係を明らかにして, 大江文學におけるこのエッセイの相互コンテクスト性を究明することにある。「政治的な人間」とは, マックスㆍウェ一バ一による, 「責任ある職業的な政治家とは, 醒めた現實認識をもって, 權力鬪爭を戰い拔く人物>という定義の「勸力」を「主體」に, 「主體の自由」に置き換えると, 大江の「政治的な人間」の槪念に近づき, レトリック的にいって譬えられるものと譬えるものとの關係がカテゴリの移動に基づく暗喩に當るといえる。また, いかなる他者とも對立せず, 受け入れ, 從屬する人間を「性的な人間」と命名したのは, 直說法的な槪念でも, 近接性に基づくた換喩的な比喩でもなく, 受容と快樂という本質的な類似性に着目した暗喩的な比喩である。しかし, 小說の登場人物によって形象化された「政治的な人間」と「性的な人間」には, 暗喩的な意味と同時に直接法的な意味を與えられていることを確認した。さらに, この二重性は『われらの性の世界』のa章とb章において見られる二重性でもある。aにおいては, 現代の人間の性の世界がイメ一ジに依存して直說法的に書かれているのに對して, bの中心となる「政治的な人間」と「性的な人間」という槪念はイメ一ジではなく, 暗喩に依存する槪念なのである。つまり, 小說における表象の二重性は, 「われらの性の世界」の敍述の仕方に見られる二重性と呼應するという, 相互コンテクスト性が指摘できるのである。また, このエッセイに紹介されている三つの性の在り方, すなわち生命の光輝としての性, 悲慘ではあるが人間的な暖かみのある性, 不毛の性も, 大江の小說に描かれている性の世界と, 描かれる頻度の違いこそあれ, 呼應しているといえる。
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