글로버메뉴 바로가기 본문 바로가기 하단메뉴 바로가기

논문검색은 역시 페이퍼서치

> 인기논문 > 주제별 인기논문

주제별 인기논문

2020년 8월 인기논문 입니다.

언어행동에 있어서의 배려표현

임영철
5,300
초록보기
本稿では日本語と韓國語の話題やあいづち表現の特徵について, ブラウンとレビンソン(Brown and Levinson 1987)の言語ポライトネス(linguistic politeness)の理論に照らし合わせて解釋してみることにする。言語ポライトネス理論とは, 效果的なコミュニケ一ションを行い, 人間關係を円滑にするための言語使用の方略(strategy)を總括した理論で, 人間の普遍的欲求に基づく二つの側面を基盤として成り立っている。一つは, 相手に受け入れられたい, 相手を喜ばせたいという「積極的欲求」(positive wants)を滿たすため, 相手と自分との距離を縮めようとする言語使用である。こうした言語使用は, ポジティブ·ポライトネスとも呼ばれ, 相手との「連帶感」や「親しさ」を表明する言語上の方略で, 冗談やあいさつもその一環として使われる。もう一つの側面は, 個人の私的領域を他人に侵害されたくない, 邪魔されたくないという「消極的欲求」(negative wants)に配慮したもので, 相手と自分との距離を大きく取ろうとする言語使用である。ネガティブ·ポライトネスとも呼ばれるこの言語上の方略には, 「遠慮」や「形式性」を重視した表現が多く, ことばの上で相手との距離を取る機能を果たす。ポジティブとネガティブ·ポライトネスは喩えれば磁石のS極とN極のようなものなのだが, どのような社會においてもこの二つの極は存在し, ただその表現の仕方が異なるのだとブラウンとレビンソンは指摘している。韓國人から見た日本人の話し方は, 丁寧ながらも「不透明」で, 何を考えているのかよく分からないところがあると言われている。このような日本人の曖昧で間接的な話題の展開は, あまり押し付けがましさを感じさせない, 相手への「消極的欲求」に配慮した表現だと言えるだろう。これに對し, 韓國人は日本人に比べて積極的ではっきりした「透明な言語」を使っていると言われる。ことばの上で相手と關わりたいという「積極的欲求」に則った表現を好むとも解釋できるのではなかろうか。日本語と韓國語とは似通った言語であるが, 今まで見てきたように, 話題の展開やあいづちの形態と仕方にはいろいろな相違点があり, それぞれが日本と韓國の文化的, 社會的性質を映し出している。そして, 話題やあいづちが日本と韓國の文化や社會を理解する上で, 重要なキ一ワ一ドの一つであることをも物語っているのではないだろうか。
6,600
초록보기
This paper introduces the basic framework of Discourse Politeness Theory (hereafter, DPT) and analyzes‘inviting behaviors’ in Japanese and Korean quasi-natural conversations, from the viewpoint of DPT (Usami, 2001a, 2002a). DPT has been developed based on the results of a series of empirical research, and it attempts to enable researchers to contrast politeness behavior in languages with and without honorifics within the same framework, while minimizing cultural biases. DPT also attempts to contribute to finding ways to solve problems created by cross-cultural misunderstanding. DPT is based on the core concepts of‘discourse politeness’ which is defined as ‘the functional dynamic whole of factors of both linguistic forms and discourse-level phenomena that play a part in the pragmatic politeness of a discourse’, and ‘discourse default’ which is used for representing the prototypical state of factors both in linguistic forms and discourse-level phenomena within the discourse. DPT consists of the following six key concepts: 1) ‘discourse defaults’, which is used to represent the prototypical state of factors both in linguistic forms and discourse-level phenomena within discourse, 2) ‘markedness of politeness’, 3) ‘markedness of behavior’, 4) three types of ‘politeness effect’, which are positive, neutral, and negative effects toward pleasantness, 5) ‘Discrepancy in estimation value (De value)’, which is the discrepancy between the speaker’s and hearer’s estimation of the degree of Face Threat of the speaker’s act, and 6) ‘absolute and relative politeness’. Examples of‘inviting behaviors’in Japanese and Korean quasi-natural conversations are qualitatively analyzed and explained by using the concepts in DPT. Finally, the contribution of DPT to the study of cross-cultural pragmatics and interpersonal communication is mentioned.
6,200
초록보기
本硏究は, 韓日兩國の文化や民族性によってそれぞれ違う非言語行動の中から「怒」の表出を考察する。そのため, 內容において類似した面を見せている韓日兩國のテレビドラマを資料とし, その中に表れた非言語行動の「怒」の表出樣相および特徵を把握した。本稿を通じて韓日兩國民の意識差異·文化差異を抽出し, また資料として提示することで, 兩國の互いの文化を受容することにおいて理解度を高める契機にもなることと思われる。 今までの調査分析とその結果でも明らかなように, 非言語行動はコミュニケ一ション-感情傳達-において, 言語行動と同樣に非常に重要な役割を持っていることは知られているが, 兩國民の「怒」の反應は, ほとんど同じであるにもかかわらずその各各の反應の感情を表出する樣相は異なっているということも分かっている。 また, 非言語行動を通じた「怒」の感情表出は, 音聲·目·眉·顔色·身體の反應, 行動など, 全身で樣樣な方法にて表現されていると言えるが, 表出方法は韓日兩國において使用頻度が異なっており, 感情の規制意識も相違点を見せていることが分かる。 以上のことを鑑み, 韓日兩國民の「怒」の感情表出に關して, 比率偏差による分析を通じ, その特徵および相違点を簡略に整理して表したら, 韓國人の場合は目(視線), 暴力的(暴力性)を通じての表出が優勢である反面, 日本人の場合は話し方, 顔の表情, 沈默, 無視, 現場離脫を通じた表出が優勢であることがわかる。そして, 聲, 體(の一部), 眉, 口(または唇), 齒, 淚, 拒否的な行爲を通じた「怒」の表出は, 兩國人が同じように表れている点で, 兩國民の性向の差異が顯著であると言える。 本硏究は韓·日兩國のドラマを資料としたひとつの硏究であるので, 兩國人の非言語行動を通じた感情表出が實生活での場面と一致するとは斷定的に言えないだろう。しかし, ドラマに表れる非言語行動が韓·日兩國人の實生活に影響を及ぼすようになることと同時に, 現代兩國人の非言語行動の特性や, 社會現象を反映しているという觀点で見るとき, ドラマを通じて兩國人が兩國人の感情表出の性向を認識するようになることは, 否定できないだろう。

「當然性」評價の日韓比較 ―「丁寧さ」の普遍性と個別性―

川口義一
5,500
초록보기
This is a short report of a small questionnaire research on the difference in the sense of politeness between Japanese and Korean Languages. Two tasks of writing a full conversation between two adults under two different situations were given to native Japanese speakers and native Korean speakers. Similar conversation patterns were found both in Japanese and Korean languages under the situation, where a men/lady on a train platform is asked by a traveler if the train pulling in goes to a certain station, Different patterns were observed, however, under the other situation, where a man/lady is asked by his/her friend to give him/her a small amount of money for a bottle of beverage sold in a vending machine. A closer examination of the difference in the conversation pattern reveals that Japanese language has more variety of showing politeness than Korean, which shows that there is a difference in the evaluation of “adequacy” of making a request among friends between Japanese and Korean.
초록보기
The study of James Joyce in China might be divided into three stages. The first stage starts from the year when Ulysses was published in 1922, while some modern Chinese writers noticed it and introduced it briefly here and there in Chinese periodicals, to the year 1977 when China was ready to be open again to the Western cultures. The second stage is from 1978 to 1993 when the first Chinese version of Ulysses would come out soon. The third stage is from 1994, which saw two Chinese versions of Ulysses in the same year, to the present. At the first stage, there were only very scattered and shallow introductions. And at the second stage, we gradually studied Joyce and his works in an expanding scope with more translations and critical scholars. At the third stage, our Joyce study comes of age in a sense. But there is still a long way to go, if we are to join the main stream of international Joyce studies.

National Geographic이 본 한국과 일본의 100년

송영빈
6,800
초록보기
ナショナルジオグラフィックは1888年の創刊以來, 100年以上に渡って韓國と日本を取材した雜誌である。本稿では, その資料的價値に注目し, 創刊以來ナショナルジオグラフィックが韓國と日本についてどのような視線を抱いていたかを記事內容と記者の特徵を中心に分析する。以下にその分析結果を示す。(1)1890年から1945年までの韓國への視線はオリエンタルリズム的要素が濃厚である。一方, 日本への視線は日淸戰爭, 日ロ戰爭など, 日本の近代化が持つ侵略的性格が濃厚に現れた事件があったにも關わらず不思議なほど友好的である。このような視線の違いにはいくつかの要因がからんでいる。一つは, 記者の背景の違い。もう一つは, 鎖國から開港までに至る經緯の違いがある。韓國を取材した記者の多くは軍人や探檢家であったのに對し, 日本の場合は, 親日的な人物, さらには日本人によって記事が作成されたことによる。このような違いは, 鎖國から開港にまで至る韓國と日本の歷史的違いもがある。韓國は西洋の開港要求に對し, 戰鬪を起こしながら對抗した。一方, 日本はペリ一提督の要求にすなおに應じ, 明治維新期を通じアメリカから多くの人物を招き, 留學生を派遣させ, 近代化に拍車をかけた。もちろんその近代化というものは'富國强兵'であり, 眞の意味での近代化ではなかったにせよ, アメリカは日本の近代化への努力を高く評價し, 日本の侵略可能性を否定してまで暖かい視線で日本を取材する。(2)第二次世界大戰後, 韓國と日本への視線は變化する。日本への信賴を裏切られたアメリカは, 日本の近代化の持つ矛盾に目覺め, 日本の野蠻的戰爭での行動と韓國植民地支配について猛烈な批判を浴びせる。一方, それまでオリエンタルリズムの典型的觀察對象でしかなかった韓國についての視線は一變し, 優れた文化を持つ國となる。(3)1960年代以降の韓國と日本への視線は, アメリカにおけるジャ一ナリズムの社會的問題への積極的參加という變化に伴い, 經濟發展と共に成長に伴う歪みなど, 社會問題への深度のある分析に視線が變わる。以上の分析を通じて, 初期の日本關連記事でも確認できるように, 積極的人的交流の持つ外國の視線への影響力の强さが明らかになった。人的ネットワ一クを旣に持っていた日本は, 自分の立場を强弁することができたのに對し, それを持っていなかった韓國は, 他者の視線で觀察, 解釋される存在にとどまざるをえなかった。
6,300
초록보기
日本では80年代に「日本型福祉社會」論の下で世帶單位の「男性稼ぎ主」型が强化されたが, 90年代に入ってからは「男性稼ぎ主」型から中立し, 家族的責任をもつ男女の就勞を支援する「兩立支援」型への志向が展望されている。すなわち, 新日本型福祉社會あるいは參加型福祉社會への轉換が圖れており, 社會福祉政策の基調が世帶單位から個人單位へと變化しつつある。本稿では日本の社會福祉政策の變化に最も影響を及ぼした社會的要因である少子高齡化に焦点をあわせ, 少子高齡化に伴う社會福祉サ一ビスの供給における公私役割の變化をジェンダ一視点に立って考察する。まず, 福祉政策の變化を日本型福祉社會から參加型福祉社會への變化に焦点をあて檢討し, その變化の理論的背景として福祉多元主義についてみる。ついで, 福祉サ一ビス供給主體の多樣化と公私役割分擔の觀点から, 少子化對策としての保育サ一ビスと高齡化對策としての介護サ一ビスにおける公私關係と女性勞動の現況を調べる。育兒と介護は, 「傳統的家族」モデルにおいて女性の最も重要な役割として位置づけられており, 育兒と介護というケア勞動が社會でどのように行われいるかを明らかにすることによって, 日本の福祉政策の「型」を明らかにすることができるからである。硏究の結果, 日本では育兒·介護サ一ビスにおける公私役割分擔が行われている中で公的サ一ビスは減少している一方, 私的部門は營利·非營利部門を問わずその比重が增加していることが確認できた。その中で女性は營利部門では動き手として, 非營利部門ではスタッフやボランティアとして福祉サ一ビス提供の最も重要な擔い手であることがわかった。ところが, 社會福祉サ一ビス分野で動く女性は非常勤が多く, 不安定な雇用狀態におかれている。また, 非營利部門では專業主婦を中心に主に社會福祉分野で活動している。以上から福祉多元主義, 參加型福祉社會の下で行われている公私役割分擔とは, 福祉における公的責任の私的部門への轉嫁という形で展開しており, それは女性の不拂い勞動や安上がり勞動を「活用」し, その上に成り立っていること, すなわち, 性別役割分業を固定化する勞動のジェンダ一分化に基づいているといえる。

월러스 스티븐스의 초기시 세편 읽기

김병옥 ( Byung Ok Kim )
영미문학연구회|영미문학연구  3권 0호, 2002 pp. 1-23 (총 23pages)
6,300
키워드보기
초록보기
The purpose of this paper is to examine three of Wallace Stevens`s early poems, all of which are from his first collection, Harmonium. Most of Stevens`s works are philosophical, but the three poems I select from this early collection are particularly appropriate for discussing what I perceive to be three representative features of his philosophical outlook. Stevens as a poet had a rather annoying wish to discover how a matter reveals itself. "Domination of Black"as an example of the first feature reflects Stevens`s desire to grasp the essential reality of things and the consequent need to escape from the worlds of common symbols and experiences. This poem is a witness to a completely new poetic configuration. In line with such an attempt, Stevens sends from his world of poetry a message about how his own age is in crisis, expressing a serious distrust of reality. However, in order not to remain as a mere victim of reality, the poet explores its ultimate nature, its finality. Such a tendency characterizes the "The Snow Man"which is offered as an appropriate example of the second feature of Stevens`s` early poems. A mere exploration still does not satisfy the terms of poetry in this changing world. The third feature which I find in "The Emperor of Ice-Cream" suggests poetic means to create truth and significance of being. In order to be involved with the intrinsic nature of things, the poet, Stevens argues, needs to willingly give up the ordinary reality. Such a surrender is experienced not as tragedy but as a development of intuition from within.
5,500
초록보기
『??日記』は, 一般的に天曆八年(954)から天延二年(974)までの21年間の結婚生活を描いたもので, 一夫多妻制の中で, 藤原北家の嫡流である兼家を夫として迎え, 妻としての不安定さに苦しんだ道綱母の心境表白が主な內容となっている。そのような『??日記』の性格である故に, 從來の硏究も「はかなし」や「かなし」などの心情語を中心にその日記性や自照性を究明する方向で行われてきた。そんな從來の硏究は, 道綱母の心境表白という面を强調しすぎることで, 作品のより積極的な面, すなわち道綱母の創作性を看過してきたので, 本稿では, 『??日記』の「つれづれ」という語に新しく焦点をあてて, 道綱母の創作主體としての面に注目してみた。「つれづれ」は, 上代時代にはほとんど用いられなかったものが, 平安時代に入ってその?が多く見られる言葉である。貴族の文化が磨きあげられ洗練されるにつれ, 感覺や表現が抽象化?觀念化する中で, 段?と定着したものと見られるが, 特に平安女流文學において特徵的である。「つれづれ」は, 男性によってもたらされる女性固有の情況や感情をあらわす言葉として頻繁に用いられるが, 單にそれにとどまるのではない。『??日記』は, 跋文によると, 自分の境遇を一般の人よりおとると自己否定をしながらそれを書き綴っていく中ではじめて固有の人生が認識されている。兼家によっておこされる外部的?體驗的事實を道綱母自身の內なる問題として捉えなおし, 兼家への不信感を具體化させながら道綱母の固有な悲しみの實體を見つめ, 兼家を通して絶望的?根源的な孤立感を鮮やかに定着させているのである。『??日記』が「人にもあらぬ身の上まで書き日記し」たというのは, 他者として隔絶する兼家を媒介にして, 人幷みでない身の上まで書く自己表現の方法をようやく創り出していったことにほかならない。すなわち, 道綱母が自分の固有な悲しみや空しさを見つめ, 自己規定をしたものが『??日記』であると言えるが, その具體的な創作過程を考えてみれば, それは「つれづれ」を認識し, それをまぎらそうとする意識から出發していると考えられる。そのように, 「つれづれ」なる時間が作品の創作につながった經緯は, 『枕草子』や『和泉式部日記』にも共通している。結局, 『??日記』は「つれづれ」という語を『古今和歌集』からの流れを汲みながら, 女性固有の寂しさをあらわす言葉として定着し, さらにその槪念を具體的に形象化して文學創作につなげた先驅的な作品としてその意義を有すると考えられる。

鈴?卷の光源氏と女三の宮をめぐって

김유천
6,200
초록보기
本稿では, 鈴?卷にいたってほとんど終焉を迎える光源氏·女三の宮物語のありようを, 出家後の女三の宮の造型や二人の關係に注目しながら考察した。まず, 鈴?卷の始發である女三の宮持佛開眼供養の敍述方法の檢討を通して, 女三の宮の出家生活に配慮する光源氏像の相對化される樣相を考え, それと關わって特に「はちす葉を」「へだてなく」の歌の贈答に見られる女三の宮像に觸れた。次に, 柏木卷の女三の宮の出家の經緯と, 出家後橫笛卷までの二人の關係を, 女三の宮像に焦点を合わせて檢討した。ここでは, 源氏からの離脫としての出家という明確な造型のあり方を, 出家容認をめぐる源氏と朱雀院の長大な對話と心中思惟や, 物の怪の設定, 母性の不在などとの關連から論じた。最後に, これらの檢討をもとに, 鈴?卷の鈴?の贈答の意味を, 女三の宮の側から考えた。この場面が二人の孤絶した關係を形象していることは確かだが, また, 女三の宮の源氏に對する共感や兩者の心の流露が, あたかも二人の物語の終焉を飾るかのように印象づけられてもいたのだった。

齋宮と『源氏物語』

한정미
5,700
초록보기
『源氏物語』で伊勢神は, 齋宮であった秋好中宮の人物造型に關わっている。秋好中宮は前春宮と六條御息所との間に生を得ながら身寄りを失うが, 後に源氏の養女として冷泉後宮に入り, それによって養父源氏も外戚の立場をもっとしっかり握ることになる。秋好は, 源氏にとっても, 朱雀帝にとっても戀慕の對象であったが, それは, 歷史や物語で, 皇祖神天照大神に仕える女性である齋宮との關わりを欲する人が, 總じて皇子であったことを踏まえた設定であった。特に, 朱雀帝は「別れの御櫛」の儀の際の齋宮を思い出すが, 「齋宮」が皇統を獲得する巫女であることからも, その「齋宮」への執着は我代への執着を意味することになり, 朱雀帝の齋宮への執着の意味は, 皇祖神に仕える齋宮の持つ信仰的威力を付與されることにあった。その思いを喚起していた「櫛」は, 秋好が皇祖神に仕え, また, 朱雀院が帝として絶對的な權力を持っていた時に連なるものであり, 齋宮への執着はその在位の頃への執着という側面もあったと言えよう。このように『源氏物語』における齋宮は, 虛構世界の女主人公秋好の榮達を說得力のある形で描くために, 齋宮として皇祖神たる伊勢大神に仕え, 後に冷泉後宮へ入內し中宮にまで達して, 源氏の榮華を確固たるものとさせたのである。
초록보기
James Joyce studies in Taiwan is always already tinted with global and diasporic colors because of the tutelage of the exiled scholar, Chi-an Hsia, and the Jesuit missionary, Father Demers, at its embryonic stage half a century ago. Over the years, it has gone through dramatic changes in terms of the number of papers published and the range of subjects studied. This paper examines its development and transformation by dividing the 150 entries of Joyce papers into seven categories - Dubliners, A Portrait of the Artist as a Young Man, Ulysses, Finnegans Wake, Exiles, Chinese Translation and its Related Studies, Cross-cultural and General Studies in Joyce. While arguing for the legitimacy of the "inauthenticity" of East-Asian scholars in doing Joyce, the paper also highlights the global-local interaction of Joyce studies in Taiwan, and further calls for regional collaboration among East-Asian Joyceans in order to voice themselves collectively in the international arena of Joyce studies.

日本のODA政策におけるNGOの參加

조규철
6,400
초록보기
國際社會でのリ一ダ一シップを追求しながら有效な外交手段を開發してこなかった日 本にとって、ODAは最重要な對外政策である。本稿の目的は日本のNGOがODA過程に どれだけ參加しているかを考察することである。日本でODAの政策決定とその實行をめ ぐって、政府と市民團體間の協動と呼ばれる關係の實態が何かを把握するためのもので ある。そのために、まずNPOまたはNGOという用語が日本でどういう意味で使用されて いるかについて定義し、日本の市民團體を政府の下請け的存在として把握することは單 純な見方だという。日本でNGOと呼ばれる國際協力團體の大部分は法人であるこ とを明らかにする。日本のNPO法人の半分以上は醫療福祉活動をしている團體であるの に實際に介護保險の事業者として活動している團體は極めて少ない理由も明らかにす る。日本政府の財政惡化を補うためにNPOが政府に包攝されているという先行硏究によ る反說を否定する。 日本のODAは戰後處理のための賠償と經濟成長のための輸出振興を目的として始まっ た。日本の國益優先ODAのが國內外の批判と反省を受けてきた經緯を考察する。年 代後半から日本のODAの理念と援助方式が東西冷戰の終結という國際政治環境の變化 とともに大きく變わり、その後、政府とNGO間の對話·連携·共同事業が制度的に活發 してきた歷史的展開を考察する。また、日本の代表的なNGOであり政府と日常的な接觸 をもつを事例調査する。 1980年代まで日本でODA予算は國防予算とともに聖域とされ每年急增してきた。しか し、1990年代末から日本政府はODA政策に對する全面的な見直しをしなければならな かった。ODAは人道主義と國益追求というつの目標をもっている。このつの目標の 中のどちらをどれだけ優先させるかについて、外務省とは異なる立場を堅持してき たが、2003年に改訂されたODA大綱が表わしているように、ODA過程への國民參加は 避けられない選擇だった。膨大なODA資金の分配めぐる諸主體間の政治過程は本格化し つつある。

한ㆍ일 유비쿼터스 정책 비교와 u-Japan 발전 방향

김윤호
5,700
초록보기
最近世紀の情報通信パラダイムに定着されているユビキタスの槪念は韓國と日本を 含めた主要先進國でも21世紀の國家經營の核心で浮刻されている。これによってユビキ タス戰略は單純に分野に局限された技術的の槪念ではなく現代國家の當面課題の解 決、國家社會システムの革新と最適化、國民生活の質向上など望ましい世紀知識情報 社會實現のための最適代案として位置づける。 本硏究は韓日間の比較硏究を通じてU-Japan戰略の方向性を拔き出すのた。韓日間の インタ一ネット及び情報化水準を比べた後、韓日間のユビキタス具現の主要環境と戰略 を比べる主要要因として政策推進動向政策基本方向推進主體硏究開發方向などを設 定して、韓日間のユビキタス政策具現の戰略的な違いを論議を盡くした。これを元で日 本の分析を通じて望ましいU-Japan戰略を提示した。結論的に、日本が年世 界最尖端國家として世界を先導するためのU-Japan戰略は後と一緖に片付く。一番目、日本の强みと外部機會を活かすために“Made in Ubiquitous Japan”商品と して世界經濟をリ一ドする新市場を創出しなくてはいけない。二番目、日本の弱味と外 部機會を活かすために生活者中心のサ一ビス提供を目標に提示しなくてはいけない。三 番目、日本の强みと外部脅威に對處するために各種通信規制緩和及び外國人投資環境が 組成しなくてはいけない。四番目、日本の弱味と外部脅威によろしく對處するために各 種の個人保護法律强化及び社會的共感帶形成が必要で、全國土が均衡的に發展する共 生のユビキタス環境作りをしなくてはいけない。
5,600
초록보기
韓末の留學生監督部は、同時期における渡日韓國留學生運動の中心的存在であった。また同時期の留學生監督は、保護國期の國權回復運動を全面的に支援し、留學生運 動の成立及び展開に重要な役割を果している。韓國倂合後、武斷統治を行った初代 朝鮮總督寺內正毅は、1911年に渡日朝鮮留學生に對する監督體制の整備に着手した。一 方の朝鮮留學生運動は、1912年の學友會の創立で再集結し、年の東京·獨立 宣言を行った。それはさらに朝鮮3ㆍ1獨立運動の導火線となる。 本稿は、東京2ㆍ8獨立宣言が行われた「武斷統治」期における朝鮮總督府の留學生監 督體制と渡日朝鮮留學生の實體を明らかにし、その歷史的背景について考察した。朝鮮 留學生の取締りのために1911年に制定された朝鮮總督府留學生規程は、官費留學生 はもちろん私費留學生をも留學生監督の對象とするものであったが、さらに朝鮮總督寺 內は、從來の留學生監督に加えて新たに憲兵留學生監督を任命する。總督府は、朝鮮留 學生の渡日に制限を課したが、他方で、植民統治に對する留學生の不滿を和らげるため の政策を平行させた。このような總督府の留學生政策によって、渡日朝鮮留學生の性格 もまた大きく變化する。しかし、武斷統治期の留學生政策は、東京2ㆍ8獨立宣言に よって破綻を余儀なくされ、總督府の統治方針はいわゆる「文化政治」に轉じた。それ は、以降の在日朝鮮留學生社會の擴大や留學生運動の多樣化をもたらすことになる。

만요슈의 문답가와 장(場)의 문제

구정호
5,700
초록보기
本稿は万葉集內に問答または問答歌という部立下に分類された歌中、短歌を中 心としてその特徵の檢討を試みたものである。集內に問答歌と分類されているものはほ とんど、相聞の部類に屬するものであり、その類型においては一般の贈答歌のように、 問いの歌の詞をそのまま受け入れて答の歌を詠む類型がもっとも多いのであるが、贈答 歌と異なる特徵として目立つのは從來人口に膾炙する歌をすこし變えたり、そのまま答 の歌として使用したりすることである。もうひとつ、贈答歌と相違なる点は場のことであ る。一般的に贈答歌というのは歌が詠まれる場を共有するというべきであるが、万葉集 內の問答歌は歌垣のように問いの歌と答の歌が同一の場を共有するもののほか、宴席で の同一作者による問歌と答の歌の作成や万葉集の編者が類似する歌を人爲的に問答とい う部立の下に配置したような痕跡が見えるなど、いろいろ多樣な特徵を見せているとい えよう。
5,600
초록보기
中世末から近世初へかけて盛んであった說經、古淨瑠璃などの語り物の多くは家の沒 落と再興の樣相を本地譚の構成で綴るという共通点を示す。ところで語り手は家族の解 體と家の再繁盛というテ一マを語るにあたって家族構成員の役割を固定し、その存在性 に差をつけることによっていわゆる理想的な家族像を創り出している。したがって本稿 は古淨瑠璃一心二河白道に現れた家族像を主に女主人公である櫻姬と父親ならびに 夫との關係性を中心に眺め、家族共同體の危機と再繁盛を成し遂げる過程の內に見られ る娘の存在位相あるいは役割、そして神佛の救濟の有樣などを考察してみた。 この作品は當時、多くの語り物がそうであったように神佛の本綠を說く本地物の形式 を借りて家族共同體の解體及び再繁盛の樣子をテ一マとする。しかし家の危機ないし沒 落の原因を主に家父長の不在に求めている他の語り物とは違って一心二河白道で は家の危機をもたらすものとして娘の重層的な位相を擧げており、娘自ら自分の負的 な存在性を取り除いていく過程を家の復興の過程と連動して語っている。 このような展開で語り手は娘のイメ一ジを家の解體の動因であると同時に家繁盛の主 役であるという、相容れない二つの存在性をあわせ持った人物として作り上げる。した がって娘の櫻姬は自分の負的な存在性を原罪として受け入れ、これらの罪を贖うために 出家し、やがて家の跡取りとなるべき男の子を生むことによって娘としての義務を全う するのである。 一方、娘の出家と極樂往生の有樣を追求してみれば、あたかもこれらは彼女自ら選んだ 行動の結果のように說かれているが、實は物語の行間には男性の邪戀による罪業さえ女性 に報いさせるといういわば女人罪障說に基づいた救濟の論理が動いているといえる。
초록보기
This article aims to introduce the general attitude regarding Japan/world affairs in Joyce`s time, and to argue on Joyce`s reception of Japan in his works and the Japanese reception of Joyce from a postcolonial perspective. In a letter to his brother Stanislaus on November 6, 1906 James Joyce showed his interest in Japan`s military power at that time: "Japan, the first naval power in the world, I presume, in point of efficiency, spends three million pounds per annum on her fleet" (L II,188). His comment reflects Japanese victories of the First Sino-Japanese War (1894-1895) and the Russo-Japanese War (1904-1905). Joyce found it rather naive to heap insults on England for her misdeeds in Ireland: "A conqueror cannot be casual, and for so many centuries the Englishman has done in Ireland only what the Belgian is doing today in the Congo Free State, and what the Nipponease dwarf will do tomorrow in other lands" (CW 166). Joyce directly or directly referred to the three Asian wars; the First and Second Sino-Japanese Wars and the Russo-Japanese War in his texts. The casus belli of those wars was desire for colonies, Manchuria and Korea. It seems that Joyce regarded Korea as an equivalent to his native country Ireland. Joyce`s angle on the Japanese Empire seems rather ironic. At first Joyce and other Irish people thought it good that a minor Asian country like Japan defeated one of the Great Powers. However, as Japan began to devote itself to imperialism, they were deceived in their expectation. Joyce did not stand for imperialism nor colonialism. Joyce would also have found it rather naive to heap insults on Japan for her misdeeds in Korea and China. It will depend on us Asians as to whether Joyce`s idea of the "United States of Asia" or Sun Yat-sen`s Pan-Asianism will come true in the twenty-first century.
5,600
초록보기
『かげろふの日記』は、散文文學作品において、女性の手になる現存最古の作品であ る。男性ではなく、女性によって書かれたという点は注目すべきであり、そのため、か げろふの日記は、女性が自己の生活を直接に對象とし、現實生活を深いレベルで取り 上げた初めての作品として評價されている。 その一端として注目されるのが、「ものはかなし」という言葉である。『かげろふの日 記』の作者は、その序文において、自らの境遇についてものはかなしと認識し、それ は、跋文や上卷本文にもたびたびあらわれている。このような女性による自己認識は從 來の男性の手になるとされる作品にはみられなかったもので、かげろふの日記の特徵 として注目される。 『かげろふの日記』前後では、從來の男性の手になるとされる作品には「ものはかな し」という言葉は見えず、『源氏物語』『狹衣物語』など『』かげろふの日記以降の作品 には、ものはかなしは女性の境遇を示すことばとして登場している。これは、それま で男の手になったために見逃されてきた女性の苦惱が事實性を持って描かれるように なったということを示すようで、『かげろふの日記』はまさにその嚆矢と言える。 從って、本稿では、上記のような見通しを持って、『かげろふの日記』と『源氏物語』 における「ものはかなし」という言葉を通して、「ものはかなし」と嘆く女性の境遇を考 察し、その結果、ものはかなしという言葉は、女性が、自らが不安定な男女關係の中 におかれていることの不安、苦惱をあらわす言葉であるということを述べた。そして、女 性たちが置かれたそのような境遇を背景にして、『かげろふの日記』を始めとする平安時 代の女流文學作品が生まれたということを述べた。

語りとしての歌謠物語について

이권희
6,900
초록보기
記紀の語りとしての歌謠物語について、多樣な議論が行われてきた。記紀の物語における歌謠の意味は、しばしば文學性とか抒情性、あるいは人間的感動をもたらすものと いったようなことばで說明されてきた。しかも、最近は韻文という異なる樣式による複次 的な時間構造による複線的〈場面〉の形成に、歌謠物語の構成原理を見いだしている。 それは正しい指摘かもしれない。しかし、倭建命の歌謠物語のように作中世界が時間的 にも空間的にも大きな擴がりを見せている場合、このような方法では限界がある。問題は、そのような文學性や抒情性、あるいは人間的感動が、王權の書なる『古事記』のな かで、いかなる方法によって描かれて、具現されているかである。それへの具體的な究明 なしに、ただ樣式の差にこだわりすぎて敍述の立體性だけを强調するならば、文學性や 抒情性、あるいは人間的感動ということばは、ただ抽象的なことばに終わってしまい、 結局、何も言っていないのと同じことになってしまうだろう。 歌謠物語は「カタリ」と「ウタ」の、特に「ウタ」のもつ含蓄性や、それによって期待 される抒情の廣がりを目指して、最初から意圖され試みられた、高度の文學的な手法による産物である。特に、一つの段落の終わりの部分に歌を据えることによって、抒情の 廣がりを狙っている。歌をもって物語を締め括り、その歌によって抒情の廣がりを得るという歌謠物語の方法は、和歌の世界で育まれた抒情の世界が前提になってからこそ可 能になる、高度な文學的技法である。日本語を書くということに、まだ十分成熟されていなかった散文表現、その散文形式だけでは滿たされない古代人の「情」を、一字一音 式のウタを通して、すでに確保されていた「ウタ」の抒情性によって、見事に描き出 すことができたのである。從來、古代文學の寶庫として、または古代の物語の在り方を 示す重要なテキストとして『古事記』『日本書紀』兩者を比較して論じる場合、古事 記の方が斷然高く評價される理由を、歌謠物語という樣式の志向はよく說明している のである。天皇の世界の確立という大きなテ一マを、天皇自身の營みとして語る『日本 書紀』がある一方で、倭建命の悲運の歌謠物語として語る『古事記』がある。ここに『古 事記』完成者の文芸的趣向や、創作的意圖が强く感じられると同時に、これこそ『古事記』の目指した語りのの方法であったと言えるのではないか。

20세기 일본 연극과 셰익스피어의 만남

최충희
5,300
초록보기
國際化の時代を迎えて世界各國の文化交流が頻繁に行われているのが事實である。その中で演劇を通しての文化交流も活發に行われている。 特に20世紀に入ってからは一國にとどまっている文化が見付からないほど國際交流が 頻繁に行われている中で、演劇を中心としてその交流に一端を探ってみるのも意味ある ことであろう。それで、本稿ではシェイクスピアというイギリスの劇作家の演劇作品を通 して世紀の日本演劇との交流實體を把握するのに目的がある。單純な把握にとどまら ず日本演劇とシェイクスピアの作品の間に發生する相互テキスト性と相互文化性を中心 とした實際的な交流樣相を把握するのに重点がある。 まず、全體的な樣相を把握するために日本に入ったシェイクスピア作品の歷史を考察 してみた。 次は、シェイクスピア作品の日本への導入に深く關わった坪內逍遙とシェイクスピア との交流の實體を考察した。 次は、日本の傳統的な演劇である歌舞伎、文樂とシェイクスピアとの關係を考察した。 以上の分析の結果、シェイクスピアの作品は20世紀の日本文學に至大な影響を及ぼし ていることが分かった。特に日本の傳統文芸の改良運動にもかなり影響をおよびそてい ることがわかった。文樂の場合は直接交流というよりは實際の交流のきっかけはみつか らないが、かなり似たような要素があることがわかった。一般的に文化の交流というが、 直接交流のない時代、場所でも相互テキスト性や相互文化性がうかがえるということを 把握することが出來た。

고구려지명의 지명어미에 대하여

이인영
5,900
초록보기
從來、『三國史記』地理誌記載の高句麗地名は、一方では日本語と、もう一方では新 羅語と關係があると指摘されている。高句麗地名にみえる兩面性をどう說明するかが課 題のひとつだったといえる。本稿では九つの高句麗地名の地名語尾をとりあげて個別的 に考察した。特に注目したのは地名語尾吐堤の對應である。吐堤の對應は新羅 地域に次のような用例がみえるからである。 漆?縣本漆吐縣景德王改名今漆園縣券三十四新羅 漆吐縣は伽倻國が位置していた地域に隣接しており、「高句麗地名的」と指摘した 推良火一云三良火から近いところに位置している。地名語尾「吐」は「北方地名 語尾」あるいは新羅名として硏究者の觀点によって違っているが、この地域にどのよ うな理由で高句麗地名的な地名語尾吐が存在しているかについてはこれまで注目し なかった。歷史の記錄の上では高句麗がこの地域に進出したという根據は見つからな い。したがって、高句麗地名ひいては高句麗語という槪念はより廣い觀点から解釋する 必要がある。高句麗語という槪念では百濟と高句麗、そして伽倻と日本をつなぐ言語の ル一トを合理的に說明することが難しいからである。
5,800
초록보기
本稿は、身體名詞と動詞との組合わせで表す再歸用法を動詞の形態と名詞の意味特徵を基準に、その類型を分類し、類型の特徵を分析したものである。再歸用法の形態的·意味的類型は次の通りである。[1]他動詞を取るタイプ [A]身體名詞+他動詞[-□-/-e-]系列 : 手をたたく、手をあげる、息を吐く、氣持を押さえる [B]身體名詞+他動詞[-s-/-as-]系列 : 腕をまわす、息を切らす、思いをめぐらす [2] 使役形動詞を取るタイプ [C] 身體名詞+ 使役形 [-ase-]系列 : 目を走らせる、視線をはずませる、心を踊らせる 他動詞を取るタイプの場合、他動詞の形態素·意味特徵の違いにより、[A] [-□-/-e-]系列と[B] [-s-/-as-]系列に下位分類した。使役形動詞を取るタイプは[C][-ase-]系列に分類した。[A]系列と[C]系列は[B]系列を中間タイプとし形態的連續性を見せ、 意味的にも連續性を表している。兩タイプは、他動詞あるいは使役形動詞と身體名詞 の對格補語との組合わせで再歸性を表すという共通点を有する。しかし、他動詞文と使 役文とはその事態成立の有り樣、すなわち、動作主あるいは使役主と對象あるいは被使 役者との間の力動的な關係において大きな違いを見せている。それは、動作主あるいは 使役主が行爲の對象となる身體名詞をどのような形で、どの程度の强さで制御しているのか、という点から見ると、それぞれ、他動詞文と使役文の本來の姿を見せているとい うことである。 再歸用法の類型分析を通じ、その下位タイプが分類された他、その結果から他動詞文 と使役文の根本的な違いについての議論も再度檢證されたことになる。
5,800
초록보기
『古事記』と『日本書紀』所在の神話は、天皇支配の合理化という政治的目的に基づいて採錄されたイデオロギ一の産物である。その中でも、特に天孫降臨神話と神武天皇の卽位神話は天皇家の氏族神話であり、天皇家による日本統治の正統性を說く王權神話の中核に當たる部分であるだけに、神話の再編とその變容が著しい。神武天皇が架空の人物であり、神武天皇の卽位神話は神話的物語であることはいうまでもない。問題は古代の天皇神話として成立した神武天皇の卽位神話が近代天皇制國家のイデオロギ一として再生産されたことである。天皇家の氏族神話の性格が强かった古代の神武天皇の卽位神話は、大日本帝國の歷史の根源を語るものとして新たな意味を持つようになる。近代の神話敎育は、天孫ニニギがアマテラスの「天壤無窮」神勅を受け、三種の神器をもって天降った時以來、日本は天神の御子である天皇が永久に統治する正統たる歷史がはじまったと述べるところにあるといっても過言ではない。このような明治政府の政治的必要と神話敎育の方針により、古代文獻神話の中で『古事記』や『日本書紀』本文、その他の一書は無視され、『日本書紀』第一の一書のみ採用されるようになる。いわば建國神話の近代的變容である日本書紀また。第一の一書の採用と關係なく、古代の天皇神話から近代の日本神話への建國神話の變容とともに、『古事記』は近代國民國家の古典としての地位を占めるようになる。

情報化社會とジェンダ一 - インタ一ネットと女性の人權-

白土康代
5,500
초록보기
一方的に送りつけられるいわゆる猥褻メ一ルには、女性の人權を侵害するものが多く見られる。情報の傳達、共有、發信を高速で行うことのできるインタ一ネットは女性のエンパワ一メントを促進する反面、その匿名性、利便性、自己中心性を巧みに利用することで、人權を侵害する道具となることもあるのである。本論考は、實際に送られてきたメ一ルを參考に、ネットの奧で行われている女性の人權侵害の問題を考察する。 政府は對策をうたっているものの、それはあくまで靑少年の健全育成を目的とするものであり、女性の人權という視点に欠けている。  近代の人間觀の根本には女性蔑視がある。國家にとって有用な人間、すなわち健常者でヘテロ男性こそ「一人前の人間」であるという人間觀である。しかし、現在、地球規模で男女平等の取り組みが進みつつある社會においてそうした人間觀は、少なくとも公には搖らぎ始めている。ナショナル·アイデンティティが不安定になるとき、他國を敵視するショ一ビニスムへ向かうことがあるように、一人前の人間モデルとされてきたヘテロ男性は、セクシュアリティにアイデンティティを求め、女性を一方的に支配する傾向を强めているのではないだろうか。彼らは、ネットの匿名性、利便性、高速性といった特徵を十分に利用しつつ、女性の人權を侵害する。近代の人間觀そのものを根底から變えない限りこうしたネットの奧にひろがる無法地帶はなくならないだろう。それは一見進んでいるかに見える男女平等社會の實現を遠ざけることにもなる。まず實態を知ることから始めなくてはならない。
6,000
초록보기
『源氏物語』は多樣は戀の人間關係を主題に描いている虛構物語で、世にもあり得ないような特殊な男女關係を描いている。普通の戀は形ばかりの關係か、脇役の人物のやることのように描かれている。本稿は六條御息所の怨靈が現れる場面を中心に、御息所の愛執と光源氏の道心を分析したものである。 『源氏物語』の中で、光源氏と六條御息所との戀は異樣な愛執と愛憎の入り交じった特殊な人間關係になっている。六條御息所は東宮に入內し、姬君をもうけたが死別して六條の屋敷で優雅に暮していたころ、藤壺中宮との逢瀨がかなわなかった光源氏の愛人となる。しかし、光源氏より七つも年上で、それに氣位が高く、深く思いつめる性格であったので、光源氏は敬遠しがちであった。その結果、六條御息所は生靈となって正妻の葵の上を取り殺し、死靈となっては紫の上と女三宮を惱ます物の怪となって現れることになる。すなわち、六條御息所は亡くなってからも光源氏への愛執を捨てきれず、成佛もできない物の怪となったのである。 六條御息所についてはさまざまな角度から登場人物論の硏究がなされている。鈴木日出男が光源氏を出家へと思い立たせる御息所を「源氏の人生を相對的にとらえ直してみせる物語の目」であったと述べているように、光源氏は葵上、紫上、女三宮などと戀の人間關係をもつことによって自分の榮華を達成するが、六條御息所の愛執によって絶望と挫折、榮華の凋落をもたらすことになる。 すなわち、六條御息所の娘秋好中宮を通じて準攝關になるが、一方では六條御息所の物の怪のために六條院の榮華が崩壞しはじめる。作者紫式部の『紫式部集』で女の物の怪を‘心の鬼’と理解しているように、六條御息所の物の怪は光源氏の‘心の鬼’、すなわち、疑心暗鬼、良心の呵責と言えよう。

『금석물어집(今昔物語集)』의 음양사(陰陽師) 고찰

문명재
5,900
초록보기
『今昔物語集』(以下『今昔』と略稱する)が成立した平安時代後半は陰陽師が活躍した時代であり、作品の中には陰陽師たちの活躍像が多彩に描かれている。したがって當時の民衆の生活全般に密接な關わりをもっていた陰陽師の姿を確認するにおいて、『今昔』の說話は重要な手がかりを提供してくれる。 陰陽師の種類を見ると、まず官人陰陽師は陰陽寮に所屬し、官職をもった陰陽師のことで、天文を觀察して曆を作ったり、奇異なことが起こったら吉凶を占って報告したりした。次に、世の中には隱れて活動した陰陽師、隱者陰陽師があった。朝廷や官の要請ではなく、一般民衆の苦しみと惱みを解決してくれたのが隱者陰陽師の役割であったが、彼らは人を殺す呪いの呪術を唱えたり、民衆の災厄を防ぐなど、肯定的な姿と否定的な姿の兩面を合わせてもっていた。もう一つ、法師陰陽師は僧侶として陰陽師を兼ねているか、或いは僧侶の格好をした陰陽師を指す。法師陰陽師という表現は『今昔』以前の『枕草子』にも旣に出ているが、作者淸少納言は見にくきものの一例として、法師陰陽師が紙冠をかぶっている姿を上げている。陰陽師が紙冠をかぶっているわけについては『今昔』の例話を通して理解できよう。卽ち、神は僧侶の姿を嫌うからと言っているが、當時の神と佛との關係を窺わせる。 また、陰陽師は普通の人は持っていない技芸の持ち主で、彼らの占いは重要視され、優れた秘法は稱贊の對象であった。陰陽師は隱れているものを見る透視術、體を隱す遁甲術を驅使したり、式神を使ったりもした。とりわけ、重病にかかった人の命を救ってやった安倍晴明の秘法は當代陰陽道の第一人者と言われる名聲に少しも劣るところがなかったことが確認される。

書陵部藏本 『齋宮女御集』と『村上御集』 との關係

권혁인
5,500
초록보기
本硏究は、『齋宮女御集』の系統本の中で、『村上御集』と多數の共通歌を有しながら、歌序においてもっとも類似している『齋宮女御集Ⅰ(宮內廳書陵部藏「齋宮女御集」)』を『村上御集』と比較考察したものである。  旣存の反說において、『齋宮女御集Ⅰ』の1番から51番の歌がそのまま『村上御集』に採用されて歌集が形成されたとされているが、その否定の根據を提示して反駁した。 否定の根據としては、歌語と詞書を詳細に檢討して、そのまま歌を移してきたとは判斷できない五カ所の歌や詞書を紹介した。『村上御集』の番號によって示せば、 (1) 8番と9番の間(贈答歌の歌語の應酬) (2) 16番のところ(詞書と處理方法) (3) 21番から25番までの間(『齋宮女御集』の各系統本にない歌資料を含む。) (4) 50番から53番までの間(『村上御集』の歌資料の獨自性) (5) 56番から58番までの間(贈答歌の緊密性) の歌である。  以上の根據から判斷するに、『村上御集』と『齋宮女御集Ⅰ』はそれぞれがとても類似した原初資料によって編集されたのであって、『齋宮女御集Ⅰ』の一部が『村上御集』にそのまま嵌め迂まれたとは考えられない。『村上御集』の歌資料の獨自性が認められる。

韓日說話比較硏究 -かちかち山-

田畑博子
5,800
초록보기
日本で發行されている昔話事典類や、話の履歷書昔話百選などの事典には、この有名なかちかち山の昔話について「外來種とされているが、日本への招來の過程は全く不明というしかない」としている。このように日本の昔話硏究の世界では中國などの類型については認知していたが、韓國については全く不明であった。韓國の昔話がすでに多く日本に紹介されているが、そのほとんどが神話や英雄譚であったので、いままでこれら日本で昔話と言われるいわゆる故事、口承說話、口碑文學と呼ばれる話群を比較檢討することが困難であった。そこでこのたび金厚蓮氏の協力を得て、韓國の說話について硏究することができ、兩國の說話の相 關關係を解析することができた。「兄妹始祖說話」「甲賀三郞譚と地下國の盜賊退治」などについて論究してきた。これはとりもなおさず日本の說話の傳播傳來の重要な問題であると考える。前述のように學術用語としての「昔話」は、故事、口承說話、口碑文學、口傳說話、口承文芸など多くの呼び名を持っている。これらを槪念として規定することは、大げさに言えばその國の持っている思想を表わすことになる。中國をはじめ、日本も國際的な分類體系AT分類法を利用しているが、韓國は獨自の分類體系を持っている。AT分類法は、あくまでもヨ一ロッパの實情に合わせたもので、アジアで使うには困難が伴うことがしばしばあった。それに對して韓國は、韓國そのものにあった分類法を作成したと言うことで、これは敬服に値する。 かちかち山は、尻尾の短い理由譚になっている話もあり、「尻尾の釣」との關係、また後半部の仇討ち部分では「猿蟹合戰」との類似も見られる。「尻尾の釣」「猿蟹合戰」についても韓國に同樣の話が存在し、日韓の傳播傳承については、疑問の余地はないと思われる。また狡猾な兎と言えば日本では『古事記』の中の「因幡の白兎」が有名である。同樣に「兎と龜」の兎もいる。そして「兎の生き肝」の話が「猿の生き肝」と言う話と同型であることからして、これら動物譚の登場動物は、相互に變換されることが多くあることがわかる。韓國の說話との比較によって、この話の日本への招來過程が理解できた。また話の原型、話の變容が解析できたと考える。
5,800
초록보기
本稿では、韓·日の會話におけるturn-takingの豫期失敗とその修復過程からパタ一ンを見い出し、韓·日の異同を探る。そうすることによって、韓·日のturn-takingパタ一ンとの關わりを究明し、雙方の會話スタイルへの影響を明らかにする。予期失敗とは、turnのやりとりの際、次の主流turnを取ろうと試みたものの現話者や他參加者の承認が得られないため、話し續けることができず途中で話すのをやめてしまう發話を指す。また、予期失敗のあと次の主流turnを取って、次話者になることを修復と言う。韓·日における予期失敗とその修復過程では、修復を圖る者が予期失敗の當事者か否かによって、また修復が予期失敗のあと現話者の主流turnの直後に行われるか否かによって、四つの修復パタ一ンが見られる。  パタ一ンⅠ:予期失敗の當事者による、現行turnの直後の修復 パタ一ンⅡ:予期失敗の當事者による、現行turnの持續後の修復 パタ一ンⅢ:他參加者による、現行turnの直後の修復 パタ一ンⅣ:他參加者による、現行turnの持續後の修復 分析の結果、韓·日の予期失敗と修復過程には相違が見られた。韓國語では修復パタ一ンⅠが最も多くなっており、修復の際に予期失敗の當事者が自らの失敗を挽回するかのような素早いturn獲得を行うことで、他者の相づちやturn獲得の余地を殘さないようにする傾向が見られた。一方、日本語では韓國語ほどの優位度は見られないものの、パタ一ンⅣがわりと多くなっており、予期失敗の當事者が直ちに次の主流turnを取って修復を行うことは少なく、現話者の主流turnがしばらく續く間に一回以上の相づちが揷入されてから他者によって修復が行われる傾向がうかがえた。この違いが、韓國語に優位とされるturn-takingパタ一ンⅠ(現話者の主流turnから次話者の主流turnへの直接的な交替)の連鎖を引き起し、日本語に優位とされるturn-takingパタ一ンⅡ(現話者の主流turnの間に他參加者の相づちが入ったり、現話者の主流turnの後に他參加者の相づちが入るもの)の連鎖を引き起す要因の一つとなり、雙方の會話スタイルにまで影響を及ぼしていることが分かった。