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> 한국일본어교육학회 > 일본어교육 > 73권 0호

『한중록』의 임오화변과 -가게로닛키(청령日記)-의 히가시산조도노(東三條殿) 기사의 이면성

박윤호

- 발행기관 : 한국일본어교육학회

- 발행년도 : 2015

- 간행물 : 일본어교육, 73권 0호

- 페이지 : pp.89-108 ( 총 20 페이지 )


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초록(한국어)
『閑中錄』と『청령日記』は特定の讀者を設定しており、潤色や强調、削除が行われたと窺われる。本稿は作品展開のタ一ニングポイントである壬午禍變と東三條殿の記述を中心に、二人の作者の事實ないし本心が作品に投影されていく過程を追跡してみた。すなわち自敍の日記の本質と言うべき懺悔と告白のかわりに、潤色や强調、削除過程を通じて表われた作品の構成的な特徵を把握しようと試みたものである。『閑中錄』の其1の壬午禍變の記述で、惠慶宮が家門と家族を守りながら生き殘るための手段として選んだ方法は、男性社會の政治的な欲望を告白せず沈默することであった。しかし1795年の其1の和平の政局から變わって、純祖初期の1-2年の貞純王后側の慶州金氏の政局下の其2と其3では、壬午禍變の原因を自分を含めた洪氏家門に有利に記述しなければならない境遇に陷る。其4でも其3の記述をもとに、微妙な黨爭の問題を排除し、當時の多くの勢力の氣にさわらない壬午禍變の名分を立てた。『청령日記』で道綱母は、住いに對する記述を非常に敏感に表している。作者の家は結婚以前から‘左近の馬場をかたきしにし’た所だった。967年、兼家の計らいによって、東三條殿に入ることを前提に、‘近うさりぬべきところ’に移したが入居はできなかった。道綱母は自分の家を隔てられた所であると一貫して表わしているが、これは自分の家を卑下した表現ではなく、上流貴族の居住圈に暮している作者の誇りが含まれた表現である。作者の住いに對する欲望は3男2女を持つ時姬と比べられる自分の敗北感から生じたようである。日記の最後の973年の廣幡中川の轉居は、東三條殿の入居が葉わなかった上、養女の入內も不如意な狀況で選んだ兼家に對する諦めの選擇であった。惠慶宮の內的な告白と懺悔を隱した虛構を書くという營みが『閑中錄』の眞實であり、これは人間の生存という本質を確認させた意圖的な結果であったと言える。『청령日記』もまた日記文學の本質である‘自分の省察’から逸脫する姿を見せており、これは果てしない欲望を持て余した結果であった。政爭に券き迂まれたことはあったが、惠慶宮は英ㆍ正ㆍ純祖に至る3代に王后の諡號まで受けて洪氏の家門を守った。一夫多妻制の矛盾した制度下で道綱母は攝關の上流貴族の身分で、在世中に息子道綱が公卿の座まで昇進する姿を見た。二つの日記作品は、時空を超越して、人類普遍の情緖というべき生存と欲求を希求する二人の生の過程を讀者に見せ、解けない生の眞實と虛構の問題を投げかけている.

논문정보
  • - 주제 : 어문학분야 > 일어일문학
  • - 발행기관 : 한국일본어교육학회
  • - 간행물 : 일본어교육, 73권 0호
  • - 발행년도 : 2015
  • - 페이지 : pp.89-108 ( 총 20 페이지 )
  • - UCI(KEPA) : I410-ECN-0102-2016-730-000281572
저널정보
  • - 주제 : 어문학분야 > 일어일문학
  • - 성격 : 학술지
  • - 간기 : 계간
  • - 국내 등재 : KCI 등재
  • - 해외 등재 : -
  • - ISSN : 2005-7016
  • - 수록범위 : 1985–2021
  • - 수록 논문수 : 1232