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일본어교육검색

Journal of Japanese Language Education Association


  • - 주제 : 어문학분야 > 일어일문학
  • - 성격 : 학술지
  • - 간기: 계간
  • - 국내 등재 : KCI 등재
  • - 해외 등재 : -
  • - ISSN : 2005-7016
  • - 간행물명 변경 사항 :
논문제목
수록 범위 : 27권 0호 (2004)

초청강연 : 화し언엽의 교육: 새로운 기능シラバス에 向けて

영목목 ( Yeong Mog Mog ) , ( Suzuki Mutsumi )
한국일본어교육학회|일본어교육  27권 0호, 2004 pp. 3-18 ( 총 16 pages)
5,600
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수업개선을 목적으로 한 내성활동 -동료와의 협동적 활동을 통하여-

박영숙 ( Park Yeong Sug ) , 족립량자 ( Adechi Ryoko )
한국일본어교육학회|일본어교육  27권 0호, 2004 pp. 19-38 ( 총 20 pages)
6,000
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일본어교육은, 1990년대부터 시작된 학습자 다양화에 의해, 교사는 단지 가르친다라는 존재에서, 학습자의 지원자라는 역할로 전환했다. 또한 학습자 한사람 한사람에게 초점을 맞춰서 수업을 하거나, 교사 스스로의 수업행동을 내성(內省)하며, 개선되기를 요구하고 있다. 그리고 교사는 내성(內省)과 수업실천을 통해, 끊임없이 배우고 교사로서의 전문가로 성장해 가는 것이다. 이와 같은 교사의 배움은 개인적인 것만이 아니라, 학생이나 다른 교사와의 협동적(協動的)활동 속에서도 배우고 있다. 일본 내에서는 현직의 교사가 현재의 수업형태를 다시 생각해보거나 연수를 받으면서 교사로서 성장할 수 있기를 요청하고 있는 것이 현재상황(現狀)이지만, 해외에 있는 교사에게 있어서는, 교사연수의 기회나 다른 교육현장에서 일하는 교사와의 배움의 자리가 부족하다는 것을 문제로 들 수 있다. 본 논문에서는, 교사가 수업이나 스스로 교수(敎授)행동을 개선하기 위한 과정에 협동적 활동(協動的 活動)을 도입하여, 교사의 성장과 거기에 관여한 동료의 역할, 영향에 대해 논했다. 조사는, 각 교사가 수업내성(授業內省)을 위해 14주간에 걸쳐 기술한 수업일기, 수업에 대한 디스커션(discussion) 기록, 학기말에 수업 반성회(反省會), 교사들의 인터뷰기록을 사용했다. 우선 수업일기에서 보여진 것은 한 교사가 스스로 수업행동에 대해서 내성(內省)을 하고 개선방법을 생각해 개선을 시도하고 그 결과에 대하여 재차 내성(內省)하는 과정이었다. 그러나 이 개선은 교사 한사람의 힘으로 실현한 것이 아니라, 동료 교사로부터 수업행동에 대해서 평가받거나, 동료교사와 수업에 대해서 대화를 통해 이견(異見)이나 생각을 받아들이므로 새로운 시점을 얻어, 이것이 수업개선에 영향을 미쳤음을 밝히고 있다. 또한 수업방법, 수업개선방법에 대해서도 동료교사와 수업에서 생긴 문제점에 대해 이야기를 나눔으로 이야기 중에 힌트를 얻거나 스스로 수업개선 상에 기준으로 작용함을 알았다. 또한, 수업에 대한 디스커션(discussion)은, 수업에 대해서 동료교사와 정보를 교환하므로 스스로 역할을 파악할 수가 있고 학생에 대해서 정보를 교환하거나 동료교사의 의견이나 생각을 들음으로서, 각 학생에게 주목을 해 각 학생에게 맞는 대응방법을 생각하게 되었음을 밝히고 있다. 교사의 성장은, 개개인교사의 문제로, 교사자신이 수업개선희망을 위해 행동으로 노력하지 않으면 안된다. 그러나 그것은 교사가 혼자서 할 수 있는 것이 아니라 성장과정에는 교사를 둘러싼 환경을 무시할 수 없다. 교사의 성장에 빠뜨릴 수 없는 부분이 동료의 역할과 그 영향으로, 이 동료 사이에는, 안심감, 신뢰감을 가질 수 있는 관계구축이 바람직하다. 본 논문에서는, 그 환경의 하나로서 동료의 역할로 인한 교사의 성장과 동료의 역할에 협동적(協動的) 활동의 필요성에 대해서 밝혔다.

초보 학습자에게 있어서 문화교육의 필요성

윤강구 ( Yun Gang Gu )
한국일본어교육학회|일본어교육  27권 0호, 2004 pp. 39-68 ( 총 30 pages)
7,000
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外國語を學習する際、まず言語構造を學び、それに基づいて意思疏通能力を養っていくという習得過程をたどる。ところで、言語敎育には、文化敎育も必要である。文化というものは、言語構造の習得よりも意思疏通能力と關係が深いと言える。そうであるならば、はたして初級過程の外國語敎育でも文化敎育が必要であるかを檢討することが本槁の目的である。 高校の日本語敎育では、まず意思疏通能力を養うことが主な目的である。しかし、言語學習の先行硏究では言語構造を習得した後、意思疏通能力を養うべきであると一般的に言われている。言語構造を身につけるためには、文法の知識は不可欠であり、意思疏通能力を習うためには、意思疏通機能と文化的な要素を知る必要がある。 そこで、まず、何を習うべきかが問題である。外國語習得の順序によって言語構造を習い、意思疏通能力を養うべきである。言語の習慣化を理由に言語構造と意思疏通能力を同時に養うべきであるという主張もある。しかし、最近の敎授法では習慣化も修正可能であるので、習慣化を怖がるべきではないか、という考え方もあり、學習者に初期段階から意思疏通ができるまで基本的な言語形態を敎えるべきであると言われている。そのためには言語構造と關連のある文法敎育が先行されるべきである。 言語敎育で取り扱う文化敎育內容は、目的によって違ってくる。目標言語圈の文化を指導することが目的であるならば、異文化間の差から生じる不必要な誤解を解消できる知識などを文化敎育の內容にすべきである。最近の高校の日本語敎科書には、「日本槪觀、日本人の日常生活、傳統文化、大衆文化」などの社會現象全般について收めてある。 文化敎育の指導方法は、先行硏究では、大體①視聽覺資料の利用、②主題討論、③演劇、④ネ-テイウスピ-カ-招請講演、⑤文化的な差異からくる誤解の發事例發表會をおげている。その中で、視聽覺資料の利用ぐらいは、初級學習者が利用できると思うが、それ以外の方法は、日本語をある程度使いこなせる學習者が利用できる方法である。

일본어 교육을 위한 기본 어휘 연구 -기본 어휘 선정 기준과 예측과 사용도-

송호 ( Song Ho )
한국일본어교육학회|일본어교육  27권 0호, 2004 pp. 69-88 ( 총 20 pages)
6,000
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本稿は韓國人のための日本語の基本語彙の選定の方法についての一つの硏究である。今までの基本語彙硏究方法の流れは一般的に硏究者の主觀的な經驗を生かした主觀的方法と言語の計良的な側面からのアプロ-チした、いわゆる客觀的な方法。そして兩方ともを析衷した析衷的な方法などで分かれているようである。最近は語彙硏究にはかかせない語彙調査において手?にコンピュ-タ-の利用が可能になった。さらに語彙調査に必要なプログラムの開發は盛んに行われている(htt://www.nihon.co.kr)。また大量のコ-パスの作成に伴って計量的な語彙調査は發展された。それでコンピュ-タ-に基づいたコ-パスを利用した語彙調査では語彙の高頻度語及び廣範圍語の語彙調査が簡單にできるようになって、語彙の使用度も求めやすくなった。だが、計量的な方法にによる語彙調査はコ-パスの利用が長所でありながらも短所にもなっている。コ-パスの問題はデ-タ-のバラツキにもあるが、根本的にはここでの使用度とはコ-パスが作成された時期の語彙の使用度だと言えるはずである。つまり、過去の語彙使用度が未來の語彙使用度を示しているとは言えないはすである。 日本語の基本語彙は過去の語彙の使われ樣子を反映すべきであるが、未來の語彙使用度も反映すべきだと思われる。問題は未來の語彙使用度をどうやって求めるかということである。本稿では指數平滑法を提案する。 Ft=Ft-1+α×(At-1 - Ft-1) ただし、Ft=時点の予測デ-タ(t=1,2,…,n) Ft-1=(t-1) 時点の予測デ-タ At-1=(t-1) 時点の實際デ-タ α:指數平滑の加重の根(0 ≤α≤1) 指數平滑の加重の値を求めるに日本語の語種の中で語彙變化が行われやすい外來語對象にする。また指數の加重の値のデフオルトを0.5にする。最後に外來語の調査用のコパスは自作コ一パスを使う。 ◁표 삽입▷(원문을 참조하세요) この調査に分かったのは一括的に語彙に同じ指數の加重の値0.5を與えても實際の使用度が予測使用度では使用度がすごく變わるということである。また、指數の加重の値を利用して、語彙の使用度の變化の予測ができるということも分かった。 これからは具體的に外來語一つ一つの指數の加重の値を求めて行きたい。
7,100
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本稿はモダリテイ-の觀点から日本語の陳述副詞「ダブン·オソラク」とこれに?する韓國語の‘아마’の作用法における共起關係を分析するものである。 本稿の考察?象である韓日陳述副詞「ダブン·オソラク」と‘아마’は主に蓋然性を表現する推量の文末表現と共起し、話し手の不確實を表す副詞類に分類され、今までの硏究も大抵 ‘推量’に焦点を合わせて扱われてきただけで、それ以外の意味用法に對する分析や推量の文末表現以外の共起關係については十分に論議されていない。從って本稿ではこのような問題点を認識し、辭書に提示されている意味と例文を土臺に「ダブン·オソラク」と‘아마’の意味を分類した後、陳述副詞と共起するモダリテイ-を大きく無標的な關係と有標的な關係との2つに分類し、韓日陳述副詞が文末にどのような制限を受けるのかという類似点と相違点を通じ、副詞の文末制限の樣相を調べてみた。その分析結果、意味的に ①話者の推量 ②話者の推定 ③事態の確實さの3つの意味機能に分けることができ、このような意味機能をもとに分析した結果は次の通りである。 1.副詞の意味の特性による文末モダリテイ-との共起關係 ①話者の推量の意味機能における文末モダリテイ-との關係 「たぶん·おそらく」と ‘아마’ が推量の意味においては話し手の判斷は聞き手にその情報が意識されていないという假定のもとになされ、韓日兩言語とも文末には比較的確信度が低いモダリテイ-との共起するのが自然であるが、日本語の「たぶん·おそらく」の場合は文末に比較的確信度が高いモダリテイ-との共起する。 ②話者の推定の意味機能における文末モダリテイ-との關係 「たぶん·おそらく」と ‘아마’ が推定の意味では主に視覺、聽覺、感覺などで話し手が接することのできる何らかの情報、または狀況に基づいて判斷し、韓日兩言語とも話し手の漠然とした推定というよりは、ある程度確實性を持った判斷だといえる。また文末表現においては韓國語の ‘아마’は ‘~인가보다’, ‘~모양이다’の文末表現がとられる反面、日本語では過去の經驗の依存した推定のみが可能で「~だろう、~にちがいない、~はじずだ」で表現される。 ③事能の確實さの意味機能における文末モダリテイ-との關係 「たぶん·おそらく」ガ事能の確實さの意味機能においては一人稱話し手の現狀況を判斷する場合、または話し手の一般的な考え方ではなく記憶の中に內在している情報をもとに判斷するから「たぶん·おそらく」は文末に「~とt思う」と斷定の文末と共起しなく、話し手の記憶の中に內在している情報をもとに判斷する時は ‘생각되다, ~ㄹ겁니다’ などの文末と共起する。このように ‘아마’ は ‘~이다’のような斷定の文末と共起を避けるのが一般的である。 2.副詞と述語との共起關係 ①韓日の陳述副詞「たぶん·おそらく」と ‘아마’は動作性·狀態性述語と自然に共起する。具的に日本語の「たぶん·おそらく」の場合は動作性述語より狀態性述語との共起率が高く、動作性述語と共起するときは述語の部分に「する」の例が最も多く見られた。そして動作·行爲性動詞は文の中に時間的に未來を表す單語や、文末に終助詞(よ、ね、な など)が來ると許容度が高くなるものと考えられる。 そして、韓國語の ‘아마’の場合は動作性、狀態性述語との共起率は日本語と比べて大きな違いは見られないが、狀態性述語と共起するときは感情を表す述語と共起する例が多いことがわかった。

한,일 양 언어의 시간어에 대한 대조 고찰 -"나중에"와 『あとで』를 중심으로-

장원성공 ( Jang Won Seong Gong )
한국일본어교육학회|일본어교육  27권 0호, 2004 pp. 121-143 ( 총 23 pages)
6,300
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本稿の硏究では韓國語 ‘나중에(ナジュンエ)’と「日本語「あとで」について對照硏究するにあたってまず ‘나중에(ナジュンエ)’と「あとで」が辭書にどのような意味で書かれているのかを見てみることにする。その後で意味論的な觀点から接近し ‘나중에(ナジュンエ)’と「あとで」間に差があるのか、また使用法に差があるのかについて考察する。そして最後に設問調査を通じ ‘나중에(ナジュンエ)’と「あとで」間に認識の差異について考察する。 一般的に韓國語 ‘나중에(ナジュンエ)’と「日本語「あとで」は同じ使われ方として認識される場合が多く、實際敎育現場においてもそのように敎えることが大部分だと思われる。しかし今回の硏究を通じ ‘나중에(ナジュンエ)’と「日本語「あとで」は同じ性質もあるが、全然違う性質もあるということが分かった。それをまとめると以下のようになる。 ① 發話時が基準になって話が展開される場合、‘나중에(ナジュンエ)’と「あとで」は發話時からいくらも?っいない未來に起こる出來事や近い未來にする行動に對して使われるという資質からみると類似した性質を見せている。 ② 韓國語 ‘나중에(ナジュンエ)’は發話時ガ基準になったと言ってもその後にすぐ實現しにくい ‘결혼하다(結婚する)’や‘떼돈 벌다(大金を儲ける)’、‘자라다(育つ)’などの動詞が入ると自動的に遠い未來まで表すことができるが、日本語「あとで」は發話時基準になると使われ方に制約を受け遠い未來まで表すことが難しくなる。 ③ ‘나중에(ナジュンエ)’ や「あとで」は兩言語とも拒絶するという意味で使う場合、韓國語 ‘나중에(ナジュンエ)’は後ろに動詞の述語が入ってもそのまま拒絶の意味を表わすことができる。一方日本語「あとで」の後ろに動詞の述語入ると近い未來を表す性質が强いため一時的にその場を避けるという意味では使われても拒絶する意味では使いにくくなる。 以上のような ‘나중에(ナジュンエ)’と「あとで」の意味資質と認識差異をもとに韓日兩言語の類似性と相遠性について考察した。しかし本稿において‘나중에(ナジュンエ)’と「日本語「あとで」の動詞述語との共起關係についてまでは明らかにすることができなかった。その硏究はこの次に回したいと思う。

동사파생명사 형성에 있어서의 제약

최태옥 ( Choe Tae Og ) , 안소정 ( An So Jeong )
한국일본어교육학회|일본어교육  27권 0호, 2004 pp. 145-158 ( 총 14 pages)
5,400
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日本語の動詞の連用形は有形の接尾辭の添加を伴わずそのままの形で名詞に派生できる。これは相當生産的な單語づくり(單語形成)であって、動詞が名詞に派生する際大抵この方法を取ることが多いようだ。とはいえ「書き,來」のように名詞への派生ができない場合もあって、これは派生の時單語形成に何らかの制約が動いているのではないかと思われる。 本稿では動詞派生名詞の形成の際發生する制約の要因について考えてみることにした。硏究の?象は『日本語基本動詞用法辭典』に載っている固有日本語の單純動詞525語のうち、名詞派生が難しいことと思われる92語に限る。ある動詞が名詞に派生できるかどうかの判斷としてまず最初に『日本語大辭典』より名詞としての存在如何を調査した。それから名詞としての自立的な用法の有無をインタ-ネットなどの用例の檢素を通じて調べた。この調査には單純動詞が對象なので「覺書き、行き來」のような複合語は除くことにした。 制約の要因は色??あるようで、本稿では單語形成の要素と思われる音韻·形態·意味という三つの側面から考えてみることにした。音韻的制約は先行硏究などで指摘している通り、主に1音節あるいは2音節などの割に短い音節の言葉のなかで制約として動いていることが分かる。たとえば「する」の連用形である「し」の場合、一つの續まった言葉として安定していない感じがする。また「仕, 刺, 司, 使, 士, 子, 市, 死, 絲 ....」などで見られるように、たくさんの同音異義語があって、辨別に難しさがある。このような現象は3音節あるいはそれ以上の言葉では見られない。すなわち連用形が3音節以上の言葉では音韻的制約は作用しないこととなる。したがって1音節などの短い音節は言葉としての不安定さと辯別力不足のため單語形成が難しくなることが明らかである。 形態的制約は言葉の對應關係から說明できる。自動詞と他動詞など言葉の對のうち基底形態の言葉に對して一度あるいはそれ以上の派生が起った言葉に制約として動く可能性が高いようだ。これは特に「動かすく動く、乾かすく乾く」なそで見られるように語尾が「一す」で終わる他動詞でその傾向が著しい。また「あっしゃる」などでは名詞の派生が難しいが、のは形態の變化によって制約が動いていることと思われる。 意味的制約はそれを意味する言葉がすでに他に存在しているため、新しい言葉の形成を阻止する阻止現から制約として動いていると思われる。一つ例を拳げると「食う一食べる」の場合「食い」は可能性で「食べ」ができないのは通時的理解が要求される。すなわち「食べる」は古語では「食ぶ」などの謙讓を表す「いただく」、または丁寧語で使われてきたのだ。これに比べて「食う」は敬語の意識はなく、ただ「食べる」という意味で使われてきたので、「食う」から派生した「食い」は名詞になれるし、また「立食べ」、「飮み食べ」の代わりに「立食い」、「飮み食い」などの單語形成が可能になるわけである。

『기』와 『こころ』의 연어에 의한 의미 특성과 창발 구조

최은주 ( Choe Eun Ju )
한국일본어교육학회|일본어교육  27권 0호, 2004 pp. 159-181 ( 총 23 pages)
6,300
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本稿は今まで慣用語として扱ってきた「氣」と「こころ」の辭書意味記述に問題を提起し、連語として扱い、統辭的特徵、形態的特徵、意味的特徵の三つの觀點によって、各??の語彙素の持っている特性を考察する。そして、連語としての意味が、どのような過程を經て認知されるかに關して、槪念的混成理論を貸して來て明らかにしようとする。 慣用語であるか連語であるかは、同音異義的ではないか(社會的慣習が裏付けられる, 全體として派生した意味を持つものであるか), 同音異義的ではなぃか(全體として派生的な意味を持つに至っていないもので、第3の意味というより、多義語の意味合成、あるいは精緻化であるか)というのが基準になる。その基準によると、「氣」と「こころ」においての慣用語は連語として扱ったほうが望ましいと思う。 「氣」と「こころ」の連語的特徵は此のようである。 ① 統辭的特徵は、動詞を結合語にする傾向がつよい。それは非可視性の「氣」と「こころ」の意味を可視的な動作に比?していることがわかる。 ② 形態的特徵は、「氣」においては「が」が、「こころ」においては「を」の頻度が多い。 それはその自體が主體であるか、その以外管掌する主體が別に存在するかを示唆する。 ③ 意味的特徵は、「氣」の場合「心理·感情·性格·行動·注意·記憶·人格·中心·傾向」の意味で分類でき、「こころ」の場合は「精神を管掌する機關、精神狀態、感情、配慮、分別力」、注意、記憶、人格、中心、傾向」などの意味に分類できる。 連語的意味の認知過程を理解するために槪念混合理論を導入する。槪念混合理論は槪念メタファ-の設定が必要であり、「氣」と「こころ」の槪念メタファ-を設定してみると次のようである。 「氣」: 氣は線である。 「こころ」: こころは面である。 このような槪念メタファ-を中心として槪念混合理論での創發構造(emergent structure)が形成され、この創發構造によって連語的意味が認知されるというものである。 以上の結果は、互いに有機的關係をもっていると見られ、韓國語との意味特性の?照はこれから課題である。

개천문학에 있어서의 변용 -『東洋の秋』를 중심으로-

김명주 ( Kim Myeong Ju )
한국일본어교육학회|일본어교육  27권 0호, 2004 pp. 183-204 ( 총 22 pages)
6,200
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本稿は芥川文學の變容を「東洋の秋」を對象にしてその當爲と共に考察したものである。大正9年4月「沼」と倂載され、同じく大正7年3月という日付が施されながらも、思想的基調において二作が全く異質的な樣相を見せるということを手掛かりにしている。 まず、自筆原稿からすると發表日である大正9年頃のものと字體が多いに類似しており、それに草稿とされる「寒山拾得」も大正8年頃のものと見なされ、その時期的な開きが問われる。 文體的な面からは、中期への確かな轉換を示ずものとされる、大正8年5月に發表された「蜜柑」と對照していく。それらには「云ひやうのない疲勞と倦怠」という表現がほぼ同じ形で示されており、それから、「賣文生活」という語も見える。それから感動の場面の系譜に入れて考えると、それらの表現がほぼ類似しており、また感動の對象、程度なども等質のものに見え、少なくとも大正8年以後のものに見合うものと推定する。 思想的な面においては、「寒山拾得」と對照しながら、漱石により始まった東洋藝術への進展とこれまでの西歐文學への懷疑という藝術觀の根本的な變化を描出したものと見なす。 それから<秋>という李節感に注目し、同じ時期に發表された「秋」や「舞踏會」などを拳げつつ、それが東洋的諦觀の境地を效果的に完成するためのモチ-フと見なす。 最後に日付謎に迫リ、ではなぜ大正7年と記したのかという疑問を示す。これについてはまず森鷗外との關係を問う。鷗外は大正5年「寒山拾得」という作品を出していうからである。そこで鷗外に對する心境の變化を徐??タに追っていき、それが<歷史小說>や<歷史物>と呼ばれる二人の作家の器量の差だけでなく、芥川自らの根本的な文學的變容に起因するものとしながらも、大正8年頃の、ある事件に注目し、その以後二人の間に變化が生じたと見定める。それに日付の記された大正11年の『沙羅の花』の出版とほぼ同じ時期に鷗外が死んでおり、そういう中で日付は決められていったと推察する。つまり、鷗外との關連性を突き放す形で、己の文學的原点とその營爲を師の漱石に起因させようとする芥川の意志の表れが日付ではなかろうかと結論付けるには至らず、心底は謎のままにしてあかなければならない。

『심중인은 영적 삭일』 소고 -봉건성에 대한 충돌과 파국을 중심으로-

노현미 ( No Hyeon Mi )
한국일본어교육학회|일본어교육  27권 0호, 2004 pp. 205-219 ( 총 15 pages)
5,500
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『心中刃は氷の朔日』の劇的?立の主な要因は金錢に基づいた ‘一分’と ‘義理’との葛藤といえる。 平兵衛は小かんを身請けする金の工面に詰まって、大和宿村の雪馱の裏金を打ったことを親方に咎められて。 勘當される身になった。 平兵衛は戀仲の小かんに對する愛と親方利右衛門との ‘理’の間で苦しみながら、 結局、 自分の ‘一分’のために、小かんとの愛をえらぶことになったのである。 白方勝はこのような平兵衛の選擇について'平兵衛が自分のすべてのことをなくしてまででも愛を守ろうとすること自分自身の ‘一分’のためではなかったのだろうか"と言いながら、一分を決定的な理由として認識していた。 當時、このような平兵衛の行爲は封建制度の下で決して許されないことであった。 宿村との取引という文藝化珍しいテ-マを使ったこと、 ‘鐵火の握り’というユニ-クで劇的な緊張を持たせる ‘趣向’を加えて ‘一分’と ‘義理’との 劇的對立を試みたのである。 その結果、社會的な規範が二人を破局に陷れてしまった。 社會的規範は則ち、その當時、社會的モラルとも言える封建制度で、18年間も親方に仕えていた平兵衛が利右衛門の意志を逆らう行爲こそ、封建性に對する抵抗であったのだ。 利右衛門は徒弟の平兵衛の抵抗を情を通して解決しようとした。 しかし、平兵衛は宿村からの雪馱の注文の取り消しては自分の ‘一分’が立たないので、 結局、心中を決意することになった。 卽ち、近松は當時、文藝化されにくく、禁忌でもあった宿村との取引という主題を通して、鐵火握りというユニ-クで優れた趣向を使って、封建性を否定しようとしたことだと思われる。 同時に敵役の登場しない構造の中で、二人の挫折がそのまま心中に展開している点も評價してよいであろう。
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