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Journal of Japanese Language Education Association


  • - 주제 : 어문학분야 > 일어일문학
  • - 성격 : 학술지
  • - 간기: 계간
  • - 국내 등재 : KCI 등재
  • - 해외 등재 : -
  • - ISSN : 2005-7016
  • - 간행물명 변경 사항 :
논문제목
수록 범위 : 43권 0호 (2008)
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本論文では、『普通學校國語讀本』(1912)の編纂に深く關與したとみられる朝鮮總督府編修課長の小田省吾が、言語および日本語敎育にたいしてどのような認識を持っていたのかを明らかにすることを主な目的の一つにしている。具體的には、小田著「朝鮮總督府編纂敎科書槪要」(1917)の記事を追ってゆき、そして文部省編纂の國定敎科書の『尋常小學讀本』(1910)との關連性について議論してみた。その結果、小田の敎科書編纂における出發点は、朝鮮において日本語を敎授するというのは「母語」を異にする學習者を對象として行なうものであるという認識、つまり日本語を外國語として位置づけるところにあったことを確認することができた。このような認識に基づき、小田は朝鮮での日本語普及をより「時勢」にあったものにするために、言語面において種種の見解を提出しているわけである。それをまとめると以下のとおりである。まず、日本語表記法に關しては、『普通學校國語讀本』で<表音式假名遣>を採用したのは、單に速やかな日本語普及のみを狙いとしたためではなくて、「學理上」最も「自然」な方法を選擇した結果であることを明らかにしている。次に、漢字敎育に關しては、すでに韓國で行なわれていた漢文敎育の實態および當時の敎科課程まで視野に入れた上で敎科書編纂に臨んでいたことを確認した。一方、日本語敎授法と關連しては、直接法の導入、話し方重視敎育、正確な發音の重視、全課目を日本語で敎授する方式などを强調していたことを見た。最後に、小田は『普通學校國語讀本』の編纂にあたって、旣存の國定敎科書にたいして提起されていた樣樣な言語的な問題を、積極的に「改良」して反映しようと試みていたことを確かめた。以上のような小田の認識が大きな意義を有するのは、以降、朝鮮總督府で刊行したいっさいの敎科書は、基本的にこのような見解がそのまま受け繼がれていた可能性があるからであり、なお、日帝强占期における敎科書問題について議論する際は、イデオロギ一的な觀点に基づいた追究のみではその實體に迫ることができないということを示唆してくれるからである。

한국인 일본어학습자의 한자어표현 오용에 관한 고찰

라복순
한국일본어교육학회|일본어교육  43권 0호, 2008 pp. 17-38 ( 총 22 pages)
6,200
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本硏究は、韓國語を母語とする中級レベルの日本語學習者の課題レポ一トに現れる漢語表現の誤用を中心に分析を行ったものである。誤用例の分析をもとに、學習者が自然な漢語表現を使いこなせるよう指導に役立てていくことを目的にしている。誤用例を四つの類型に分け、分析した結果は以下のとおりである。まず、名詞に~性、~的、~感などの接辭が付いた漢語表現の誤用があげられる。韓國語では``感受性,中毒性,集中的,安堵感``のように名詞に接辭が付いて一つの名詞や形容動詞として使われる漢語が多い。このような漢語を日本語の中でそのまま使うと、不自然な日本語になる場合が多いので注意が必要である。次に、``斷然(단연), 본래(本來), 전직(前職), 沐浴(목욕), 誤算(오산), 유대관계(紐帶關係), 契機(계기)``のように、韓國語ではよく使われている漢語が日本語ではあま使われてない場合も誤用が生じやすい。日本語で漢語と同じ意味を持つ和語がある場合は、和語を使ったほうが日本語として自然な場合が多いので、この点に氣をつけると、誤用を減らすことができると思われる。また、``現實と 現狀, 準備と 士度, 感心と 興味, 觀衆と 觀客のような類義語が、韓國語にも日本語にもある場合、これらの漢語が意味-用法とも、日韓で同じであろうという推測から生じる誤用もある。それぞれの語彙の意味-用法を例文をもとによく說明し、理解させ、誤用を減らせるのではないかと考える。最後に``女主人公,偶然に,不足な人``のように日·韓の文法上の違いから生じる誤用と、``眞心で,心がある,心が生じる``のような韓國語の表現をそのまま日本語に直譯することによって生じる誤用がある。學習者には、多樣な例文を提示し、理解をはかることが大切であろう。このように、韓國人學習者が韓國語でよく使われている漢語を日本語に當てはめて使用することによって生じる誤用を減らすためには、まず敎師が兩言語の漢語表現の違い認識し、十分把握した上で指導をする必要がある。また、學習者も、日·韓の漢語表現に違いがあるという認識をもち、誤用を犯さないよう、類義語の使い分けなどがうまくできるように、學んでいく姿勢が必要であろう。

일본신문 투고자의 경어의식

이하자
한국일본어교육학회|일본어교육  43권 0호, 2008 pp. 39-55 ( 총 17 pages)
5,700
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新聞の投稿欄には年代, 年齡, 性, 職業等が表記されている。よって、生の敬語意識の分析資料として適合する。また、日常身邊に關する敬語の相談の投書やコラムに現れる敬語表現の指摘から日本人の敬語意識が把握できる。本硏究では敬語の內容に關する新聞の投稿欄の時代別、年齡別、性別、職業別等からどんな內容と形式で敬語意識が表出され、日本人の敬語意識がどのように變化してきたかを考察する。また、投稿欄の敬語の指摘の內容はその時代の具體的な實例を明らかに表すので、實生活の生の敬語意識の時代的な變化も觀察して分析できるため、本硏究の必要性がある。投稿欄の名稱は各新聞社で「ポスト」、「赤電話」、「私書箱325」、「はがき」等のような「手段」に該當する名稱を一番多く使用していた。投稿者の成分から考察してみると、年齡別は1950年代には20-29歲の投稿者が多い。これは若い世代の旣成世代に對する過剩敬語の使用の指摘、敬語接頭語「お」の過多使用に對する指摘と關連が多い。1960年代30-39歲の投稿者、1970年代には40-49歲の投稿者が多いが、これも若者だちの旣成世代に對する敬語の過多使用に對する不滿の投稿の內容が多く現れている。その反面、1980年代には60-69歲の投稿者が多い。これは若者、特に新世代の敬語の表現できていない內容の投稿が多いのと關連し、その時代の若者の稀薄な敬語意識がわかる。職業別についてはどの時代にもやはり「主婦」が一番多く現れ、その次が會社員である。性別は全體的な統計で男性が優勢だった。1950年代、1960年代には男性が多く現れた。これも女性の敬語接頭語の「お」過多使用に對する反感と關連が多いと言うことができる。しかし、1970年代以後には女性の投稿者が多く現れた。敬語の內容には「呼稱」に關する投稿者が約半數(49.6%)を占めている。呼稱は1950年代、1960年代、1970年代、1980年代、1990年代のどの年代にも一番多くの投稿が行われていた。これは日常生活の中の對人關係で呼稱が一番多く現れる必須事項であることが言える。敬語過剩に關する指摘は多いが、敬語廢止よりは敬語維持の意識が支配的であり、日本人の意識には日本語の敬語が時代が新しくなるにつれてて品位語化の意識のほうに變わることが確認できた。本硏究は現代の日本人の敬語意識を生の資料である新聞の記事を通じて具體化し、現代の日本の敬語の品位語化の現像である敬語意識の變化も考察したことに意義があると言える。
4,500
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아래와 같은 두 문장의 예처럼 「って」는 긍정적인 표현보다 부정적인 표현을 수반할 경우의 허용도가 더 높다. 본고는 이 허용도의 차이에 주목하여 「って」가 긍정적인 표현에 비해 부정적인 표현과 공기했을 경우, 그 예가 허용되기 쉬운 요인을 화자의 정보에 대한 「ウチ-ソト」의 관점으로부터「って」와 부정적인 표현과의 공기관계를 고찰했다. 私、英語って{?上手です/下手です}。私、パソコンって{?得意です/苦手です} 일본어에서는, 화자의 가족의 정보는 「화자에 속하는 정보」로서 화자의 머릿속에서 「세력권(繩張り)」의 밖의 정보와 구별된다. 정보의 세력권 관계는 어떤 정보를 인지적 [近·遠]으로 파악하는 「ウチ-ソト」의 개념과 본질적으로 상통한다고 볼 수 있다. 「ウチ」정보와 「ソト」정보는 언어 형식에 의해서 구별되며, 화자의 청자에게 공유되어 있지 않은 정보는 「ソト」정보로서 인용형식에 의해 표지된다. 「って」는 인용적 성격을 가지는 주제형식으로서 화자와 청자사이에 공유되어 있지 않은 정보, 또는, 공유되어 있지 않다고 상정되는 「ソト」정보를 새로운 정보로서 담화에 도입할 때 사용된다. 화자의 세력권에 속하는 「ウチ」정보로는, 자신의 개인적인 일, 직접적인 경험, 자신의 전문분야나 지식 영역 등을 들 수 있다. 그리고, 화자의 정보에 대한 숙지도(熟知度), 친밀도는 그 정보에 대한 숙달역(熟達域)과 관련되며, 숙달역이 화자에 속한 것인지, 청자에 속한 것인지에 따라 「ウチ」정보와 「ソト」정보로 판단되어, 「ウチ-ソト」정보로서 말, 담화에 표지된다. 반면 화자의 세력권에 속하지 않는 「ソト」정보로는, 화자의 숙달역에 속하지 않는 비전문분야나 경험해 보지 않은 일 등을 들 수 있다. 이는 화자에게 있어서 서투르거나 익숙하지 않은 일과도 상통하는 면이 있으며, 때문에 「ソト」정보로서 파악될 수 있다. 이와 같이 어떤 정보를 담화에 도입할 때, 정보에 대한 화자의 인지적 세력권이 작용하며, 이 인지적 세력권에 의해 「ソト」정보로 판단된 결과, 「って」와「下手」,「苦手」와 같은 부정적인 술어의 호응이 긍정적인 술어보다 자연스럽게 성립되는 것은 아닐까 생각된다. 더욱이 「って」가 부정적인 술어와 공기되면 밖으로 밀쳐 내려고 하는 뉘앙스가 생긴다. 단, 이 뉘앙스는 「って」가 부정적인 술어를 수반하는 경우에만 한정되는 것으로, 이는 「って」자체의 본질이 아니라, 부정적인 술어와의 공기에 의해 초래된 성질이라고 보여진다. 이상, 본고에서는 「って」라고 하는 인용 형식이 나타내는 요소와 정보의 「ソト」의 개념을 관련시켜 논술했다. 근년, 「って」의 주제형식으로서의 담화 기능이 주목받고 있으나 「って」가 주제형식으로 사용되는 조건에는 여러가지 요인이 관련되어 나타나므로, 향후, 더욱 새로운 검토가 필요하겠다.

韓日兩國の諺に見る「女色」と「男色」に關する比較硏究

김수진
한국일본어교육학회|일본어교육  43권 0호, 2008 pp. 83-101 ( 총 19 pages)
5,900
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속담은 민중문화를 기반으로 하고 있기 때문에 그 속에는 민중의 가치관, 언어의식, 풍습문화 등과 같은 인간생활의 전반에 걸친 다양한 면모를 엿볼 수 있다. 본고는 이 점에 착안하여. 근래 끊임없이 관심이 고조되고 있는 ``성``에 관한 일면을 속담을 통해 살펴본 것이다. 특히 ``여색관계``와 ``남색관계``에 초점을 두고, 한일 양국사회에 있어서의 ``성``을 둘러싼 지배구조는 어떠한 양상을 띠고 있는 지를 고찰하였다. 속담 속에 나타난 양국사회의 ``여색관계``와 ``남색관계``관련내용은 한국의 속담에 비해 일본의 속담 속에서 한층 더 다양하고 폭넓게 나타나는 특징을 엿 볼 수 있었다. 양국 속담에서 엿볼 수 있는 ``성``을 둘러싼 지배구조라는 관점에서 보면, 기본적으로 여성에 대한 남성의 지배구조로 이루어져 있지만, 다음과 같은 특징적인 상이점 또한 나타나고 있다. 즉, 한국속담 속에는 남성의 ``여색관계`` 를 시사하는 표현으로 일관하고 있으며, 특히 여성의 ``정절``을 강조한 내용이 비교적 많이 등장하고 있다. 한편, 일본속담의 경우, 남성의 호색기질에 대한 긍정적인 가치관을 비롯하여, 금전적인 관계로 맺어진 ``성매매 여성``, 즉 ``유녀``와 관련된 표현이 많이 등장하고 있다는 점, 그리고 무엇보다도 남성의 ``여색관계``뿐만 아니라, ``여성의 불륜``과 더불어 남성의 ``동성애`` 를 시사하는 ``남색관계`` 까지 사실적으로 묘사하고 있는 특기할 만한 사항을 엿볼 수 있다. 이러한 상이점은 양국사회의 역사적인 사회배경에 기인한 것으로 파악할 수 있다.

「~てある」와「~ておく」의 형식과 의미 -유사성을 중심으로-

김보은
한국일본어교육학회|일본어교육  43권 0호, 2008 pp. 103-121 ( 총 19 pages)
5,900
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「~てある」構文が持っている形式と意味を調べてみた結果、形式1(「對象が+他動詞てある」)と形式2(「對象を+他動詞てある」)は發話時以前になされた行爲の現存という側面は共通しているものの、行爲者の目的意圖の有無によって差異がある。「が~てある」は寺村(1984)·益岡(1987)の「意志的行爲の結果に重点が置かれる「結果相」の表現」より、森田(1988)の「行爲の結果の現存」という意味で把握するのが望ましい。なぜならば「~てある」形式で表現される意志性がない場面の描寫文も「行爲の結果の現存(殘存)」として說明できるからである。「~ておく」構文において高橋(1976)はすがた動詞ともくろみ動詞という一つのかたちに二つの意味があるといいながら、アスペクトの體系に屬する一つの形式として扱い、もくろみ性を副次的な現象に過ぎないと述べている。しかし、「~ておく」が「あとのことを考えにいれてする動作」と規定されているように「~ておく」全般に もくろみ性が覆っていると思われる。工藤(1989)が言う「~ておく」の「基本的に<①あとの出來事を成立させる(成立させない)ために、②意圖的に(目的意識的に)動作を行って(あるいはわざとおこなわないで)」からも「~ておく」には意圖的な目的意識はもくろみ性を反映すると思われる。「~てある」形式2)は一般的に「~ておく」のシタ形と意味的·統語的に對應關係を持つ。しかし「~ておく」文のスル形は動作主が先を見通して後の事態に備えるため、發話時以前になされた意圖的な行爲を發話時に表す「~てある」形式2)とは異なる。「~てある」形式2)と「~ておく」との違いを李(2001)は「消極的準備」と「積極的準備」で說明しているが、「~てある」形式2)はある動作をしたことの效果が發話時にも繼續しているところに焦点(結果 → 行爲)が置かれ、「~ておく」はある動作をすることに焦点(行爲 → 結果)が置かれているという差がある。

인간중심시대 문학의 예술적 기능

김채수
한국일본어교육학회|일본어교육  43권 0호, 2008 pp. 123-145 ( 총 23 pages)
6,300
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人間中心時代とは人間の信仰心に基づいて形成された神中心的思考を捨てて彼の理性に立脚して形成され人間中心的思考を確立していった時代を言う。この時代における人間の生の目標は人間が來世ではない、ちょうどこの現世の中で芸術を利用して精一杯美的に生を實現していくことに置かれていると言える。人間中心時代における最大の芸術ジャンルは文學であり、特にその中でも小說文學ジャンルである。それは科學を基盤として起きた産業革命と市民革命などを通して産業社會とか市民社會などが確立していく過程で形成して出來たものである。またそれは人間中心的思考の中に陷沒している人間を主人公とする文學ジャンルである。この場合、小說文學の芸術的機能は人間中心時代の初半では合理主義、ナショナリズム、資本主義、社會主義などを助長して人間中心的思想を啓發していく手段としてその役割を果たと考察される。しかしそれはその時代の後半に至り、人間中心主意の病弊を克服していく手段として用いられることになったのである。それが人間中心的思想の啓發手段としての役割を果たしたのは19世紀のリアリズム文學の時代であったとすれば、人間中心主義病弊の克服方法を提示したのはほかならぬ20世紀前半の實存主義文學での時代であった。19世紀のリアリズム文學は人間中心的思考のもたらした、人間自分自身の生に對する過大な欲望を叱り責める手段であった。それにたいして20世紀前半の實存主義文學とは人間の生に對する虛無意識を呼び起しその意識を生に對する美的意識へと轉換させていく手段としての役割を果たしていったものだと言える。以上が人間中心時代における文學の主な芸術的役割だとするならば文學のそうした役割はどう行われることになったのか。こうした人間中心時代の文學の芸術的機能とは西洋のキリスト敎文化圈の場合人間中心的思考の結果として現れた、西洋人の來世に對する否定的態度によったものである。東アジアの儒佛敎文化圈の人人も西洋からのそうした人間中心思想を受け入れ、自民族及び自國民中心の思想であるナショナルズムの中に陷沒していった。そうしたナショナルズムの時代における文學の芸術的機能はそのナショナルズムを啓發していく手段としての役割を果たしていったのだが、戰後に至っては儒敎の天神及び祖上神とか佛敎の極樂淨士などが否定されいくことにあって實存主義文學が出現した。しかしそれは來世が否定される現世において人間箇箇人がどのように生の生き甲斐を感じていくかという問題を取り扱っていたのではなく、その箇箇人が國家とか自分の屬している集團などとどのように關係をもっていくのを問題にしていったのである。
초록보기
本硏究の目的は、韓日兩國のクラスタ-の成功事例として日本の愛知縣豊田自動車と蔚山(ウルサン)の現代自動車の構成主體と役割、そして開發と生産ネットワ-クの特徵を見るところにある.それを要約すると次の通りである.一番目として、クラスタ-には關連會社、硏究機關、大學、技術訓練及び敎育·情報、關連産業等、地域が競爭力を持つのに必要な、重要な構成要素が地理的に密集していればこそ關連機關の連關效果が强化され、重要な資源や情報に對する接近が容易になる.二番目として、クラスタ-においてビジョン提示者(VP)、システム統合者(SO)、專門供給者(SS)等、三つの構成主?が役割分?を通じネットワ-クを形成し、相互作用を通じ知識を創出する.三番目として、專門供給者の集積と機能が不足している.現代自動車の一次協力會社のうち、12.5%のみ蔚山(ウルサン)地域に所在しており、完成車硏究所の首都圈への移轉、企業の需要に合った特化した技術訓練と敎育·情報·硏究開發及び技術支援を提供できる支援機關がなく、全國16の市·道の中で國策硏究機關や試驗·評價機關を保有していない唯一の地域である.四番目として、モジュ-ル化は關連企業の地理的條件と各システムに對する技術力及び核心部品に對する生産力量を必需的要素としている.蔚山(ウルサン)地域の自動車産業の後方 效果分析において自動車部品の地域內供給割合は28.8%レベルになっており、完成車メ-カ-から發注し、納品までの所要時間は1時間以內が18.8%にとどまり、2時間以上所要する會社の割合が54.9%と半分以上を占めているのを見るとき、JIT(適期供給體系)が切實であることが分かる.モジュ-ル化とクラスタ-の發展のためには關連企業の地理的條件、卽ち集積化が必要である.五番目として、愛知縣の豊田クラスタ-事例は自動車産業のような成熟産業においてもクラスタ-形成を通じ成熟産業の競爭力を高めると共に技術融合を通じてハイブリッドカ-や電氣自動車、ITS等、新たな技術と製品を開發することが可能であるということを見せている.

한일(韓日) 신여성(新女性)의 가정관(家庭觀) 연구(硏究)

우정미
한국일본어교육학회|일본어교육  43권 0호, 2008 pp. 167-183 ( 총 17 pages)
5,700
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近代敎育を受けた新しい女性たちの家庭觀を兩國の婦人雜誌である「新女性」と「婦人公論」を通して調べてみた。韓日兩國の女性たちの考えた家庭觀は、まず自由戀愛の結果としての家庭であって、その中での夫婦關係は對等、平等であり、また、子どもを中心として家族が團欒できるスイ一ト·ホ一ムであるというものであった。しかし、配偶者の選擇の誤りや家庭の中での夫婦關係の行き違いが生じたときは、韓國ではそれを克服することよりも順應するとか受け入れる方向で解決するのに對して、日本の女性は、それが離婚を前提としていないとしても夫に改善を要求したり、あるいは自分がもっと前向きな行動で生活の主?になることに躊躇しなかった。人格として對等で平等志向的な夫婦になるためには、韓國では適度に離れて生活する必要があり、女性たちに``職を持て``と積極的に勸めた。しかし、韓國では固定化している傳統的な因習を變えることが難しい現實の前で女性たちに讓步と忍耐を强調するのに對して、日本の女性は、そのような夫婦になれないのであれば、從順で現實順應的であるよりも、强い女性になって西毆の平等志向的な夫婦像を積極的に受け入れようとする姿勢であった。家族が團欒できる家庭を作るのは、韓國では家庭の中の女性の努力の如何によるものと考えるのに對して、日本では家庭を小さい社會?としてみなして構成員のお互いの配慮によって作られるものと考えている。上の差は、まず韓日における近代文明の恩惠の受容度の差としてみることができる。近代學校の敎育は多數の學生に一律的な平準化を指向した。女性に對する公敎育の差が女性の認識を變化させたものである。日本では明治末期に大抵の女性たちは讀み書きができた。しかし、韓國ではその當時、女性に對しての公敎育が始まったところであった。もう一つは時代的な狀況である。韓國は植民地狀態であったため、個人的な幸福よりも國權回復と民族の自立が常に先に立った。日本は當時の世界の思潮であったデモクラシ一の影響を受け、家庭の改良とか改造論が韓國よりももっと活發に論じられていたからである。
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