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일본어교육검색

Journal of Japanese Language Education Association


  • - 주제 : 어문학분야 > 일어일문학
  • - 성격 : 학술지
  • - 간기: 계간
  • - 국내 등재 : KCI 등재
  • - 해외 등재 : -
  • - ISSN : 2005-7016
  • - 간행물명 변경 사항 :
논문제목
수록 범위 : 49권 0호 (2009)

日本語敎育における漢字指導方法硏究

우찬삼
한국일본어교육학회|일본어교육  49권 0호, 2009 pp. 1-17 ( 총 17 pages)
5,700
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本硏究では日本語敎育の漢字音指導との關わりを考えて今現在日本で使われている常用漢字を對象にして(1)韓日漢字音が一致する漢字音を利用した指導法、(2)韓日音節構造の差を利用した指導法、(3)韓日音韻變化の差を利用した指導法の三点を取り上げて論を進めてきた。(1)韓日漢字音が一致する漢字音を利用した指導法に提示した常用漢字は、韓國漢字音とほぼ一致するので、全く一致しない日本漢字音より容易に接近できると考えられる。このような漢字はほとんど韓國漢字音をそのまま利用できるという利点があるので、韓國人日本語學習者の初期段階で積極的に提示するとよいだろう。そうすることによって學習者の日本語學習意欲を向上させると同時に、今まで難しく感じていた日本漢字音に對する心配を解除させるにも役立つと考えられる。今日使われている日本常用漢字音を韓國漢字音と比較してみると、(1)で提示した漢字もあるが、大部分は一致しない漢字音である。一致しない漢字音が多くある大きな理由としては、兩國語の音節構造の差、もう一つは兩國語の音韻變化の差のためである。本硏究ではこれに着目して(2)韓日音節構造の差を利用した指導法、(3)韓日音韻變化の差を利用した指導法と名付けて述べてきた。兩國語の音節構造だけを理解することによって理解できる漢字が數多くある。例えば韓國漢字音では一音節である漢字「各、殺」などが日本漢字音としては二音節になって韓國漢字音と異音になるが、これらの原因が音節構造の差のためである。詳しいことは本文を參照していただきたい。また日本漢字音を見ると、「天、千」「査、社」「人、印」「理、異」などのように韓國漢字音では同音であるが、日本漢字音では異音になる漢字があり、反對に「加、果」②「甲、工」③「三、山」などのように、韓國漢字音では異音であるが、日本漢字音では同音になる漢字も常用漢字の中には數多くある。この理由は兩國で起った音韻變化のためである。各各の音韻變化について詳しく述べてきた。各項目で提示した音韻變化を理解することによって何故韓國では同音である漢字が日本では異音になり、反對に韓國では異音である漢字が日本では同音になるかが理解できると思われる。最後に、本稿で提示してきた方法で指導し、それに當てはまる漢字を學習者と一緖に調べながら指導すると、學習者は難しく感じた日本漢字について興味を持つだろうし、その興味は漢字學習にも肯定的に影響を與えていい效果が得られる。これ以外にも日本漢字音の指導法として考えられるのは、漢字の共通部分を利用した指導法である。これについては旣に拙稿で提示したので倂せて參考しながら指導すると、多くのヒントが得られると考えられる。

오용 정정에서의 코퍼스 활용 가능성

조남성
한국일본어교육학회|일본어교육  49권 0호, 2009 pp. 19-33 ( 총 15 pages)
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本稿では、韓國人日本語學習者の語彙/形態論的な誤用を訂正するために、インタ―ネットのWWWペ―ジをコ―パスとして使用した。2009年7月11日から2009年7月18日にかけて檢索エンジンGoogleのフレ―ズを含む檢索とYahoo!JAPANの「順番も含め完全に一致」の檢索を使って誤用と正用を檢索した。その主な結果は次のようである。(1)誤用の訂正のためのコ―パスとしてGoogleとYahoo!JAPANの檢索は相互補完的な關係で、兩者を檢索する方が信賴性が高いと言える。しかし母語(韓國語)非干涉の誤用(檢索語)において、誤用の檢索のヒット數が少ないのは、GoogleよりYahoo!JAPANの方であった。(2)語彙/形態論的な誤用の訂正におけるコ―パスとしてGoogleとYahoo!JAPANの檢索は、すべての誤用の種類(接續詞の誤用を除いて)の訂正にとってかなり有效だと言える。(3)日本語母語話者による誤用の訂正の類型別の人數とその訂正の類型に對するGoogleとYahoo!JAPANの檢索のヒット數の比較においては、慣用的な動詞句(問8: 續けて食べても/食べ續けても)、形容詞(問9: 細かくトル/細く)、名詞(問16: ところに/に)、副詞(問18: ぜひ/きっとトル)、接續詞(問24: それなら/では)等に多少違いが見られる。(4)有效な檢索のためには檢索語(日本語母語の訂正の類型)を、文脈によって變更する必要がある。

明治初期小新聞とその近代日本語

방극철
한국일본어교육학회|일본어교육  49권 0호, 2009 pp. 35-49 ( 총 15 pages)
5,500
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本硏究は、明治初期の小新聞における投書欄に注目し、近代日本語の待遇表現について考察したものである。近代日本語の待遇表現硏究は今まで多くの先行硏究があるものの、明治初期の小新聞を言語資料とした待遇表現の考察はあまり見られない。また、從來の硏究は、社會言語學的な觀点を歷史的硏究に積極的に適應していなかった。そこで、本硏究では、近代日本語の待遇表現硏究の一環として小新聞の代表的な三つ(「讀賣新聞」「平假名繪入新聞」「假名讀新聞」)を調査對象とし、社會言語學的な觀点から考察を行い、次のような結論が得られた。(1)明治初期小新聞の投書欄は近代日本語の待遇表現硏究に有效である。(2)小新聞に現れた近代日本語、とりわけ文末表現形式、人稱代名詞、敬語表現などの實態と明治期の變化について捉えることができた。(3)社會言語學的な視点、とりわけジェンダ―と結びついて待遇表現を考察することができた。上記のような結果は、小新聞における全體的な傾向を指摘するに留まったが、今後他の資料(小說や落語など自然談話)との結果を精密に比較檢討する必要がある。

西洋外來語の使用態度に關する日韓對照硏究

양민호
한국일본어교육학회|일본어교육  49권 0호, 2009 pp. 51-61 ( 총 11 pages)
5,100
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本稿では日本と韓國における外來語に關する使用態度について明らかにすることを目的としている。その結果, 基本的に兩國ともに高外來語使用者は, 低外來語使用者に比べて, 外來語が分からなくて困った經驗が少ないということが分かった。また, 「外來語の長所と短所」については, 日韓ともに「自國語では言えない微妙な意味合いが出せる(微意+)」「新しい感覺を出せる(新感+)」という外來語の長所について答えた人の割合が高かった。一方, 外來語使用の度合いと長所と短所の關係についてみると, 「漢字と違って, 文字からでは意味が取りにくい(取難-)」という項目において, 日本の場合は, 高外來語使用者ほど否定的な評價を, 韓國の場合は低外來語使用者ほど否定的な評價を持っていることが分かった。ただし, 「自國の傳統が破壞される(傳統-)」において, 兩國ともに高外來語使用者より低外來語使用者ほど否定的な評價を與えていることが分かった。

패전 후 일본문학 속의 미군 -"문명"의 "온정"과 "가면"-

강우원용
한국일본어교육학회|일본어교육  49권 0호, 2009 pp. 63-75 ( 총 13 pages)
5,300
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本稿では戰後の日本文學テキストを通して日本人の心情的な「戰後」を窺いたい。特に占領軍である米軍についての視線の變化を追うことで、日本人の戰後がどのように表出され、またその心情的な終焉がどの邊に位置するのかを探っていきたい。戰中の予想とは違って、敗戰直後の占領軍はさも「解放軍」のイメ―ジに似ていた。全體主義の抑壓と苦痛の分擔、命かけの戰場と違って個人の自由と民主が「配給」されたからだ。溢れんばかりの占領軍の物資は「文明」そのものであって、その物資を自由に操る占領軍は「文明人」に見えた。その文明は敗戰國民に紳士的であったり、「溫情」を施したりもした。しかし、占領軍の名が駐屯軍に變ってまもなく、「溫情」の隙間から出てくる「假面」を日本人は直視し始める。それ以前は占領軍の假面が存在しなかったわけではない。占領軍を直視できなかった敗戰國民の視線が、つまり戰勝國の「溫情」に感動の眼差ししか送ることができなかった日本人の視線が、やがて米軍を相對化できたからだ。もはや米軍は占領軍ではなく、日本もまた非占領國ではない、駐屯を許可した者として自らを格上げした。これらの視線の動きに注目して行くと、日本社會の變化と「戰後」の終焉が判斷できる。本稿で取り上げたテキストは、大岡昇平の『부虜記』、安岡章太郞の『ガラスの靴』と『ハウス·ガ―ド』、小島信夫の『アメリカン·スク―ル』、大城立裕の『カクテル·パ―ティ―』、東峰夫の『オキナワの少年』、以上五人の作家が書いた六つの作品である。いずれも米軍が直接的な對象として描かれたり、隱喩的な形で作品の重要なモチ―フを成している。これらの作品によって、主人公あるいは語り手と米軍との關係が變化して行く、時代の推移と、表象の格差が見えてくるだろう。

아쿠타가와(芥川)문학에 있어서의 "죄의식"과 "고백"

김명주
한국일본어교육학회|일본어교육  49권 0호, 2009 pp. 77-92 ( 총 16 pages)
5,600
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芥川の最晩年の文學には<罪の意識>が表れるが、直ちに<宗敎性>などに結び付けられるべき性質のものではない。本稿は、芥川文學には宗敎性および信仰心などはそもそも見當たらないという觀点から始まる。そこで、まず、芥川文學に散見される<道德>の用例を取り上げ、芥川の<罪の意識>とは不倫や不孝といった社會的規範に起因するものではなく、個人的な<モラル>によるものと分析した。それから、芥川が終生憧れて止まなかった志賀直哉に對する最晩年の贊辭の言葉<道德的淸潔性>における<道德>という語ををもって、論を展開させていった。つまり、芥川の<罪の意識>とは行爲そのものによるものではなく、<僞りの意識>に基づいており、思惟と行爲の一致を追い求めるものと論じたのである。次に、芥川の晩年の一連の作品から、<宗敎性>などを槪して見い出していることは、<告白體>という敍述樣式にその原因があると見做し、それを小說美學の範疇の中において考察した。つまり、芥川は<罪の意識>を告白しているのであって、<罪>自體を告白し懺悔しようとする意志はなかったのである。芥川文學からは早くから<告白>についての複雜な感情が讀み取れるが、それは自然主義流の<私小說>に對するものといえる。最後に芥川の<告白體>について二つの觀点でまとめた。第一、それは<僞りの意識>、卽ち<罪の意識>で苦しむ己の存在の在り方をそのまま是認する形で示されており、己をそのまま描き出すことで、志賀的な<道德的淸潔性>を確立しようとする意志の表れと見做した。第二、最晩年、感心を示していたフロイト式の精神分析學もしくは<無意識>の槪念の受容と見做した。本稿ではそれを<意識のリアルリズム>と呼んでおり、その方法の一環として、最晩年、自ら提出した<話らしい話のない小說>論、つまり傳統的な<話>の解體として<告白>體が完成されたと結論づけた。

大江健三郞の占領の記憶 -初期短編を中心に-

김영은
한국일본어교육학회|일본어교육  49권 0호, 2009 pp. 93-106 ( 총 14 pages)
5,400
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大江健三郞(以下、大江)にとって「戰後」とは、「敗戰」と「終戰」という言葉の兩立が象徵するように、二重的であり矛盾からスタ―トした空間である。大江の初期小說と呼ばれる作品は、五○年代後半から六○年代前半に書かれたものをさすが、初期の大江が目指してきたのは「監禁されている狀態、閉ざされた壁のなかを生きる狀態を考える」ことであった。大江の初期作品では、不安定な人間存在に對する問い、占領下の生活を强いられた戰後の日本·日本人に對する絶望を「監禁狀態」として把握し、そこで生きる靑年たちの心情を「あいまい」という言葉で比喩することで、彼らの恐怖と不安、そして極めて困難な狀況を典型的に描き出していた。戰中時、アジアにおける侵略者の役割を果たしていた日本は、戰後になっても大筋で變更されないまま現在まで續いていた。そして、その中で生きる日本人は何も言えない、また何も言わない沈默する「羊」や「啞」になっていくしかない。「もはや戰後ではない」と言われる一九五○年代に、「戰爭」への記憶を語り續けた大江は、「戰爭」を語ることによって、戰後を照らし出している。そして戰爭への反省と戰後への問いを樣樣な作品で語っている。大江の作品が時代の精神を明らかにするというのは、作者がいかに時代とそこに生きる人間と格鬪しているかということであり、またその時代と人間の有り樣との格鬪がどのような形で作品に投影=形象化されているか、ということでもある。

이바라기 노리코(茨木のり子)와 한국 -지성과 서정을 넘어-

양동국
한국일본어교육학회|일본어교육  49권 0호, 2009 pp. 107-120 ( 총 14 pages)
5,400
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日本の現代詩の流れの中で最も大きな分岐点は言うまでもなく一九四五年である。敗戰以後、日本の殆んどの詩人は否應なく戰爭體驗を背負い、幻滅と挫折やまた虛無と悔恨を紙面に描き出した。とりわけこれを戰後詩と名付けているのだが、ほぼすべての詩人が戰爭の傷痕を抱いているからである。戰後、日本現代詩壇の中で、最も早く注目を浴びた女流詩人といえばそれは茨木のり子であろう。そして日本の現代詩人の中で韓國についての深い理解と親密感をもっていた詩人をあげれば、それも間違いなく茨木のり子であろう。本論文は現代詩人の中で、最高の女流詩人として評價されてきた茨木のり子の戰後詩の特質を吟味しつつ、彼女の人生と詩想の中に韓國はどういうものであり、どう投影させていたかを文學的に探っみた。具體的に茨木のり子が描いていた敍情と知性が合致した詩想が戰後詩の中でどのような意味合いを持ち、また當時韓國の政治的な狀況と結びづけてどういうビジョンを與えていたか、また尹東柱への關心からハングルへの深い愛情、さらに韓國現代詩への飜譯、ひいては自分の詩想の中にハングルを織り입むに至るまでの文學的な交遊の痕跡をつきつめてみた。美しい敍情のなかに銳い知性をまじえ、普通の平凡な人人が力を合わせてつくっていく現實的なユ―トピアの世界を夢見て、その一方では卑怯でひ弱い現實社會を强く否定し、すべての非人間的なこととは決して妥協せず、痛烈に批判を加えていった反骨の詩想こそ茨木のり子の詩的特質といえよう。

다자이 오사무와 폴 발레리

정부용
한국일본어교육학회|일본어교육  49권 0호, 2009 pp. 121-137 ( 총 17 pages)
5,700
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太宰治(1909-1948)の作品において西洋の芸術家、文學者の名前を容易に見出すことができる。これは太宰の西洋芸術への憧憬と影響關係を考えさせる。本稿では、特に、太宰の文學的な中期以後からポオル·ヴァレリの名前が多く言及されていることからヴァレリとの芸術關の接点を明らかにすることにする。ヴァレリはフランス20世紀初頭の代表詩人で象徵主義に屬する。太宰は日本語で飜譯されたヴァレリの書籍と接するようになり、先行硏究の鶴谷憲三(1983.6)「太宰治とヴァレリ」『國文學解釋と鑑賞』によると1934年から自裁した1948年まで彼の作品においてヴァレリに言及したり、ヴァレリの作品を引用·轉用したりしているのである。しかし、これを根據に彼らの影響關係を論ずるには無理がある。したがって、本稿は彼らの芸術關の具體的な關聯を考察した。このような試みで知性と理性への傾倒、芸術創造の基本は想像力であること、人間中心の視線、傳說·神話·說話·宗敎から創作の素材をとっていること、象徵を文學的な主要な表現方法としていること、形式を重視していること、などの一致をみることができるのであった。このようなヴァレリの文學關との關聯は太宰のヨ―ロッパの象徵主義の受容をあきらかにすることである。結局、太宰の芸術關の原型形成はヨ―ロッパの文芸、特に、象徵主義の影響によって理解できるのである。

무촌(蕪村)의 「앵(鶯)」제(題) 홋쿠(發句)의 하이카이성(俳諧性)

황동원
한국일본어교육학회|일본어교육  49권 0호, 2009 pp. 139-154 ( 총 16 pages)
5,600
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本稿は、蕪村「鶯」題發句に詠まれている詩的イメ―ジにつき、和歌·連歌·貞門談林俳諧·芭蕉俳諧における「鶯」の詩的イメ―ジと比して、いかなる新しさや俳諧性をもつものであるかを追究したものである。檢討の結果、次のようなことを引き出すことができた。一、和歌などの先行文芸における「鶯」の鳴くことに比して、鶯の初音·二聲·高音·引音·口を小さく明けて鳴く聲などのような、纖細で多樣な鳴き聲を表現して、新しさや俳諧性を釀し出していた。一、「鶯」と組み合わされて詠まれている木や花の場合、和歌などの先行文芸において用いられていた「梅」「櫻」「竹」「柳」を詠むことは勿論のこと、「鶯」の高尙たるイメ―ジとは掛け離れていると思われる「枯木」「茨」とも取り合わされて詠まれている俳諧性があった。一、先行文芸においては詠まなかった、「鶯」の枝を괵む力を詠んだり、極樂淨土と關連付けられる鳥として「鶯」を詠んだり、梅花の枝を數え算する鳥として「鶯」を詠んだり、梅に枝を讓る禮儀正しい鳥として「鶯」を詠んだりする、新しさが見えた。一、下手な「鶯」の初音を「鶯」が梅の枝を踏み外して悲鳴を上げる聲と詠んだり、むくつけき烏が飛んできたために、「鶯」が遠くの方へ追い遣られて、綺麗な聲を賞味していたことが台無しになったと詠んだり、「鶯」を錯覺して「雀」と見たが、鳴き聲を聞いてから「鶯」であることがやっと分かったと詠んだりする、俳諧性に富んだ作品を作っていた。一、詩歌における美しき「鶯」のイメ―ジにも關わらず、糊をつい食べると「舌切り雀」のように「鶯」お前の舌を切るから氣をつけてよ、と詠んだり、刺のある茨をやっとの思いでくぐり拔けた鶯がその苦勞さのあまりに雲雀のように高く飛翔すると詠んだりする、笑いを狙う俳諧性の富んだ作品を案じていた。一、山風の激しさに抗しきれず、また鳴くことさえもできずに、ただばたばた飛ぶのが精一杯の「鶯」の體を詠んだり、今朝やってきて美しい聲で鳴いた鶯と思い、期待してまた鳴いてくれるだろうとじっと待っていたが、今度は鳴かないでそのままあっけなく歸ってしまったと詠んだりする、俳諧性のある作品を謳歌していた。
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