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Journal of Japanese Language Education Association


  • - 주제 : 어문학분야 > 일어일문학
  • - 성격 : 학술지
  • - 간기: 계간
  • - 국내 등재 : KCI 등재
  • - 해외 등재 : -
  • - ISSN : 2005-7016
  • - 간행물명 변경 사항 :
논문제목
수록 범위 : 57권 0호 (2011)
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本硏究は、上級韓國人日本語學習者における日本語の使役の習得狀況を調べ、學習者の誤用の要因と文法指導の問題點を指摘し、日本語文法敎育をめざす效果的な方案について考察する。韓國人學習者における使役の文法項目は、大槪日本語學的な意味と用法を理解するのに留まっている。そのため、學習者の日本語實力が上級に達していても、使役の文法項目は韓國人學習者に使いにくい文法項目という意識を與えかねない。一方、學習者が使役の文法項目については知っていたのに、正しく使えるとは言えない。また、同じ使役の文法項目でも意味用法によってできたり、できなかったりすることがあろう。そこで本硏究では、韓國人の日本語學習者における使役の習得の難しさを日本語と韓國語の意味用法のずれ、母語の特徵、受身文と使役文の文法形式の混沌という三つの觀點から考察する。このような考察を基づいて、日本語文法敎育に必要なことがらを學習者の立場から考え、學習者に役に立つ日本語文法敎育をめざす。さらに、韓國人學習者にとって、使役の文法項目に對する效果的な文法敎育をめざし、學習者のコミュニケ-ション能力に有機的につながる具體的な方案を提示する。
5,700
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本硏究は、日本語母語話者と韓國人日本語學習者の8組の初對面會話にみられる自己開示に注目し、自發度による自己開示の特徵を檢討したものである。自發度による自己開示を5つのタイプに分類し分析した結果、次のことがわかった。1.韓國人日本語學習者は日本語母語話者に比べ、自己開示の出現頻度が高い。2.自發度による自己開示の5つのタイプのうち、「タイプ2:話題の展開の中ではじめて出現する自己開示」「タイプ3:自己開示にさらに說明を付け加える自己開示」「タイプ5:相手の質問に答える自己開示」においては、日本語母語話者より韓國人日本語學習者の自己開示の頻度が高い。「タイプ4:相手の自己開示の後で出現する自己開示」は韓國人日本語學習者より日本語母語話者の自己開示の頻度が高い。「タイプ1:突然の自己開示」は兩グル-プとも同數であった。3.日本語母語話者には「タイプ5:相手の質問に答える自己開示」が、韓國人日本語學習者には「タイプ3:自己開示にさらに說明を付け加える自己開示」が最も多く出現した。4.このような結果は、母語話者の自己開示の特徵と類似していることから、初對面の相手と會話においては、それぞれの社會文化的規範と生活楊式に基づいて自己開示すると考えられる。
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本硏究は、L2成人日本語學習者の條件表現の習得にはどのような特徵があるのかを明らかにすることを目的とし、韓國語と中國語の母語話者の日本語學習者の縱斷的發話デ-タを意味と形式の觀點から分析し、考察を行ったものである。その結果、以下のことが分かった。①條件形式「たら·ば·と」はそれぞれ初出期が異なり、學習時期や共起する動詞によって條件表現に偏りが見られる。②「ば」は「~と言えば」などの慣用表現、「と」は否定形との共起、非가定的な文に多く用いられるなど條件形式每に習得の傾向が異なる。③中國人學習者と韓國人學習者からは、母語に關係なく、上述の條件表現の習得傾向が觀察される。本硏究は、學習開始3、4ヶ月から35、36ヶ月までの3年間のL2成人日本語學習者の縱斷的發話デ-タを用いたこと、先行硏究では扱っていなかった固まりや慣用表現などの形式にも注目し、條件表現の形式と意味の兩面に分析の重點をおいたことで、中國人學習者と韓國人學習者の條件表現の習得に關與している要因と習得プロセスの一端を明らかにしたことに意義がある。
5,200
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本稿は、1997年から2004年まで8年間、『現代用語の基礎知識』に揭載されている「若者用語」を對象として、若者言葉の語種別·形態的な造語の傾向、消長の關係、さらに、それぞれの若者言葉の分野別の特徵などについて考察したものである。まず、若者言葉の語種別の造語においては、和語と外來語の數が多數を占めているのに對し、漢語の數が少なく、形態別な造語では、單なる和語、漢語、外來語を使うより、これらを組み合わせた形である混種語の使用が目立っている。そして、語の消長については、8年のうち、最初の1年だけ見られる若者言葉の全體的な變化は大きくないが、「ファッション、食、性風俗、人間觀察」の分野での言葉は新しい言葉が生成されつつあるのに對し、「精神狀態、いらだち、あいまい」の分野の言葉はそれほど生成されていない。そして、5年間、連續して見られた「精神狀態、いらだち、あいまい」の分野での消長の程度は緩慢であり、8年間、連續して見られた言葉は、長期間にわたって使用される語ほど、若者言葉、流行語というラベルを貼るのが難しくなってくるのである。また、九つの分野別の特徵については、「ファッション」の分野の語の消長が最も活發で、8年間連續して見られた語もないのが目立ち、色を表す形容詞を利用した語が一番多い。「食」の分野では、「靜的名詞+る」形態が最も多く、店の名を利用した語や、飮酒とタバコと關わる語が多い。そして「性風俗」の分野は一般語の利用より、隱語、俗語を利用したマイナス的な表現の造語が多く、「遊び」の分野はメ-ルや携帶電話、車、遊び場所に關わる語が、「行動」は名詞に「する」「る」をつけた動作性名詞と、問題の行動を表す語の使用が多い。さらに、「精神狀態」の分野では、語の形態的な變化はほとんどなく、旣存の語を利用した造語が多い。「いらだち」は、形容詞に否定的な意味を與えた造語が多く、自分の氣持ちをうまく表現できない若者のため、「あいまいな」表現が多い。「人間關係」の分野では、有名な芸能人の行動を眞似する人を表す語や人の外見をマイナス的に表現する語が多いのが特徵的であることが分かった。
5,600
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本稿では,コ-パス調査を通して,日韓兩言語において,モノを數える數量詞(「個」と「枚」,「개」と「장」)とコトを數える數量詞(「度」と「回」,「번」と「회」)はそれぞれ現れ方に違いがあることを示した。日本語の「個」「枚」のようなモノ數量詞は,名詞句の內側だけでなく,名詞句の外側,すなわち,副詞的位置によく現れることを確認した。また,「度」「回」のようなコト數量詞は,名詞句の外側だけでなく,名詞句の內側にも多く現れるという傾向が見られた。一方,韓國語では若幹のゆれはあるものの,「개」「장」のようなモノ數量詞は名詞句の內側に現れる傾向が强く,「번」「회」のようなコト數量詞は,名詞句の外側,つまり,副詞的位置に現れる傾向が非常に强いことを明らかにした。

한국어에 잔존하는 일본어의 실태에 관한 고찰

이덕배
한국일본어교육학회|일본어교육  57권 0호, 2011 pp. 77-88 ( 총 12 pages)
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韓國語の中の外來語のうち、日本語由來の123項目について大學生105名を對象に調査し、50代と20代という、一世代の間の變化の楊子を社會言語學的な立場から考察しようとした。本硏究において明らかになったのは、次のとおりである。調査對象者のうち、聞いたことがあるとの答えが一人もいない言語項目は、「나라비,네지마시,렛떼루,사루마다,야지」などであり、これらは死滅の段階にあるものと見られる。聞いたことがあり、自ら使用したりすると答えた割合が高いものは「갑빠,고도리,고로께,꼬붕,난닝구,다마네기,닥꽝,뎀뿌라,메리야스,무데뽀,바리깡,벤또,빤쓰,아이스께끼,오야붕,와이샤쓰,입빠이」などであり、これらは韓國語の中に現存しており、今後も生き殘る可能性があると見られる。なお、調査對象123項目の4分の1にあたる31項目(가마니,게다,고무,곤색,구루마,노가다,레지,렛떼루(→레테르),맘마,메리야스,메타기(→미터),멕기,모찌(→모찌떡),바리깡(→바리캉),벤또,빠꾸,빵꾸,뼁끼,삐라,신나(→시너),아이스께끼(→아이스케이크),오뎅,와이셔츠,우동,웨하스(→웨이퍼),조끼,즈봉,짬뽕,코펠,함박스텍(→햄버거스테이크),호구)は、韓國の國語辭典に載っていることが確認された。この中には、固有日本語もあれば、フランス語や英語などが日本語化したものもあるが、いずれも韓國語のなかに定著したものと見られる。

日本語の副詞「いわんや」の意味と用法

조애숙
한국일본어교육학회|일본어교육  57권 0호, 2011 pp. 89-101 ( 총 13 pages)
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本稿は、日本語において副詞として分類される「いわんや」を取り上げ、構文的な觀點と意味的な觀點から、その用法を整理し特徵を分析したものである。その結果、「いわんや」は「文中で<とりたてられる要素(自者)>と<それと對比される他の要素(他者)>との範列的な關係(paradigmatic relation)」を示すという「とりたて」の機能を持っており、意味的に、「AいわんやB」における「いわんや」は先行要素Aを他者とし、後行要素Bを自者としてとりたて、兩者がどのような關係にあるのかを問題するものである。具體的に、自者と他者は互いに共通する述語によって結ばれている。そして、共通の述語の表す事態を成立させる可能性が、他者より自者のほうが相對的に高い要素であることを示す動きをするものである。そのため、他者より自者と結び付く述語の度合いが甚だしいものであるという解釋になりやすいことを指摘した。この現象は、特に自者と他者とを尺度關係で捉えられる場合、當該事態を成立させる可能性の度合いが「高い自者」「低い他者」の關係にあることから理解されることを述べた。また、自者と他者は範列的な關係にあることと、自者と他者とが同類の述語と關係していることという2つの條件によって、自者および他者のみならず、兩者と結びつく述語のうち、どちらか一方の述語が文中に現われず、文脈から想定されることがあるということを述べた。つまり、「いわんや」は自者と他者を共通の述語との關係において想定していることを表すものであると言える。なお、構文的な側面から見ると、「いわんや」には、接續詞的な用法と副詞的な用法という2つの用法で使われているが、意味的な側面からでは同楊の動きをしている。そのため、用法の違いによる意味的な相違は見られないことが確認された。
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本稿では、日本の辭書、辭典類に混在されていることわざと慣用句について調べてみる。ことわざと慣用句を區分しないまま取り扱う傾向が見られるので本稿では、ことわざと慣用句の定義をもとにこれらの特徵および共通、相違點を調べ、どのような差が見られるかについて考察してみることを目的とする。調査の結果は以下のようである。(1)共通點①類似な意味構造を持っている。(二つ以上の單語が組み合わされてその全體が一つの意味を表すようになって固定化されている。)②構成要素の本來の意味とは違う新しい意味、第3の意味を表現する。(單語の辭典的な意味だけではその解釋ができない。)③比喩表現が用いられる。④人タの間で廣く使われていることと誰がいつ作ったかその作者や時期が不明である。(2)相違點①慣用句は單なる定型的な言い方であるのに對し、ことわざはもっと自由な言い方である。②ことわざは時代や歷史の流れによる意味の變化が窺える。③ことわざは一部を類義語に置き換えることか一部の位置を交換することもできるが、慣用句は構成要素の一部を類義語や對義語で置き換えても全體が類似した意味や反對の意味にならない。④ことわざは意味の類推解釋がある程度可能であるが、慣用句は意味の再解釋が必要である。⑤ことわざには律調(韻律)が存在するが、慣用句には律調(韻律)が存在しない。

지카마쓰의 세와모노의 남성상 -범죄물을 중심으로-

노현미
한국일본어교육학회|일본어교육  57권 0호, 2011 pp. 115-130 ( 총 16 pages)
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本硏究は近松の犯罪物である『澱鯉出世瀧德』と『冥途の飛脚』、『博多小女郞波枕』の三作品における主人公の男性像に關する考察である。『澱鯉出世瀧德』では勝二郞の性格は內向的で柔弱な近松の世話物の男性像の典型だといえるし、『曾根崎心中』の德兵衛、『心中天の網島』の治兵衛、『心中重井筒』の德兵衛などがオ-バ-ラップされると言っても過言ではない。しかし、『曾根崎心中』においては、お初·德兵衛は友である九平次の計略にはまり、それを乘り越える方法として心中を選んだのだが、勝二郞とあづまの場合は殺人を通して自分達の戀を守ろうとした。『冥途の飛脚』では心中物の主人公達に似ているが、心中を選ぶのではなく違う葛藤が設定され、悲劇の方向を異にしているといえるだろう。主人公の忠兵衛が愛する梅川を身請した金の返濟のため公金の封印切りをする行爲、そして友達の八右衛門の前でお金を投げつける行爲などは旣存の作品では見られない迫力のある男らしい姿だと言えるだろう。『博多小女郞波枕』でも旣存の世話物に似ている趣向ではあるが、총七は惡に屈せず、愛する小女郞と家族の前で潔白であろうとしやむを得ず共に小女郞と逃げるなど、愛する人のためには淚を流すことができる感受性の豊かなキャラクタ-で、光源氏とよく似ている趣向の人物として分類することができるだろう。つまりこの作品に登場する男性主人公の총七も旣存の近松が創作した意志が弱くて、內向的な淚もろい主人公の代表的人物である。このように『源氏物語』を始め、古典に登場する男性達、特に近松の世話物に登場する男性達が感受性が豊かで內向的、柔弱、また淚もろく描かれた理由は、觀客あるいは讀者の心をゆさぶり感動を呼び起こす效果と、彼ら主人公が注目され愛されることを願ったからではないだろうか。

韓,日詩歌に見る『桃の花』の詩的イメ-ジ硏究

여순종
한국일본어교육학회|일본어교육  57권 0호, 2011 pp. 131-150 ( 총 20 pages)
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桃の花は、春の日差しを身に纏い、冬から春へ、陰から陽へ變わる季節を見事に表現する花であって、その豊かさへの憧憬は、「桃源鄕」という言葉にも托されている。實をいうなら、この世に存在することのない桃源鄕は、人間が憧れる夢として托した樂園である。4000年以上の昔から中國で栽培された桃は、「不老長壽」の果實とされ、さらには、邪氣を불う聖なる果樹とされた。それで、中國の漢詩において、桃の花は、不老長壽、美人、仙境などのイメ-ジが定著していたのである。『萬葉集』には、桃の花が六首が詠まれている。それは、『詩경』(國風)の桃の花の詠まれ方である適齡期の娘に喩える漢詩文の知識を背景にして美女、果實がみのることに、「なる」をかけて戀の成就、綠談がまとまるという表現が定著したイメ-ジが目立っている。『懷風藻』には、桃の花が十首ほど詠まれており、別天地(理想鄕)、仙境、曲水の宴などの詠まれ方が見られる。これらに對して、韓國の漢詩では、仙境、不老長壽、風光、花前月下の美意識などのイメ-ジが目立っているのが考察の結果分かってきた。そこで、韓國と日本の漢詩では、桃の花の詠まれ方が中國の『詩경』をはじめ、中國漢詩の詠まれ方を引き繼いで、不老長壽、美人、仙境などが同楊に現れている共通點があることを見ることができる。
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