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일본어교육검색

Journal of Japanese Language Education Association


  • - 주제 : 어문학분야 > 일어일문학
  • - 성격 : 학술지
  • - 간기: 계간
  • - 국내 등재 : KCI 등재
  • - 해외 등재 : -
  • - ISSN : 2005-7016
  • - 간행물명 변경 사항 :
논문제목
수록 범위 : 64권 0호 (2013)

일본 사가 당인신사(唐人神社)의 신이 된 조선인

노성환
한국일본어교육학회|일본어교육  64권 0호, 2013 pp. 213-226 ( 총 14 pages)
5,400
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本稿は佐賀市の唐人町にある唐人神社に神として祀られた朝鮮人宗歡に關する硏究である。彼がいかなる人物で, どのような理由で神になったのかを考察したものである。1842年彼の子孫が佐賀藩廳に提出した「由緖書の內容を檢討してみた結果, 宗歡は咸慶道、吉州の竹浦の川崎で兩班の子で生まれ1587年故鄕の海で釣りを?しんでいた際、風浪に會い日本の筑前の黑崎に漂着し佐賀に定着した。その後壬辰と丁酉の倭亂の際には朝鮮人として倭軍側に立って活躍した人物であったが、佐賀では大きな貢獻を?した人物であった。朝鮮陶工たちを拉致して佐賀の産業に貢獻したのみならず、唐人町における最初の居住者として、唐人町を貿易を通じて商業地域として繁盛させた人物であった。こうした宗歡を地域民たちは彼の功績を?える一名宗?碑という功德碑を建てた。この記念碑が1950年代に道路の擴張工事によって撤去危機にあった時、村人はそれをなくさず、村の自治會館の前に移しその上に唐人神社を建てて宗歡を神社の祭神として祀った。これによって宗歡は地域民による顯彰される人物だけではなく地域の神となることができた。このように朝鮮人宗歡は佐賀の唐人町の住民たちが尊敬する人物となったのである。
5,300
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この硏究では韓國人日本語學習者を對象にした敬語敎育において間違いの多い表現のひとつである「~ていただく」表現について、具體的な誤用例の分析と共に效果的な指導法を提示している。まず、韓國人日本語學習者の誤用傾向は次のようである。第一、「~ていただく」と「お(ご)~いただく」形式を謙讓語表現と勘違いして一人?の行爲や動作を使っている。第二、相手の行爲や動作を表わす「お(ご)~いただく」表現を「お(ご)~ていただく」のように間違った使い方をする傾向が見られる。第三、「~ていただく」と「お(ご)~いただく」が依?表現として使用される場合、「~いただきたいです」「~いただけますか」「~いただけませんでしょうか」などの形で用いられるのだが、これを間違った使い方をする傾向がある。第四、「~させていただく」表現の誤用で、この表現は話者の行爲や動作に使う謙讓表現であるが、これを「お(ご)~いただく」表現と混同して使う誤用例が見られる。このような間違いを無くすための指導方法として、以下の4段階の指導法を提示している。1)「~ていただく」と「お(ご)~いただく」は「~てくださる」「お(ご)~くださる」とほぼ同じ意味で使われるということを學習者に認識してもらうことにより、「~ていただく」表現と「お(ご)~いただく」表現に熟れてもらう。2)「~ていただく」と「お(ご)~いただく」は「~てください」「お(ご)~ください」と同じく相手の動作や行爲に對して使うということを理解してもらう。3)「~ていただく」と「お(ご)~いただく」が依?表現として使用される時、基本形でなく「~いただきたいです」「~いただけますか」「~いただけませんでしょうか」のような形で用いられることを理解してもらう。4)「~させていただく」は話者自身の行爲にあたる「~する」を謙讓表現にしたものであるため、この場合は話者自身の行爲や動作が?るということを理解してもらう

芥川龍之介『運』論

김희조
한국일본어교육학회|일본어교육  64권 0호, 2013 pp. 123-133 ( 총 11 pages)
5,100
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本作品は芥川の所謂王朝物に屬する作品で、大正六年一月の雜誌『文章世界』に發表された短篇である。物語は章立てなく、靑侍と陶器師との對話の中に、「西の市」で「績麻」の店をやっている女の話を?んで物語は構成されている。周知のように芥川の王朝物のほとんどが『今昔物語集』から材を借りているが、本作品も『今昔物語集』卷第十六の三十三「貧しき女?水の觀音に仕りて助けを得る語」に材を借りている。が、?作品が目指すテ?マは次元を異にしている。原典の作者は娘の運は全てが「觀音樣」へ願をかけた賜物として述べている。すなわち原典は「觀音樣」の靈驗を示した單なる?敎說話である。それに對して芥川は靑侍と陶器師とを作品に据えて、「觀音樣」の御利益をめぐって靑侍は「私なら、二つ返事で、授けて頂くがね。」とし、陶器師は「觀音樣へ願をかけるのも考え物だとな」としている。すなわち、お互いに食い違う見解を示している。芥川は靑侍と陶器師とを物語に据え、娘の運を以て信心の在り方をのである。
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本稿は福澤諭吉の作品の中武士が對象とした『西洋事情』に見られる外國地名について考察したものである。その主な結果は次のとおりである。(1)漢字表記された外國の地名の單一表記と複?表記は、二つが似た比率で表示され、特に複?の表記で「魯西亞」「魯國」 「魯」の形で省略表記場合が多?あった。外國の地名を表す漢字表記が普遍性を獲得したのかという問題は、多分福澤愉吉の主觀的な判?による傾向があり、『西洋事情』 以降福澤愉吉の外國地名表記が一般化されていくのは事?と確認された。(2)カタカナ表記の外國地名の單一表記と複?表記は、單一の表記で?倒的な使用面が見られ、複?の表記は、いくつかの地名である。單一表記が高くなる理由は、?時知られていなかった外國の地名が多く存在し、これらの表記を漢字ではなく、母國語である?名で表記し、世界の情勢を知らせうとしたことを理解することができる。また、漢字節減に伴うカタカナ表記に移行していったことがわかった。(3)カタカナと漢字の?用表記は大體的に漢字が優先して、カタカナ表記は割注で補助的な役割で使用された。比較的よく知られている外國の地名の?用表記が知ることができた。結果的に、武士という識者層を對象にしているが、平易な俗文で文章を構成しようとする福澤諭吉の文章觀によって簡潔な表記を優先した傾向があるが、この時期一般性を獲得した地名表記と?定するのは難しいようだ。しかしながら以降一定期間地名の漢字表記を一般化させるのに影響を及ぼしたといえるだろう。
5,400
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本論文は日本の兒童文學作家しかたしんの兒童期の讀書體?と創作との關わりについて探究したものである。しかたしんは、1928年植民地朝鮮で生まれ、敗?後、日本に引き揚げられた。彼の兒童期を語るためには??の話が欠かせない。?時學校敎育は、國家のために命を惜しまない軍人になることを?要した。そして樣?なメディアを通じて、兒童の日常生活のなかにも、天皇のために小國民養成プログラムが積極的に可動されていた。この論文で注目したいのは、?時少年達を魅了させた 『少年??部』という?誌である。この?誌はナショナリズム的メッセ?ジを?えるために少年達の好む多樣な要素を使っている。敗?後、しかたは自分を熱狂させた 『少年??部』的な特性をナショナリズムを批判する形で、自分の文學に活かそうとした。彼は子供の生きるエネルギ?に注目したのである。しかたは敗?後、??孤兒との生活と子供劇?活動を通して、?後の子供がいかに存在すべきかについて考えた。彼が見た子供は敎訓·敎化の對象ではない、主體的に行動する存在であった。この論文で扱っている『?をつけ! バリケン分隊』は??兒童文學シリ?ズに二回も?錄されたしかたの代表作である。しかたはこのような??兒童文學テキストを通して、??期という絶望の?況の中にも子供の持つエネルギ?について?えようとした。そして子供達の共感を得る記述方法を使って、??がいかに子供の自己決定?を破?しているのかについてリアルに表している。
4,500
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本硏究は明治中期から後期にかけて書かれた落語の速記資料『口演速記 明治大正落語集成』を對象に、男性によって使われた一人?代名詞について考察を行ったものである。話者の年?話者と相手との?係及び、話者自身の感情などの??な要件によって一人?代名詞を使い分けることについて位相という?念に着目して考察した。その結果は次の通りである。男性は?況によって多?な一人?代名詞を使っている。まず、社會階層間の?点からは上位者が下位社に對しては「おれ」と「わし」が多く使われており、下位者が上位者に對しては「わたし」「わし」「てまい」などが使われている。また、話者の心理?態によっては、感謝願い依?など相手に對して丁寧な言葉遣いをする必要がある場合には「わたし」「わし」「てまい」などが使われている。これに對してい怒り立腹などの感情を表す場合は「おれ」「おら」「おいら」「てめへ」などの人?詞が使われている。漢字の用字に?しては、各?の一人?代名詞が使われている?況や話者の身分などによって、それに合う漢字が使い分けられている部分が多少見られた。その他に、特定の漢字がある時期に集中的に使われていることも見られた。

『가게로닛키』의 죽음의식 -「사(死)ぬ」의 표현을 중심으로-

안정숙
한국일본어교육학회|일본어교육  64권 0호, 2013 pp. 185-197 ( 총 13 pages)
5,300
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『靑靈日記』 は、作者道綱母が藤原兼家との21年間にわたる結婚生活のありようを描いた日記文學作品である。『靑靈日記』? は、その主題上、明るい面の形容詞よりわりと暗い面の語彙が多く、その中で特に「死ぬの語は、同時代の他の女流日記作品には殆んど使われていない道綱母の表現の特?といえる。本稿は、いくつかの死と他の女流日記作品にはめったに使われていない「死ぬの表現を中心に『靑靈日記』 の死の意識について考察したものである。道綱母がはじめて死を意識した時は、町の小路の女が登場してからであり、その後、母の死後、自分自身の病床、唐崎?籠と石山?籠の時においてである。特に、二度の?籠の時、深刻に死を意識しているが、その背景には、兼家の新邸に入れなかった絶望感と悲嘆によるものがあった。彼女は、「死の表現を通じて、兼家との結婚生活からくる不?や不安定な立場を悲?し死を思うが、一人子道綱の??のため、死にきれず、現?に?る。これらの「死ぬの場面には道綱母の死の意識がかなり深刻に表現されているが、結局息子に對する責任や母性愛によって死には至らなかった。なお、道綱母は、いくつかの他者の死に?れているが、そこには死者に對する哀惜の情より?された遺族への憐憫の情が表現され、それはわが子に對する憐憫が彼女の死の意識に反映されているものと思われる。結論的に、彼女の「死ぬの表現は、兼家との愛情にかかわる鬱憤と母の死による喪失感、兼家の妻としての不安定な身?の挫折など、きわめて現?逃避的な傾向が?い。彼女はあくまで現?的な理由で死を意識し、現?的な理由で死にきれなかったのである。道綱母は、陰陽師の予告を受け、死ぬ日を待っていたが、予測通り死ななかった時、不幸な人こそ早く死なないという自ら不幸な女の人生を規定している。ここに死とは幸であり、死こそ煩?の多い現?から逃れられる?土であるという道綱母の死の意識が窺われる。彼女にとって生とは?みの多い苦痛の世界であり、死とは、現?の煩?から逃れられる自由の世界だったのである。このような彼女の死に對する意識は現?が不安であれば不安なほど、現?で解決できない不幸意識を?世に追求しようとするきわめて個人的な?世志向型の平安時代の?土信仰の影響が見られる。道綱母は、現在の自分自信の人生を不幸なものと規定している上、長く生きていることは不幸な女の人生であり、幸せな女こそ早く死ぬという淨土信仰を受け入れ、自ら不幸な女の人生を演出していたのであろう。
5,600
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本硏究では、韓國の高校の日本語敎科書における「文字と發音」に?する硏究として、(1)文字と發音の單元における例示語彙の適切性、(2)單元の構成および言語の4技能の學習の有無、(3)學習した後の評?や活動という側面を中心に分析を行った。その結果は、以下に三つにまとめられる。第一に、第7次敎育課程と2007改訂敎育課程の ?日本語Ⅰ? を比較分析した結果、例示語彙が432語から192語(平均48語から32語)に減少し、その適切性は69.9%から89.0%に改善したことを確認した。『日本語Ⅰ』 では、拗音の項目で提示されている例示語彙の適切性がもっとも低かった。したがって、拗音を最後に提示することにより、例示語彙の適切性を高めることができると主張し、これを初級レベルの他の敎材分析を通して??した。第二に、文字と發音が敎科書の中のどの單元を構成しているか、言語技能を充?に練習できる構成なのかについて分析した。その結果、EとF敎科書は文字と發音を?立した單元として提示しており、「聞く·?む·書く」技能が可能な構成で、言語技能を充?に學習することのできる敎科書として評?できる。第三に、文字と發音を學習した後の評?や活動が行われているか、その?容と類型はどのようなものなのかについて分析した結果、A敎科書を除いたすべての敎科書で何らかの活動や評?を提示していることを確認した。特に、E敎科書では「練習問題」、F敎科書では「評?」を設けており、全般的に文字と發音を充?に學習することのできる敎科書として評?した。

日本人學部生と韓國人學部留學生の會話における協同構築

전종미
한국일본어교육학회|일본어교육  64권 0호, 2013 pp. 51-66 ( 총 16 pages)
5,600
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本硏究では、日本人學部生2名と韓國人學部留學生2名の會話にみられる協同構築に注目した。調査は3回にかけて行い、會話に?加した4人の調査對象者がいかに會話を作り上げていくのかを分析した結果、次のことがわかった。1.1回目の調査では、日本人學生が韓國人學生の日本語の言語訂正を行うことがみられた。また、日本人學生の韓國人學生に對する質問の發話が多いため、「質問-答え」の發話の連鎖が多くみられた。一人の韓國人學生が發話する際は、他の一人の韓國人學生が發話する?容を補いながら會話を進めることが?察された。2.2回目の調査では、「質問-答え」の發話以外に調査?加者4人ともに發話をし合うことが多くみられた。1回目の會話にみられた調査?加者間の協同構築が、單なるインフォ?メ?ションギャップを埋めるためのものであったことに比べ、2回目の調査では、より??な話題における感想や意見などの發話が多いことが特?であった。3.3回目の調査では2回目の調査と類似した協同構築の?子がみられた。また、調査對象者4人各?の共通点を見つけ、それに?する發話を積み重ねながら會話を展開していくという協同構築の仕方がみられた。4.以上の會話の協同構築の結果から、學習者の發話量、會話活動の構成、敎師の先入?、友達作りなど、敎室?外における日本語敎育の再考察の必要が窺われた。
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