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일본어교육검색

Journal of Japanese Language Education Association


  • - 주제 : 어문학분야 > 일어일문학
  • - 성격 : 학술지
  • - 간기: 계간
  • - 국내 등재 : KCI 등재
  • - 해외 등재 : -
  • - ISSN : 2005-7016
  • - 간행물명 변경 사항 :
논문제목
수록 범위 : 65권 0호 (2013)
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本稿では、韓國人日本語學習者の中間言語の在り方を解明するという最終目標の下で、韓國人學習者の發話プロトコルの內容分析を行い、韓國語の助詞「로」を含む文を日本語に譯すプロセスに現れるストラテジ-について考察した.韓國語の助詞「로」は(i)のように日本語の「で」に譯される場合と(ii)のように「を」に譯される場合があるが、(i)は日本語の學習項目として敎えられるのに對して(ii)は「選擇」の意味を表す「로(lo)」で、日本語の學習現場では取り上げられることのない「非學習項目」である.(ⅰ) a. 종로까지 버스로 갑니다. (澁谷までバスで行きます.) b. 종이로 꽃을 만듭니다.(紙で花を作ります.) c. 병으로 학교를 쉬었다.(病氣で學校を休んだ.)  d. 소설을 원서로 읽었다.(小說を原書で讀んだ.) (ⅱ) a. 커피를 {모카로/블루마운틴으로} 마셨다. (コ-ヒ-は{モカを/キリマンジャロを}飮んだ.)  b. 컴퓨터를 {삼성 걸로/펜티엄으로} 샀다. (コンピュ-タは{東芝を/サムソンを}買った.) 本稿では(i)(ii)のように韓國語の助詞「로」を含む文を日本語譯するプロセスに注目したが、特に、日本語譯する際に用いられるストラテジ-について考察した.分析の結果、「韓國語の用法を日本語の形態に對應させる」ストラテジ-と「言い換え」のストラテジ-が多く使われていたが、前者は「學習項目」において、後者は「非學習項目」において多く使われていた.「韓國語の用法を日本語の形態に對應させる」ストラテジ-が學習項目に多く使われたのは、多くの場合、日本語の授業と敎科書において韓國語の用法と日本語の形態の對應關係を中心に學習が行われ、學習者がそこから得た知識を用いて日本語譯を行ったからだと說明することができる.「言い換え」は韓國語の問題文を他の韓國語表現に替えてから日本語に譯すことで、その性質によって、①日本語と韓國語の形態同士を1對1で對應させるプロセスの中で現れる「言い換え」、②日本語の表現を適用するプロセスの中で現れる「言い換え」、③日本語の非文の生成を避けるプロセスの中で現れる「言い換え」の三つのタイプがあることを明らかにした.

국내 인하우스(in-house)통번역사 실태 조사연구

김종희
한국일본어교육학회|일본어교육  65권 0호, 2013 pp. 17-30 ( 총 14 pages)
5,400
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本論文は2013年度3月現在、國內の企業、自治體、政府系機關などでインハウス(in-house)通飜譯の業務を단當している計34名を對象にアンケ-ト調査を行い、その結果を分析することで、彼らの實態把握及び、今後の通飜譯敎育における方向性を探し出すためのものである.アンケ-トでは回答者に關する基本情報と勤務先、具體的な業務內容の大きく三つに分けて質問した.分析の結果、通譯業務の場合、逐次及びアテンダントの割合が高く、長時間の通譯が頻繁に行われているため、そこから生じる心理的·身體的負단が大變大きいことが分かった.そして、飜譯業務に關しては、ビジネスにおけるメ-ルや文書のやり取りが多く、專門用語など語彙の難しさ及び飜譯分量の多さにより、業務の不馴れ及び大變さをアピ-ルする回答者も多かった.最後に、本論文ではアンケ-トの結果に基づき、今まで正確に知られていなかった職種への情報提供及び學部レベルの通譯飜譯敎育における方向性をいくつか提案しているものの、母集團の少なさ及び統計的處理の不十分さなどの解決すべき課題も露呈した.
5,700
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國內で發行される初級日本語敎材はイントロダクションにおいて、五十音圖を提示し、その假名にロ-マ字あるいは 音聲記號で發音が表記されている場合が多い.また、日本語の發音の特徵を說明するために例示される語にも同樣の 發音表記が見られる.本稿では、このような初級敎材に見られる假名の發音表記が、學習者にどのように受け入れられ、正しい發音の習得にどのように影響を及ぼすかを明らかにするために、ロ-マ字と音聲記號による日本語假名の發音表記の有效性を檢討した.具體的には、假名に付與されているロ-マ字と音聲記號を單獨で學習者に提示して發音してもらい、その發音を日本語母語話者に聞かせて片假名で書き取ってもらった.その結果、日本語假名のロ-マ字と音聲記號による表記に對する學習者の認知度と發音の正答率が低く、入門期の日本語學習者にとって、ロ-マ字と音聲記號による假名の發音表記は正しい日本語の發音習得にマイナスに影響する可能性の大きいことが認められた.
5,400
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第二言語としての學習者の日本語能力を測定し認めることを目的する試驗として、いわゆる日本語能力試驗(JLPT)が世界的に行われている.これは學習者の言語知識とコミュニケ-ション上の課題の遂行能力を測るということを目指し、N1∼N5レベルの5段階に評價している.一方、グロ-バル化が强調されている今頃、實際のコミュニケ-ション能力の向上に役立てる同時に、言語の運用能力測定法としての評價が求められている.本硏究では、まず、JLPTは學習者における實際の言語の運用能力測定法として、その機能を果たしているのかを槪關し、その上で今後の課題と方案を提示したい.分析の一環として、N1を所持している韓國人日本語學習者を對象として聽解能力を測定し、聽解のレベルがどのようであろうかということを檢討する.こうしたことに基づき、JLPTはコミュニケ-ション機能をより充實に反映し言語の運用能力でも最も基本的な能力である聞く能力(聽解能力)の測定法としてその役割を果たしているのかに着目し、JLPTは日本語レベルの判斷基準として充分であろうか、JLPTの聽解能力測定は學習者の聽解能力を正確に測っているのかについて考える.さらに、上級の日本語學習者を向けた發音敎育と聽解敎育が含まれた音聲敎育の關点から、これからの日本語敎育の發展と方向および本硏究の日本語能力關について考察する.

한국인 일본어 학습자의 「단어 친밀도」에 관한 고찰

조남성
한국일본어교육학회|일본어교육  65권 0호, 2013 pp. 63-84 ( 총 22 pages)
6,200
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本稿では韓國の日本語敎育に必要である基礎資料を得るために、韓國人日本語學習者における日本語の單語(1410個)の「單語親密度」を調べた.「單語親密度」とは、日本語の單語を、日本語として見聞きする度合いで、7段階尺度(1~7)で示される.その主な結果は次の通りである.(1)學習者(上)<JLPT、N1∼2>の20人、學習者(下)<JLPT、N3>の20人は尺度値を各-3つ、4つ以上用い、日本語單語の親密度に差があることを示している.(2)日本語の單語の全體的な親密度に關しては、學習者(下)より學習者(上)の方が高く評定している.(3)「單語親密度」の分布では、日本語N5語彙の64·5~69·3%、N4語彙の62·0~67·1%だけが各-日本語N5、N4語彙に該當する.(4)親密度1~729位の場合において、基本語彙がN5語彙に該當するものは、學習者(上)では53·6%、(下)では55·7%、基本語彙がN4語彙に該當するものは、學習者(上)では22·4%、(下)では19·5%で差が大きくない.親密度730~1410位の場合において、基本語彙がN5語彙に該當するものは、學習者(上)では21·7%、學習者(下)では19·5%、基本語彙がN4語彙に該當するものは、學習者(上)では17·3%、學習者(下)では20·4%で差が大きくない.(5)1410個の單語の親密度は、學習者(上)では「いい/よい、いう(言う)、~にち(~日)、ひとつ(一つ)、なまえ(名前)」など、學習者(下)では「わたし、はじめ(初め)、いい/よい、ひと(人)、あう(會う)」などが一番高い.そして、學習者(上)では「もめん(木綿)、ふうとう(封筒)、フィルム、じびき(字引)、はいざら(灰皿)」など、學習者(下)では「うかがう(お宅に伺う)、うかがう(先生に伺う)、おしいれ(押し入れ)、きぬ(絹)、うえる(植える)」などが一番低い.以上の結果は、日本語を敎えている敎師にとって意味のあるものと言える.それは何よりも日本語の敎授·學習及び敎材作成において、日本語の單語の頻度などと共に親密度を利用することである.今後の課題としては文型文法の親密度を調べることが考えられる.
6,000
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本硏究は推量·樣態を表す日本語の助動詞「ようだ·みたいだ·らしい·そうだ」を對象にL2學習者がそれらをどのように習得していくのか、その出現や接續、競合など習得の諸相を明らかにしすることを目的とした.L2學習者の結果は下記のようにまとめられる.(1)L2學習者の推量·樣態表現においては「みたいだ」の使用が最も多く、「らしい→ようだ→そうだ」の順で使用が多く見られる.これらの習得順序は、槪ね「みたいだ(または「ようだ」)→そうだ→ようだ(または「みたいだ」)→らしい」の順になるが、學習者それぞれによってその順序は多少異なる. (2)L2學習者の推量·樣態表現の習得には「特定の使い分けの基準」が存在し、その基準は主に形式による使い分け(共起する品詞、置かれる位置)によって構成される.(3)L2學習者の推量·樣態表現の習得における「特定の使い分けの基準」は、學習初·中期段階に主に使用され、學習が進むにつれその基準は次第に緩くなる.(4)L2學習者の推量·樣態表現の習得における(1)~(3)の傾向は、母語が異なる學習者に共通して見られる.このように、L2學習者は推量·樣態表現を表す4つの形式を倂用·競合·變化·定着させるという一連のストラテジ-を用いながら習得していき、このプロセスの中で共起する品詞、置かれる位置という形式要素がその習得に强く關與していると言える.このような學習者の中間言語の存在は、今後の習得硏究の在り方を再認識する必要性を示してくれるものであると考えられる.

『社會百面相』의 敬語表現과 敬語動詞 「いらっしゃる」

방극철
한국일본어교육학회|일본어교육  65권 0호, 2013 pp. 105-119 ( 총 15 pages)
5,500
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本硏究は、明治時代の近代日本語を特徵づける代表的な敬語表現のうち、尊敬表現の「お(ご)-になる」「お(ご)-なさる」「お(ご)-なする」と謙讓表現の「お(ご)-する」「お(ご)-いたす」「お(ご)-申す」「お(ご)-申し上げる」などを社會言語的な觀点から調査し、明治30年代の敬語表現の用法について考察したものである.考察の結果、明治30年代半ばの時事批評小說『社會百面相』(內田魯庵著、明治35年、東京博文館刊行)における尊敬表現「お(ご)-になる」「お(ご)-なさる」「お(ご)-なする」「お-遊ばす」、謙讓表現「お(ご)-する」「お(ご)-いたす」「お(ご)-申す」等に關する詳細な記述ができた.そして、敬語動詞 「いらっしゃる」の主な用法(意味領域)及び待遇價値についてもその實態が把握できたのである.當時の主な尊敬表現は「お(ご)-になる」「お(ご)-なさる」、謙讓表現は「お(ご)-する」「お(ご)-申す」であったと言えよう.なお、敬語動詞「いらっしゃる」の主な用法は<いる(在る)><行く>であった.本硏究は、明治30年代の近代日本語から現代日本語へ繫がる敬語表現の變遷の流れを理解する一助となるだろう.また、性差の觀点から敬語表現と敬語動詞の待遇價値(待遇の度合い)を解釋する手掛かりが提供できたと思われる.今後、新しい資料を補いつつ、社會言語學的な觀点からより徹底的に考察を行い、近代日本語の敬語使用に對する新しい解析を試みたい.
5,700
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日本の自然主義文學がどのようなきっかけで私小說へと姿を變えていったのか、その過程と兩文學の違いを具體的に 究明した論證はあまり見當たらない.日本の自然主義文學と私小說とを一つとする「常識」によって、兩方の間に存在する懸隔が埋もれてしまったからである.私小說は日本自然主義文學の副産物といえるのか、それとも反自然主義文學の結實といえるのか.本稿では、私小說の成立過程と性格の本質を明確にするため、この疑問に立ち태ってみた.そして自然主義が如何にして私小說へと移行したのか、また日本の自然主義文學と私小說の相違は何なのか、その內質について檢討した.私小說が誕生した背景には、日露戰後の終焉といった時代と社會の動きがある.日露戰爭の直後に本格的な姿をあらわした日本の自然主義文學は、國家主義など戰後の風潮に影響され、社會の理念と自己の理想とが區別できず、その間でゆれる「私」をありのまま描くだけだった.そのため社會と直接對抗する力はなく、無理想無解決を方法とする客觀を重視したわけである.その傍觀的な態度は「日露戰後」が終焉するとともに行き詰まり、それに代わるものとして耽美派や白樺派などが登場した.近松秋江や葛西善藏などの初期私小說もまた、日本の自然主義文學に代わるものとして、社會性に反動する精神をもって書き始められた.その意味で私小說は日本自然主義文學を受け繼ぐものではなく、むしろそれとは逆の精神と姿勢をもつ.つまり、日本の自然主義文學と私小說は同類ではない.これは日本の社會の變化によって導かれた結果であるが、その社會現象と文學との關係を論證することも本稿の目的の一つである.
5,900
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本稿は牧野信一と李箱文學における私小說的<書き方>の特徵を比較したものである.牧野と李箱の<私小說>的 作品は第一に<プロロ-グ>と<エピロ-グ>の多用、第二に作品の中に自分の名前や家族及び知人の名前、そして作品名を直接提示し、第三にハイフンや括弧などを利用した注釋的說明を多用しており、第四に日英語、韓日語のような二重語的樣相を持つなどの書き方の類似性を共有している.このような結果からいくつかの境界的樣相を確認することができる.まず、文體的境界性として、ジャンル的境界性を確認することができた.これは<隨筆化>樣相として定義することができ、彼らの詩的な敍情性の發露として起因したものと考えられる.次に言語の境界性として、時代と個人的志向性からその原因を探ってみた.次に作家の<私>と<その私を見つめている私>の二つの自我の境界性において自分の身邊の出來事を複寫(コピ-)して選んで張つけるなどの方法によって<私>と世界の關係を美學的に再構成していく方法である.彼らは客觀的な現實の再現は勿論であるが、事件の論理的展開や劇的な結末の提示などにはあまり關心がなく、<內面>の强調、擴大に注力している.それは客觀的現實の中に直面した<私>の絶望性に對する美學的な創出として、本來の<私>の人生は<虛構的私>の人生によって削除されて<上書き>される書き方の形態である.

『湖南の扇』論 -芥川の獵奇趣味を中心として-

김희조
한국일본어교육학회|일본어교육  65권 0호, 2013 pp. 159-170 ( 총 12 pages)
5,200
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芥川龍之介は大正十年三月から四ヵ月間に渡って中國旅行をしていたことがある.『湖南の扇『はその時の長砂での體驗を元に、大正十五年一月の雜誌『中央公論『に發表した短篇である.物語の舞台は中國湖南省の長沙であるが、「土匪の斬罪」と人の血のついた「ビスケット」を食う獵奇的な行爲が物語のモチ-フになっている.それは斬罪された土匪の頭目·黃六一の首の血の付いたビスケットを、彼の愛人だった玉蘭が皆の前で食うという事件である.僕は長沙に着いて見るべきものがないと失望し、幻滅さえ感じていて、なお長沙での最後の晩、妓館での芸者たちにも興味を持っていなかったのである.ところが、僕はただ玉蘭が愛人だった黃六一の血のついたビスケットを咬む齒を「美しい」と思い、その獵奇的な行爲を印象深く思ったのである.作者芥川はこの事件を作品にしたのである.つまり『湖南の扇『には芥川の獵奇趣味が赤裸-に示されているのである.
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