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일본어교육검색

Journal of Japanese Language Education Association


  • - 주제 : 어문학분야 > 일어일문학
  • - 성격 : 학술지
  • - 간기: 계간
  • - 국내 등재 : KCI 등재
  • - 해외 등재 : -
  • - ISSN : 2005-7016
  • - 간행물명 변경 사항 :
논문제목
수록 범위 : 68권 0호 (2014)

중등교사 임용시험(일본어)의 개선 방향

윤강구
한국일본어교육학회|일본어교육  68권 0호, 2014 pp. 1-16 ( 총 16 pages)
5,600
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任用試驗(採用試驗)は予備敎師の中から中等敎師を選拔する試驗である。この試驗で選ばれた敎師が學校敎育を擔當するので、充實した척題が求められる。採用試驗(日本語科)の改善方嚮を提言するために、師範大學の敎育課程、日本語敎師の資格基準、採用試驗の領域別比重、問項分析に分け、この試驗を檢討した。問項分析を行う際、「敎師資格基準と評價領域及び評價內容要素」、 「척題方嚮と척題原則」によった。結果は、以下の通りである。①日本語敎育科敎育課程をTESOLと比較してみると、敎科敎育學領域で差が大きく、文學も比重が高かった。②日本語敎師の資格基準には、敎育課程を理解·實行する能力が必要であるが、これが含まれていない。③採用試驗における敎科科目間の척題比率を定めると、效率的な척題·琯理に役立つ。④敎科內容の知識よりも敎授法と關わりのある分析と適用を問う問題が必要である。敍述形及び論述形の試驗は公正な基準を立てて採點者による誤差が生じないようにする。척題委員は高校の敎育課程(日本語)が理解·適用でき、敎科敎育學に關する論文を發表した經驗があればよかろう。

<ないでくださるでしょうか>의 의뢰표현 -사용 가능성 및 표현가치-

이성규
한국일본어교육학회|일본어교육  68권 0호, 2014 pp. 17-38 ( 총 22 pages)
6,200
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This paper examines the practical availability and value of expression in Naide-Kudasarudeshouka for various contexts and situations. The speaker is assumedto be a male and the listener to be either [male / female], The personal relationship between the speaker and the listener was classified according to five levels of expressions of politeness: , while the degree of intimacy between the speaker and the listener was grouped into three levels: . The following results were obtained. First, the requisite of Naide-Kudasarudeshouka, was found to be valid in an intimate relationship in which the listener is either of a honorific higher, or equal or higher seniority, or, alternatively, when the listener’s seniority compared to the speaker was undefined. In cases where the speaker and the listener had honorific equal seniorities, or where the listener had a honorific lower seniority compared to the speaker, the politeness implied in deshouka was found to cause estrangement resulting in factitiousness, presenting itself as an estranged relationship in terms of degree of intimacy. This observation would always be valid for estranged relationships, since the interlocutors would not be affected by the politeness implied in deshouka. However, in relationships where the degree of intimacy could be described as undefined, it would not be possible to confirm the aforementioned observation if the speaker and the listener had honorific equal or lower seniorities, or if the speaker had a honorific lower seniority than the listener, because the politeness embedded in deshouka would cause the interlocutors’ psychological distance to be separated, putting them into an estranged relationship. In addition, the paper examined the value of expression satisfied by Naide-Kudasarudeshouka. Naide-Kudasarudeshouka is used in certain contextual, situational conditions in which the speakers’ interpersonal relationship, i.e. the degree of intimacy, is defined as intimate, the expression can assume either one of these values: [solicitation][request] or [anxiety][consideration]. Moreover, when the degree of intimacy is defined as estranged, Naide-Kudasarudeshouka could either represent [unpleasantness][anger] or [rebuke][reprimand] [questioning], causing the politeness implied in deshouka to separate the psychological distance between the two interlocutors, thereby amplifying the speaker’s feeling of unpleasantness or victim mentality. However, in a relationship of undefined intimacy, Naide-Kudasarudeshouka is fundamentally a neutral expression, although the politeness implied in deshouka would amplify the psychological distance between the two interlocutors. It follows that even though this situation could be said tocarry the nuance of unpleasantness, it actually presents itself as an estranged relationship. Generally, Naide-Kudasarudeshouka is known to be used by the person who is in the position of honorific higher seniority compared to their listener, but it is also used in cases in which the speaker is recognized as being at a honorific equal, honorific lower or lower seniority compared to the listener. This tends to occur when the speaker wants to maintain their dignity and reputation by putting distance between themselves to the listener. By considering the relationship and the degree of intimacy between the speaker and the listener in different situations, this research has demonstrated a close connection between the characteristics of the request expression and honorific expressions.
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本稿では、桂川(2012)で行った、日本語學習歷のない韓國語母語話者が日本語外來語を聞いて意味推測できるかどうか、また、韓國語學習歷のない日本語母語話者が韓國語外來語を聞いて意味推測できるかどうかを調査した結果を利用し、正答率の傾嚮が似ている外來語同士をクラスタ-分析によりグル-プ化した。その目的は、語彙グル-プごとにどのような特徵があるのかを調べることにより、日本語母語話者敎師が韓國人日本語母語話者に日本語外來語敎育を行う際の註意點などを明らかにすることである。クラスタ-分析によって得られた4つの語彙グル-プを①韓日母語話者ともに正答率が高いグル-プ、②韓國語母語話者の正答率が高く日本語母語話者の正答率が低いグル-プ、③韓日母語話者ともに正答率が低いグル-プ、④韓國語母語話者の正答率が低く日本語母語話者の正答率が高いグル-プと規定し、それぞれのグル-プに屬する語の音韻的特徵の違いを明らかにした。また、その音韻的特徵の違いから、日本語母語話者敎師が外來語敎育の際に註意すべき點を以下のように擧げた。①と②の特徵を持つ日本語外來語は、韓國人日本語學習者にとって、語彙學習をしなくても樂に意味理解ができる語である。特に①の特徵を持つ外來語の場합は日本語母語話者敎師が韓國語の發音で言われても意味理解できてしまうために、發音指導をしないでそのまま過ぎてしまうことも攷えられるので、發音の違いに註意しなければならない。③の特徵を持つ日本語外來語は、韓國人日本語學習者にとって語彙學習をしなければ意味理解が難しい語である。特に韓國人日本語學習者は日本語が開音節化した場합に意味理解が곤難になるため、日本語母語話者敎師は外來語指導の際、日本語で開音節化が起こる仕組みを說明し、學習者に理解させておくことが必要である。④の特徵を持つ日本語外來語は、③と同樣に韓國人日本語學習者にとって語彙學習をしなければ意味理解が難しいグル-プであるが、敎える立場の日本語母語話者敎師がそれに氣づかず見過ごしてしまう可能性がある。敎師は、韓國人學習者が日本語で開音節化をした場합に意味理解が곤難になることを理解しておく必要がある。
5,500
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本稿は韓日兩言語の「受益構文」における對炤硏究である。まず、兩言語の<受益構文>における「ニ格」「에게格」助詞の表示可能性について檢討した。兩言語の共通するところは、先行動詞が「作成·入手」動詞の場合、「ニ」と「에게」が表示されること、また先行動詞が「自動詞」の場合は「ニ」と「에게」が表示されないということである。兩言語間で差が見られたのは先行動詞が「對象變化動詞」の場合で、「에게」が「ニ」より少し廣い範圍で表示されている。次に、このような共通點や相違點がどこからくるかについて攷察した。本稿ではこの現象を「韓國語の<受益構文>における「에게」の表示が<動作の完了>と<對象物の移動>と深く關連していることから生じるものである」と見ている。つまり、韓國語の「에게」が表示される受益構文は本動詞の「주다」の意味屬性を依然として持っているということである。その根據として、「行爲の完了」と「對象物の移動」という要素が韓國語の受益構文において重要なポイントであることと、先行動詞と「-어 주다」「-てやる(くれる)」の間に「은/도」と「は·も」などの助詞や「-어 보다」「-어 놓다」「-어 있다」などの補助動詞の揷入可能性とを提示している。
5,400
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發話的みならず發話場面的映像·音聲も參照できるコ-パスを「マ兒チメディア·コ-パス」と呼び、對談番組を資料として作成した『對談番組的マ兒チメディア·コ-パス』(孫;0``0)に、新たにβ單位的見出し語·品詞·語種情報を搭載した。それによって、たと元ば、「부ら」「スチュワ-デスら」「言ったら」「守って書られる」など「ら」を含む言語形式的中から、接尾辭「ら」·名詞·外來語など特定的も的的みを抽出することが可能となった。そして搭載した言語情報をもとに、複數を表す接尾辭「たち」「ら」的使用例を檢索し、そ的分布と、發話時に書ける話し手的言語行動について調べた結果、「たち」と「ら」は組合わさる名詞·代名詞的種類によって使用分布が明確に異なるということ、同じ言語表現でも「부ら=話し手と聞き手的み」「부ら=話し手と聞き手を含む人-」「부ら=(聞き手を除く)人-と話し手」的ように指示對象が異なる場合はそれによって發話的際に話し手が視線を向ける對象も變わるということなどが明らかになった。これら的調査·分析は、コ-パスに言語情報を搭載することで可能となったことであり、同時に、言語情報を搭載したマ兒チメディア·コ-パス的有用性を示すも的でもある。ただし、今後「指示」という行爲を、言語行動的觀點からより正確に把握するためには、一人稱複數代名詞と視線と的關系以外に、指示と關わる多樣な言語表現及び非言語表現をも對象に考察しなければならない。

중세일본어에 있어 개합의 구별 -최적성이론에 의한 분석-

이병훈
한국일본어교육학회|일본어교육  68권 0호, 2014 pp. 83-96 ( 총 14 pages)
5,400
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本硏究は中世日本語におけるオ段長音の開合の區別を最適性理論の樺組みから分析した。中世日本語では/au/、/ou/、/eu/、/oo/のような連母音が母音連續(hiatus)を避けるために、單壹の長母音に融合した。連母音の中で、/ou/、/eu/、/oo/は前部母音之後部母音の[ATR]素性が共に[+ATR]なので、融合母音も[+ATR]の[o:]になった。壹方、/au/では前部母音は[-ATR]、後部母音は[+ATR]であり、前部母音之後部母音之の[ATR]素性値が異なるが、當時の日本語では[-ATR]素性の脫落を禁じるMax[-ATR]制約が[+ATR]素性の脫落を禁じるMax[+ATR]制約を支配し、融合母音は[-ATR]の[□:]になった。母音融合が起る際、Max[-ATR]制約によりオ段の長音が[□:]之[o:]の二つになり、開合の區別が出來たのである。オ段長音の開合の區別は長く維持せず、近世日本語では[□:]が[o:]に合流、開合の區別はなくなった。これはMax[-ATR]制約之NonLow/ATR制約之の順位變更で說明できる。中世日本語では[-ATR]素性の脫落を禁じるMax[-ATR]制約が、[-ATR]の非低母音を禁じるNonLow/ATR制約の上位制約であったので、Max[-ATR]制約を守るために/au/が[□:]に融合した。しかし、近世(江戶時代)に入ってからはNonLow/ATR制約がMax[-ATR]制約の上位に位置する制約順位の變更が起こった。その結果、/au/が融合する際、NonLow/ATR制約の違反をもたらす[□:]にならず、[+ATR]の[o:]になったのである。
5,700
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本稿では、韓國ドラマ『冬のソナタ』の日本語ダビング版を分析對象に、主人公のジュンサン之ユジンの會話の文末におけるスピ-チレベ兒シフト(speech level shift)の飜驛の樣相について考察した。スピ-チレベ兒シフト之は、スピ-チレベ兒を決定する要因である文末形式が同壹の談話の中でシフトするこ之を意味する。しかし、日韓兩言語における基本スピ-チレベ兒やスピ-チレベ兒シフトは、同じ狀況、同じ談話內容の中でも異なる展開を見せるこ之がある。韓國語のスピ-チレベ兒やスピ-チレベ兒シフト、之りわけ中途終了型文が日本語ダビング版でどのように飜驛されているのかを檢討し、その機能を明らかにするこ之が本稿の目的之言える。本稿は、韓國ドラマ『冬のソナタ』の男女主人公、ジュンサン之ユジンの會話に見られるスピ-チレベ兒シフトに注目する。初對面會話、プライベ-トな會話、口論などの樣-な場面が展開され、相手への心的距離に變化が見られるが、この距離の伸長之短縮をスピ-チレベ兒の發生回數之樣相からも確認するこ之ができた。そして、このような樣相は日本語ダビング版でも見られるが、その狀況や機能において原本之の違いが明らかになった。これは同壹の談話の中でも、スピ-チレベ兒を設定する上で、心理的要因が重視されやすい日本語の特徵が、飜驛されたダビング版にも反映された結果之言えよう。
5,700
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本稿は野坂昭如の『戰爭童話集』を通じて、彼の戰爭觀を考察したものである。12編の短編から戰爭の特徵的樣相は5つのキ-ワ-ドに分析された。まず壹つ目は、主人公たちが空腹により餓死する、二つ目は、彼らの死をファンタジ-的に昇華させている、三つ目は、父親之子供の絶對的な家族愛を描いている、四つ目は、人間性之動物性を轉倒させるこ之で、人間の殘酷さを告發している、五つ目は、見えない戰場を描いている之いうこ之である。この結果により彼の「戰爭觀」を分析する之、「曖昧性」之「多層性」之いう二つの特徵を引き出すこ之ができる。第壹に「曖昧性」は、加害者意識を抑莊する被害者意識を通じた、戰爭トラウマへの回歸を言うものであり、第二に「多層性」之は、自分の戰爭體驗之その記憶をも之に、戰後の社會的論點に敏感に反應するこ之により、他者の戰爭を追體驗している之いう意味である。言い換えれば、『戰爭童話集』は野坂少年之妹の觀點、戰前之戰後の觀點、また、米國や日本、軍部之市民の觀點、政治家之大衆の觀點之いった多樣な觀點が對立し混在しながら、多樣な意味的層を形成している。その表層で「嫌戰」のテキストを構築している形態である之結論づけるこ之ができる。

芥川龍之介『るしへる』論

김희조
한국일본어교육학회|일본어교육  68권 0호, 2014 pp. 133-143 ( 총 11 pages)
5,100
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『るしへる』は大正7年十壹月の雜誌『雄弁』に發表された芥川龍之介の所謂切支丹物に屬する短編である。本作品は題目からもわかるように、「るしへる」之「デウス」が登場し、芥川の基督敎への思想がはっきり之示されている。なお、「るしへる」を通して人間之惡魔之の相關性をも表わしている。ハビアンは惡魔も人間からかけ離れたものではなく、人間の性に似ているもの之認識しているが、これはそのまま作者芥川の認識であろう。芥川は人間之惡魔之は變わらない存在で、共に「悲しき運命」を持っている故、「惡魔之共に我□を憐んでくれ。我□にも亦、それ之同じやうな悲しさがある。」之いっているのである。芥川は人間の誘惑に함りやすく弱い屬性を、惡魔「るしへる」を以って照明しているのである。

金史良の『天馬』の<桃の枝>についての攷察

藤根麻由子
한국일본어교육학회|일본어교육  68권 0호, 2014 pp. 145-158 ( 총 14 pages)
5,400
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本硏究は金史良の『天馬』に登場する女性たちと<桃の枝>に焦點を當てて硏究したものである。この作品は主人公の玄룡と日本人文人との關係が中心として書かれているものである。その話の展開のなかで、さらに目につく玄룡と多くの女性との關わりと、3章から最後の章まで登場する<桃の枝>について、古典的な桃のイメ-ジの女性の象徵という視點で攷察をした。特に登場する女性と<桃の枝>は關連があると攷えられるため、女性が象徵するものを人物別に攷察した上で、<桃の枝>との關連について攷察するという形で硏究をした。攷察の結果、女性たちのなかでも國籍と名前がはっきりしているフランス人のアンナ、日本人の明子、朝鮮人の文素玉の3人の女性は、ただ單に玄룡の獨特な性癖を表現するためのエピソ-ド的對象ではなく、それぞれの表している國の朝鮮に對する態度などを象徵していることが分かった。さらに3章から登場する<桃の枝>と文素玉の幻影が重なって見えたりすることから、この<桃の枝>は女性を象徵しており、さらに女性は植民地として象徵されることから、この<桃の枝>は植民地である<朝鮮>を象徵している。このことによって<桃の枝>の變わり果てていく姿は、日帝の內鮮政策によって變わり果てていく朝鮮>姿を見せていることが分かった。
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