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일어일문학연구검색

Journal of Japanese Language and Literature


  • - 주제 : 어문학분야 > 일어일문학
  • - 성격 : 학술지
  • - 간기: 계간
  • - 국내 등재 : KCI 등재
  • - 해외 등재 : -
  • - ISSN : 1226-2552
  • - 간행물명 변경 사항 :
논문제목
수록 범위 : 29권 0호 (1996)
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상대 일본어의 모음탈락과 액센트 높이와의 상관성

권경애(Kyung Ae Kwon)
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本硏究は, 母音連接部分のアクセントの高さが母音脫落現象にどのように關わっているかについて考察することをその目的としている. 前半では各用例における音連接部分のアクセントの高きについて檢討し, 後半では母音脫落とアクセントとの相關性の意味するものについて考察を行なった. 本稿の內容は以下のようである. 上代日本語において脫落の起こる結合では, 前項語の語末音節と後項語の語頭母音音節のアクセントの高さが同じであるケ-スが多い, 反面, 脫落の起こらない結合では, 前項語の語末音節と後項語の語頭母音音節のアクセントの高さが異なるケ-スがほとんとである. これは, 母音連接部分のアクセントの高さと母音脫落現象が相關關係にあるということ, すなわち, アクセントが脫落の起こる-つの條件となることを意味する. 中古末以後, 母音脫落現象が衰退するのは複合語のアクセントの調整がき全般に渡って行われるようになり, 生産的な複合語および派生語の形成が可能になったことによると思われる. 用例の判斷に對するより綿密な考察や, 他の音韻現象との關聯性などについてはこれからの課題にしたい.

만엽집 (萬葉集) 45 번가에 대한 새로운 해석

김공칠(Kong Chil Kim)
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萬葉集45番歌는 各行 2句로 된 13行의 長歌이다. 1, 2, 11行의 초구는 사람에 따라서는 枕詞로서 인정되기도 하고 5, 8, 9, 12行의 초구는 거의 枕詞로서 인정되는 것이다. 따라서 나머지의 3, 6, 7, 10行의 초구까지 枕詞로서 해독되면 모든 行이 均整한 형식을 갖추는 것이 된다. 문제의 枕詞로서의 성립 여부는 枕詞와 被枕詞의 의미상의 부합 여부에 달려있다. 여기서는 필자 나름의 한국어적 접근방법에 의하여 枕詞와 被枕詞의 일치관계를 구하였다. 그 결과 各行의 초구는 모두 被枕詞를 수식하는 것으로 해독되어 45番歌는 내용상으로도 단순한 수렵 野宿歌이기 보다 건국창업의 칭송이 은연히 드러나는 것으로 보아진다. 또한 여기서의 枕詞의 추가 해독을 통하여 枕詞 해독의 자의성과 우연성을 그만큼 배제시킨 것이 된다.

경청상 (景淸像)의전개 - 『 출세경청 (出世景淸) 』

김경란(Gyeong Ran Kim)
한국일어일문학회|일어일문학연구  29권 0호, 1996 pp. 101-125 ( 총 25 pages)
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本稿は, 歷史的に實在したとされる景淸という一人の人物が, 中世藝能の世界を經て, 近世淨瑠璃においてどのように展開されていくのかを,『出世景淸」を中心に考えてみたものである. 『出世景淸』には, 幸若舞曲 · 古淨瑠璃『景淸』の世界において, 單に物慾に惑わされて夫を訴人する女性を, 愛するが故に妹妬にかられ, 夫を訴人するに至る阿古屋に置き換え, そこに景淸の心的葛藤を設けた点で新しい景淸像の造型が認められる. さらに「逃げ上手」「生き上手」という『平家物語』以來の景淸の消極的なイメ-ジを, 平家の怨敵賴朝を討つために命を延ばしてきたという積極的なものへと解釋し變えた上で, そのために, 阿古屋の愛情を振り切り, 子供に對する愛情まで否定しなければならなかった景淸の葛藤さ見事に描いている. ところが, 從來の淸水觀音信仰者の景淸像はほぼそのまま受け繼がれ, 觀音が牢獄の景淸の身代りに立つという構想になっており, 景淸の巨大を對立者賴朝も觀音信仰者として描かれ, 景淸との和解が觀音信仰の中て遂げられる結末になってぃる. そのため, それまで景淸の追及してきた理念が, 結末になって弱められてしまう形になった. 一方で, 幸弱舞曲 · 古淨瑠璃『景淸』の結末におべると, 兩眼が觀音の靈驗よって明くところが切り拾てられ, 兩眼を決って賴朝に與え, 日向の地を向かって出るところで終わっている点で, 悲劇的な景淸像を造り上げょうとした苦心の形跡が認められる作品である.

「 かねて ( 가네떼 ) 」 에 대하여 ( 「 かねて 」 について )

박재환(Jae Hwan Park)
한국일어일문학회|일어일문학연구  29권 0호, 1996 pp. 127-144 ( 총 18 pages)
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夏目漱石(1867-1916)は明治維新1年前の1867年2月9日東京で生まれ, 1916年12月9日に亡くなった作家であり, 自身が云ったように明治維新と共に激動する一時代を生きて來た日本人である. 殊に彼が生きてきたこの時期は明治維新以來, 日本が起こした五回の戰爭の內で三回までに該當し, この中で日露戰爭(1904年2月10日-1905年9月5日)は夏目漱石に大きな影響を與えたにちがいない. なぜならば彼は偶然なのか必然なのか, この戰爭が始まってから「吾輩は猫である」をはじめとして多くの作品を本格的に書き始め, その後彼が殘した多くの作品に戰爭の影が映っているからである. しかし, 今までの夏目漱石に對する硏究を調べて見ると, 戰前の昭和初期の評論家達は日露戰爭の勝利が夏目漱石に及ぼした影響に對して言及したのに反して, 戰後になってからは荒正人のような評論家でさえ$quot;この年の二月十日に, ロシヤと開戰した. 「帝國文學」5月號に「從軍行」という新體詩が發表された.$quot;と旦一行だけで言及することによって, 夏目漱石と日露戰爭との關聯性をできるだけ擧論するのを避けようとし, たとえ言及したとしても, これを縮小, ないし歪曲させるのに汲汲したので, 彼の文學に對する理解の不完全性を惹起してきたと思う. それで, 本稿では彼の作品活動の始まりが時代的に日露戰爭の時期に當たる点に着眼して今までの厭戰ないし, 更には反戰主義者であるとさえ評價されてきた彼に對する歪曲的な視覺から脫し, 戰爭中に書かれた「新體詩」,「斷片筆記」,「書翰」等に現われた日露戰爭に對する夏目漱石の見解を客觀的な視点で考察することによって, 彼の作品に對する理解の幅をもっと廣げたい. そして, 本稿の考察の順序としては, 本論1章1では新體詩「從軍行」を通じて彼が今度の戰爭に對してとれほど自信感を得たのかを調べ, 2章では戰爭當時二回こかけての大勝利(奉天回戰, 日本海海戰)後に發表された二編の斷片である「批評家の立場」,「戰後文界の趨勢」を通じて模倣から創造を主張し始めた彼の心的な變化過程を調べ, 3章では戰爭が終った後意氣ごみにあふれて書いた西洋にもない, むろん日本にも無い, ただ美だけを生命とする排句的小說である作品『草枕』の發表を前後として本格的に作品活動に臨む彼の心構えを考察した.
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「源氏物語」の各部の冒頭を飾る桐壺帝, 朱雀院, そして八の宮, この三人の皇族の父親たちは それぞれ自分の置かれた狀況の中で, それそれのやり方でその父親としての役割を果たしている. しかし彼らには子供の安定した將來を願うという, 共通した, 普遍的な父親像がある, 本稿では, これらの人物の父親としての役割に焦点をあわせ, 彼らの父親としての行動がどのように子供たちの運命を導いて行ったのかを詳く追跡することによって, 彼らに託された, その隱された登場の意味を見出そうとするものである. 第一部の桐壺院は, 光源氏の宿世の實現のために深い愛情を注ぐ父親像を見せてくれた, 第二部の朱雀院は道心に賴りながらも, 女三宮を心配する父親の心によって, 自分が支配されていた桐壺院の遺言や光源氏に對する意識からも脫皮し, 女三宮を出家させるに至った. 第三部の八の宮は, 娘たちに俗世の中で生きていく心構えを訓戒し, 俗世に生きていながらも佛道者の心が反映できるようにした. このように, 桐壺帝, 朱雀院, そして八の宮と續く皇族の父親たちは, それそれ違った方法でその父親としての役割を果たしながらも, 子供のより安定した生をたゆみなく追求するという普遍性によって, 皇族の父親という特異性を超越して自分の子の運命を導いたのであり, かくして「源氏物語』の主題の展開に深く關って行くことになるのである. 「源氏物語」の主人公光源氏と薰の運命もまた, このような父親たちの愛情と縱橫に絡み合いながら, その影響を受けるという構圖の中で展開されていたのである. 以上の結論を導き出すことによって, 各部の冒頭に配置された皇族の父親たちが單に中心人物の親として紹介されることで終ることなく, 物語展開の本流においてより積極的な役割をまかされていたという, その登場の意味を明確にすることができたと思うのである.

가와바타 야스나리의 『 설국 (雪國) 』 의 이미저리

이재성(Jae Sung Lee)
한국일어일문학회|일어일문학연구  29권 0호, 1996 pp. 205-237 ( 총 33 pages)
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川端康成の小說『雪國』には, 比喩描寫による抽象的なイメ-ジが非常に多く取り入れられている. そしてこれらの抽象的イメ-ジが, 互いに$lt;化學作用$gt;を起しながら, 表面的な事件の展開とは別に隱然たる中に小說全體の流れと雰圍氣を導いて行く役割をする. 特に人物描寫においては, 比喩と對比と反復的な描寫が多用され, それによって生成する特定のイメ-ジが人物の性格を決定づけるほど絶對的で重要な變數として作用したりする. つまり「雪國」の人物造形は, 人物の事實的かつ全體的な輪郭を提供するよりは, 視点人物島村の病的なほど銳敏な感受性と主觀的な想像を通して得られた, 斷片的で屈折したイメ-ジの集積によるところが犬きいのである. スト-リ-の論理的展開に拘ることなく多くの部分を感傷的イメ-ジに賴 っている川端の小說が, 世界の讀者から共感を得られる要因は, 他でもないィメ-ジの持つ$lt;言語以前の言語$gt;としての優れた傳達力と$lt;準感覺的$gt;なほど强力な暗示作用を效果的に活かしているからであろう. ィメ-ジは, 必ずしも論理的な法則だけに從うものではない. 場合によっては一度に多くのものを包容することもでき, 相容れない要素を同時に包含することも出來る. 評者たちが川端と彼の小說に對して, 「評價の規準を狂はしめるマヂックの使い手」とか, 「不思議な, 把えがたい, どこかこの世ならぎる特徵」などと指摘しているのも, このィメ-ジの持つ屬性と無關係ではなかろう. ィメ-ジは, このように曖味な屬性を持つが, その分だけ含蓄的だったり象徵性を內包したりすることもあり, 無意識に直接訴えてくるので, 厄介な論理の壁を乘り越えて夢や幻想を引き出すことも出來る. 川端は『雪國』で, 動物的とも言うべき優れた感受性と豊富な想像力をもとに, 斬新なイメ-ジ 手法を使いこなすことによって, 獨自な小說の領域を開拓していると思われる.
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