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日本中世の政治は, 『平家物語』と『太平記』の素材となっている戰亂を通じて執權者が變ることになった. 前代の執權者に代って現在の執權者が統治すべき正當性の確保が何より必要であったため軍記物語の執筆の際はそのような論理が反映したと考えられる. そのような論理は從來の日本の傳統的な王法·佛法相依のイデオロギ-では都合良く說明できなかったので, 德のある者が德のない君主を倒し, 新しい支配者になるという儒敎の易姓革命の論理が遠用されたと判斷される. そのような名分論の下で, 前代の執權者は冒頭から惡行者に規定されているが, 具體的な事件の敍述には, 儒敎的な論理よりも日本の傳統的な王法·佛法相依の論理が先に作用していることが確認できる. 卽ち, 主人公として登場している惡行者は, 一見, 冒頭文に提示されている儒敎的な論理にしたがって滅亡に至っていく敍述構造になっているようであるが, もっと詳細に分析してみると, 夢の啓示や神託などの神佛集合思想として權力交代の論理をたしかに提示し, 補っている. 卽ち, 夢やその他の妖兆記事, 析願, 神託, 故事なども敍述者の政道觀と和合をなすような世界となっていて, 北條軍には惡い展望を, それに對抗する후제호천황の方には明るい展望を示しながら, 未來の出來事を豫告暗示し, その予告と暗示は殘すところなく成就していくような構造で一貫している. そのような神秘的な敍述の仕方には, 旣に滅んでしまった北條軍には「滅ぶべきだ」という敍述者の論理が『太平記』第一部のテ-マとして設定され, 構想と記述を規定していったものが多いと判斷される. しかし, 死の場に至っては, 突然敗北者に向けられる視線は明るくなり, 彼らの最後の武勇と溫もりを敗北者側の立場で贊美し感動させるような敍述となっている. そのような敍述構造は, 『平家物語』そして『太平記』第一部と第二部,第三部で共通して發見されているが, 本稿では, 『太平記』第一部を中心に分析してみた.