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일어일문학연구검색

Journal of Japanese Language and Literature


  • - 주제 : 어문학분야 > 일어일문학
  • - 성격 : 학술지
  • - 간기: 계간
  • - 국내 등재 : KCI 등재
  • - 해외 등재 : -
  • - ISSN : 1226-2552
  • - 간행물명 변경 사항 :
논문제목
수록 범위 : 36권 0호 (2000)
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日本の古代人は夢を顯界と靈界のコミュニケ-ションであると考え, 常に夢見ることをやまなかったようである. そこで夢は神佛のお告げであり. ものの前兆であると信じられ, 夢合わせによって國家の運命をも判斷したこともあった. また夢は吉夢か惡夢かの問題よりも, 夢合わせの靈驗を信じているか否かによって主人公の運命が決まったようである. 例えば『万葉集』で大伴家持が下紐をほどいて寢ると相手の夢を見るという俗信を詠んでいるように, 現實では逢えない人でも夢の中では時空を越えて逢瀨が遂げられるものと考えられていたのである. だがしかし, 實人生において卜占や靈驗が成就されることはめったになかったのであろう. また平安女流日記の作者たちは現實の醒めた批判意識を持って, なかなか夢や靈驗などを信じようとしなかったようである. ところが, 『源氏物語』のような虛構物語では夢が物語の進行原理となっている. 光源氏は若紫卷で, `さま異なる夢`を見てわが運命を自覺し, 自ら須磨に退去したのであった. また須磨の海邊で暴風雨があった夜, 光源氏は夢に現れた桐壺院の命令にしたがって明石の浦に移り, 明石の君と結婚する. 영표권이후の光源氏は高麗人の觀相や宿曜, 夢などを積極的に信じようとするが, このような光源氏の變貌によって王權や榮華が徐徐に實現されていくのである. また明石入道は自分の瑞夢を信じ, 三十二年間も娘一人に家運をかけて生きてきた人であった. その結果, 孫娘の明石女御は皇子を生み, その皇子が東宮となり, 孫娘は中宮になるという榮華が實現されるのである. すなわち, 明石物語は光源氏と明石の君との戀の人間關係を物語っているようだが, 實は光源氏の`さま異なる夢`と明石入道の瑞夢の實現が物語の進行原理となっているのである. 夢合わせが主人公の運命的な予言となって榮華を達成する作意となっているのは『源氏物語』のような虛構物語の世界でもっとも著しい. すなわち, 虛構物語では夢や夢合わせが主題の縱軸を構成し, 作者の作意となって, 主題を先取りしたりするモチ-フになっていると言えよう.

문학 일본학편 : 화천식부 (和泉式部)와 제영 (題詠)

남이숙(Yi Sug Nam)
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일본 平安時代 中期에 一流歌人으로 활동한 는 同時代 다른 歌人들에 비해 1500余首란 많은 和歌를 창작하고 있다. 본고에서는 이러한 작자의 多作의 원인을 규명하기 위해, 그녀의 歌集에 이 많음을 주목하여, 사용빈도수가 가장 높은 歌群을 중심으로 그 창작과정을 고찰해 보았다. 먼저 일본 韻文史속에서 題詠이 어떻게 성립하여 전개되었는가에 대해 살펴보았는데,「題」란 용어는 古今集以後의 三代集에 나타나며, 그 사용빈도수는 그다지 높지 않다. 그럼에도 불구하고 작자는 당시 그다지 일반화되어 있지 않은 題詠을 다른 歌人들과는 달리 자주 시도하고 있음을 알 수 있었다. 작자가 이러한 창작행위에 주목한 이유는 왜일까? 그것은 題詠을 행함으로써 先行의 和歌가 가지고 있는 여러 가지 美的인 요소, 예를 들면 표현·詩語 ·形式등을 받아들여 자신의 詩心을 풍요롭게 할 수 있다는 歌人으로써의 자각이 있기 때문이 아니었을까 하고 생각해 보았다. 본고에서는 지면의 제한관계상 충분히 다루지 못했지만 이 밖에도 和泉式部 歌集을 검토해 보면 다른 사람들의 요청에 의해 창작한 歌群, 序論부분에서 언급한 다양한 형태의 題詠이 수록되어 있다. 이러한 歌群을 통해서도 작자는 題詠이 주는 효과를 충분히 이용하여 당시로서는 보기 드문 규모가 큰 連作을 완성하고 있다. 當代에 경이적이라 할 만큼 그녀의 和歌가 多作인 이유는 다름 아니라 이처럼 傳統 和歌에 대한 이해가 전제되었기 때문이라 생각된다. 이들 連作에 관해서는 後日 다시 지면을 빌어 상세히 검토하고자 한다.

문학 일본학편 : 『 금석물어집 (今昔物語集) 』 구상의 명 (明)과 암 (暗)

문명재(Myung Jae Moon)
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說話集の性格が集められた個個の說話によって大きく左右されることはいうまでもないが, もう一つ見過ごしてはいけないことは, 說話集の撰者は集を編む過程において大きな役割を果たしているということである. 『今昔』は收錄話の多くを和·漢の資料に依據している. しかし, 『今昔』の撰者は出典の說話をそのまま受容する消極的な姿勢ではなく, 獨自の構想による文學的な營みを行っている. 從って, 『今昔』の文學的な特性を明らかにするためには, 撰者の構想が作品にいかなる影響を及ぼしているのかを究明するすることが肝要であり, そのためには各說話に對する出典との緻密な對照を通して, 撰者の出典受容の樣相を分析することが有效であろう. このような觀點から, 本考察では, 撰者の構想が作品の完成に與えた「明」と「暗」の影響を對比して考えてみた. 具體的には, 『法花驗記』の例話との對比を通して『今昔』構想の創造的な一面を明らかにし, 『靈異記』の例話との對比を通しては『今昔』構想がもたらした矛盾を指摘した. とりわけ, 『靈異記』の「優婆塞」を『今昔』が「俗」に改變することによって起きた內容の破綻をまず指摘し, その背景に內在している時代狀況の變化がその破綻の原因であったことを述べた. この考察を通しても明らかになったように, 說話集の撰者の構想が各各の說話に及ぼす影響は多大なものであり, 『今昔』の文學的な特性を究明するためには, 出典との緻密な對比を通して, 影響關係を明らかにすることが有效であろう.
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說話集の性格が集められた個個の說話によって大きく左右されることはいうまでもないが, もう一つ見過ごしてはいけないことは, 說話集の撰者は集を編む過程において大きな役割を果たしているということである. 『今昔』は收錄話の多くを和·漢の資料に依據している. しかし, 『今昔』の撰者は出典の說話をそのまま受容する消極的な姿勢ではなく, 獨自の構想による文學的な營みを行っている. 從って, 『今昔』の文學的な特性を明らかにするためには, 撰者の構想が作品にいかなる影響を及ぼしているのかを究明するすることが肝要であり, そのためには各說話に對する出典との緻密な對照を通して, 撰者の出典受容の樣相を分析することが有效であろう. このような觀點から, 本考察では, 撰者の構想が作品の完成に與えた「明」と「暗」の影響を對比して考えてみた. 具體的には, 『法花驗記』の例話との對比を通して『今昔』構想の創造的な一面を明らかにし, 『靈異記』の例話との對比を通しては『今昔』構想がもたらした矛盾を指摘した. とりわけ, 『靈異記』の「優婆塞」を『今昔』が「俗」に改變することによって起きた內容の破綻をまず指摘し, その背景に內在している時代狀況の變化がその破綻の原因であったことを述べた. この考察を通しても明らかになったように, 說話集の撰者の構想が各各の說話に及ぼす影響は多大なものであり, 『今昔』の文學的な特性を究明するためには, 出典との緻密な對比を通して, 影響關係を明らかにすることが有效であろう.
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『入唐求法巡禮行記』(以下『巡禮行記』で略す)は天台第三代座主慈覺大師 円仁が約10년(838년-847년)にわたって唐における求法旅行を日記で記錄した作品である.『巡禮行記』には多くの在唐新羅人が登場するが, それを大別すると, 赤山法華院(赤山新羅院)に居住する僧侶たちと主に海上貿易業に從事する居留民たちに別けられる. 彼らは円仁が求法の旅行の許可が得られず, 日本へ歸るしかない時, すべての手を盡して円仁が求法の旅道に立つように協力する. 特に円仁が釋道玄に導かれて赤山法華院に泊まるようになったのは, 唐に於ける彼の運命をすら變えられる大きなチャンスだったのである. 張寶高や張詠など在唐新羅人のなかで最も有力者の庇護で設立した當寺院は, 円仁という遠大な求法の志の持ち主を眞心を持って迎えてくれたのである. 法華院の院主は円仁の法的な보증인になって唐土における円仁に行動の自由を與えてくれた. そして, 法華院の僧聖林から五台山の靈山たる由緣を聞いた円仁は最初の巡禮目的地の天台山から五台山へと方向を變えたのである. これは円仁を硏究する多くの人人から彼の求法の意義がもっと深遠になったきっかけとして評價されるが, このような背景には在唐新羅人たちの協力があったのである. 円仁は求旅行の期間中, 前代未聞の廢佛時代を體驗するが, その恐るべき狀況から彼を精神的に支えたりまたは歸國の實質的な手段を準備して救いの手を差し伸べたりしたのも新羅人たちである. 百濟の滅亡後, 新羅と日本はまるで犬猿の仲であった. しかし, 唐土に於ける円仁の求法活動を新羅人たちが積極的に援助したのは, 單に商賣上のためではなく, 同じ佛敎文化圈內で育った佛法の眞理の追求という共同の理解があったからこそ可能だったのである. 求法旅行を無事に達成した円仁は, 赤山法華院を忍んで, 比叡山に禪院を建立する遺志を遺すが, 彼の死後, 師の遺命を從って弟子たちが建立した赤山禪院がそれである. 今も比叡山麓修學院の近くにある赤山禪院と赤山明神は, 9世紀の唐に於ける円仁という求法者と眞理の追求にあらゆる援助を惜しまなかった新羅人たちの精神的交流の象徵である.
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日本中世の政治は, 『平家物語』と『太平記』の素材となっている戰亂を通じて執權者が變ることになった. 前代の執權者に代って現在の執權者が統治すべき正當性の確保が何より必要であったため軍記物語の執筆の際はそのような論理が反映したと考えられる. そのような論理は從來の日本の傳統的な王法·佛法相依のイデオロギ-では都合良く說明できなかったので, 德のある者が德のない君主を倒し, 新しい支配者になるという儒敎の易姓革命の論理が遠用されたと判斷される. そのような名分論の下で, 前代の執權者は冒頭から惡行者に規定されているが, 具體的な事件の敍述には, 儒敎的な論理よりも日本の傳統的な王法·佛法相依の論理が先に作用していることが確認できる. 卽ち, 主人公として登場している惡行者は, 一見, 冒頭文に提示されている儒敎的な論理にしたがって滅亡に至っていく敍述構造になっているようであるが, もっと詳細に分析してみると, 夢の啓示や神託などの神佛集合思想として權力交代の論理をたしかに提示し, 補っている. 卽ち, 夢やその他の妖兆記事, 析願, 神託, 故事なども敍述者の政道觀と和合をなすような世界となっていて, 北條軍には惡い展望を, それに對抗する후제호천황の方には明るい展望を示しながら, 未來の出來事を豫告暗示し, その予告と暗示は殘すところなく成就していくような構造で一貫している. そのような神秘的な敍述の仕方には, 旣に滅んでしまった北條軍には「滅ぶべきだ」という敍述者の論理が『太平記』第一部のテ-マとして設定され, 構想と記述を規定していったものが多いと判斷される. しかし, 死の場に至っては, 突然敗北者に向けられる視線は明るくなり, 彼らの最後の武勇と溫もりを敗北者側の立場で贊美し感動させるような敍述となっている. そのような敍述構造は, 『平家物語』そして『太平記』第一部と第二部,第三部で共通して發見されているが, 本稿では, 『太平記』第一部を中心に分析してみた.
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『家內手本用心藏』에는 종래, 고지식한 黃表紙라고 하는 평가가 내려져 있었으나, 견주기 그림이라든지 동음이의어, 비유가 구사되어 있는 대사를 더불어 읽어나갈 때, 黃表紙로서의 골계성이 충분히 구비되어 있는 忠臣藏物임을 알 수 있다. 그 때까지의 忠臣藏物에도 다소 나타나고 있었던 교훈성을 전면적으로 표면에 도출 시키면서도, 대사에서 마음껏 말놀이를 펼침으로써, 忠臣藏物 黃表紙에서 교훈을 내세우려고 할 때의 가장 효과적이며 또한 적절한 모범을 제시한 작품이 唐來參和의 『家內手本用心藏』일 것이다. 그리고 이듬해 간행되는 山東京傳의 『假名手本胸之鏡』는 그 성립에 있어서 (1)거울의 부착 방식 (2)소제목의 부착 방식 (3)견주기 그림 (4)구성법 (5)저술 방침 (6)원형으로 그리는 표현 수법 이라고 하는 면에서, 參和의『家內手本用心藏』로부터의 영향 관계가 엿보이지만, 부분적 취향에 있어서는 그밖에도 몇가지 선행 작품을 꼽을 수가 있다. 본 작품은 參和의 그것 만큼 비유, 동음이의어를 구사한 대사 등은 없지만, 견주기 그림의 의외성, 그리고 그 그림을 설명하는 여백의 글에서 훌륭하게 해학성을 자아내고 있다고 할 수 있다.
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椎名の文學的な道程は, 神に對しての反抗と拒絶の過程を經て回心後, 肯定の方向に反轉したものとして評價されている. ところが初期の作品『深夜の酒宴』と『重き流れのなかに』での神に關した反抗と拒否という側面は, 作品のなかで神を描寫する爲の一つの表現方法として導入したイメ-ジであると思われる. これは當時, 椎名が神に對して深く憧憬したことを作品の中ではむしろ逆說的な表現を通じて取り入れたのである. それで『深夜の酒宴』の中では神をただ「認識」として描寫し『重き流れのなかに』では, 神を殺すべき「憎惡」の對象としてまで表現したものであると考えられる. これらの作品を書く當時, 椎名はすでにドストエフスキ-によって, キリスト敎に接しており, 內面的には肯定的な接近が始まっていたと思われる. 從って1950年『赤い孤獨者』を書く當時の行きづまりから「自殺する心構えで, ドストエフスキ-のキリスト敎に賴って, 洗禮を受けた」ということは, 言い換えれば彼が文學の中で表現しようとする神の描寫が間接的な方法では進められなかったので, ある精神的な契機を得るために取った方法であったとみられる. 本稿では, 椎名のこのような變化が「拒否と反抗の神」から「肯定と和解の神」に換えたものではなく, すでに『深夜の酒宴』と『重き流れのなかに』を書く前から用意してあったということで, 椎名は日本という社會的な狀況で認められる文學的な表現方法として, 反抗と拒否という否定的な方法を使ったのであり, 神を「認識」と「憎惡」の對象として形象化させたことであったというのを分析してみた.
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본 논문은 아베 고보의 작품 "상자를 쓴 남자" 에 나타난 상자라는 공간이 어떠한 자리인가를 파악함으로써 작품의 주제에 보다 접근하고자 한 데에 목적을 두었다. 상자라는 공간은 크게 나누어 세 개의 역할과 의미를 가지고 있다. 그 하나는 상자라는 것이 인간의 일상생활로부터의 이탈을 받아들이는 자리로 설정되어 있다는 것이다. 이 이탈은 구체적으로 인간이 상자라는 공간 안으로 들어감으로써 상자의 모습으로 변신하는 것으로 나타나 있다. 그리고 이 변신이란 인간의 일상생활로부터의 잠재적인 도망의식이 현재화되어 나타난 모습으로 파악될 수 있다. 두 번째로 상자라는 공간은 상자의 구멍을 통해서 바깥세계를 새로운 시각으로 바라볼 수 있는 자리이다. 상자를 쓴 남자는 상자 속으로 들어가기 전에는 가질 수 없었던 사회적 규정 없는, 자유스러운 시각으로 바깥세계를 보기 시작한다. 마지막으로 상자라는 공간은 새로운 미래로 향하는 출발의 자리로 분석해 볼 수 있다. 상자를 쓴 남자는 그 상자 속에서 바깥세계를 바라보기만 하는 존재가 아니고, 보다 적극적으로 바깥세계로 출발하려고 하는 존재이다. 그러나 이 작품에서는, 이러한 새로운 미래가 구체적으로 어떠한 세계인가를 우리가 파악해낼 수 없을 만큼 시제 적으로나 인간관계 적으로나 모든 것이 복잡하게 연결되어 있다. 이 작품에서의 미래 세계는 우리가 일반적으로 근대문학에서 기대할 수 있는 그러한 대단원적 결말을 제시하고 있지 않다. 작가 아베는 상자라는 최소한의 공간을 창출하여 미로라고 표현할 수밖에 없는 미래세계를 묘사해냄으로써 작품을 끝맺고있다. 아베가 제시하는 미래의 세계는 구조적으로 복잡하면 할수록, 관념적이고 추상적으로 묘사되면 될수록 그만큼 다양성이 존재하고 자유스러운 참여의 기회가 제공되는 공간이라고 할 수 있다. 요컨대 작가 아베는 상자라는 매개를 이용하여 현실세계에서 일단 빠져 나와 현실을 재인식할 수 있는 기회를 자신만의 독특한 묘사방법을 통해 제시하고 있는 것이다.
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