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Journal of Japanese Language and Literature


  • - 주제 : 어문학분야 > 일어일문학
  • - 성격 : 학술지
  • - 간기: 계간
  • - 국내 등재 : KCI 등재
  • - 해외 등재 : -
  • - ISSN : 1226-2552
  • - 간행물명 변경 사항 :
논문제목
수록 범위 : 42권 2호 (2002)

만엽가의 탄생과 도래인의 역할

윤영수 ( Yun Yeong Su )
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本稿は万葉歌が誕生し. 形成發展していく過程において, 古代韓國から日本へ渡った渡來人たちの役割と關連性に關する硏究である. 硏究方法においては, 日本の傳統詩歌である和歌の發生と方葉歌の誕生における渡來人の關連樣相をはじめ, 記紀歌??から万葉歌へと發展していく過程においての渡來人たちの役割, また壬申の亂までの初期万葉と近江朝文學にあらわれた渡來人たちの役割と活躍相を考察して見たあと. 最後に『万葉集』の編纂と先行歌集との關連性を通し. 渡來人たちの役割を考察して見넜た. その結果, 日本古代文學や万葉歌(和歌)の誕生において. 日本に漢字を傳え, 漢學漢文學にすぐれた, 古代日本においての文筆と紀錄を主に擔當した古代韓國からの渡來人たちの役割は大きかった. 彼らは大陸との長い接觸と創造的な歷史のなかで形成された先進の文學觀と高い敎養を持って抒情詩としての和歌の發達を促進させて래た. それのみならず, 万葉歌の誕生と發展にも中心的な役割を果たした. また口誦的·敍事的·集團的な性格の上代歌??(記紀歌??)が記載的·抒情的·個人的な性格の和歌係へと發展していく初期万葉期において天皇のまわりで宮廷と密接な關係を結び. 宮廷を代表して歌を歌ったり. 時には他人のため. 代作もしつつ和歌の筆錄や傳承の役割をも擔當した人達は傳統的に漢文學と文筆にすぐれた渡來人であったという事實も確認できた. なお百濟の亡命知識人によってもたらされた近江朝の文運と. 漢詩と和歌の本格的な出會いが葉歌の誕生と發達を促進させた決定的なきっかけになったと言える. また『万葉集』の編纂資料として利用された『万葉集』以前の先行歌集に編纂者あるいは歌人として登場する渡來人たちの役割と文學活動も万葉歌の誕生と發展に大きな影響を及ぼしたと考えられる.

만엽집에 나타난 한국은 당인가?

배정웅 ( Bae Jeong Ung )
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集中の卷十九端の四二四○·四二六二番歌の「韓國」という語??を唐と解釋できるかどうか. なぜ題訶と歌の內容の違う矛盾が發生したのか. 結論から先なに言うと. 傳承歌類鉛(四二四○·四二六二)と見た. 四二四○番歌は藤原太后と書術いてあるが歌には唐の代はりに韓國を用いている矛盾を犯している. 皇后の作の前に憶良の遺唐使のための作た「好去好來歌」(卷五·八九四~六)の中`で明確に唐と表記してモロコシと訓かんでいる. 「太平五年, 贈入唐使歌一首」(四二四五○~六)に「日入國??」という表現も用いている. これは言うまでもなく唐をあらわしている. このように唐をさす語??とか表現を明確に用いて韓國と區別しているのに. 突然その後の作に韓國をもって唐をあらわしている. こわはたいへんおかしい. そこで思いだしたのは遺新羅使人の145首(卷十五·三五七八~三七二二)である. その中で新羅を寒國と訓んでいる(それに題訶の新羅と作品の中の新羅の語??も一致してこることを見逃してはならない). すなわち四二六二番歌は. 大伴古慈悲宿??の家で遺唐使のために多治比眞人??主が作者のわからない古歌類を歌い(遺新羅使人たちも古歌類っている), それを大伴宿??村上·同淸繼らが傳誦したとみたい. 四二四○番歌も同じく作者のわからない古歌類を皇后が歌ったが, それを傳誦した結果の矛盾とみるべきであろう. すなわちこの2首は, 韓國との關わりを歌った古歌が傳承のあいだ遺唐使のための歌になり, 韓國を解釋する矛盾を犯した. しかし本來の2首のあり方に卽して言えばこれは遺唐使のための歌ではない. このように矛盾している歌を根據にして集中の36首38回のカラの用例を唐と解釋するのは間違いであることを論じた.

『수약녀』론 -우케이 신화의 재고를 향하여 -

박경미 ( Park Gyeong Mi )
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天照大御神と須佐之男命のウケヒ神話は.『古事記』『日本書記』第六段の本文と??つの一書, そして第七段の第三の一書, 合計六つの異傳を持つ. 『日本書記』の五つの諸傳とも一致して「男神=淸心」「女神=獨心」という, ウケヒの結果判定の基準が明示されているのに對し, 『古事記』は, この判定基準となるべき前提條件をいている. ざらに『古事記』のみ須佐之男命が女神を生み, 天照大御神が男神を生むという傳えになっているうえに, 男神を以って勝利(身の潔白)の證とする日本書記』の諸傳とは違って, 女神を生んだ須佐之男命によって自分の身の潔白が證明されたと勝利の宣言が行われている. そのため, 從來『古事記』のウケヒ神話は, その結果判斷をどう捉えるべきかをめぐって, 數??の論議を呼び起こしてきた. 本論はこうした問題を, 從來見過ごされてきた「手弱女」という表現に注目し, その解明を試みたものである. ウケヒの前提條件を欠いているだけでなく<女神>誕生をもって勝利と判定している『古事記』の記事を中心に檢討し『古事記』が天照大御神と須佐之男命のウケビ神話を通して『古事記』が天照大御神と須佐之男命のウケヒ神話を通していかにそ獨白な世界を構築し得ているかを讀み解こうとしたものである. 天照大御神の詔り別けの時には「女子」とあったのが須佐之男命の勝利宣言においては「女子」ではなく「手弱子」にその表現が變わっている原因を明らかにすべく, 同時代の文獻にみられる「手弱子」の用例と關連表現を檢討すると同時に『古事記』におはる二神のウケヒ神話の存在意識を考慮した結果, 「女子」から「手弱子」にその表現が變わっているのは, 男神と勝利との强い結び付きによるものであることがわかった. また『古事記』がウケヒの前提條件を明示せずに省略しているのもやはりこした核の存在を覺していたからであることを明らかにした. つまり,『古事記』の表現が神を生む段階では「女子」であったのが須佐之男命の勝利宣言にいたっては「手弱子」にかわっているのもこうした變更不可能な核の存在を熱知しているにも關わらず, その核を變更することによって生じた副作用を解消するために『古事記』の編纂者が創り出した表現であったと言えよう. 結局『古事記』の編纂者はウケヒ神話の變更不可能な核の存在によって須佐之男命が「女子」ではなく「手弱子」を生んでその潔白が證明されたとその表現を變えざるを得なかったと言うほかないであろう. 『古事記』が獨白の主題のもと, 意識的に用語の選擇やその表記を行っていることは多くの先學か設tくとおりである. こうした『古事記』編者の努力によって『古事記』は旣存の傳承の制限を受けながらも. その傳承を巧みに用いて所定の目的を果たし得ているといってよぃだろう. このことは, 수『手弱女』『女子』や<女神>に置きかえられない用法であるというる. ウケヒ神話を通して『古事記』は, 須佐之男命の身の潔白と天照大御神の天忍??耳命??得る. 天皇を中心とした支配體制の正統性への保證を目的とする『古事記』において, 天忍??耳命の誕生のもつ意味は大きい. 『手弱女』はごのことを一層はっきりしたものにするために, 『古事記』編纂者によって??かれた表現であると考える.
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『홋케겐키』는 쵸큐년간(1040~1044년) 히에잔 요카와 슈료공인(比??山橫川首??嚴院)려 친겐(鎭源)이 편찬한 법화경 영험담이다. 『홋케겐키』는 『곤쟈쿠모노가타리』와 『고쿠라쿠키』 이후에 편찬된 헤이안 시대의 왕생전의 중요한 전거가 되고 있다. 그러나 『홋케겐키』에 관한 기존의 연구를 살펴보면 헤이안 시대의 법화신앙사를 연구하기 위한 연구사료나 또는 『곤쟈쿠모노가타리』와 『고쿠라쿠키』 이후에 편찬된 여러 왕생전의 전거문헌으로만 간단하게 취급하고 있을 뿐 『홋케겐키』가 가지고 있는 독자적인 편찬의식에 대한 연구는 전무한 상황이다. 따라서 이 논문에서는『홋케겐키』의 편자인 친겐(鎭源)의 편찬의식을 고찰하기 위한 연구의 하나로써 『홋케겐키』에 나타난 관음설화의 의의에 주목했다. 『홋케겐키』의 내용을 살펴보면 법화신앙 뿐만 아니라 내세이익을 나타내는 왕생연험설화와 현세이익을 나타내는 관음신앙설화, 밀교신앙 등이 기술되어 있다. 이들 신앙이 『홋케겐키』가 편찬될 당시인 헤이안시대에 일본사회에서 독자적인 종교로서 번창했다는 것은 이미 알려진 사실이다. 따라서 편자의 편찬의도를 고찰하기 위해서는 『홋케겐키』에 묘사된 신앙에 대한 설화들을 종합적으로 연구할 필요가 있다. 그러나 지면의 제약상 내세이익을 나타내는 왕생영험설화와 밀교에 대해서는 다음 기회에 논하기로 하고, 본 논문에서는 『홋세겐키』의 영험담 중 현세이익을 나타내는 관음(觀音)설화에 주목함으로써, 관음설화와 『법화경』과의 관계 특히 『법화경』의 경전명(經典名)이 어떻게 기술되어 있는가에 대해 고찰했다. 또 『홋케겐키』에 기술된 관음신앙을 『콘쟈쿠모노가타리』·『니혼료이키』와 비교·검토하였다. 그 결과 『곤쟈쿠모노가타리』와 『니혼료이키』에 서술된 관음신앙은 반드시 『법화경』제8권「관세음보살보문품」에 종속된 것이 아니라 『법화경』과 대등한 신앙이었다는 사실을 알 수 있었다. 즉 『홋케겐키』는 이 작품이 편찬될 당시 융성했던 현세이익적인 관음신앙을 『법화경』의 일부로 새롭게 위치를 부여함으로써 『법화경』의 현세이익적인 효과를 더욱 강하게 표명할 수가 있었던 것이다. 정리해 보면, 『홋케겐키』는 기본적으로 『법화경』 영험담으로써 현세이익을 표방하고 있다. 그러나 다른 한편으로는 관음신앙과 같은 헤이안 시대(平安時代)의 대표적인 현세이익 신앙을 설화소재로 채택함으로써 그들을 전부 『법화경』에 종속된 일부분으로 규정하고 있다. 그로 인해 『홋케겐키』는 사람들에게 현세이익을 가져다 주는 원천으로써 법화신앙의 위대한 힘을 강조하기 위해 편찬된 작품이라고 볼 수 있다.

가하배인소삼일소와 파초에 관한 고찰

이현영 ( Lee Hyeon Yeong )
한국일어일문학회|일어일문학연구  42권 2호, 2002 pp. 87-103 ( 총 17 pages)
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紀行文おくの細道で.芭蕉が追悼句「塚もぅごけ我泣聲は秋の風」を捧ばた加각賀の俳人小杉一笑のには不明の点ガ多い.「蕉??の門弟」とも呼ばれた一笑の俳歷を詳細制に檢討し直し. 合わせて芭蕉との交通關係に焦点を當てながら作品も考察した. すなわち, 彼は??文二年『伊勢正直集』に初入集して以來, 貞門·談林期を通じて京都の宗匠, 梅盛と重賴のもとで活躍している. そし貞享四年『孤松』における「蛙』の句群は, その詠風と「蛙」の捉え方が, 貞享三年『蛙合』における芭蕉一派のそれと揆を一にし~ている. しかし. 惜しくも芭蕉と交流したという端緖いなる文獻はどこにもない.

주신구라와 에도문화

이준섭 ( Lee Jun Seob )
한국일어일문학회|일어일문학연구  42권 2호, 2002 pp. 105-121 ( 총 17 pages)
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事實と虛構か互いに增幅しあっている『??名手本(以下,『忠臣??』). 作者の出雲らは, 先行の??穗浪士復需讐談の作品に抛提りながら, 新解釋競と趣向を案泰じて『忠臣??』を江戶文化に花を笑かせた. 江戶時代の庶民大衆は浪士復讐事液件衝に自分たちの感情を生かしつつ, 身を寄せ賴れるよう古典的??威を, 意識しないまま常に待ち望んでいたに違かいなぃ. それは, 年代が下るこしたがって, 社會の現實の世相にまともに立ち向かって發言することが次第に窮屈になり, しかもその能力を失いつつあった江戶庶民の精神の傾向だったと言えるだろぅ. 『忠臣??』は江戶期脚の人??にとっては身邊に起きた衝擊的な事件が題材になっており, 忠義の??に人情がからみ, 分かりやすく共感を呼びやすい芝居であった. 脚本., 演出, 演技が功みな劇で, 戀や義理人情や判官????などがふんだんに取えり入歌れられたうえに, 日本各地の風俗を見られる場面が多く, 地域に閉鎖されかちだった江戶期の庶民に??ばれた. このような展開はすぐもう一かつの忠臣??を作り上げ, その結果, 巨大な忠臣??文化を構築したのである. 本稿においては, それを芝居文化だはではなく, 用柳などを通じて江戶文化のなかにダイナミックな忠信??文化を確認したのである.
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本論文では. 始め尾崎紅葉が『金色夜叉』を未完結の狀態に殘さざる得なかった理由, それから小栗風葉が『金色夜叉終編』で『金色夜叉』の後半部のスト一リ一を完結できた理由, 最後に飜案作『長恨夢』は, その底本(『金色夜叉』と『金色夜叉終編』を合成したスト一リ一)をどのように受容して獨自のものにしていっぞかを考察した. 考察の結果, 尾崎紅葉が『金色夜叉』を未完結の狀態に殘ささるを得るなかった理由には. 彼の互いに衝突する二つの作品の執筆動機ガ??いでいることがわかった. 彼』は, 貫一を通じて人間の人生において刹那的な力をもつ<黃金>より永久お力をもつ<愛>を强調しうとしたし, 宮を通じては自我實現欲望を持っている「超明治式の婦人」を描こうとした. が, このよう彼の作品構想には相容れない次元の異なる問題が內包されていたので, 必然的に作品意圖と人物設定という側面で跛行狀態を??した. 要するに尾崎紅葉はスト一リ一を完結できずに不調和と破綻の足踏み狀態で殘かささるをえなかったのである. しかし, 小栗風葉は『金色夜叉』に內在されたそのような矛盾に氣が付き, 尾崎紅葉の二つの作品熱筆動機の中機, 「超明治式の婦人」の造形を諦めた, また『金色夜叉』では人間に苦痛を與えるだけだったお金の用途を, 困剛った人間を助ける手段に變更することによってより大きな<愛>が描かれることを可能にした. そのお陰で『金色夜叉終編』で 小栗風葉は, 永久の價値としての<愛>を强調するというスト一リ一の進行方向を決リめることができたし, 最終的にスト一リ一を完結できたのである. 一方, 趙重桓は, 飜案作『長恨夢』で 小栗風葉によって新すしく構築された內容(お金の用途を變更し, 「超明治式の婦人」の造型を抛葉)を受け入れなながらも, 『朝鮮のもの(話)』にするという執筆意慾の下で主人公たちの後日談を宗全に違う話に作り直した. <愛>より<黃金>を選んだ女主人公が, 自分の過ちを自覺し心底から悔悟するかたわら. その後の生活において一人の男性を持續的に愛する行動樣式を見せることによって, 最後には<愛>を取り戾すという內容にした. これは韓國の舊小說でよく見街けられる<烈女物語>の性格を持つものである. 以上の記述で明らかになったように. 尾崎紅葉の『金色夜叉』は小栗風葉と趙重桓との文學的な想像力により原作とはかなり違った話に變更されて韓國に紹介されたのである. 趙重桓は, 尾崎紅葉が『金色夜叉』の執筆動機の一つとして考えた「超明治式の婦人」すなわち明治という時代の??に收めきれないほどに自我實現欲望が强い女性を, 朝鮮式の婦人それも男性中心の朝鮮社會で理想的な女性像と思われてきた烈女に變更したのである.

다니자키 문학과 문화적 배경 - 작품 속에 나타난 <사진>과의 관련양상 -

김용기 ( Kim Yong Gi )
한국일어일문학회|일어일문학연구  42권 2호, 2002 pp. 143-158 ( 총 16 pages)
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今日, 私たちは新聞, 雜誌, 書籍など多樣な印刷物に圍なまれて暮している. <寫眞>という文明媒體が私たちに亐える意味は日常的であり, 極めて平凡である. 西歐の機械文明である 寫眞 が初めて日本に導入されたのは幕府時代である. まだ百年も經たない短かい歷史にもかかわらず, 寫眞 は獨自的な芸術を成し, 今はだれも接することができると言える. このように, 現代人に一般化された 寫眞 が文學と文化の媒體として現れたのは1904年からであり, 日露戰爭を境にして刊行されるさまざまな雜誌にはどのような扱いにせよ 寫眞 が揭載されていくようになった. しかし, それは雜誌の表紙とか裝飾的な手段として使用されたため視覺的效果の意義づけしかなされていなかった. この時期, 谷崎は多くの作品を書くのであるが, それの大部分は讀者に人氣があったし, 作品の中に 寫眞 を登場させたのは極めて印象的である. 私は本槁をこのような時代的な背景に視点をおいて, 谷崎文學と文化, 特に 寫眞 とのかかわりを追求していくつもりである.
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三島由紀未の中期の小說である『憂國』は, 波の思想のもっとも集約的な要素が內在されている作品であるが, これはバタイユという思想家との出??いによって生まれた????的な作品だつたと見ることかできる. 執筆の契機となつたバタイユの`存在の連??性`という槪念は, 隔絶されている有限的た存在として, 永遠なるものになれる方法を求めていたに三島に新しい出口として現れることになる. 存在の連??性の達成のため追求される神聖(祭祀儀式)とエロチズムということを通して??絶されている存在は永遠なる??間を迎えることができる. そしてこは『憂國』の核心的な素材として取られている. 三島は神聖とロチツズムの要素をこの短い短篇の中で 現さセてから, この小說の達筆を通して自分の??在意識の中の神である目本の神格天星を??見することができる. その後彼は本格的な右??的天星主義の道をたどるこなになるが, それはバタイユの存在の連??性の槪念に??係あることとして見ることができる. 『憂國』は三島が本格的天星主義に傾倒される前, 彼の根本的思想の集約的な投射 だつたと言えるし, 三島に新たな作家的契機になつた意義を持っていていると見ることができる.

삼호달치의 『남창잡』 『한화집』 『산고집』론

오석륜 ( O Seog Lyun )
한국일어일문학회|일어일문학연구  42권 2호, 2002 pp. 177-196 ( 총 20 pages)
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本稿は三好達治の四行詩集の『南窓集』『閒花集』『山果集』に現れている詩の世界を考察したものである. その考察の方法としては大きく二つを擇んだ. 一つは, 詩集の外形的な特質と詩集の形成に影響を及ほしたと思われるフランスの詩人ジャムと漢詩についてである. もぅ一つは, 彼の詩は日常生活でよく見られる單純や動物植物を繪のように描いているが, そこにはより廣い世界に向って行こうとする彼の意志が內在しているし, また自分の過去を??かくて肯定的に歌っていると言えのに, その具體性について論した. その結果, 次のような結論を得ることができた. 一つ, この四行詩集には達治の文友であった梶井基次郞についての彼の友情がもとになっているし, 四行詩という詩型を用いることによって, 自己の獨立の世界を創造しようとする意志が 感じられたが, 詩の音數律では日本の傳統詩歌での五音か七音および西歐の散文自由詩もいっしょに用いられた. 三つ, この四行詩という詩型と詩材は詩人ジャムの影響であって, 實に達治は彼の詩の世界に近づこうとした. 四つ, 達治の漢詩か絶句への魅惑も重要だと言える. 從って, この詩集は彼の東洋的な關心と西洋への關心か 一つになっていると言える. 一方, 彼の詩集には現實での瞬間的な現象を單純な觀察の意味ばかりでなくて, 宇宙への憧れのように感じられる詩の世界を創り出した. そのような詩が「石榴」「黑蟻」「土」「??」である. また, 彼は自分の過去についての記憶を肯定的に歌う詩人であった. そのような詩が「靜夜」「目白」である.
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