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Journal of Japanese Language and Literature


  • - 주제 : 어문학분야 > 일어일문학
  • - 성격 : 학술지
  • - 간기: 계간
  • - 국내 등재 : KCI 등재
  • - 해외 등재 : -
  • - ISSN : 1226-2552
  • - 간행물명 변경 사항 :
논문제목
수록 범위 : 78권 2호 (2011)
4,500
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この論文は朝鮮通信使が日本の生態的な環境と文化的な環境をどのように認識したかを明らかにしようとするものである。朝鮮通信使は朝鮮王朝から日本に12回派遣され、膨大な使行記錄を殘した。そのなかでも1718年に派遣された申維翰の『海遊錄』は綿密な觀察と流暢な漢詩などで評價が高い。また、1763年に派遣された趙엄の使行記錄も崔天宗の殺人事件などを含めて注目される点が多い。しかし、同じく18世紀の日本を體驗しながら、二人が書いた日本の姿はだいぶん異なっている。申維翰は、日本の生態的な環境を高く評價し、惠まれた自然環境を漢詩として詠むことができない日本人に代わり、自らの役割を强く意識している。一方、趙엄は申維翰が仙境として詠った日本の自然環境を、時間の經過にしたがって一部は認めながらも、仙境としての位置づけには反對の立場を表明し、韓國の山山を仙境として評價する意見に對しても否定的な立場をとっている。趙엄は日本人が誇りを持っている富士山についても白頭山と比較しながら、物理的な關連性を模索する實證主義的な姿勢を示す。このような兩者の違いは、時代的な推移もあろうが、兩者が置かれた社會的な立場によるものだと思われる。卽ち、申維翰は出世に限界がある庶類の出身で、その文才が評價され朝鮮通信使の一行に加わったと考えられるが、趙엄は由緖ある家柄の出身で、將來が期待される人物である。その使行中に使行團の一員が殺害される事件を經驗したことからも、趙엄の記錄は他のものより比較的、現實を冷靜視したものといえよう。したがって、兩者の記錄の違いは、個人的な趣向の違いを超えて置かれた社會的な立場と個人的な體驗を通して、自分の役割に對する十分な理解が下地にあったと推定される。

日本文學,日本學 篇 : 『崖の上のポニョ』の地政學

( Miyuki Yonemura )
5,200
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本稿は、『遠野物語』に傳えられる人間と自然の共生關係について考察したものである。說話には、神、人間、妖怪、自然のあいだにおける樣樣な關係がよく表れている。それらのあいだに結ばれた多樣な關係を一言でまとめるならば、それは人間と自然の共生と言えよう。日本の說話は、神(妖怪)、人間、自然(動物)という三者の關係が圓環的であり、可逆的であると指摘される。すなわち日本の說話では人間が神(妖怪)あるいは動物になり、また動物が神(妖怪)あるいは人間になることが多い。特に 遠野物語 には、日本の民俗社會におけるそれらの三者の關係が赤裸裸に表れていると思える。言い換えれば、『遠野物語』にはかつて近代化の過程において日本人が失われつつあった說話的な心性(mentality)がよく表現されていると言える。これは今まで多くの硏究者が 遠野物語 を注目してきた理由でもある。本稿では、『遠野物語』に傳えられる人間と自然の關係を主に人間と動物、人間と神、人間と妖怪というふうに分けて、それらの三者のあいだの圓環的かつ可逆的な側面を明らかにしようとした。人間と動物の關係については、人間が鳥になるという、說話によく語られる變身のモチ―フについて論じた。また人間と神の關係については、日本神話によく見るいわゆる和御魂と荒御魂の槪念を持ち입んで考察した。そして人間と妖怪の關係については、河童の話を取り上げ、兩者のあいだの關係について考察した。『遠野物語』は現在的視点から注目すべきテキストである。ここで言う現在的視点とは、一言で言うならエコロジ―からの注目である。現在生活のあらゆる方面において、エコロジ―が强調されている。またこれからの人間と自然の共生について樣樣な方法が模索されつつある。 遠野物語 には、かつて人間と自然の關係がどうであったか、またこれからの關係はどうなるべきかを說話的啓示によって語っていると言えるのではないでしょうか。
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本稿の目的は、第2次世界大戰後から現在に至るまでの韓國と日本における道德敎育が目指してきた人間像の變遷と、その特徵を明らかにするところにある。とりわけ、人間像を考察するにあたっては、小·中學校における道德敎育を中心に、そのナショナルカリキュラムの「目標」に關する分析を試みた。その結果、兩國の戰後から現在に至るまでの人間像の變遷の特徵は次のとおりである。韓國の場合、戰後の朝鮮半島の緊迫した情勢を反映したかたちで、反共イデオロギ―を全面に押し出しながら國家體制の維持と發展に貢獻することのできる人間像を揭げてきたが、1980年以降の情勢の變化により、本來の道德敎育の目標とするところの道德性の育成へと方向が轉換され今日に至っている。このような初期の韓國とは對照的に、日本において愛國心を全面に押し出すことは、戰前のいわゆる「軍國主義的な修身への回歸」という結果をもたらしかねないという点でタブ―視され續け、もっぱら民主主義國家を形成する個人としての道德性の形成が强調されつづけてきた。しかしながら、社會全體の秩序の亂れに伴い敎育現場の荒廢が深刻化する中、道德敎育の强化を標榜するかたちで敎育界における改革が重ねられ、2008年に公布された學習指導要領において愛國心をより强調するかたちで道德敎育の目標が改訂されるに至った。兩國の道德敎育の目指すべきところは、道德性の育成という面で基本的には同じであるといえよう。しかしながら、時代的な流れと學校敎育における位置づけの違い、さらには傳統文化や思想的な背景などの影響により、それぞれにおいて理想とする人間像の特徵が形成されてきたといえよう。
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本硏究は韓國の療養保護士と日本のホ―ムヘルパ―を對象に、日本の介護保險より遲れて始めた韓國の老人長期療養保險に對する主觀的な評價の實態及び比較硏究を通じて施行初期にある韓國の老人長期療養保險に政策的な示唆点を探ることにした。また韓國と日本の長期療養(介護)現場で業務を擔當する療養保護士とホ―ムヘルパ―の職務ストレスと職務滿足度を比較硏究することによって長期療養のサ―ビス質向上の爲の制度及び實踐方案は何なのかを模索した。最後に長期療養保險に對する主觀的な評價と職務ストレス及び職務滿足度の影響要因と予測要因を調べることによって相互間の力學的な示唆点を探索することにした。本硏究において韓國の療養保護士と日本のホ―ムヘルパ―を對象にアンケ―トを實施し、SPSS17.0プログラムを通じて頻度分析、交差分析と平均差異分析、ロッジスティック回歸分析、位階的回歸分析をした。本硏究の結果、韓國の老人長期療養保險制度の示唆点ではまず、利用者、對象者の增減に對する對策及び多樣な給與サ―ビス、體系的な傳達體系構築が必要である。またサ―ビス質確保の爲には利用者中心的なサ―ビス變換が必要で、保險に對する安定的な構築と療養保護士の實態把握を通じたサ―ビス質擴大方案が必要であることを提言した。
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本稿は夏目漱石の『こころ』とドストエプスキ―の『罪と罰』に表れている主人公の罪意識の樣相について比較文學の類似對比硏究の視点から論じたものである。ここではこの二人の作家の間の事實的な影響關係は排除して作品の中に表れた人間の心理的な推移を問題意識にし、そのなかでも二つの作品で中核をなす罪意識の問題に着眼し、それがどのような樣相を呈するのかを分析してみた。その過程はそれぞれ主人公の罪意識が形成された動機、罪意識の中での葛藤または深化、そして罪意識の歸着点に分けて比較、考察することによって進まれたが、いくつかの類似点と對比点を提示することができた。『こころ』はエゴイズムから脫皮できなかった悲劇的な主人公である先生の人生と、人間の心の中に潛んでいる眞實の醜さを暴いた作品である。先生はKの自殺の後、罪意識を持つようになったし、その罪意識から脫するために自殺を選擇、自殺の方便として明治時代の精神という價値體系を利用しようとしたと思われる。ドストエプスキ―の『罪と罰』は、「犯罪の心理學的解釋」で呼ばれるほど犯罪が犯罪者の魂に及ばした影響について緻密な構成で描かれている作品である。ドストエプスキ―は作品の中で、主人公ラスコリニコプを通して理性万能の西毆式合理主義的な思考の論理的な限界と破綻を表している。ところで、ラスコリニコプは自分の思想を實驗するため殺人したことから先生の同じようなエゴイストであるが、思想、そのものは彼にとって現在の生き方の方便として利用されたので、先生とは違うと言える。また作家は賣春婦ソニャを通しても思想を代弁しているが、傲慢な人間、ラスコリニコプがその理性を過信する合理主義の病弊から脫するようにキリスト敎的な救援の手をさしのべる希望の結末になる。人間の普遍的な感情の問題の一つの罪意識について比較してみた本硏究は、主人公たちが徹底なエゴイストであることが再確認される過程であり、結局、『こころ』と『罪と罰』に表れた罪意識を含めて人間の普遍的な感情は文學の最も基本的な前提になるゆえに、比較文學の類似對比硏究の領域は素材と觀点から見ると限界がないし、このような硏究は作品をもっと深く理解できるのに役にたつと思われる。
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戰前の昭和日本を象徵する作家·橫光利一(1898-1947)の文學はいかなる旋回を描いたのだろうか。本稿では、橫光文學の軌跡を時代順に追い、その全體像を俯瞰すると同時に、その變質の地点と要因を新たに提示しようとした。この際、本稿が心掛けた主眼点は橫光文學が保持していた「經濟を見る眼」であった。橫光はその初期作「蠅」や「頭ならびに腹」において、商人資本主義における距離、および産業資本主義時代における時間の意味を探求し「經濟を見る眼」を獲得している。橫光の初期作は剩余價値や勞동價値說といったマルクス主義經濟學の核心槪念をふまえた上で、それを物語の動因としながら創作されていたのである。このような橫光の考察は、後に「上海」「機械」「寢園」「紋章」を通して、さらに深められることになる。當時のプロレタリア文學者よりも徹底して唯物論的であろうとした橫光の小說世界である「上海」はいうまでもなく、新心理主義を決定づけたとされる「機械」や「寢園」においてさえ、實は「經濟」的な事柄が最重要な意味作用をなしていることが判明している。發明と特許權をめぐる暗鬪劇として「機械」は讀み直せるし「寢園」が同時代的に進行していた世界恐慌や昭和恐慌を問題にした經濟小說であったのも確かである。しかし、それまで數多く登場させてきた作中人物の「經濟」をめぐる活動は、彼が書くものから消えていくこととなる。それは國家權力による經濟の統制が强化していった時期とも重なっているのだが、それは「紋章」において「自由に判決を與える」ことを表明し、自由主義經濟批判といった新たな方向への兆しを見せていた橫光が選んだ道であったろう。この選擇が國家による資源の管理や、統制經濟の追認に繫がった可能性は十分に存在した。發明と特許權の社會的な含意をめぐって「機械」と「紋章」に、そして株式取引きの物語における意味作用をめぐって「寢園」と「家族會議」には大きな隔たりが生じているのである。この後「旅愁」では「物自體の動き」を見る眼、「經濟」を見る眼が奪われ、それに代って、精神主義的な文化論への轉換が見られるようになる。

日本文學,日本學 篇 : 中世紀行文芸と歌枕 -鳴海の浦と鳴海潟を中心に-

이영경 ( Young Kyung Lee )
한국일어일문학회|일어일문학연구  78권 2호, 2011 pp. 143-168 ( 총 26 pages)
6,600
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本考察は、鳴海の浦を取り上げ、鳴海の名所として認識された過程を천り、それが中世紀行文の『海道記』『東關紀行』『十六夜日記』に、いかに受容され離脫されているのかを探ることによって、それぞれの表現の特色を明らかにしたものである。平安中期から取り上げられた鳴海の浦は、その地名に「成る身」と「恨み」とが言い掛けられて、鳴海そのものより戀歌に多く詠まれていた。そして「いかになるみ」「はるかなるみ」のような表現が類型化されているが、そこに「ひさぎ」などのような景物も用いられ、より深まってきた。それが、院政期に入ると、私選集と歌合を中心に、類型された地名のことばによる戀歌から、その地を眞正面から詠もうとする趣向によって、潟に注目し、「あぢむら」や「たづ」などの景物を取り入れた海の風景が詠まれるようになった。そして、「千鳥」は、鳴海の主な景物として固定化された。このような、鳴海潟の風景への趣向は新古今時代により複雜に仕組まれる技巧的な表現になり、自然と人事、戀、世の中の無常などのような多樣なイメ―ジの持つ歌枕として形成された。中世時代の旅は歌枕の旅であると言っても過言ではないが、同じ歌枕の地であっても、當然でありながら個人の感性、知的基盤などによって表現の仕方は異ってくる。『海道記』は、鳴海の風景を語るに、難所、眺望、波の上の遊興、子蟹などに注目している。特に、誰にも取り上げなかった干潟の子蟹の動きから、生死に執着する人人の心に訴えたり、その表現においても、和歌の世界で好まれなかった反復表現が積極的に用いられている。これに對し『東關紀行』は、鳴海潟の風景そのものより、旅愁や都などを忍ばせる思いが語られ、歌枕は常に昔の「跡」を시ぶ地に他ならない。『十六夜日記』は、歌枕として類型化された表現が多く取り上げられ、阿佛尼の和歌の表現世界への指向が窺える。以上のように、歌枕鳴海の表現史と中世紀行文の敍述を천ることによって明らかになったのは、特に『海道記』の表現は規制された歌枕の世界とはかけ離れていることである。
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本論では喜田貞吉と鳥居龍藏のエミシ解釋を比較しながら、その變容過程を明らかにすることを試みた。特にエミシに關する人種解釋は西毆からの輸入品であったが、それをアレンジすることで、日本內部のマイノリティの問題を解決することで、日本內部のナショナリズムの創出につながっていった。ここで用いられた鳥居と喜田、沼田の論法には、人種、歷史、考古學を橫斷する方法論と、コロボクル、エミシ、ツチクモを總體的に解釋論理が竝行していた。これには實地調査と理論の一體化を目指していたものでもあり、相手側に直接立ってみるという、相互性を考慮したものでもあった。ここで用いられたいた論理的根据は、混合民族論であり、エミシとアイヌを再現する方法であった。言語的解釋を應用しつつ、クスがエミシになり、エミシは結局、アイヌになったことを說明した。これは日本神話に出てくる神武天皇の征服論理と結び付き、日本民族の同化過程をも說明可能になった。これは、血の混合の問題と日本の天皇の慈悲と威嚴の問題を再び提示することで、日本民族として「同化」するか「異民族」として排除されるかの境界を再編する論理であった。これをもって、日本ナショナリズムとしての「混合」論理がどのように活用され、そこで使用された「血」と「天皇」の權のヘゲモニ再編論理を浮かび上がらせることができた。
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