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Journal of Japanese Language and Literature


  • - 주제 : 어문학분야 > 일어일문학
  • - 성격 : 학술지
  • - 간기: 계간
  • - 국내 등재 : KCI 등재
  • - 해외 등재 : -
  • - ISSN : 1226-2552
  • - 간행물명 변경 사항 :
논문제목
수록 범위 : 93권 2호 (2015)

『仇手本後編通神藏』と <忠臣藏物>洗落本の特色について

강지현 ( Ji Hyun Kang )
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享和元年頃刊の小金厚丸作洗落本『仇手本後編通神藏』は、後期洗落本三大作家の特徵と如何なる關係があるだろうか。忠臣藏世界の表現方法、いわゆる原作の飜案·變容という視座から趣向を綿密に分析考察した結果、前編に當たる『仕掛幕莫仇手本前編』をも含めて、當該<忠臣藏物>洗落本の特色は次のように纏められる。①厚丸も時流に乘るかのように、洗落本執筆の目的は敎訓にあると直·間接的に表明する。②原作の忠臣藏人物の性格をほぼそのまま繼承しながらも、洗落本の類型的人物像に自然と符合するよう絶好の構成を施す。③お輕の實家、遊客同士の市井での爭いなど、遊客の家が舞台になる場面が大分占める点は一九や三馬等の後期洗落本に相應する特色である。④京傳洗落本の吉原穿ちと比べものにならないものの、自序·付言·本文中に遊里の實情を風刺しつつ描寫することで遊里の情趣をも盛り입もうとしている。一つの作品中に高級から低級までの遊里とそこに暮らす人人の風習をも描き입む所に厚丸の個性が垣間見える。⑤原作の人物關係を踏襲する面は單純な飜案と批判されるだろうが、原作の文句を所所引用しつつパロディ一したり、舞台、人物と職業、事件の變容それ自體を以て飜案の妙味が味わえる脚色をしている。⑥音響效果などにて演劇であることを意識させる工夫をしている。以上、全體的な創作法として厚丸は原作に寄りかかる方法や、逆に大きく離れる方法をも用いるが、一方、原作を付かず離れずパロディ一する方法をも披露するなど、飜案における肯定的な評價を下すことも可能ではなかろうか。

棋と佛敎說話

국지진 ( Kikuchi Makoto )
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日本將棋は千年以上の歷史を持ち、現在も一千万人近い愛好者と百五十人を超す專門棋士を擁する。日本將棋が古代インドのチャトランガを起源とするボ一ドゲ一ムの系列に屬することは定說である。しかし日本將棋はル一ルばかりでなく、盤と駒の形狀も、チャンギ等その他の國のゲ一ムとかなり違っている。今回の硏究發表では、こうした獨自性は佛敎說話に由來するものであることを論證する。日本將棋の起源について、遊戱史學會の硏究者や一部の專門棋士によって議論されてきた。その議論は樣樣にされているが、いずれも「日本將棋の起源」と「日本將棋のル一ルの起源」を同一視していることでは一致している。しかしそれは疑問の余地のないことなのか。東アジアのボ一ドゲ一ムの雄·圍碁の起源は、易法が變化して遊戱化したとする推測が有力という。つまり最初に棋具が成立し、そこにル一ルが附けられたのであった。日本將棋の起源もル一ルに先行して棋具が形成されたと推測する。日本の將棋盤或いは碁盤の脚の形狀は、逆八角錘の上に丸みを帶びた八角柱がついた脚が四本あって厚板を支えている。盤作りの專門家たちは盤脚を俗に「クチナシ」と呼ぶが、私はこれを佛敎說話にいう須彌山を象徵化したものと推測する。つまり將棋や圍碁の盤上は須彌山上と見なされ、神神の鬪いの場であったというわけである。具體的には『觀佛三昧海經』や『雜阿含經』等を出典とする『今昔物語集』卷一「帝釋與修羅合戰語第三十」等の說話とか、慈円の「須彌のうへはめてたき山とききしかど修羅のいくさぞ猶さはかしき」, 『拾玉集』など、日本が受容した須彌山上における神神の合戰說話が將棋盤上に見立てられていると考えるべきなのではないか。將棋盤が須彌山に見立てられていることは、將棋の駒の名稱と形狀の獨自性とも關連している。「玉將·金將·桂馬·飛車…」などの將棋駒の名稱は、すべて經典に根處がある。また底廣がりの五角形という、世界に例を見ない將棋駒の形狀は、佛敎莊嚴具の幡に由來すると考える。幡は幡頭·幡身·幡手·幡足からなるが、幡頭は三角形で、その下に長方形の幡身が付くので、總體としてイカのような形をした五角形をしている。通常、幡には佛の像·種子·寶號が描かれる。幡は法會の際に、それぞれの佛を表す佛具として用いられている。神兵である「金將」等の幡が小型化して盤上に倂んだ軍團、それが將棋駒の起源であったのではないか。須彌山に見立てられた盤上に、神兵たちの幡に見立てられた駒が倂ぶ、これが「將棋の起源」と推測する。例えば「州浜」のように、古來日本貴族文化は景物をミニチュア化して裝飾品として樂しむ風習があった。將棋盤は須彌山世界の神兵たちの合戰の樣子を表す「州浜」であった。それが經典根處のあることから、一種の宗敎行爲としての側面もあったのかもしれない。つまり、棋具そのものの形狀に意味があったので、遊戱としてどう用いるかは二義的な問題ではなかったか。將棋は佛敎說話の具現化であった。

尸毘王說話の韓日比較硏究

김태광 ( Tae Kwang Kim )
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本硏究は,韓日兩國における本生譚の一つである尸毘王說話の韓日比較硏究を試みたものである。主たる硏究對象は漢譯佛典と韓日兩國の本生說話集の代表作といえる『釋迦如來十地修行記』と『三寶繪』である。本硏究の目的は本說話の韓日兩國における特徵とその原因となる幾つかの問題點の解明にある。檢討の結果,南傳、北傳を問わず廣く流布した尸毘王本生譚は內容によって三つの類型に分けられ、二つの目を婆羅門に施す話の南傳とは違って、北傳では鳩の代わりに自分の身の肉を鷹にやる型(これも二種類)が主琉をなし、一部には鷹が二つの目を要求する折衷型も流布していたことが明らかになった。韓國の『釋迦如來十地修行記』の第二地に載せられた「忍辱太子」は尸毘王說話の類話であるが、變改が甚だしくその典處を明らかにすることはできなかったものの、善住國という國名から『菩薩本生□論』に注目した。またこの說話の變容の主たる要因としては「尸毘王」と「忍辱仙人」それから本來の忍辱太子や「須闡提太子」などの本生譚のイメ一ジの融合があるであろうと分析した。一方『三寶繪』を始め日本における尸毘王說話は『大智度論』の影響が大きかったことを指摘した。そして尸毘王說話の韓日兩國の斷片的な記事の調査を通して‘尸毘王’關連の記事はしばしば薩□王子のこととともに言及されているという共通點を見いだすことができた。兩作品の組織構成の側面から把握したとき『釋迦如來十地修行記』の第二地の話には、檀波羅蜜の円滿の例え話として菩薩(修行者)の布施行の實踐により焦点が當てられている『三寶繪』とは異なり、慈悲と方便として鷹から兎を保護し、不殺生の十善業を修する持戒の話にしたてようとした意圖を窺うことができた。
5,900
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『古事記』と『日本書紀』の神話には天神觀がよく現れている。伊邪那岐命と伊邪那美命についても天浮橋から어能碁呂嶋に移動する過程を'降'と表現するなど、この二神に天神的イメ一ジを與えていることがわかる。しかし、伊邪那岐命と伊邪那美命の傳承を調べてみると、海と關係のある傳承もしばしば登場する。어能碁呂嶋、國生み、神生み、□など、多樣な場面で海が登場するのを確認できる。伊邪那岐命と伊邪那美命の神名についても、類似したパタンを持つ沫那藝神·沫那美神、頰那藝神·頰那美神の傳承を確認することで、海との繫がりを確認することができる。このように多樣な傳承を確認することで、『古事記』と『日本書紀』では、伊邪那岐命と伊邪那美命に天神的イメ一ジを與えていながらも、海神的なイメ一ジも同時に持っていると考えることができる。

初期草雙紙における山椒太夫主な登場人物とスト一リ一變形を中心に-

손정아 ( Jeong Ah Sohn )
한국일어일문학회|일어일문학연구  93권 2호, 2015 pp. 97-116 ( 총 20 pages)
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江戶後期の爆發的な大從文化を主導した黃表紙は、赤本や黑本からその戱作性を育んできた。この赤本や黑本が初期草雙紙と呼ばれていて、日本の古い傳說や物語、謠曲、歌舞伎や古淨瑠璃などから題材を捉え、樣樣な形のもう一つの話に再誕生された。本稿は、日本の各地から傳わってきた「さんせう傳說」が初期草雙紙の中にどのようにパロディ一したのかを主要な登場人物と話の變形を主として考察した。その上に、江戶社會と文化と相まって江戶戱作の中に、どのような特徵が表しているのかも見逃してはならない重要な論点にした。その結果、三つの黑本を通して、初期草雙紙には傳說を大きく變わらずに、家臣を登場してその人が山椒太夫や山岡太夫の役割を重ねていて、彼らを主人公として新しい話にする方法を捉えたことが明らかになった。これこそが江戶社會の忠という問題に繫がっていた當時の狀況を文化的側面からにもうかがえることができた。

모토오리 노리나가의 언어관과 고토다마

야마구치가즈오 ( Yamaguchi Kazuo )
한국일어일문학회|일어일문학연구  93권 2호, 2015 pp. 117-137 ( 총 21 pages)
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모토오리 노리나가는 『고사기전(古事記傳)』을 저술한 고도론자, 혹은 「모 노노아와레론」을 전개한 문예론자라는 평가를 받고 있다. 그러나 그의 사상의 뿌리는 언어를 신비스럽게 보는 「고토다마(言靈)」사상에 있었다. 즉 「고토 다마(言靈)」에 대한 깊은 생각으로 인해 비로소 「모노노아와레론」이나 『고사기전(古事記傳)』이 성립되었다는 것이다. 노리나가는 「意와 事와 言은 서로 대응는 것이다」라는 언어관을 갖고 있다. 여기서 말하는 意는 마음의 작용 과 동시에 영묘한 작용을 뜻하기도 하다. 또한 그는 가미(神)에 대한 해석을 「신기하고 뛰어나고 덕(德)을 갖춘 경건한 것」이라고 정의했다. 가미에 대한 정의는 노리나가에 있어서는 「고토다마(言靈)」에 해당한 것이기도 한다. 이와 같이 「고토다마(言靈)」사상을 중요하게 생각한 배경은 와카(和歌)를 읊은 경험으로부터 나온 것이다. 그러나 와카를 읊었던 생활보다 더 앞서서 그에게 미친 영향이 있었다. 그것은 집안 종교로 인해 매일같이 실천했던 염불 생활이다. 염불 생활은 노리나가가 언어를 영묘하게 느끼게 하는 중요한 경험이 었다 그리고 메이와(明和)8년에 간행된 『데니오하히모카가미(てにをは紐鏡)』와 『고토바노타마노오(辭の玉緖)』와 같은 언어학연구는 그 속에 담긴 법칙성으로 인해 신비적인 체험을 할 수 있게 하는 계기가 되었다. 이 언어연구로 인한 신비체험은 고대에 대한 신앙을 확립시킨 출발점이 되었다.

『源氏物語』と平安京という敍事空間

이미숙 ( Mi Suk Lee )
한국일어일문학회|일어일문학연구  93권 2호, 2015 pp. 139-163 ( 총 25 pages)
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本稿は『源氏物語』における「敍事空間」に注目し、「敍事對象空間」である「平安京」が「敍事形象空間」である「京」または「都」にどのように構築されているのかを考察した論である。考察の結果、實際·現實空間である「敍事對象空間」としての「平安京」がそのまま再現されず「敍事形象空間」である「京」または「都」として形象化するには、空間を「模糊」化する敍事技法が效果的に用いられていることが確認できた。そして模糊とした「敍事形象空間」を構築するには、登場人物たちの敍事空間である地名を具體的に記述せず「なにがし」や「わたり」といった表現を地名につけて表す方法が一役を買っていると思われる。このように明確ではなく模糊とした空間を設定する敍事技法は讀み手の想像力を刺激し作品の世界に主體的に參加させるためであると思われる。代表的な古典テキストにおける「なにがし」または「わたり」の用例と比べてみた際、地名に「なにがし」または「わたり」をつけて模糊とした「敍事形象空間」を創り出す技法は、虛構性を根幹とする物語文學、中でも『源氏物語』に主に用いられる表現技法の一つであると思われる。なお、「京」または「都」內における光源氏の行動範圍に注目したとき、考慮すべき特徵が一つある。それは光源氏が女性と新しい戀を展開させていくとき「內裏より」出發することによって、「內裏」が光源氏と女の物語の出發点、起点になっているということである。要するに『源氏物語』に形象化された「京」または「都」は光源氏の戀に限って見た際、內裏を原点として進んでいく放射狀の構圖を成していると思われる。要するに、『源氏物語』における「京」または「都」という敍事空間は虛構性に基づいた物語文學の表現技法の一つとして形象化されたものであり、模糊とした敍事空間の中で讀み手の想像力を刺激し當代の讀者たちが作品に集中し鑑賞できるように構築された假想の都市文學空間と言えよう。

松村武雄の『日本童話集』における出典に關する考察

김광식 ( Kwang Sik Kim ) , 이시준 ( Si Jun Lee )
한국일어일문학회|일어일문학연구  93권 2호, 2015 pp. 166-188 ( 총 23 pages)
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田中梅吉は朝鮮總督府學務局に提出した報告書(1917)に基づいて、1924年9月に『朝鮮童話集』(朝鮮總督府)を刊行した。同年同月に松村武雄はそれまで出版された東洋·西洋の文獻說話と口傳說話を參照し『日本童話集』の中に、植民地朝鮮の說話を收錄している。1924年まで朝鮮に滯在したこともなく、朝鮮語を驅使できなかった松村が限られた條件の中で、朝鮮說話を收錄した過程を實證することができた。本稿では具體的に松村が收錄した27編の朝鮮說話の典處を具體的に解明することができた。前代の說話集との具體的な對照分析を通して考察した結果、松村の說話集は高木敏雄の說話集と深い關わりを持っていることが確認できた。高木と松村は問題意識と關心という側面で非常に類似している。松村は高木の傳播論に立脚した說話の移動と傳播に關心を持ち、關連說話を收錄したと思われる。實際に、松村は高木の說話集から1編、高木が取り上げた『용齋叢話』などの文獻說話集から延べ9編を採用し、高橋亨の『朝鮮の物語集』から7編、三輪環の『傳說の朝鮮』から8編を採って、文獻說話集と口傳說話集から延べ25編を採澤したことが確認できた。松村の說話集の後半部に收錄された<26兎の目玉>と<27寶石搜し>はア-レン(Allen)の英文說話集から採澤したことを實證的に檢證できた。1908年に薄田斬雲の<朝鮮叢話>(『暗黑なる朝鮮』所收)を皮切りに、1910年代·1920年代に數多くの日本語朝鮮說話集が刊行された。このような狀況の中で、松村は1924年に東洋·西洋の文獻を參考にして、日本說話集の中に植民地朝鮮の說話を收錄した。本稿では松村の說話論に對する具體的な檢討の一環として、まずは松村の說話集の典處を中心にその影響關係を考察した。松村の說話論とその改作樣相に對する考察は今後の課題である。

『風に紅葉』の性愛に關する一考察

이신혜 ( Shin Hye Lee )
한국일어일문학회|일어일문학연구  93권 2호, 2015 pp. 189-205 ( 총 17 pages)
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本稿では、激變の時代を生きた中世貴族たちの性愛の斷面を調べる一つの方法として、『風に紅葉』に描かれた性愛の樣相を、人妻たちの積極的な愛情攻勢、男色、戀人の共有の三つに分類し、その特徵について考察してみた。中將に對する人妻たちの積極的な愛情攻勢では、人妻たちの密通があまりにも輕いタッチで描かれていて、密通が罪であるという意識があまり强く作用していないという点において、物語製作當時の性的本能に充實した自由な性意識をうかがうことができた。『風に紅葉』の男色は、中將と若宮との男色關係を通して權力や榮華、財産などを獲得していくという面において、物語製作當時の貴族社會に流行していた男色文化が反映されていると言えるが、二人の男性の出會いやその後の信賴關係、氣遣いなどという面においては、異性、同性を越えた眞の愛とそれを守りぬこうとする理想的な愛の形が物語に投影されたものと見ることができると思う。女性による中將共有においては、光り輝く貴公子を一人占めするよりは、仲間と共有することで、より大きな喜びと愛を分かちあえるという感覺で輕く描かれている反面、中將と若君による一品の宮共有は、分身關係にある男性二人の固い絆によるしかるべき行爲として描かれていた。なお、そのために犧牲者となり死んでしまう一品の宮の悲しみや怒りもそれなりに描かれていることもわかった。

「住吉大神」傳承の硏究

최유경 ( Yu Kyung Choi )
한국일어일문학회|일어일문학연구  93권 2호, 2015 pp. 207-224 ( 총 18 pages)
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「オキナガタラシヒメ(息長帶比賣)命」の傳承における「スミヨシ」大神は、傳承の發端になる託宣の主體で、傳承の全體を導いている。本稿はこのような点に着目して、「スミヨシ」大神が「オキナガタラシヒメ」傳承に編入された時期·經緯などについて考察することで「オキナガタラシヒメ」傳承をもっと掘り下げていきたいと思う。まず、「スミヨシ」大神は古くから海人等の航海の守護神で信じられてきたし、津守氏に祀られる海神系の神であったという。が、當時、諸地域に分布し、威勢を張っていた「ワタツミ」を奉る海人族の阿曇連に編入された。以降、阿曇連は中央朝廷と神話を通して血緣を結ぶことで、自身の光榮と勢力の廣大という目的を達成し、朝廷は諸地方の强勢族の阿曇連を綏撫して、包섭することができるようになった。このような政治的な企圖によって、「スミヨシ」大神は「オキナガタラシヒメ」傳承にもっと符合する神に選ばれて、朝鮮半島への遠征を率いるようになったと思う。
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