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일본어교육검색

Journal of Japanese Language Education Association


  • - 주제 : 어문학분야 > 일어일문학
  • - 성격 : 학술지
  • - 간기: 계간
  • - 국내 등재 : KCI 등재
  • - 해외 등재 : -
  • - ISSN : 2005-7016
  • - 간행물명 변경 사항 :
논문제목
수록 범위 : 23권 0호 (2003)

국민학교탄생에 나타난 천황제 사상교육

정태준 ( Jeong Tae Jun )
한국일본어교육학회|일본어교육  23권 0호, 2003 pp. 191-216 ( 총 26 pages)
6,600
초록보기
1937年7月日中戰爭が始まった後から、日本帝國主義野の植民地支配政策は、本格的 戰時體制に突入することになる。當時の朝鮮の南總督は、國體明徵、鮮滿一如、敎學振作、農工業進、庶政刷新等の5大政綱を發表した。この政綱は、あとの植民地支配政策の基本方向に確立された。この中で國體明徵、敎學振作は、イデオトギ一敎化事業と敎育を通じて、植民支配の完成を狙った政策であった。これと同時に戰爭資源としての物資供給は、植民地朝鮮の經濟を戰時經濟體制に轉じさせることになった。 このような植民地支配政策は、朝鮮人を戰爭遂行に積極的に協力させる政策にしか展開せざるを得なかった。しかし日中戰爭の長期化は、政治·經濟·社會的な不安定をもたらし、朝鮮人の反日感情がかえって强化される狀況に展開された。 このような時期に內地でも、政治·經濟界から敎育に對する不滿を持ちはじめた。當時の社會の不安を解消する絲口として、帝國議會は天皇制イデオロギ一敎育の强化に取り組むことになる。そのために登場するのが、言わば國民學校である。植民地の朝鮮で內地と同樣に倂行された國民學校は、朝鮮人を皇國臣民に造ることが目的であった。總督府の敎育は、造られた朝鮮人の皇民を戰場に投入させるために、天皇に對する絶對的な忠誠を强制しなければならなかった。したがって、この時期の朝鮮での植民地敎育は、朝鮮人を天皇の嫡子に造るために皇國臣民として敎化することであったし、造られた皇國臣民は全場で天皇のためには、命さえ捧げて忠誠する精神と人格を備えた人間を造るのであったと言える。 このような視座から、國民學校制度の下で天皇制の思想敎育が、どのように强化され狙施されたか。また、その制度への改正目的と施行上の問題点に關して硏究することで、植民地朝鮮での敎育狀況が捉えられると思う。 本論では國民學校が生まれるまでの政策立案過政と、諸勅令に現れる敎育方針を調べることから、天皇制イデオロギ一敎育の意圖と實體を明らかにしようとした。 國民學校は天皇制の思想敎育をもっと强化する狙いをもって、制度化された敎育統制システムであるといえる。すなわち、小學校から國民學校への體制改編は、敎育勅語の精神を初等敎育にもって密屠高く具現しようとした意圖から、その制度的な基盤を整えたのとみられる。結局、國民學校は「敎育勅語學校」といえるほど、小學校より天皇制イデオロギ一敎育を强化するために制度的な裝置を公敎育化したのと言える。 具體的には、先ず、敎育目的を「國民の基礎的鍊宬」に設定したのが特徵であるといえる。この基礎的鍊宬の意味 は、まず理想的皇國臣民としての基礎的な鍊宬を目的とする國民敎育という意味と、もう一つは兒童を對象にする少國民の基礎的な鍊宬を意味するのと分けて解析できるのである。「皇國의道」という敎育內容については、敎育勅語に示された國體の精華と臣民の守るべき道の全體をさすとされ、端的に言えば皇運扶翼の道であると解?される。また、思想敎育を知識習得という分化敎育にとどまらず、知識の統合敎育という名のもとで、學校の儀式·行事の敎育的意義を重んじたのが注目される点である。つまり、學校の各種行事を通じて、心身一體とする思想敎育の實踐を强調した。このように敎育を統合化する原理として、學校行事を道具化したのが特徵であるといえる。 結局、國民學校の敎育內容は、人間の尊嚴性および全人格的な敎育である。今日の普遍敎育思想とは正面から排置する敎育であったし、方法においても人間の心理、行動まで規制する規律をもって統制强化したこと敎育であったことは言うまでもない。日本國內で施行された國民學校の敎育は、當時の日本人の思想、信條、良心、行動の自由を掌握し、支配したといえる。これとともに、この敎育制度は植民地の朝鮮においてもそのまま施行されたのである。「國民學校時代に敎われた敎育勅語をもとにした天皇制イデオロギ一敎育が、そのあとの人生の生き方に影響を與えたのは事實である。しかし天皇は神なるという偶像化敎育は、すべてが噓だった」と聞取調査に應じてくれたある被調査者は答えてくれた。

일본만화의 사회적 평가에 관한 연구

강기철 ( Kang Gi Cheol )
한국일본어교육학회|일본어교육  23권 0호, 2003 pp. 217-238 ( 총 22 pages)
6,200
초록보기
現在、日本のマンガの國內におけるイメ一ジは不當に低い。このこと遠因には、植民地時代(1910~1945)に流通したマンガの質が低かったという事實もみとめられるが、主たる要因は、韓國國內においてマンガというメデイアそのものがあまり認められていないことにある。 1998年、金大中政府が日本大衆文化の開放を推し進め, それに伴って日本大衆文化の開放論爭が始まった. 日本大衆文化について再評價する動きが生まれたえあけだが、この再評過程を通じて明らかになったことは、韓國の社會が日本という國についてどれほどたくさんの偏見と誤解を持っているか、ということである。特にその偏見と誤解が甚だしい領城がマンガというメデイアの領城であり、韓國の言論界は、日本の社會でマンガというメデイアガ占めていう社會的な意義や影響力を正確に捉えず、否定的なイメ一ジだけに基づいて、この日本の大衆文化であるマンガメデイア貶めていたのである。 さて、このように日本のマンガについて認識轉換の契機は、おもに經濟上の論理によってつくられたものではあるが、日本大衆文化の代表ともいえるマンガというメデイアを正しく捉えるという作業の重要性は、勿論、現在でも損なわれてはいない。本論文は、以上のような現實認識に基づき、日本國內でマンガがどの程度の社會的意義と影響力を持っているのかということを調査し、日本社會と文化の理解促ものである。 本論文の具體的な構成は、以下の通りである。 まず第2章では、日本のマンガの實質的な成長について調査した。1990年代中盤の統計を引用し、マンガが持っている社會的評價を明らかにした。特にマンガ全出版物の40%を占めるまでになっていることも驚くべき事實であるが、更に注意しなければならないのは、マンガの讀者層が實に幅廣い年代に渡っているということである。讀書の動機という点においても、單なる娛樂という次元に留まらず、知識の習得や現代的な感性の享樂も認められ、實に多岐に渡っていることが分かった。 第3章では、2章で確認した事實を基にして①マンガの知識傳達機能、②マンガの純粹文學への領城擴大、③マンガの産業としての擴大再生産性を注意して見た。つまり、マンガが單純に娛樂と風刺の機能だけに留まるものではなく、現在は知識傳達のメデイアとしての役割を果たしていること、文學にまで影響を及ぼすほどにその物語が質に成長したことは、日本マンガの質的な優秀性と考えることができるということだ。また、マンガのアニメ一ション化やキャラクタ一化に伴う産業としての價値など、擴大再生産される側面に注目した。 第4章では, 日本におけるマソガの社會的認識度の變化のとぃう側面に注目した. 日本の政府機關がマンガ關係者に公的な賞を與え始めたことや、マンガ關連のテ一マパ一クの增加、そしてマンガの硏究者の增加等は日本の社會でマンガの社會的評價が飛躍的に向上しているということを裏付けるに十分である。 日本と日本文化を硏究するには、いろいろなアプロ一チの可能性があるが、本論文では、現代の日本を文化的·産業的の代表するマンガというメデイアを分析した。日本國內でその社會的認知度が飛躍的に上昇しているマンガというメデイアを分析することで、日本文化の少なくない部分が見えてくるもおと考えられる。

이시카와 타쿠보쿠와 미야자와 켄지의 조선인식

윤명노 ( Yun Myeong No )
한국일본어교육학회|일본어교육  23권 0호, 2003 pp. 239-258 ( 총 20 pages)
6,000
초록보기
日本近代文學史上 幾多の大韓國認識が見られるが、特に石川啄木と宮澤 賢治については出身地の共通性のもかかわらず生存時代狀況を個人的趣向が如何に韓國認識に影響したかをその主作品を通して比較檢討した論文である。啄木は1910年韓日合倂後 次の樣な短歌を發表した。 地圖の上朝鮮國にくろぐろと墨をぬりつつ秋風を聽く。 明らかに日本の韓國侵略批判と受け取られる。ところがこれに先立つ伊藤博文のハルピン驛被殺事件については次の如く歌った。 誰そ我にピストルにても擊てよかし伊藤の如く死にて見せらむ。 伊藤ノ英雄的死に對する追慕の歌である。この二つの短歌にひそむ二律背反性は日本人の民族的特性 卽 美を追求し藝術家を尊敬しながら菊花造形に最高價値を置く反面、日本刀を振りかさした武士に最高價値を置く矛盾して思考方式を理解すべきである。 啄木は異鄕を彷徨しながら生活は貧困、社會主義へのあこがれ、特に大逆事件は彼をして現實改造に專念する樣しむけた。一般に明治家は國家對個人が常に彼等の念頭にあった。 賢治は1929年頃、次のような口語詩を發表した。 鮮人鼓して過ぐ 肺炎になってならの十日の間 私は晝もほとんど恍惚とねむってるた さめては息もつきあへず わずかにからだをうごかすこともできなかったが つかれきったねむりのなかでは わたくしは自由にうごいてるる まっしろに雪をかぶった 巨きな山の??みちを 黃いろな三色の旗や 鳥の手をつけた槍をもって 一列の軍隊がやってくる 次いで文語詩「いたつきてゆめみなやみし」に改作された。病床の身の賢治は“一列の軍隊”卽 朝鮮農樂隊への關心を表明した。大正democracyの裏腹には經濟收奪の本音があった。農士を强奪されら朝鮮人は故鄕をはなれ、その一部は日本東北地方にも流れこみ、鐵道工事に投入された。工事が終れば彼等は生活手段を失い、路頭を彷徨した。彼等は生活の糧を得ろため“飴”行商に轉落した。飴屋のわめく鼓と鋏の旋律は病の身の賢治の生活の感賞を呼び起した。夢の中に高麗の軍樂を想像し、心の平穩を得たのである。生得の同情心と正義感、法華經精神による人間平等思想とキリスト博愛精神がこの詩にこめられている。 結局、啄木·賢治の生存時代狀況と對照的な性格は朝鮮認識に强に作用している。 啄木の朝鮮觀は現實的、政治的であり、賢治のそれは同情的、文化藝術的である。

유미리에 있어서 「가족물」의 의미 -「가족시네마」을 중심으로 하여-

박정이 ( Park Jeong I )
한국일본어교육학회|일본어교육  23권 0호, 2003 pp. 259-276 ( 총 18 pages)
5,800
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柳美里는 戱曲作家로서 出發했지만, 演劇演出家나 俳優에 의해 作品의 評價가 달라지는 데에 不滿을 품어오다가 處女小說 『돌에 헤엄치는 물고기(石に泳ぐ魚』23)를 필두로 小說作品을 연이어 發表하게 된다. 주로 「家族」을 모티브로 作品을 써온 柳美里는 『가족시네마(家族シネマ)』로 116回 芥川賞을 受賞하면서 積極的으로 社會問題를 다룬 小說을 발표하기 시작하는데, 本稿에서는 『가족시네마』까지를 한 분기점으로 보아 初期 作品群으로 분류하였다. 따라서, 本稿에서는 『가족시네마』를 중심으로 『돌에 헤엄치는 물고기』 및 『풀하우스(フルハウス)』즉, 初期 作品群인 「家族物」의 테마를 考察함과 동시에 柳美里의 「在日性」의 意味에 대해서도 살펴보았다. 특히 本稿에서는 主人公인 <내>가 現在時点에서 他者와의 關系를 이야기하는 軸과 <나>의 家族 특히, 崩壞된 家族을 이야기하는 軸으로 構成되어 있는 「家族物」의 두 軸, 이 두 軸은 對稱을 이루고 있는 것이 아니라 <내>가 그 두 軸을 자유로이 왕래하는 構造로 되어 있는데,「家族物」의 主題를 고찰함에 있어 이 두축을 중심으로 서술해 보았다 우선, 『돌에 헤엄치는 물고기』의 主人公·秀香이나 『풀하우스』와 『가족시네마』의 主人公인 素美나 이들 <나>들은 家族이라는 自身의 根源을 喪失한 者라 할 수 있는데, 이들은 그 根源에 회귀해 가듯이 <나>와 유사한 他者에게 강력히 이끌려 간다. 말하자면, 이들 他者一 『가족시네마』의 深見淸一、 『풀하우스』의 카오루, 『돌에 헤엄치는 물고기』의 <감나무 집 남자(??の木の男)>、里花는 過去 <내>가 처한 墳遇와 전혀 다를바없는 狀況에 있는 人物이며, 그러하기에 <나>는 마음을 열고 그들과 관계를 맺으려고 한 <나>와 同一視될 수 있는 人物들임을 알 수 있었다. 그러나 <나>는 以上의 他者로부터 보기 좋게 배신을 당한다. 요컨대, 家族에게 상처를 입은 <내>가 自己의 根源을 遡及하듯 <나>와 同一視되는 他者에게 안주하려 하지만, 他者는 <나>를 거부한다. 이렇게 人間의 兩面性을 경험한 <나>는 앞으로 어떻게될지 「家族物」에는 <나>의 行方이 그려져 있지 않다. 人間의 內面의 眞實을 보고 만 <나>는 人間不信에 빠질지 그렇지 않으면 더 강하게 살아갈지 그 行方은 讀者가 예상할 수 밖에 없다. 그러나 作者는 일부러 이 점을 그리지 않은 것은 아닐까. 그리고 이 점이야말로 柳美里가 作品을 쓰는 이유라도 볼 수 있지 않을까. 즉, 家族 喪失者인 柳美里는 자신의 정체성 회복을 위해 創作 世界에 몰두하게 되었다. 그리고 家族에 대한 喪失感, 他者와의 遊離感이라는 空洞感이 創作 활동의 原動力이 되었다고 할 수 있겠다. 하지만 그 內的모티브는 아직 完了되지 않은 상태이다. 이런 점이 「家族物」의 <나>의 行方에도 그리고 未完으로 끝난 「가족시네마」의 撮影에도 反映되어 나타나 있다고 하겠다. 柳美里의 「家族物」에는 人間 본연의 모습에 접한 主人公의 苦惱나 自己의 루트를 喪失한 主人公의 정체성을 회복해 가는 過程 즉, 主人公의 內面世界가 주로 묘사되어 있다. 그리고 이 점이 在日三世 作家에 해당하는 이유라고 할 수 있는데, 예를들면 家族을 素林로 執念깊게 家族을 그려 온 在日二世 作家 金鶴泳, 그리고 같은 在日二世 作家 李恢成과 柳美里의 作品속에 드러나 父親의 暴力에 대항하는 母親象을 等式化해 보면, 「母=民族」(李恢成), 「母=家族」(金鶴泳), 「母=個人」(柳美里)이 되며, 더욱이 「母」의 項에 「在日」을 바꿔넣으면, 세 作家의 「在日」의 意味의 方向性이 一目瞭然하게 부각됨을 알 수 있었다. 『가족시네마』以後 日本 社會問題를 素材로 한 作品을 발표해 오고 있는 柳美里가 家族을 그리든지 日本 社會問題를 그려내든지 民族을 표현하든지 柳美里에게 있어 이들 소재는 人間 즉, <나>의 實存의 問題에 收斂되어짐과, 이는 在日二世인 柳美里가 在日二世 作家에 屬하는 연유이기도 하며 「家族物」의 테마와도 상통하고 있는 점이라 할 수 있겠다.

개천룡지개 「봉교인의 사」론 - 「성마리나전」과의 비교-

윤일 ( Yun Il )
한국일본어교육학회|일본어교육  23권 0호, 2003 pp. 277-291 ( 총 15 pages)
5,500
초록보기
〔奉敎人の死〕은 대정 8년의 작품으로서 芥川童之介의 작품에서는 〔切支丹〕으로 분류되는 것이다. 본 연구에서는 작품의 전거로 불리우는 〔聖マリチ傳〕과의 비교를 통해서 작품의 전거가 본래 저술의 목적으로 하고 있던 〔복음전도〕와 芥川의 〔奉敎人の死〕라는 소설의 차이를 찾아보고 있다. 이 연구를 통해서 알수 있었던 것은 작품 속의 나레이터인 〔予〕에 의해 〔복음 전도〕의 목적과 무관한 예술적 감동을 주제로 창작되는 과정의 문제였다. 전거에서 볼 수 없었던 시메온이라는 주인공을 등장시켜 사랑의 이야기를 작품 속에 첨가했던 점, 주인공을 성인화 하는 순서의 차이, 화재 장면의 설정, 주인공이 남장을 해야 했던 이유등의 차이는 〔聖マリチ傳〕과 〔奉敎人の死〕의 집필 목적에 의한 차이였다. 즉 〔奉敎人の死〕를 소설화하기 위한 기법의 차이를 통해서 작품의 주제를 확인할 수 있는 계기가 되었다고 생각한다. 또한 처음부터 작품의 주인공이 여장인 것을 알면서도 마지막까지 그 사실을 은폐해야 했던 나레이터의 수법과 작가 芥川의 숨어있는 의도를 파악하는데 도움이 되었다고 생각한다.
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