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일본어교육검색

Journal of Japanese Language Education Association


  • - 주제 : 어문학분야 > 일어일문학
  • - 성격 : 학술지
  • - 간기: 계간
  • - 국내 등재 : KCI 등재
  • - 해외 등재 : -
  • - ISSN : 2005-7016
  • - 간행물명 변경 사항 :
논문제목
수록 범위 : 24권 0호 (2003)

코퍼스에 의한 유도무랑작품의 색채연구

조명웅 ( Jo Myeong Ung )
한국일본어교육학회|일본어교육  24권 0호, 2003 pp. 241-258 ( 총 18 pages)
5,800
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本論文でテキストデ-タを活用して、有島武郞の作品空 ‘色彩イメ-ジ`を抽出しよう思う。しかしその前に元??文學作品の中で活用される ‘色彩イメ-ジ`に意味があるかと言う問答えておく必要があるだろう。 本論文で有島武郞の21編の小說をデ-タベ-ス化してこれらの作品で色彩が登場人物のイメ-ジと雰圍氣をどのように投映させてくれ、作品を同化することができるようにしてくれるのかを分析資料として活用した。 [色彩イメ-ジ`の抽出と分類]で「抽出基準]を用意した。本論文の[色彩イメ-ジ`」がどのように作品の中で作家の考えをよく反映しているかどうかを明示した。抽出した後には用例の分類が次の手順になる。從來の方法による[對象]による分類と新しく[機能]による分類を用意した。これによって抽出した‘色彩イメ-ジ`’を[對象]のよって分類して考察した。 文學作品の中に現われる‘色彩イメ-ジ’には必ず作者の意圖を伴っている。ただ用例數が多いからでそれが特定の意味を含んだ ‘色彩イメ-ジ’言うことはできない。 ‘靑い 顔=恐怖’ や ‘暗のなかの人影=暗さ’で共に恐怖と不安意識が後者は暗い空間は色彩イメ-ジが作家の意圖を暗示している。

태재치 「엽앵와 마적」의 일고찰

수천포미자 ( Mizukawa Humio )
한국일본어교육학회|일본어교육  24권 0호, 2003 pp. 259-277 ( 총 19 pages)
5,900
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본고는 다자이 오사무(太宰治)의 단편 「葉櫻と魔笛」(1939·6 『苦草』)를 상세하게 고찰한 것이다. 먼저, 「葉櫻」·「魔笛」, 각각의 모티브에 담긴 의미를 고찰하여, 시각적 요소-청각적요소, 현실-비현실의 축을 파악한다. 또 이제까지 지적되어 오는 의문점에 대해 고찰하여, 「葉櫻」의 계절에 관해서는 다른 작품과의 비교로, 작중 시간에 대한 차이에 대해서는 문맥상의 문제점으로 한정하여 실제적인 시간축이 아닌 작품시간축 상에서 각각 문제를 해명한다. 다음으로, 여동생의 편지, 언니의 편지를 각각 분석하여, 이제까지 지적되지 않았던 여동의 편지에 대한 모순점-즉 병발각과 편지내용의 시간차-에 대하여 논급한다. 작품무대에 대해서도, 작품내의 기술을, 신문기사나 지도, 島根縣史를 토대로 고증한다. 최대의 문제점이 되는 휘파람의 주인공에 대해서는, 작품본문의 고찰만이 아닌, 初出부터의 異同, 모차르트의 ·「魔笛」의 참조 등에 의해, 아버지라는 결론을 도출한다. 그리고 결과적으로 가족 3인이 연기한 M·T에 의해, 다시 말하면 허구에 의해 맺어진 가족상으로 보았다. 마지막으로, 「誰も知らぬ」(1940·4)와 비교해가면서, 여성독백체의 회상이라는 서술형식 및 「사랑」(愛)표현법에 대해서 논한다. 그리고 「現實」을 끌어들임으로써 이야기가 파탄하여 미완으로 끝나는 「火の島」(1939·5)이후의 다자이 중기의 로맨티스즘 추구의 한 형태-역설적으로 현실을 사용한 작품-로서 본 작품을 자리 매김했다.

한,일 외교마찰의 의미

장용걸 ( Jang Yong Geol )
한국일본어교육학회|일본어교육  24권 0호, 2003 pp. 279-302 ( 총 24 pages)
6,400
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明治元年から始まった朝鮮と日本との外交摩擦は「王」と「皇」の解釋をめぐっての靑磁イデオロギ-的な葛藤か、日本の途方もない征服の野心か、對馬藩主の經濟欲求による欺きであるとするような歷史學者の政治的、經濟的解釋が中心となっている。だが、そのような歷史學の業績を認めながらも、文化コミュニケ-ションの觀点から考え始めると、兩國の摩擦は單なる政治的、經濟的な論理だけで說明しにくい矛盾に直面することになる。そこで兩國の外交摩擦を「文化の否定性」、自己中心主義的な他者理解、アジアヒエラルキ-システムの認識のずれにような文化的コンテクストの摩擦として捉えることができだろう。 歷史學者は、近世と近代兩時代における韓國と日本との關係について、あるステレオタイプを作り出している。それは、近世が、「友好の關係」あるいは「善隣の關係」に象徵される時代であるのに對し、近代は「不幸な關係」あるいは「植民地主義」によって修復不可能な狀態が産み出された時代である。というものである。この二つの時だの兩國關係の特徵は、個??の時代の關係そのものよりも、二つの時代が明確な二項對立的な性か卯を持って提示されるということになる。そして、この二項對立性こそが、虛力な政治的イデオロギ-に支えられ、政治的言說の表舞台に現れたり隱れたりしながら現在の在續している。 このような二項對立性を具體的に象徵するものとして、近世の「友好の關係」には「朝鮮通信使」が當てられる。しかし。これらの兩時代に對する極端なイメ-ジは皮相的な解釋だといって良いように思われる。このような兩時代に對する極端なイメ-ジは皮相的の過ぎないとしても、どれは、一見、客觀的に光美姬出された體制をっている。でも、實はそうではなく、その背後には强固な政治的意義の構造が潛在しているのである。實際には、對立性は江戶時代の「友好」よりも明治時代についての硏究の必要性を强調する裏にはやはり、近代の日本の朝鮮に對する行爲の告發するという目的が潛んでいると考えられるのである。つまり、兩國關係の歷史硏究における解釋は、支配徒費支配あるいは加害者を被害者という圖式に偏っているのでる。これはまさに政治に偏執するからである。そこでは、兩國間のそれぞれの時代における文化的な關係の意味は見えにくいもおとなっている。また、それが見いだされる場合も、それは常に單線的で一方的なものとして描かれるのである。そのような關係の代表例が、「朝鮮通信使」や「征韓」あるいは「植民地主義」というステレオタイプ化した表象なのである。 朝鮮觀をいう他者へのイメ-ジは單に一元的に産み出されるものではなく、樣??な錯綜した意味付けが絡み合って多元的に産み出されるものである。歷史が取り上げている「朝鮮通信使」と「征韓論」の火種となったといわれる明治初期の外交摩擦には、單なる政治的な國家關係に還元できない樣??な異文化間關係が深く關わりを持っていたといえる。つまり、朝鮮と日本は政治的·經劑的なコミュニケ-ションを行ったのではなく。お互いに相手の國を「意味付ける」文化コミュニケ-ションを行ったわけである。 このように朝鮮と日本との關係を考える場合、少なくとも近世と近代初期については、單なる政治·經劑的な關係として圖式化し、「善隣關係」、「不幸な關係」に二項對立的な意味付けをひとまずおいて、新たに異文化理解と文化摩擦という社會·文化的なコンテクストから見直してみる必要がある。 朝鮮は常に自分を中國中心のアジアヒエラルキ-システムの中に閉じ??めたまま、明治維新以後急激に變わった日本の政治システムを認めることができなかったのである。だから天皇中心の日本權力構造を否定する一方で、日本を自分のアジア觀の中にいれコンで意味付けようとしたのである。 日本は天皇が新たな國家の最高統治者であるからそれを國書き入れることは當然であるし、中國中心のアジアヒエラルキ-システムの中に入ってないから、中國とは對等な立場であるという認識が强かった。そのため、そのような認識から朝鮮を意味付けようとしたのである。 しかしながら、明治政府のエリ-トが行った外交は征韓をするための政治的な陰謀としても考えられるだろうが、少なくとも、彼等の藩中心の封建主義的なシステムから考えると、江戶幕府と朝鮮との外交の舊例に關して知らなかったのである。なぜならば、朝鮮との新たな外交關係が曖いたとき明治政府は朝鮮と淸との關係、朝鮮と江戶幕府との關係、朝鮮通信使の役割などに關して情報を收集していたことと、朝鮮と中國との關係が幕府と藩との關係のように認識していたことからも明確にわかるだろう。
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