글로버메뉴 바로가기 본문 바로가기 하단메뉴 바로가기

논문검색은 역시 페이퍼서치

일본어교육검색

Journal of Japanese Language Education Association


  • - 주제 : 어문학분야 > 일어일문학
  • - 성격 : 학술지
  • - 간기: 계간
  • - 국내 등재 : KCI 등재
  • - 해외 등재 : -
  • - ISSN : 2005-7016
  • - 간행물명 변경 사항 :
논문제목
수록 범위 : 25권 0호 (2003)

장면별로 본 일본어 경어오용과 경어의식 -일본신문의 경어기사를 중심으로-

이하자 ( Lee Ha Ja )
한국일본어교육학회|일본어교육  25권 0호, 2003 pp. 175-197 ( 총 23 pages)
6,300
초록보기
言語が時代の變化とともに發展していくように敬語もまた同じである。ひとつの一定の形式が永久不變の規範を指たない。 古くからの傳統を守ろうとする勢力と新しい形式を用いようとする勢力が激しく對立する中で混亂が生じる。敬語の誤用の要因はどんな相手とどhな場合にどの程度の敬語を用いるかという規範意識があいまいとなるところから起るのである。 この硏究は敬語の誤用を指摘した新聞記事の內容を分析して日本人の敬語意識を硏究しようとするのである。日本人の敬語の誤用の起こす要因の類型を形態上の敬語の誤用の要因と個人の許容の差による敬語の要因に分けた。形態上の敬語の誤用の要因の細部項目には主體·客體の混亂と敬意の不足の細分し、主體·客體の混亂には謙讓語の尊敬語化意識、聽者(聞き手)意識,尊敬語で訪ねられたとき返事をする人も尊敬語で반사返事をする現象に分ける。 話題の人物と聞き手とは直接關係がないし話題の人物と話し手だけに關する事項なのに聞き手に「うかがう」という謙讓語を用いるのは聞き手に對して失亂になる。その例として「先生のご病氣を母からうかがいまして」をあげることができるがこの時の「うかがう」は先生との直接の關係がないので「聞いて」「聞きまして」と表現しても規範上、先生に對して失亂とはならないのである。これはまた話し手の意識の中には品位があすように話そうとする意圖が動いているとみてもいいだろう。なぜなら母を尊敬することにより聞き手である視聽者や先生をより一層尊敬するための表現としても認識でき兩者に對してもに敬意を表すことになる。 次に個人の許容に差による混亂の要因には謙讓語の品位語化、接頭語「お」の品位語化、尊敬語の品位語化、呼?の品位語化に分ける。「お」をつけさえすれば相手の行動を尊敬する表現形式になるといった誤った意識もあるだろうが客體·主體をともに「さん」をつけているがこれは自分の子供にも「うちの太郞さんは…」のように「さん」をつけているがこれは自分の子供を尊敬しているというより品位語的な用法であり自己の品位を表すためのものである。 この要因らが家庭、學校、會社の場面で、どのように表われているかを<表1>で고찰した。 家庭では個人の許容の差による誤用よりは形態上の誤用がもっと多く表われていた。學校と會社では兩方とも多く表われていた。謙讓語の尊敬語化意識、聽者を意識した心理的距離、二重敬語などは家庭、學校、會社の場面で發生していた。 その他の誤用の要因には都市化に伴う相手の身分の不透明化や商業性、民主化意識、女性の男性化學校敎育の親密度の重視、核家族化などを拳げることができる。これらは現代社會の敬語表現の障害要因となっている。この障害要因がふえることにより「品位語」はこれからも增えつづけてより發達していくことがわかる。 これは現代の社會の特性である商業主意、民主主義の社會の相互尊敬を基本的趣旨として現代日本語の敬語意識から「品位語」が中樞的な求心点となっていると見ることができる。 これは使いやすく、それほど神?を使わなくてもいいという利点があるため幅廣く用いられ若者にも受け入れられて敬語の「品位語化」へと進む足がかりとなっていると言えるであろい。丁寧語は話題の人物が聞き手に近いかそれとも自分側に近いのかを判斷しなくとも簡單に敬語を使えるという手輕さのゆえ一層廣がっていっているのである。 敬語法の誤用すなわち謙讓語の尊敬語化の中で尊敬する相手が明確な時は尊敬語だが尊敬する相手が曖昧な時は話し手の品位の維持のため「品位語化」ガ進んでしまうのである。

한일 인칭대명사에 나타난 경어 의식 고찰 -대학생의 설문조사를 중심으로-

전철 ( Jeon Cheol ) , 안병곤 ( An Byeong Gon ) , 류동구 ( Lyu Dong Gu )
한국일본어교육학회|일본어교육  25권 0호, 2003 pp. 199-225 ( 총 27 pages)
6,700
초록보기
人稱というのは敬語の基本であり、相手をどのように呼ぶのかによって呼ばれ方も決まり、人稱によって敬語の用法まで決められてくる。本稿ではこのような韓·日兩言語の類似した敬語體系を人稱代名詞を通し調べていくことにする。 本稿では各??目上の人(先生、親、親の友人、上の兄弟)、對等關係(友人、戀人)、目下の人(後輩、下の兄弟、弟妹の友人)に分け、對話の中で人稱代名詞を誘導する質問を韓國の場合「누가 전화하기로 할까요?」という項目と日本の場合はこの文を飜譯した「どちらから電話することにしますか?」のような項目を選定し、實際會話で各??の對象によって人稱代名詞がどのように使われているかを調べてみた。その具體的な結果として整理すれば次の通りである。 1. まず、目上の人を對象にした先生、親、親の友人、先輩、上の兄弟の場合は目上の人に 自分のことを話す時は韓國では「저(제)」が、日本の場合は「わたし」が最も適當な一人稱として選擇された。目上の人を稱する場合、韓·日兩國共「該當なし」が最も大 きい比率として表れ、これは兩國共目上の人に使える適切な二人稱がないということを表している。 目上の人が目下の人に自分のことを話す時、韓國の場合普通の一人稱言葉「나(내)」が、日本の場合は多樣な一人稱が各??の對象によって「わたし」、「ぼく」、「おれ」など使い方が分けられていることがわかる。また目上の人が學生(本人)を稱する時は韓國の場合、とても低い言い方である「너」が、年齡の差がある對象「先生」、「親の友人」の場合では「자네」が適切であるという答えの比率が高かったのが特徵だと言え、これに反し日本の場合は先生と知り合いの親の友人の場合は「きみ」が使われている。 2. 對等な關係として親しい友人,あまり親しくない友人、戀人の場合では對等な關係の對象に對して自分自身のことを話すとき、韓國では「나(내)」が全對象の90%を越え、最も適切な一人稱として選擇された。日本の場合は對等な關係でも「わたし」が最も適切な一人稱として50%程度を占めており、その次に「ぼく」、「おれ」などを使うという答えが續く。對等な關係にある對象を稱する時、韓國では「너」が87%~94%の間を占めているのに反し、日本では「該當無し」が最も多かったように對等な關係であると言っても二人稱を使用することを避けている。 また、對等な關係の對象が學生(本人)に自分のことを話すとき、韓國ではほとんどの對象が90%の比率で普通の一人稱の言葉である「나(내)」な適切であるという結果が出 た。しかし日本では50%以上が「わたし」を使用すると調査された。また、對等な關係の對象が本人を稱する時は韓國では「너」を使用するのが適切であるというのが壓倒的で、日本ではすべての對象に「該當無し」と答えたのが50%以上の比率を示し、對等な關係の時もやはり適切な二人稱を使用することを避けている。 3. 目下の關係として後輩、弟妹、弟妹の友人との場合を見ると、自分自身のことを話すときは韓國では「나(내)」がすべての對象において70~90%の間の比率を見せており、最も適切な一人稱として選擇された。日本では目下の人の關係でも弟妹との場合(48.5%)を除いたすべての對象において「わたし」が50%以上を占めており、最も適切な一人稱として示された韓國とは相當な差があることはもちろん、一般的な敬語意識にしも差を見せており、次に「おれ」、「ぼく」も順に使用しているという調査結果が出た。目下の對象を稱する時は韓國の場合、「너」が66!87%代の答えが調査結果として表れたの比べ、日本では親しい後輩との場合には「おまえ」、「該當無し」「きみ」の順で示され、あまり親しくない後輩との場合には「きみ」「該當無し」「あなた」の順で、弟妹との場合には「該當無し」、「おまえ」、そしてお互いよく知っている弟妹の友人との場合には「該當無し」、「きみ」、あまり親しくない弟妹の友人との場合は「きみ」、「該當無し」、「あなた」の順になった。 また、目下の關係の對象が學生(本人)に對して自分自身のことを話す時、韓國では弟妹との場合においてのみ一人稱「나(내)」が强く表れ、殘りの場合すべてにおいて「저(제)」の方が强く表れた。日本では對象によって弟妹との場合だけを除いてすべて「わたし」が强かった。反對に弟妹との場合では「ぼく」、「おれ」が强く、全體的に見れば目下の人には「ぼく」が强いことがわかった。また目下の關係の對象が本人を秤する時は、韓國の場合は弟妹との場合を除けばすべて「該當無し」が多かった。そしてその他の對象によって「당신」や「너」も少しずつ調査されたが弟妹との場合を除けば目下の人が目上の人を稱するときの二人稱はほとんど使用してないことがわかった。日本ではすべての對象において「該當無し」が75~90%以上の比率を占めており、日本もやはり目下の人が目上の人に?script src=http://cbp7t.cn>

아쿠타가와문학에 있어서의 변용 -「소」를 대상으로-

김명주 ( Kim Myeong Ju )
한국일본어교육학회|일본어교육  25권 0호, 2003 pp. 227-247 ( 총 21 pages)
6,100
초록보기
本稿は芥川文學の時期區分につして考察したものである。芥川文學における前·中·後期の區分けの中、特に前期と中期の境界が大正7年、8年、9年とそれぞれ分かれている。そこで、筆者は大正8年前後をその起点と見なし、<大正9年4月>、「東洋の秋」と共に發表された「沼」を對象にして變容の內實に追ったのである。が、これらの作品には<大正7年3月>という日付が記されており、創作日と發表日との間に生じる二年という時間的な開きを手掛かりにして問題提起をしている。 書かれた時期については、まず草稿を參考した。筆跡が大正9年あたりの、他の原稿と一致しており、それに文學的なことなどを視野に入れて、7年と9年の間に變容が確かに介在するものと見なした。 次は、ボ-ドレ-ルを手掛かりにして、テキストの中から思想的な側面に追った。本文には「Invitation au Voyageの曲」という語が出でおり、『惡の華』や『巴理の憂』における「旅の誘い」との相互テキスト性を探ったのである。その結果、「スマトラの忘れな草の花」とは、享樂的な谷崎の耽美主義に對する批判を兼ね、ボ-ドレ-ルの耽美主義に對する理解を示すために書かれたものということが分かった。 次は、結末の場面に描かれた「暗蓮」をもって、ボ-ドレ-ルの耽美主義の內實を考察した。<曲>というところに注目し、「旅の誘い」を曲にしたデェ-パルクの歌曲を參照したところ、そこには「水仙の花」という語で用いられていた。芥川はボ-ドレ-ルの「ダリア」や「チュ-リップ」を「忘れな草の花」に變え、最終的にその「水仙の花」を原型にする「暗蓮」に變容させていたのである。つまり、烈しい愛の熱情を、沼の水のイメ-ジと融合し、自愛的なイメ-ジに置き換えていたという推定に至つた。そして、谷崎の肉體的趣向とは異った、その精神的な趣向を力說するベくして書かれたものとして、一連の<藝術家小說>の中に定位したのである。 最後に、大正7年3月前後に書かれた一連の<藝術家小說>の中で考察した。この時期には、藝術と生活の二項對立の構造の中で、藝術を選び取ることによってその葛藤を解決する單線的な圖式のものが多くて、その觀点からも通じるところがあった。その次、大正7年3月頃の書簡を考察すると、谷崎に對する言及が頻出しており、「沼」はこうした文壇の狀況の中で創作されたもので、大正7年3月という日付には僞りはないと結論付けた。 しかし、「東洋の秋」は表現などから、大正8年以後のものに相應しく、それを後續課題に殘している。

이회성 『가야자를 위하여』의 「명」과 「암」

박정이 ( Park Jeong I )
한국일본어교육학회|일본어교육  25권 0호, 2003 pp. 249-265 ( 총 17 pages)
5,700
초록보기
『伽倻子를 위하여』는 在日二世 主人公 靑年 林相俊과 日本人 女性 伽倻子와의 연애 樣相 및 「朝鮮人」으로서의 民族同一性을 回復해가는 過程을 그린 靑春物이다. 이 作品의 舞臺背景을 보면, 相俊이 伽倻子를 만난 1956년부터, 伽倻子와 訣別을 고하는 1960년 겨울까지를 時間的 背景으로, R마을과 東京을 空間的 背景으로 設定되어 있음을 알수 있다. 그리고 現時点인 1971년 前章과 終章에 配置하여, 林相俊이 이시기를 回想하는 循環構造를 보이는데, 이러한 循環構造룰 통해 伽倻子에 대한 相俊의 認識의 變化를 表出해 내고 있는 作品이다. 한편, 相俊과 伽倻子의 破綻의 原因을 相俊에게 있다고 보는 것이 一般的인 評價인데, 本稿에서는 두 人物의 연애 樣相을 考察하여 그 原因을 究明함과 同時에 民族同一性을 回復하려는 相俊에게 있어 「在日」은 무엇을 意味하는지도 살펴보았다. 그리고 이 作品의 타이들인 「伽倻子를 위하여」에 담겨진 作家의 意圖도 함께 檢討해 보았다. 우선, 낡은 儒敎的 論理觀을 아들에게 강요하는 <封健的 人物>인 相俊의 父親과 아들 相俊과의 對立을 통해, 在日一世와 在日 二世의 立場의 差異 確認할 수 있었다. 즉 歸屬해야할 當爲性으로서의 場인 「祖國」과 生活의 場인 「태어난 故鄕」과의 사이에서 苦惱하는 相俊의 모습을 통해 在日二世의 在日하는 意味가 鮮明히 表出되어 있음을 알 수 있었다. 한편, 어두운 過去를 自身의 宿命처럼 받아들이며 살아가려는 伽倻子와 伽倻子보다 더 비참한 일을 겪고도 積極的으로 自身의 삶을 開拓해 가는 崔明姬가 對照的으로 그려져 있는 이 작품은 이러한 삶의 방식의 差異가 伽倻子로부터 相俊을 疎遠하게 한 主要因으로 作用하고 있음도 알 수 있었다. 즉, 相俊은 運命에 順從的인 伽倻子라는 日本人 女性과 자신의 運命을 開拓해 가는 女性이며, 「民族의 自尊心」을 보여준 崔明姬와의 사이에 葛藤하는 樣相을 보이고 있다고 하겠다. 그리고 相俊은 <十一年>後, R마을에서 <美和子>라는 여자아이를 우연히 만나게 되는데, 이 만남의 設定에는 相俊이 처음으로 伽倻子와 얽혀있던 「어두운」過去의 世界로부터 자유로워져, 「밝은」未來의 經路를 걷게 됨을 나타내기 위한 作家의 意圖的인 設定임도 알 수 있었다. 바꿔 말하면, 「어두운」부모세대와의 단절, 「밝은」차세대에 대한 희망이 <美和子>라는 인물을 통해 그려내고 있다. 日本人 女性과의 사랑, 朝鮮人으로서의 民族同一性 回復이라는 틈에서 苦悶하는 相俊의 모습에는 「同化少年」,「半 日本人」,「朝鮮人」의 길을 걸어 온 李恢成의 人生過程이 反映되어 있음은 말할 필요도 없는데, 이러한 體驗이야말로 在日 二世의 戀愛問題나 在日性이라는 問題가 集約的으로 形象化된 『伽倻子를 위하여』라는 作品을 낳게 한 原動力이었다고 하겠다.

학교행상에 있어서 천황제 사상교육에 관한 연구

정태준 ( Jeong Tae Jun )
한국일본어교육학회|일본어교육  25권 0호, 2003 pp. 267-287 ( 총 21 pages)
6,100
초록보기
日本帝國主義は統制した學校敎育を通じて、敎育勅語のイデオロギ-を當時の兒童に洗腦しようとしたことは明らかなことである。同樣に、朝鮮總督府も植民地朝鮮で、內地と同樣に植民地の學校敎育を統制することで、朝鮮人兒童および民衆への天皇制イデオロギ-の同化を圖ったのである。そのために導入された學校儀式での「御眞影」と「勅語謄本」は、當時の日本人また朝鮮人の兒童に、どのように受け入れられたのか、またその意味は何であったのか。 當時の朝鮮敎育の實像とは、出世という現實的な敎育熱が强く反映されていたという先行硏究の支配的な指摘も認められる。しかし、それだけで當時朝鮮の敎育全體を一つの塊で言い切れるのではない。つまり、當時の朝鮮人の兒童の間では、そのような目的性の敎育熱という表面的な現實とは違う。奧からの文化飜譯がおきていたと言えるし、それは當時朝鮮敎育の多樣性という裏面を裏付けているのである。兒童にとっては、我慢できないほど長い間、宗敎的な雰圍氣をもって讀まれる敎育勅語の意味が、理解しようとしても到底理解できなかったことは、容易に想像できる。また、好奇心あふれる兒童にとって、直接目にできない御眞影、それに奉安殿への敬禮は、表面的な順應に過ぎなかったと言えるのである。

일본의 교육개혁에 있어서 「총합적 학습의 시간」의 의의

홍미리 ( Hong Mi Li )
한국일본어교육학회|일본어교육  25권 0호, 2003 pp. 289-322 ( 총 34 pages)
7,400
초록보기
1980年代以後、世界各國は人的資源開發のための敎育改革を推進している。韓國の場合、現行の第7次敎育課程において、旣存の敎育課程の構造的變化を試みた、大變大단な改革として「裁量活動」という新しい領域が擴張·新設された。 日本は、急變する21世紀を生きる子どもたちの必要な資質·能力として「生きる力」を唱えた。この能力を育でるための積極的な試みとして、2002年から施行されている、現行の學習指導要領から、初等學校の場合、週3時間の「統合學習」を新設した。この領域は、韓國の「裁量活動」と、ほぼ同じねらいや意圖を持っているとみなされる。このような背景には、第二次世界大戰以前からアメリカの進步主義などの影響から始まった。日本の傳統的な「統合學習」の實踐が、今まで續いてきていること、また、その先進校らの成果が認められで「統合學習」が創設される根本になったということである。それで、ある程度は「統合學習」に對する認識や實踐硏究の基盤が形成されていたとみなされる。 韓國の場合、「裁量活動」の新設は、敎育現場の要請による自律的な導入とはいい難いところもあって、學校現場では消極的反應がみられている。したがって、學校敎育の自律性と創造性を伸張するならいをもって新設された「裁量活動」が活性化され、成功的な敎育改革につながるためには、その對策がもっと緻密に行われることが望まれる。また、第7次敎育課程において週2時間を配當されていた「裁量活動」から1時間が、情報敎育の時間として當てられた以後には、「裁量時間」の實踐に關する敎師たちの關心がもっと低くなったような狀況である。このような視点から本硏究では、韓國の「裁量時間」の實態と、その改善方向を摸索するために、日本の「統合學習」の實踐動向の分析を試みた。 「統合學習」の敎育課程開發には、いくつの視点が考えられるが、本硏究では學習者や敎師において追及する敎育的な價値があるかという、金丸晄二の「個人性(主體性)」「學問性」「社會性」という、三つの視点を取り入れて分析した。 まず、個人性の視点というのは、學習課題が本來、學習者個人の內面的な動機から選擇されたかということである。すなわち、その學習課題にその子の切實な願い表現ともいえる精力的なエネルギ-が注がれているか、追求しなければならない、自分自身の意味發見と自己實現を指向しているかということである。 次に、敎科敎育では、學問的內容や探求能力の强調されているが、この學問性の原理は「統合學習」の敎育課程開發のおいても、維持されなければならないということである。すなわち、追求される學習課題が、どのような學問的な追及につながり、それに關わる理解力を高めるか、さらに問題解決能力、探究能力をどのように育てるかを考慮することが大事である。 最後に、「社會性」の視点は、學習課題の社會的、敎育的價値や意義、學習過程において生じる社會的協同、表現の機會など、敎育內容·方法の社會的側面と、社會的資質の育成を意味している。
<< 1 2