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일본어교육검색

Journal of Japanese Language Education Association


  • - 주제 : 어문학분야 > 일어일문학
  • - 성격 : 학술지
  • - 간기: 계간
  • - 국내 등재 : KCI 등재
  • - 해외 등재 : -
  • - ISSN : 2005-7016
  • - 간행물명 변경 사항 :
논문제목
수록 범위 : 54권 0호 (2010)
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日本語のコミュニケ―ションにおいて複合動詞は單純動詞と倂ぶ重要性を持つが, 日本語敎育の分野では十分扱われておらず, 學習者にとって困難な學習項目の1つである。本稿では, 日本語學習者の複合動詞の運用能力の實態を探る。具體的には高頻度な, 「~입む」型複合動詞上位24語を取り上げ, 日本語作文テスト調査を用い, 韓國入學習者の運用能力について記述的分析を試みた。その結果, 全體の正答率は41.43%であり, 「~입む」型複合動詞が韓國入學習者に十分には定著していないことが分かった。また, 「~입む」型複合動詞には直義的意味と比喩的意味が存在するが, いずれのタイプにおいても正答率は50%未滿で正確な理解が不足していることが明らかになった。高正答率語は, プロトタイプ的意味と關連する語であった。一方, 低正答率語について誤用例を分析したところ, 「前項動詞≒前項動詞+입む」と捉えることによる, 「~입む」の過剩使用, 前項動詞と, 「~입む」の結合條件や, 「~입む」の意味知識の理解不足といった學習者の傾向が見られた。また, 相關分析により學習期間と, 「~입む」型複合動詞の定著度はあまり關係していないことが明らかになり, 敎育必要性が示唆された。これに對し, 日本語能力レベルと「~입む」型複合動詞の定著度の間には中程度の相關が確認された。そこで, 敎育現場での應用を考え, 學習者の日本語能力レベルが分かればその學習者の, 「~입む」型複合動詞の理解度を推定できる回歸式を導出した。複合動詞の習得狀況に關する實態調査があまり行われてしない現狀の中, 韓國人日本語學習者を對象にした日本語作文テストから得られた以上の知見は, 日本語敎育現場で學習者に複合動詞を指導する際, 有效な手がかりになると考えられる。
5,800
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この論文は言語情報の處理及び産出に大きな影響を及ぼす腦と記憶、それから言語の理解と産出に關することを日本語習得と關連づけて述べたものである。まとめると、次の通りである。(1) 最近の腦科學では言語は側頭葉で處理するという。ここではインプットをスキ―マを利用して理解したり、言いたいことをまとめて言語形態にしたりする役割をする。(2) ワ―キングメモリでは、情報を處理しやすくチャンクという處理單位に變えたり、符號化したり、學習者のスキ―マを利用して處理したりする。(3)言語情報は、① 視覺と聽覺を通して情報を受け入れる。② ワ―キングメモリでは氣づきや注目、集中などを通して情報の實體を把握し、スキ―マを利用して自分なりの理解をする。③ 理解したものは學習者の中間言語システムを利用して檢證する。④ それをメンタルレキシコンに貯藏されているものと統合する、と言う言語理解過程を經るようになる。(4) 言語の産出は、まず表現したいものを頭の中で考えて槪念化する。言葉として産出する際は、相手との關係や對話內容などが、文章では內容や讀者などが考慮されるべきであろう。槪念化したものは、適切な音聲や單語、文法などを利用して讀者や相手に傳達するようになる。(5) 言語は簡單に作られるように見えるが、複雜な思考過程を經るものである。言語敎育では言語理解と産出のこのような過程を經ている際、より效果的な言語敎育が行われると考える。

접두사「大(オオ)-」의 단어형성과 품사변환

최태옥
한국일본어교육학회|일본어교육  54권 0호, 2010 pp. 179-194 ( 총 16 pages)
5,600
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本硏究では接頭辭「大(オオ)-」の語構成における特性を形態·意味·統辭的分析を通して調べた。「大(オオ)-」派生語の語構成は次のように八つの類型に分けることができる。①[Pre+N]N類(大商人, 大胡床など)②[Pre+[V]N]N類(大商い, あしらいなど)③[Pre+A]N類(大甘, 大忙しなど)④[Pre+N]N,AV類(大味,大荒れなど)⑤[Pre+A]AV類(大甘)⑥[Pre+N]AV類(大雜把,大體)⑦[Pre+N]N,AD類(大旨)⑧[Pre+N]N,AV,AD類(大方,大樣)。接頭辭「大(オオ)-」は名詞と結合する特性を持つことが知られている。今度の調査では、用例の殆んどが名詞成分と結合している點で旣存の說を裏付けている一方、名詞としては不十分な形態も結合形として存在していることが確認できた。これは語構成の過程で派生語に名詞としての資格が與えられるからだと思われる。接頭辭「大(オオ)-」には「大(タイ)-」と「大(ダイ)-」の異形態も存在するが、結合語基が漢語かそれとも和語かによって使い分けられている。「大(オオ)-」は結合語基を和語に制限するため、それに對應する對義語も「小(しょう)-」形態ではなく「小(コ)-」形態を取っている。「大(オオ)-」派生語の意味は、「大金(多くの金錢),大승(普通のものより大形の승)」の例に見るように、結合語基の本義を保ちながら「大」の意味を添加·補充しているので、意味的有緣性を維持していることが分かる。一方「大荒目, 大歌, 大口, 大庭」などの例では意味の轉用がみられる。接頭辭「大(オオ)-」は名詞派生が主だが、「大味,大荒れ」の例にみるように名詞·形容動詞の複數派生、「大甘, 大雜把」の例にみるように形容動詞への派生、「大旨」の例にみるように名詞·副詞の複數派生、「大方,大樣」の例にみるように名詞·形容動詞·副詞の複數派生が現れる。本硏究ではこのような現象を「大(オオ)-」派生語に「~サマ」の意味を持つ零接尾辭が結合した派生の結果として結論づけている。

아쿠타가와와 이상문학에 있어서의 "예술관"비교(2)

김명주
한국일본어교육학회|일본어교육  54권 0호, 2010 pp. 195-211 ( 총 17 pages)
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本稿は芥川龍之介と李箱の文學における<芸術觀>を比較したものである。しかし<芸術觀>といってもその範圍は非常に廣く、それを二つの局面に分けて考察したのである。一つは敍述方法および創作方法に關わることであり、もう一つは芸術家の存在方式や人生および芸術の定義などを含む。前者の結果は旣に發表されており、本稿では後者について主として考察する。方法としては、自我というものを<芸術的自我>及び<生活的自我>に分け、それをキ―ワ―ドに分析したのである。一章では、兩者の文學に著しい<芸術至上主義>について考察した。芥川の場合は、前期において樂天的で單線的な傾向を見せるが、晩年にいたり、それは止揚されている。一方、李箱の場合は初期から、芥川の晩年の暗い諦めに近い態度が窺われる。二章では、<生活的自我>の<宦官>性について考察した。兩者は<生活的自我>の萎縮や無力さを<宦官>および<官臣>という言葉で示している。しかし、晩年の芥川には<生活的自我>に對する新しい認識的轉換が生じており、前期の樂天的な<芸術的自我>との二項對立性は崩れている。反面、李箱の場合は、生活的自我の官臣性を追い求めることに芸術的自我の完成を認めており、その對立性が保持される。三章では、兩者の文學に多いに認められる<二項對立性>の內實について考察した。筆者はそれを各各において<執り成し性>が弱いためと見做した。しかし、芥川の場合、晩年には生活的自我が執り成し性として表れるが、李箱の場合は初期の二重否定に近い激しい對立性が認められ、違いが生じる。

「檀君神話」世界の構造について -桓雄天降を中心に-

권혁성
한국일본어교육학회|일본어교육  54권 0호, 2010 pp. 225-236 ( 총 12 pages)
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「檀君神話」は韓國の傳統正を確認してくれる重要な神話的物語である。そのような重要な意味を持つ神話であるが、いままであまり正當な評價が成されていない。それは內容の緻密な分析が成されていないからである。また歷史的に近代以降日本や中國によって硏究が成されたという理由もあるが、それ以上に韓國人による檀君神話硏究の始めが、侵略の正當性を求めた日本の硏究を否定することから始まったからであろう。そしてその後、日本の硏究の名殘から自らの正統生を證明する「檀君神話」を否定するようにまでなったのである。まずはそのような硏究方法からの脫却が求められるのではないだろうか。私はそのような立場から『三國遣事』の「檀君神話」の分析を試みた。特に神話の中で桓雄が天から降臨する場面がある。いわゆる「天降」であるが、その場面の解釋を新たに試みたのである。いままでの硏究では、桓雄が天から降臨する前から、地上には當然のように「人」が存在していたとされてきた。しかし『三國遺事』の「檀君神話」では、そのようなことはどこにも述べられていない。つまり「地」に元元「人」が存在していたとは語られないのである。テキストをそのままに讀んで解釋するならば、桓雄と一緖に「天」から降臨した「伯·師·徒」らが「人」としてはじめて成ったと見るべきではないだろうか。「天」からの血筋が「地」にまでおよび、「天」によってその「地」の正統性は守られるのである。

『蛇の歌』論 -「蛇」と「ぬけがら」-

이충규
한국일본어교육학회|일본어교육  54권 0호, 2010 pp. 237-247 ( 총 11 pages)
5,100
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蛇信仰は古來日本民俗信仰に根强く生きていたものの一つとして、『記紀』やその他の資料にもしばしば登場している。作家の石川淳がかって『新釋古事記』を書き下ろしており、蛇についての意味も認識していたはずである。氏は正史を疑い、僞史を作り上げ、それを正とする。所謂歪曲された人人の歷史を奪し返すことで眞の歷史として正していくのが氏の文學における一つの仕事であった。政治や椎力、そして秩序とかに對する嫌惡と抵抗による反俗精神がそれである。もう一つはこれと同一線上にありながら、人人精神の自由への鬪いである。輪廻や因綠や因果のような目に見えないものから束縛されている我我の精神の解放である。主に前者は世の立て直しとして、後者は精神の自由として描かれる。とはいっても二つは不可分の關係でもある。『蛇の歌』はここでいう後者に當たるものである。戰前における罪の意識を戰後如何に生きるべきかを問うている。換言すれば、戰前の日本的なるものの思想への否定と罪への意識、そして戰後の變わらぬ政治や經濟中心主義が齎した疲弊した精神狀態に一種の罪、或いは戰前的思想を見出している。故にそこから如何に脫け出すかということで、死と隣り合わせの脫皮、蛇の「ぬけがら」をもって新たに生きることを提示している。これは『天門』に於ても試された方法であるが、このときの作家の目はアジアに向けられており、ここでは世界へと飛び立っていく。要するに、この作品が未完で終わっているものの氏の意圖しているのは、人人の精神を抑壓しているものから脫け出すことである。思想や政治や經濟や秩序のようなものから自由であること、そこに眞の人間の姿があるということを七重と小次郞の「まことの戀」に物語っている。

有島武郞の苦惱 -「眞面目」をめぐって-

정욱성
한국일본어교육학회|일본어교육  54권 0호, 2010 pp. 249-260 ( 총 12 pages)
5,200
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本論は有島武郞において「眞面目」というものは、いかなるものであり、しかもそれがいかにその精神的な面で影響を及ぼしていたのかを彼の精神的な軌跡を천りながら考察して、明らかにしたのか本論文である。有島武郞の精神的な基調をなしていると思われる「眞面白」は、彼の思想だけではなく、彼の文學の世界にも影響していると思われる。本論のテ―マは本論文にとどまることなく、今後彼の作品にまで論點を廣げ、「眞面目」によって派生された「僞善」がいかにえがかれているのかを明らかにするつもりである。
6,000
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本稿は日本の「電子町內會」と韓國の「インタ―ネット班常會」の活動を比較し、政治經濟的の遂行程度を評價することによって地域コミュニティの再生を圖ることにある。日本の「電子町內會」の78個のサイトと韓國の「インタ―ネット班常會」の75個のサイトを2010年1月から3月までの告知事項を分析對象とした。政治經濟機能に分類された件數は日本の場合342(168重複)件、韓國の場合787(251重複)件で、これを5種類に分類し住民の活用程度を調査した。結果を見ると次の通りである。地域代表機能においては日本の事例が67件(19.6%)、韓國の事例が308件(39.1%)で2倍の比率の高さを表している。內容的な面では`定例會(月例會)、代表會議`がほとんどで、これは自由なコミュニケ―ションの場が整っていることであり、地域と住民をつなく、機能を果たしている。行政補完機能においては日本の事例が110件(32.2%)、韓國の事例が137件(17.4%)である。`連絡事項`の場合は日本の事例が韓國より高い比率をみせているが、兩國とも成立の背景と事例からも行政と密接な關係を維持していることが分かる。陳情·要望は韓國の事例がほとんどであり、これは地域の發展と地域の利益のために住民の意思を行政に還流させるきっかけを提供することによって世論吸收の機能を果たしていることが分かる。地域防衛機能においては韓國の事例が80件(10.2%)なのに對して、日本の場合169件(49.4%)の過半數を占めている。韓國の事例から見られない日本の特徵は、「町內會」の下位組織である「まもり隊、消防團、交通安全協會」が行政協力的な關係を維持しながら安全な地域づくりのために努力していることである。特に「防災」においては「自主防災高組織」としての重要性を强調している。地域開發機能においては日本の事例が68件(19.9%)、韓國の事例が305件(38.5%)で日本より高く、地域開發が活發に進行されていることが推測できる。しかし、事例からみると兩國ともに環境開發と環境保護が同時に行われている。つまり、共生關係を基とした生態主義的な思想が定著していると言える。地域福祉機能においては日本の事例が96件(28.1%)、韓國の事例が209件(26.6%)で兩國ともに高い比率である。これは兩國とも福祉社會の實現もために努力していることである。しかし、日本の場合「社會福祉協議會」などの組織化されている事例から行政と住民をつないでおり、行政と連携していることが分かる。韓國の場合は各種の經濟的·制度的なサ―ビスを提供する行政主導的な福祉の形態をみせている。
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