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일본어교육검색

Journal of Japanese Language Education Association


  • - 주제 : 어문학분야 > 일어일문학
  • - 성격 : 학술지
  • - 간기: 계간
  • - 국내 등재 : KCI 등재
  • - 해외 등재 : -
  • - ISSN : 2005-7016
  • - 간행물명 변경 사항 :
논문제목
수록 범위 : 60권 0호 (2012)

마키노 신이치와 이상 문학의 "육친혐오" 비교

김명주
한국일본어교육학회|일본어교육  60권 0호, 2012 pp. 169-189 ( 총 21 pages)
6,100
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本稿は牧野信一と李箱文學における<肉親嫌惡物>を中心にその樣相や美學的特徵を比較したものである。兩文學には、母性コンプレックスやオイディプスコンプレックスの樣相が同樣に見られる。しかし、牧野文學が直線的な語り口で語られた一種の寫實畵のようなものであるならば、李箱文學は暗示的で超現實主義の手法による抽象畵のようなものであり、表現法にその特徵が分かれる。それを、さらに作家の個人的狀況や時代および文壇の狀況において分析してみた。そこで、まず、養子體驗の有無によりその樣相が異ってくることが分かる。それから、各□の文學には、自然主義の私小說流の美學であるリアルリズムを乘り越えようとする意志が窺われるが、リアルリズムや超現實主義といった、各□の處された文壇の狀況によりその特徵が分れる。それに、兩文學は、槪して私小說的リアリズムから逃れようとする意志に基づき成り立つものの、私小說の範疇の中から自とその限界を示している。つまり、兩作家は人生より芸術に力を注いでおり、そこに悲劇が孕まれるのである。いわば、文學とは何より思想が中核をなすのであり、思想とは作家の人生と密接な關わりがある。言い換えると、兩作家は人生と芸術といった二項對立に捕らわれず、兩方を共に乘り越えていくこと、そこから眞の美學が生じることを分かっていながらも、ついに芸術や表現への强迫に呪縛され、苦惱に陷っていたところに限界が存すると批判した。

『とはずがたり』論 -二條の「家」意識に注目して-

김선화
한국일본어교육학회|일본어교육  60권 0호, 2012 pp. 191-200 ( 총 10 pages)
4,500
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『とはずがたり』には二條の「家」意識が樣□な形で描かれている。宮廷編では他者の言葉によって二條の「家」について語られており、また修行編では二條自分自身の言葉で自分の「家」への歸屬意識が敍述されている。本稿では宮廷での二條の不安定な立場を考えた上で、二條の「家」意識について考察した。二條は由緖ある家門で生まれたにもかかわらず、兩親を失い、その後の宮廷生活は外戚の後見によって維持されてきたが、それも絶えてしまい、また、二條の歸屬する家門として意識する久我家からは義絶されてしまうという狀況にある。二條の血筋は父方からいっても母方からいっても、歌で榮えある家門であることが頻繁に强調されており、二條の修行には家の榮譽のため、和歌の道に精進するという意味が含まれていると言える。宮廷生活では何か辛いことがあれば、出家して靜かに暮らしたいと願った二條であるが、出家後には自分が常に望んでいた靜かな暮らしではなく、旅をしている。それは二條の出家のかたちが旅でなければならない何かの理由があることを示唆しており、その理由は和歌の「家」としての自分の「家」が存續する可能性を期待しての旅であると言える。勅撰集入集を願い、歌を讀むためには草庵生活では成就できない限界があり、それを突破するために旅に出たと考えられよう。

『古事記』における國作り -大物主神の役割-

권혁성
한국일본어교육학회|일본어교육  60권 0호, 2012 pp. 201-211 ( 총 11 pages)
5,100
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『古事記』において、國作りの過程は重要な意味を持つ。だがその過程において大物主神は、あまり重要な役割を果たしていないとされてきた。大物主神は『日本書紀』にもあるように『古事記』でも、ただ大國主神の分身であり、單獨では何の意味もないとされてきたのである。だが、『古事記』での、國作りの過程を分析していけば、大物主神は單なる大國主神の分身ではなく、違う神として、國作りに大きな影響を與えた神であることが解るのである。天皇の天下を語る『古事記』において、この神がどのような役割を果たしたのか、見ていくことにする。

『청령日記』の「笑ひ」と「たはぶれ」

안정숙
한국일본어교육학회|일본어교육  60권 0호, 2012 pp. 213-224 ( 총 12 pages)
5,200
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『청령日記』には、道綱母の二十一年間にわたる藤原兼家との結婚生活が記されている。作品の序によると、彼女が書きたかったのは、その書名「かげろふ」に象徵されるような不幸な女の人生であったようである。この「不幸な女の人生」のイメ一ジにふさわしく、『청령日記』で作者が好んで用いた語は「ものはかなし」をはじめ、「憂し」「つらし」「あはれ」「かなし」「わびし」「心細し」などの言葉である。それに對して、「をかし」や「笑」ふのような明るさや喜びの用例は少ない。本稿は、『청령日記』の色を表す「はかなし」「あはれ」「かなし」などの場面に對して、「笑ひ」や「たはぶれ」の世界はいかなるものかについて考察してみたものである。『청령日記』にみられる「笑ひ」と「たはぶれ」の場面を考察してみた結果、十二の笑いの場面のうち、作者の場合、一人笑いを含め、兼家、親類、侍女たちなど、みんなで笑いを共有するものが九例と多く、特に作者と他者との談笑の場面や作者の言葉による他者の笑いの場面が目だった。一方、『청령日記』に見る兼家は闊達、ユ一モアの豊かな男に違いないが、實際、自分自身が快く笑う場面はほとんどない。一人で笑っている場面が一例あるが、純粹な意味の笑みではなく、夫婦不和の中で困っている道綱を利用した作者への嘲笑のようなものであった。そして、『청령日記』の「たはぶれ」の場面は、ほとんどが兼家によるものであり、兼家は、日常において、よく冗談を言い、どんな狀況にあっても、「たはぶれ」により氣まずい場を紛らわしたり、「たはぶれ」によって周りの人□を笑わせていたのである。しかも、それは吹き飛ばしてしまいそうな大笑いの場面であった。兼家の「たはぶれ」による笑いの場面には、生まじめでかたくなな道綱母の性格と、日常のどんな狀況にあっても、冗談でその場を紛らそうとする磊落な兼家の性格が、克明に表れ、二人の人物像を理解するのに最も印象深いものになっている。道綱母が周りの人□のように、兼家の「たはぶれ」に反應し、大笑いをしたり、受け答えのできる人であったならば、二人の夫婦關係はより長く續けられたのではなかろうか。
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