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일본어교육검색

Journal of Japanese Language Education Association


  • - 주제 : 어문학분야 > 일어일문학
  • - 성격 : 학술지
  • - 간기: 계간
  • - 국내 등재 : KCI 등재
  • - 해외 등재 : -
  • - ISSN : 2005-7016
  • - 간행물명 변경 사항 :
논문제목
수록 범위 : 62권 0호 (2012)
5,700
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本稿は韓國語の動詞結合の日本語譯について考察したものである。具體的には?言語の動詞結合を{-아/-어/-여}{-고}{-아다/-어다}{-て/-で}という介在要素の有無によって「介在要素無しタイプ」と「介在要素有りタイ プ」に大別した後、韓國語の各タイプに??する日本語譯について考察を行い、1)韓國語の介在要素無しタイプの動詞結合 は、日本語において同タイプの動詞結合に?夕する場合もあれば、そうではない場合もある。そうではない場合は、具體的に「名詞+する」「副詞+?純動詞」「單純動詞」「その他」の形が對應する、2)韓國語の介在要素有りタイプの動詞結合も日本語において同タイプの動詞結合に對應する場合もあれば、そうではない場合もある。そうではない場合は、具體的に「介 在要素無しタイプの動詞結合」「名詞+する」「副詞+介在要素無しタイプの動詞結合」「副詞+單純動詞」「單純動詞」 「その他」の形が對應する、ということを確認した。 そして、先行硏究では見?たらない指摘として本稿で?調したのは、??形を明示する際は、それが日本語を中心にした場 合の韓?語?なのか、それとも、韓國語を中心にした場合の日本語譯なのかを?別し、中心になる言語の例が有する①形態· ②統語·③意味·④音韻の四つのレベルにおける諸特?を綿密に??討した上で、同じ特?をより多く持つものに分?させるべきで あるという点である。こういった考え方に基づいて、本稿では特にV1がV2の手段や原因を表すと分析できる「때려 죽이다/얼 어 죽다」のような例の日本語譯は、異タイプである「?り殺す/凍え死ぬ」のような形態より、同タイプである「?って殺す/凍えて死ぬ」のような形態がより適切であることを主張した。

『古今著聞集』의 오노마토피아 表現에 관한一考察

황규삼
한국일본어교육학회|일본어교육  62권 0호, 2012 pp. 181-193 ( 총 13 pages)
5,300
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『古今著聞集』に使われているオノマトペの全?用例?は?90例である。その中で異なり語?は56例で62%に至っている。こ れは??な語彙が用いられたことを意味し、『著聞集』に使われているオノマトペの表現?果を表していると言える。 オノマトペの中でも典型的な語音結合型である「ABAB」型は35例(38%)で『沙石集』の61例(80%)に比べ、低い割合であ るが、『沙石集』では見られない「ABり」型は7例も使われた。『著聞集』に使われているオノマトペのほとんどの用例は、 「~と」を伴って實質的な意義を持っている用言(動詞)に接?している。 また、オノマトペの語頭一音節の順位を調べたところ、現代のオノマトペと同?、「カ?サ?タ?ハ行」音の用例が?倒的に多 かった。『著聞集』では、「カ行」音が1順位を占めているが、?話集の全?的には「ハ行」音が多く使われている。これ は、オノマトペの表現においては?音?濁音によって??されるオノマトペがまだ?達しなかった時期でも、音象?の表現は破裂 音?摩擦音を用いた?音?濁音の?立が重要な役割を?っていることが分かる。 なお、「中世4作品の?話集」に使われているオノマトペを比較して見ると、『著聞集』も「興言利口」篇を中心に用いら れているのでオノマトペの表現に?する限り、『今昔』『沙石集』よりも『宇治拾遺』に準ずる活?の?果をあげていることが 分かる。 『著聞集』の「オノマトペ+めく」型は、?18例が用いられているが、異なり語?は10例である。1音節?2音節に結び付く「? めく」型は、オノマトペ語基に結び付いて動詞化になったものであり、細かく言い分けられない?態の表現部分はオノマトペが補 うという点で有用な言葉である。 このように『著聞集』に使われているオノマトペの表現?果は、その話の中で主題と緊密な?係があり、話の展開にも肝心 なキ?ワ?ドの役目を果たしていることが分かる。
5,200
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本稿は、1954年、日本の熊本?水?市を中心に?病した、?水による公害病「水?病」の??と、その患者と彼らの家族 らの悲しみと苦しみを綴っている、石牟禮道子の『苦海淨土』わが水?病』を中心に?究したのものである。特に、作家と彼女 の「同族」である日本の下層民たちの「不幸な意識」が、韓國の代表的な情?とされている「恨=Han」と、?は通じ合って いる情?であることを見極めようとした。そのために、まず石牟?道子の「不幸な意識」がどういう情?であるかを、彼女の家族 と故?を含めた「同族」の生(命)の中から考えてみることにした。それから「恨」のいくつかの特性とそれを比較考察してみたと ころ、「不幸な意識=恨」という等式を成り立たせることができたと思う。さらに、恨の特性を「諦念と諧謔の情恨」「故?をさ まよう生?」「世迷い言と怒りの?め」「自他に?する排斥」に分けて、それらを一番よく表していると思われる『苦海?土』 の登場人物と描?部分を引用してみた。こういう作業を通して、彼らの?面に深く?たわっているこういう「恨」を、ある時は自 嘲の笑を買ったり、ある時は酒の力を借りて愚痴ったり、ある時は世迷い言を言いながら自分の胸を摩ったり、またある時は頑な に自分と他人の存在を拒んだりするように、石牟?が作品のなかでさせてあげることで、彼らの恨を解いて(解恨)くれているという ことが確認できたと思う。
5,400
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宮本百合子の伸子一は、フェミニズム文學の最高峰をなす小?とされながらも、片方においては、そこに描かれているヒロイ ンの造形に、どこか女性の現實から取り離されているような、ある種の物足りなさをも指摘されてきている。言い換えれば、その 物足りなさが故に評面され得たと見えなくもない。なぜかと言えば、女性の登場人物が「結婚」という個人的·社?的行爲にお いて男性の論理を受動に內面化するような、當時の「女性文學」のレベルから見れば一たり前であるはずの「現實」が、あまり にも見えないからである。 この論では、伸子一に纏わるこのような、疑問ないしはアイロニに答えるために、宮本百合子の有名な有島武郞への評論『或る女一についてのノ』トに注目する。まず、發表された順序を基準に、或る女一、伸子一、「或る女?についてのノ」トのそ れぞれのテクストの持つ意味合いを念頭に入れながら、相互テクストとして比較する視点を取り入れてみることにする。そこで『或 る女「についてのノ」トが』或る女一についての批評であるとともに、自作の?伸子一への自負をも含めている、というような表現意 識を?み取ることができるのではないか、と考える。 このような比較する視点から、?伸子一を?み直せば、「或る女」を意識しながらそれの欠点と思うべく問題への解決のために百 合子が?伸子?へ取り組んだ姿勢が?み取れる。ここで?める百合子の戰略とは、白樺派の男性作家たちの持つ自我?充の理 念を、同質のようなものを女性の人物へ取り?むことであった。今日からみれば、同じ白樺派の作家のなかで唯一女性の解放を 目指した小?を書いた有島に?して、白樺派の男性的エゴイズムの論理を以て?ったような、面白い現象も見えなくもない。

明治,大正期の?曲創作とレ一ゼドラマ

羅勝會
한국일본어교육학회|일본어교육  62권 0호, 2012 pp. 221-236 ( 총 16 pages)
5,600
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明治期日本の象?派詩人らに上田敏?海潮音?が及ぼした影響は大きいものであった。特に詩集の中で落葉はヴェルレ? ヌの秋の歌が持っている音?的美感を十分に考慮して??したという点で詩人の苦心が?み取られる。優美な日本語を使い 音?の一定した規則性を見いだすことによって日本語詩の新しいリズムを獲得したことろもこの詩の持つ?特性である。原詩や韓 ?語??の詩と比べるとき、原詩で感じられる秋の日の情?が多少薄れてきている感じはあるが、何よりヴェルレ?ヌ象?詩の一 番大きい特?が詩の音?性であるという点を考慮に入れるとき、上田敏の?詩は力作であると評?せざるを得ない。初期の批判 論者達が行きすぎの??だと指摘したところも外?の象?詩という二重の難題を考えるとき、そんなに批判に値するとは思わな い。外?語として持つ基本的な限界の中でこの程度の??を成し遂げたというのは素晴らしいことであり、詩人の力量を物語ると ころでもある。明治から大正へと?遷する日本の詩史において?期的な革新を齎すに十分な?容的資質を持っている作品であ ると評?できるのではなかろうか。

明治期象微詩硏究―上田敏落葉를 視座로―

박상도
한국일본어교육학회|일본어교육  62권 0호, 2012 pp. 237-247 ( 총 11 pages)
5,100
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明治期日本の象?派詩人らに上田敏?海潮音?が及ぼした影響は大きいものであった。特に詩集の中で落葉はヴェルレ? ヌの秋の歌が持っている音?的美感を十分に考慮して??したという点で詩人の苦心が?み取られる。優美な日本語を使い 音?の一定した規則性を見いだすことによって日本語詩の新しいリズムを獲得したことろもこの詩の持つ?特性である。原詩や韓 ?語??の詩と比べるとき、原詩で感じられる秋の日の情?が多少薄れてきている感じはあるが、何よりヴェルレ?ヌ象?詩の一 番大きい特?が詩の音?性であるという点を考慮に入れるとき、上田敏の?詩は力作であると評?せざるを得ない。初期の批判 論者達が行きすぎの??だと指摘したところも外?の象?詩という二重の難題を考えるとき、そんなに批判に値するとは思わな い。外?語として持つ基本的な限界の中でこの程度の??を成し遂げたというのは素晴らしいことであり、詩人の力量を物語ると ころでもある。明治から大正へと?遷する日本の詩史において?期的な革新を齎すに十分な?容的資質を持っている作品であ ると評?できるのではなかろうか。

『うつほ物語』の音樂描寫

靑木祐子
한국일본어교육학회|일본어교육  62권 0호, 2012 pp. 249-259 ( 총 11 pages)
5,100
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「琴」という?器とその?授を中心に、音?に?する膨大な量の描?を有する『うつほ物語』を取り上げ、描?の特?の分析を試みた。その結果、天人から?授された?原俊蔭一族の音?は奇瑞を起こし、この世の理に反する面を持つ音?として表 現されていること、?力者である源正?一族の宴で演奏されるような音?は合わせるという行?を?調し、バランスが重視された 和睦の象?の音?として表現されていることがわかった。作者は、それぞれに?極的な特?を持たせ、特有の方法で演出して いる。さらに、?方に共通する点として、?授という行?が重視されていることと、音?が人と人を結び付ける役割を持たされて いることが確認できた。『うつほ物語』には、音?をあらゆる角度から表現しようとする積極的な姿勢がうかがわれる。それは、 作者が音?と人との?係を文章化しようと試行錯誤した結果であると言える。最後に、音?そのものを描?することを目的として いない、さりげない音?描?も本作品には存在することを指摘した。

韓, 日獨島敎育의一考察

김인현
한국일본어교육학회|일본어교육  62권 0호, 2012 pp. 261-282 ( 총 22 pages)
6,200
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韓國の初等?校では「?島の重要性を知ること」について?島に?心と愛情を持つよう自然環境と地理的特性を中心に? えるが、中?校では?島が?史的?地理的??際法的に韓?領土である根?を正確に理解させる。 三?史記、世宗??地理志、大韓帝?勅令第41?、島根?告示第40?などの?連文?や地?を通し、日本の主張の? 構性を理解させる。高校課程では、韓日?立が?化せず、前向きな?係に進展するよう領土?と?史?を植えつけることに重 点を置く、初?中?高校で、?島に?する?習?容を以前より詳しく、?系的に?える方針である。 2011年3月30日, 日本の獨島領有權主張に?する中學校敎科書が文部省の檢定を通過して, 韓?と日本の敎科書問題 の???係, 獨島領有權主張と獨島論爭の?史的事?について一考察した。 獨島は鬱陵島から1年に約60日ぐらい目で見える所として, 地政學的で見るとき、大韓民國の領土に含まれていたことを, 日本の良心的な歷史學者たちは論文と本で韓國固有の領土であると主張している。 韓?側からは、日本が獨島を1905年島根?告示第40?に揭載し、むかしから韓?が獨島を??的に支配していたことを示 す明確な根?としていろいろな古文書と地圖が提示されている。 一方、日本政府と地方議?では?島に?する?容がより?化された?島?連の?史?科書を通過させ?校で使用される。 ?島を日本領土と表記する?史?科書歪曲問題が絶えず、日本側からは、韓?が日本固有の領土である竹島について、不法 占?が?いている?況の中であると言うが、韓?は、?史的事?に照らしても韓?が?くとも6世紀から??的支配に基づき獨 島の領有?を確立していたと主張している。 1900年高宗の勅令41號は、獨島を??的に支配してきたことを證據として明記されている。1946年1月29日連合軍?司令 部?書第677?と1946年6月22日連合軍?司令部?書第1033?が獨島に?する韓?の領有?を認めたことを明記した。 本稿では、韓?と日本の主張している獨島問題に?する???係について、歷史學者たちの主張と古地圖を分析し,詳細で ?系的に獨島敎育問題ということを?育し、?島?育の目的と目標を明らかにすることに意義がある。未?志向的な韓日協力? 係に?する?容として、一方的で排他的な方向に流れないよう事?に元ついて考察した。

단군조선과 일본고대국가

김채수
한국일본어교육학회|일본어교육  62권 0호, 2012 pp. 283-310 ( 총 28 pages)
6,800
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When we analyzed the myth about the founding of old Chosun`s, which comes out at the beginning of Samkukyusa, We can see that our korean people was descendant of which his ancenstors(ancestors) believed in heaven`s gods, and it we read Japanese myth, what we can "Kiki Myth" which is on the establishment of Japan, we can also understand that Japanese people was the descendant whose ancenstors believed heaven`s god. As above mendioned, Korean and Japanese peoples, were the same descendants of peoples who had believed in heaven`s gods. Then how had their nations related? I propose the following views about the problem mentioned about. First of all Tangun Wonggeom established Tangun Chosun at the East area of Liao River region about BC 2300. About BC 12 century, which was the end of Sang(商) Dy nasty and the beginning of Syu(周). On of Tangun Chosun`s descendants growed out into Dongho(東胡) which was the most powerful country at Liao River region at those times. But it was ruined at BC 206 by the second king, Sunwn Mukdol of the Huns Empire which was of constructed in Inner Mongolia. I suggest that we should understand the collapse of Old Chosun was the ruin of Dongho. As the result of Dongho`s collapse, separated Dongho`s people into three parts. One entered the Huns Empire in the west of Liao River region, another went out towards. Buyeo(夫餘) region in the east?north areas of Liao River region, and the others remained in the base where Dongho people had lived for long times. What I emphasized here is that Jinkuk(辰國) came from the last part, and Gokuryeo(高句麗) came out from the Jinkuk. Also Baeje(百濟) established at the middle part of Korean Peninsula in later part of the first century BC, came out between Buyeo and Gokuryeo. Byeonhan, one of three Han(韓), had been established at the lower part of Nakdong River, in the last of second century of B.C by Jinkuk`s people who came down to south part of Korean Peninsula. At the affer of fourth century, Baeje of horse?riding people accepted a mock cavalry culture from northern horse?riding people. Baeje had relationships which Gaya(加耶) which Byeonhan had turned into. The King of Gaya`s moved to northern Kyusyu at the latter of century, and dominated the country called Wae(倭) established at the northern Kyusyu. At the latter 5?4 century the country of Wae, unioned with Baeje occupied. Yamato area, and unified northern Kyusyu and Yamato area, affer the established. Yamato Government as far as we concern with the historical facts mentioned above. We can not but accept that descendant of Dangun Chosun established Yamato Government.
5,800
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本硏究は1940年代に?刊されて韓國で使用された初等學校<音樂>·<國語>·<修身>·科書の共通過元を中心にして比較した硏究である。敎科書とは學校において、敎育課程の構成に?じて組織排列された敎科の主たる?材として、敎授の用に供 せられる?書であり、學習目標を達成する重要な手段である。特に朝鮮?督府編纂の第Ⅴ期<音樂>·<國語>·<修身>敎科書 は相互連格して、?行的に?えることを趣旨としていた。この三つの?科の?容を調べてみると、<音?>と<?語>との共通 ?元は30/128?元で、<音?>と<修身>との共通?元は17/128?元、三つの?科の共通?元は4/128?元で、36.7% (47/128)を示している。 三つの?科の共通?元の?容を?討してみると、日本帝?は一次的に<?語>?科で日本語を使用して日本文化と日本 人のアイデンティティ?を移植させる?育を行ってから、二次的に<音?>?科の唄を通してそのイメ?ジを刻み付けたことが確 認できた。また、<修身>?科では日本帝?が要求している皇?臣民と皇軍兵士を養成するための天皇への忠誠を要求する精 神的皇民化?育がおこなわれから、其の?容を<音?>?科の唄の歌詞に作って唱わせることによって<修身>?育をサポ? トしたことが明らかになった。
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