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일본어교육검색

Journal of Japanese Language Education Association


  • - 주제 : 어문학분야 > 일어일문학
  • - 성격 : 학술지
  • - 간기: 계간
  • - 국내 등재 : KCI 등재
  • - 해외 등재 : -
  • - ISSN : 2005-7016
  • - 간행물명 변경 사항 :
논문제목
수록 범위 : 65권 0호 (2013)

일본 근현대시 교육 방법론 -일본어 강독 과목을 중심으로-

박상도
한국일본어교육학회|일본어교육  65권 0호, 2013 pp. 171-184 ( 총 14 pages)
5,400
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本稿は日本近現代詩の敎育方法論を授業事例を通して考察したものである.日本詩を敎育する上で敎材の選定と詩の觀賞法はもっとも重要な要素であると言わざるを得ない.詩というジャンルが朗讀と暗誦という部分と深く關わっているという現實を考えるとき、效果的な敎授法のためには、短くて單純な作品の選定が望ましい.そしてこのような作品が學生たちの詩的感情を刺激する情緖的な面にも符合するものでなければならない.單純でありながら深い感動を與えてくれる作品の選定こそ近現代詩敎育において重要な部分である.そして學習者に效果的に詩を鑑賞させるためには多樣な敎授法が講じられなければならない.講讀という制約の樺を越えて詩の內在的韻律を感じて、吟味できるようにする多樣な試みが必要であろう.その中でも詩の朗讀、暗誦、大衆歌謠の活用、適切な討論授業、學習者の感性コ-ドの分析などの方法がなされるべきである.しかしこのような敎授法も敎授者によって效果的に驅使されないとき、授業の效果は半減される可能性がある.
5,200
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1920年代の世界のパラダイムは理想主義であった.日本と植民地朝鮮も例外ではない.代表的な現象が理想主義的文化運動の胎動である.日本では、武者小路實篤によって 「新しき村」が表われ、朝鮮では李光洙によって 「修養同友會」という民族運動團體が表われた.武者小路實篤と李光洙は、同時代を生きた人物ではあるが、人間的交流をもっているわけではない.それにもかかわらず、類似な文化運動を起こしたということは、何らかの共通した裝置が動いていたということになる.この裝置がトルストイと夏目漱石である.武者小路實篤と李光洙はトルストイの非暴力思想と、夏目漱石の自己本位的思想を受け入れて、自我完成を成し遂げようとした.將來的には民族あるいは人類の發展に繫がると考えていたのである.問題は自我完成の方式がエリ-ト中心的であったということである.武者小路實篤と李光洙は、自らが優れたエリ-トであった.そのため、彼らの言說は優れた理想ではあったが、現實には寄り付けなかった.彼らは自我完成の資格を文化的エリ-トに限定して、一般民衆を排除した.自らがもっているエリ-トの特權意識が動いて現實と理想の衝突を調整できなかったのである.

金史良の『光の中に』硏究 -在日朝鮮人の群像の分類-

藤根麻由子
한국일본어교육학회|일본어교육  65권 0호, 2013 pp. 197-211 ( 총 15 pages)
5,500
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本硏究は、在日朝鮮人作家の先驅者とも云われている、金史良の一九三九年に「文芸首都」に發表された『光の中に『の登場人物に、焦点を當て硏究したものである.この作品は朝鮮人として始めて、芥川賞候補に擧げられた作品であり、金史良は抵抗作家であるとか親日作家であると言われているため、硏究においても多角度な硏究がされている作品である.從ってこれらの先行硏究でも、登場人物の持つ問題点や象徵について、その硏究テ-マを中心として樣-な解釋がされている.しかし、それは一部の特定人物を中心としていることがほとんどである.そこで本硏究は、『光の中に『の登場人物は現實的な人物としてではなく、當時の在日朝鮮人のタイプを表現している面に注目し、「在日朝鮮人の群像分類」と題して、全登場人物にタイプ付けをし考察している.『光の中に『では「內地人志向型」「朝鮮人として生きる型」「懊惱する知識人型」「惱める合の子型」と大きく4つのタイプに分けることができ、さらにその中で個人別にもタイプをつけた.この作業をすることによって、『光の中に『の登場人物を通して、金史良が當時何を問題視したのかということを明確にすることができる.その問題は社會問題でもあるが、金史良自信の內面の問題をも浮彫りにしていることがわかる.
5,600
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日本映畵の巨匠の一人である溝口建二は主に家父長制社會の中で抑壓される女性の問題をリアルに描き出す‘女性を描く監督’と言われている.彼は日本の近代化の過程において、依然として嚴存している前近代的家父長制と資本主義が生んだ暗い面に注目しながら、そのような狀況の中で女性が男性の出世と家族の生計のために自らを犧牲にする生き方にカメラのアングルを合わせている.本稿は、近世を代表する作家である井原西鶴の『好色一代女『を原作にした溝口健二の「西鶴一代女」を取り上げた.に登場するヒロインの生き方を通じて日本の前近代的な家父長制社會の中で、下層民としての社會的身分と女性に對する差別という二重の抑壓が、女性たちにどのような生き方を强要したのかを考察したものである.特に映畵が製作された當時の現實、つまり戰後日本社會の封建的な殘滓に監督はどのような意識を持ってアプロ-チしているか、又そういう封建制度が女性の生き方をどのように支配し、抑壓していたかを考察した.「西鶴一代女」は溝口健二の作品の中でも非常に優れていて、1952年にベネチア映畵祭で監督賞を受賞した作品でもある.この映畵の主要な內容は封建時代の女性の不幸な一生であるが、それは一人の女性が步んでいくにはあまり過酷な運命であった.まるで溝口健二監督の今までの映畵に登場した多樣な女性の不幸を一つの作品にまとめているようにヒロインをめぐったいろんな男性を登場させ、彼女の運命に介入させる.1952年に製作された映畵「西鶴一代女」は前近代的な封建社會の構造や制度あるいは價値觀を借りて、約二世紀の隔たりをおいた1950年代の日本の戰後の社會を省察しているといえるであろう.以上のように溝口健二が日本の戰後社會での家父長制のような社會構造、また、前近代の身分制のような階級社會での女性、特に下層民の女性に對する社會的な視線と男性による差別を嚴しく凝視していたことを知ることができた.言いかえれば溝口健二は前近代的な封建社會の構造や意識が戰後日本の社會に根强く殘っていて、それが女性の生き方をどのように規定しているのかを映畵「西鶴一代女」のヒロインお春の一生を通じて告發していると思われる.
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