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일본어교육검색

Journal of Japanese Language Education Association


  • - 주제 : 어문학분야 > 일어일문학
  • - 성격 : 학술지
  • - 간기: 계간
  • - 국내 등재 : KCI 등재
  • - 해외 등재 : -
  • - ISSN : 2005-7016
  • - 간행물명 변경 사항 :
논문제목
수록 범위 : 66권 0호 (2013)

日本のことわざにおける對義語について

俵木 はるみ
한국일본어교육학회|일본어교육  66권 0호, 2013 pp. 145-165 ( 총 21 pages)
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ことわざにおける修辭學上の技巧の一つに對照法があるが、これはことわざの中で反意語を對比させて使うことにより、ことわざの意味を强め表現をおもしろくする動きがあるという。對照法を用いたことわざは構造が整然としていて對立の意味もはっきりしているので、ことわざ敎育を通して語彙學習をする際、有用な資料になる。そこで本稿では對義語のあとことわざを取り出して、どのような語彙が使われているのか考察することにする。まずことわざスベクトルリスト(155件)から對義語のあとことわざを235件取り出し、それを「名詞」 「關係槪念」 「形狀性槪念 」 「動作性槪念」の4つに分類して項目別にことわざにおける對義語の關係を考察した。その結果、最も多かったのが名詞(80)、次に關係槪念(65)、 動作性槪念(55)、形狀性槪念(48)であった。 項目別には具體名詞(37)、相對的對立動作(33), 人間關係(31)の順である。ただ關係槪念と形狀性槪念にある空間を合計すれば空間(40)が最も多いことがわかった。 又ことわざのなかでの對義語の關係を對置、移行、比較、同等と4つに分類して見てくる中で、次のことが明らかになった。場所を表す對義語の對置關係は「立體的な高さと深さ、平面的な廣さ、この世の全て」という意味を表し、數字の對義語の移行關係は「-から始まって、廣がり增えていく」ことを强調している。關係槪念の時間の對置關係では 「人の命も考えも定まったものではなく、いつど、う變わるか分からないという無常さ」を表し、動作性槪念の對立的動詞の半數が同等關係であるが、負ける一勝つ、會う-別れるなど元來、同時に起こり得ない動作がことわざのなかでは同等の關係をもっている事が分かった。
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本稿は, 日韓否定疑問文の中で, 命令を表す「しないか」と「안(못)하니?」 に注目し, これらがどのような語用論條件下で命令の意味を持つのかについて考察した。また, 「しないか」と「안(못)하니?」の比較を行い, それぞれの特徵についても考察した。 その結果,「しないか」と「안(못)하니?」は,①話し手の想定と相反する事態(あるいは否定的な事態)が生起している狀況で②聞き手に當然行うべき行爲(あるいは當然できるはずの行爲)を③發話現場でただちに實行するよう要求するものであることがわかった. 「しないか」と「안(못)하니?」の特徵としては以下のことが擧げられる。 まず, 「しないか」は下降イントネ-ションをとる。また, 丁寧體を用いず, 目上の人には使用できない。一方, 「안(못)하니?」は急上昇イントネ-ションをとる。さらに, 丁寧體を用いることもでき, 疑問詞と共起してより高壓的なニュアンスを帶びることもできる。このことから,  「안(못)하니?」は, 使用範圍において「しないか」より幅廣いと言える。

문말 대우의 운용과 한-일 회화 번역에의 시사점

최소영
한국일본어교육학회|일본어교육  66권 0호, 2013 pp. 185-201 ( 총 17 pages)
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本稿では、韓國映畵『キッチン』 の日本語ダビング版を分析對象に、主人公のモレとサンインの會話の文末におけるスピ-チレベルンフト(speech level shift)の飜譯の樣相について考察した。スピ-チレベノレンフトとは、スピ-チレベルを決定する要因である文末形式が同-の談話の中でシフトすることを意味する。しかし、日韓兩言語における基本スピ- チレベノレや叉ヒ。-チレベルンフトは、同じ狀況、同じ談話內容の中でも異なる展開を見せることがある。韓國語のスピ- チレベルやスピ-チレベノレンフトが日本語ダビング版でどのように飜譯されているのかを檢討し、その機能を明らかにすることがオ本稿の目的と言える。 本稿は、韓國映畵「キッチン」の男女主人公、モレとサンインの會話に見らオレるスピ-チレベノレンフトに注目する。 初對面會話、プライベ-トな會話、口論などの樣-な場面が展開され、相手への心的距離に變化が見られるが、この距離の伸長と短縮をスピ-チレベルの發生回數と樣相からも確認することができる。そして、このような樣相は日本語ダビング版でも見られるが、その狀況や機能において原本との違いが明らかになった。これは同-の談話の中でも、スピ-チレベルを設定する上で、年齡などによる上下關係に影響されやすい韓國語と、心理的要因が重視されやすい日本語の特徵が、飜譯されたダビング、版にも反映された結果と言えよう。
5,700
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本稿は、石牟禮道子の「菊とナガサキ」というエッセイを考察することによって、1945年8月9日の原爆投下による朝鮮人被爆者の實態と彼らの無念(恨=ハン)を顧ようとしたものである。石牟禮は1968年、長崎を訪れて遺骨を含めた朝鮮人被爆者たちと向き合うことになるが、そこで彼女は「日本民族が朝鮮民族に行った底しれぬ罪科」と直面し、日本人としての罪惡感と責任感を越した「同族」としての靈的交感によって、朝鮮人被爆者の苦しみと無念を彼らに代って「菊とナガサキ」という作品に物物っている。本稿では、まず「菊とナガサキ」に記された內容に基づき、長崎での朝鮮人被爆者の實態と、その慘たらしさを顧ようとした。それから、在日朝鮮人の被爆者に對する韓日兩國の問題認識の違いと、それに起因する政治的及び社會的差別をも「菊とナガサキ」に基づいて考察してみた。最後に、石牟禮が長崎で出會った朝鮮人被爆者たちの物語から、かれらが余儀なくされた民族的差別と無念(=ハン)を、石牟禮の言靈を通して垣間見ることを試みた。 ちなみに、2011年3月11日、東日本で起った津波と大地震のため爆發した福島第一原子力發電所の原發事故を觸れ、それによって再び甦りつつある被爆者に對する差別の事と、原子力の恐ろしさを思い起こすことができたと思う。

『煙管』論

김희조
한국일본어교육학회|일본어교육  66권 0호, 2013 pp. 221-230 ( 총 10 pages)
4,500
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『煙管』 (大正五年十一月『新小說』)は芥川の初期作品に屬するもので、石川金澤の城主·前回審廣の煙管をめぐるいわゆる歷史物である。テキストは全部で八章からなっており、金澤の城主·審廣の所持している金無垢の煙管に纏わる話である。齊廣の使う煙管は金で作っていたため、誰もがその金無垢の煙管を激しがっていたのである。また、齊廣はそのような金無垢の煙管に拘っていたが、その理由は、煙草を吸うのに便利だからではなく、加州百萬石の自分の勢力を他人に自慢するためであった。一方、河內山は齊廣 の金無垢の煙管を奔領したが、特に煙管が欲しかったわけではなカりた。誰もが欲しがっているばかりで、 拜領を願い出る者がないので、自分は他人とは違い、拜領できる賓力があるということを見せびらかすためであった。作者芥川は虛榮心と自己誇示に生きる二人を以って、近代人の抱く主견性と虛祭心の問題を投影してしものである。

『うたたね』론 一阿佛尼의 신앙을 중심으로-

김선화
한국일본어교육학회|일본어교육  66권 0호, 2013 pp. 231-243 ( 총 13 pages)
5,300
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『うたたね』は鎌倉中期の歌人である阿佛尼の戀の體驗を描いた自傳文學である。本論文では一人の中世女性の體驗、傳記の記錄である『うたたね』に描かれた阿佛尼の信仰について分析し、中世女性の出家の特徵について考察した。特に女性出家者の出家の原因と出家以後の生き方に注目し、宮廷女房と「家」に生きた女性の出家反特徵とも比較·考察した。 阿佛尼の出家の原因は失戀による戀人との關係回復を願う、現世利益的な出家として規定できる。中世女性の出家の樣-の樣相の中で、失戀をきっかけとして出家する女性の場合、自分の切られた髮と自分が出家したことを相手の男に知らせる歌を送る行爲が窺えるが、阿佛尼の場合は失戀による出家というのは同じであるが、このような行爲は見られない。權力者との戀愛關係の原因による自發的な意志によって出家した中世女性が自分を捨てた男に愛の斷絶を自ら知らせる積極的な自己主張が窺えるのとは對照的に阿佛尼は出家後にも戀人に對する執着と未練を斷ち切れず腦んでいる姿が敍述される。 阿佛尼の出家は內發的な動機による出家ではなく、失戀の煩腦から離れるための現實逃避的な出家であり、中世宮廷女性の出家はその身分上、多くの制約が窺えるのとは對照的に阿佛尼はそのような制約がなくて自分の意思で出家すとことができた。出家後の尼寺での生活でも阿佛尼は戀人に對する未練、世俗に對する執着から離れず、確實な信仰心ではなく、ただ現實逃避の手段として神佛に賴るというのが阿佛尼の信仰であると言える。
5,800
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朝鮮朝と平安時代において西歐の自敍傳の槪念に一番近い最初の作品としては、惠慶宮洪氏の「閑中錄」と道綱母の『崎蛤日記』が擧げられる。本稿は、二つの作品より事件報告の性格が濃い安和の變と壬午禍變などの記事を中心にし、作品中のその比重ないし機能について考察しようと思う。多樣に發展して來た西歐の自敍傳と日本の日記文學に對して、その稀少性が認められる朝鮮朝の"自己敍事文學"を日本の日記文學と比べて、より明確なテキストの特徵を見つけることに目的を置いた。 道綱母が見せた歷史的な事件の記述は、新文學創造の技法だった。安和の變などでの他人の政治史の悲劇を美化して自分の悲劇を極大化するこの技法は"身の上をのみする日記“ の日記的な方法を日記文學的な方法に一次元も引き上げたのだった。道綱母はこれを通じて自分の精神的な歷史、すなわち芸術としての歷史の眞實を明らかにしようと 思っただけで、當時の政治史を取り上げる意圖は全くなかった。兼家を含む我ら讀者は、敢えて歷史的な個-の事實を正確に論證して相互因果關係を說明する歷史書よりも、過去の自分に納得していないもう一人の自我である道綱母の告白を見つけて感動し共感する。作者が選んだ日記文學的な歷史の眞實は實は酎齊の談論であり、自分の恨み返しの機能と共に憐怒と同情を感じる讀者を永久に確保する機能をも含んでいる。 今まで「閑中錄」の史料的な價値の有效性に多くの論難が展開されている。しかし『閑中錄』は、ただ惠慶宮が序文で明らかにした通りに自分の"興感した心と經歷"を思いつくままにつけており、"慘くて毒-しい自分の心血"の生 の記錄である。從って史料的に無理に考證する價値がない。惠慶宮は、歷史的な眞實を押にもうとしたのではなく、正祖、純祖を含む我ら讀者たちから感性的な同情と共感を得て、思う存分"ウオンペルイ(寃の晴らし) "をしているだけ だ。「閑中錄」は躍動的な惠慶宮の生と心血の意志を示した芸術としての歷史を明らかにした自己敍事の談論だ。それで「閑中錄」の中には史料的に價値のある部分と惠慶宮の心血の生の記錄である虛構が共存するのである。 「菁蛤日記」と「閑中錄」の目的が歷史としての眞實の糾明にあったのではないことと同樣、本稿の目的も史料的な價値の有效性に置かなった。ただテキストの中での事件の記事がどんなに讀者を感性的に魅了したかに焦点を合わせて考察した。二つの作品は歷史の事實の眞僞を別として、もう我らの讀者の前に創造された文學として近付いている。史料的な價値としてだけ二つの作品を眺めたら抽象的な理論と槪念、無味乾燥な事件のみが見られるだけだ。

秋田縣の俳額に對する小考

本?民男權海珠
한국일본어교육학회|일본어교육  66권 0호, 2013 pp. 263-281 ( 총 19 pages)
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東北の西北部の秋田縣には、49枚の俳額が殘っていた。最古の俳額は1734年のものであるが、銘文によって年代がわかるだけで、書かれていた俳句はもう讀むことができない。秋田縣の俳額は數が少ないが、古い俳額から新しい俳額まで年代の幅が廣くて、種類も多い。大型で豪華な俳額もある。俳句の他に前句もあり、現代の社會性俳句や人間探求派を思わせる俳句もある。前句は初心者のための俳句とされてきたが、俳句では表現できない內容を表現するために、表現手段として前句を選んだ俳人もいたと考えられる。俳人が自分を記念する俳額を自分で準備しておいた生前供養俳額は、他の地方では類例のない珍しいものである。有力な俳人の俳額が奉納されるのが例となっていて、死期が近づくと俳額やそこに書かれる俳句や歌仙を準備していたことになる。大名の岩城隆喜(いわきたかひろ)が、俳句仲間である9人の大名から俳句を募った九諸侯俳額(1827年)も、珍しい俳額である。同じ時期に本人を含めて10人もの大名俳人が存在したことを示す、貴重な文芸資料である。

慰安婦 問題의 一考察

김인현
한국일본어교육학회|일본어교육  66권 0호, 2013 pp. 283-303 ( 총 21 pages)
6,100
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2013年10月31日 リチヤ-ド·ア-ミテ-ジ元米國務副長官が東京都內で自民堂幹部と會談し「日本は慰安婦問題に觸れないでほしい」と述べていたと每日新聞が1日に報じた。慰安婦の强制動員を認め謝罪した1993年の「河野談話」を見直そうという動きを懸念し、すべきではないと考えていることを意味するものだ。 また、安倍晋三首相の靖國神社參拜について「これまで積み上げたものを全て壞すインパクトがある」と反對の意向を示した。ア-ミテ-ジ元副長官は、米國による東アジア政策の方向性を示した「ア-ミテ-ジ報告書」の作成者で、 現在も米國の外交政策に影響力を持っている。每日新聞は「日中、日韓關係の惡化を憂慮する米政府內の雰圍氣を間接的に傳えたもの」としている。この日の會談に同席した米シンクタンク戰略國際問題硏究所(CSIS)の幹部は「米政界のロビ-活動は韓國が上手だ。日本が(慰安婦問題で)强硬姿勢を續ければ米議會が背を向ける」と指摘したという。その上で「河野談話の見直し論が高まれば、日米關係にも惡影響を與えかねない」と警告したと每日新聞が報じたと朝鮮日報は11月2日傳えた。本稿では、韓國と日本の主張している慰安婦問題について、學者たちの主張と證據を分析し,體系的に敎育問題ということを目的として明らかにすることに意義がある。未來志向的な韓日協力關係に關する內容として、一方的で、排他的な方向に流れないよう歷史的事實に元ついて考察した。

오덕후에 관한 연구

윤영기
한국일본어교육학회|일본어교육  66권 0호, 2013 pp. 305-320 ( 총 16 pages)
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人聞の社會においての言語はその社會を表すものであり、社會の事情を反映すと代表的な産物でもある。だからその 國で新しく造られる用語、特に流行る言葉を檢討してみると、その國の國民が持っている固有の特徵、そして當時の時代的な流れまで分かることができるのである。 本稿では2 0 0 0年代の後半頃かう現在に至るまで韓國の社會の若者層を中心にして急速に廣がっている「オドッブ」について考察してみようと思う。 「オドツブ」は2013年の現時点で全世帶にかけて普遍的に使われているわけではないが、若者の聞では十分慣れている用語でもあるし、マスコミでの言及も珍しくない。だけど、まだ、だいたいネット上で、しかも若者という限られた年齡代のなかで主に使われている言葉なので一般的な立場から論ずるのは多少の無理があるのも確かである。 だが、「オドッフ」の元になる「オタク」が世界的に注目を浴びながら本國である日本でも再認識されている今頃、 韓國での「オタク」とも言いうる「オドツブ」はどのような存在であるかを調べてみとのは意味のあることだと思う。 ということで本稿では「オドツブ」の語源と特徵は何かについて調べてみる。それから、新聞を始め、放送などのマスコミではいつから、どういうふうに「オドツブ」を表しているのかを考察してみる。また、最後的に「オドツブ」は「オタク」と同-の存在であるか、相違点があるのなら、どう違うのかなどを比較、分析を通じて考察しようと思う。
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