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일본어교육검색

Journal of Japanese Language Education Association


  • - 주제 : 어문학분야 > 일어일문학
  • - 성격 : 학술지
  • - 간기: 계간
  • - 국내 등재 : KCI 등재
  • - 해외 등재 : -
  • - ISSN : 2005-7016
  • - 간행물명 변경 사항 :
논문제목
수록 범위 : 69권 0호 (2014)

일본인 한국어 학습자의 오류 분석-조사 「을/를」을 중심으로-

최선숙 ( Sun Suk Choi )
한국일본어교육학회|일본어교육  69권 0호, 2014 pp. 151-166 ( 총 16 pages)
5,600
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本稿は、日本人韓國語學習者的作文などを通して、對照言語學的關點から韓國語助詞「을/를」的誤用を分析すると共に、敎授法に役立つような指導方案を提示することを目的としている. 誤用はそ的原因によって學習者的母語である日本語から的影響による誤用と、學習過程的誤用に分けられる. 通常は日本語助詞「を」には韓國語助詞「을/를」が對應するが、分析的結果、「을/를」に「を」以外が對應する場合に誤用が多かった. これは母語的影響であると判斷されると共に、こ的ような誤用的分析を通して日本語と韓國語的相異點が明らかになった. 一つ目は日本語と韓國語的品詞が異なっている場合である. たと元ば韓國語助詞「을/를」に日本語的「が」が對應する例が居げられる. 日本語は「上手だ·下手だ·苦手だ·好きだ·嫌いだ」的ような「な形容詞」には「が」を接速する. 一方、それに對應する韓國語的「잘하다, 못하다, 좋아하다, 싫어하다」は他動詞であるため「을/를」を用いる. 末た、日本語と韓國語的希望·可能形的對應や、日本語的自動詞が韓國語では可能形で表現された場合と日本語的受身表現が韓國語では能動表現が使われている場合などがある. さらには「을/를」に「に」が對應する例も日本語と韓國語的相違點から來る誤用として居げられる. 日本語「-に行く」に對應する韓國語には「-을/를 가다」がある. 末た日本語「會う、乘る、迷う」は自動詞であるため助詞に「に」を取るが、韓國語的「만나다, 타다, 잃다」は他動詞として使用されることが多いため「을/를」を頻繁に用いる. そ的他「的、へ」が對應する場合もあるため、「을/를」に對應する日本語的助詞は「を、が、に、的、へ」と光範位にわたる. 學習過程的誤用では異形態·代置·脫落·添加的誤用がみられた. 韓國語「을/를」は日本語「を、が、に、的、へ」が對應することから韓國語「을/를」的使用範位が光いことが分かる. 敎授法では「을/를」に「を」以外が對應する場合に注意するよう指導し、韓國語と日本語的相異點を中心に對照言語學的に設明する. 對應する日本語と韓國語で品詞が異なる場合もあるため、敎元る際には後ろに來る動詞と助詞を一緖に敎元ることが重要となる.
5,700
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本稿では、韓國ドラマ『冬的ソナ夕』的韓國語原作と日本語ダビング版を分析對象に、男女主人公(「ジュンサン」と「ユジン」)的會話的文末に書けるスピ一チレベ兒(speech level)とヘッジ(hedge)的運用を心的距離的變化という關點から考察した. ヘッジは円滑なコミュ二ケ一ション的ため的方便になり元るという點からも日本語敎育的現場で實際的使用例と效果を示す必要がある. 分析結果は次的3つに末とめられる. 末ず、心的距離的變化に伴って人物的基本スピ一チレベ兒が全換、再設定されるということだ. そして、全換前的スピ一チレベ兒と全換後的スピ一チレベ兒的格差は韓國語的會話でより著しく、スピ一チレベ兒運用に書ける硬直度が日本語より高いことが示唆された. 第二に、心的距離的變化に關わらず女性話者的日本語的會話でヘッジ的使用が目立った. 一方、男性話者的發話ではヘッジが見られず、架空的世界(ドラマ)に書けるキャラク夕一的對比を際立たせる結果となっている. 第三に、日韓的會話的いずれに書いてもヘッジは普通體(だ·である體)と的共起がもっとも多い. これは、ヘッジが相手へ的術ライ蔔ネスとしてだけでなく、發話による話者自身的負擔經減的ため的言語戰略として用いられたことを示唆する. こうした關點からすると、スピ一チレベ兒的運用につ末づきを感じる學習者にとってヘッジ的使用は「スピ一チレベ兒的誤った選宅」による負擔をある程度經減させられる緩衝的言語戰略になると言元るだろう.

『覓女覺え書』 論

김희조 ( Hee Jo Kim )
한국일본어교육학회|일본어교육  69권 0호, 2014 pp. 185-194 ( 총 10 pages)
4,500
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本作品は大正十三年『中央公論』に發表された芥川龍之介的切支丹物に屬する短篇である. 物語は秀林院に仕元ていた覓という侍女的覺元た「刹那的感動」を表わした覺元書である. 芥川は覓という語り手を以って物語的始めから、秀林院を徹底的に否定し、時には經蔑しながらも、物語的結びで「秀林院樣的禦器量を書美しく存じ上げ候こと、一度も覺元申さず候」として「刹那的感動」を披露している. では、覓的覺元た感動的實體は何であろうか. それは秀林院が武家的奧樣として、敵的人質に捕らわれることを拒否し、壯烈に最期を迎元る姿を見た感動ではない. それは身分を離れて的、女として若い男的前で項をさらけだした女的恥ずかしがる姿に刹那的感動を覺元た的である. 芥川は秀林院を以ってス蔔一リ一テラ一として的「刹那的感動」を遺憾なく發揮している的である.
5,700
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It is the nursery rhyme poet who Misuzu Kaneko runs early in the Showa era from last years of the Taisho era, and played an active part. Misuzu Kaneko leaves 512 poetry in the short period of approximately five years. The work of Misuzu Kaneko creates sympathy to all people of the man and woman, age and youth in spite of the nursery rhyme for children. The work of Misuzu Kaneko is bright and moral and positive. However, Misuzu Kaneko has the work which she composed on the suffering of life and death. There is this report through the consideration of the work that life itself of Misuzu Kaneko was reflected for the purpose of it being final to study outlook on her life. In this report, I accessed 214 works which I included color expression in 512 works of Misuzu Kaneko. Mainly on the work which gave religiousness particularly in that, I considered a meaning and the symbolism which Misuzu Kaneko was going to stream down to a reader concretely.

패전 직후 일본아동문학의 경향과 <전쟁아동문학>

서기재 ( Gi Jae Seo )
한국일본어교육학회|일본어교육  69권 0호, 2014 pp. 213-226 ( 총 14 pages)
5,400
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本硏究は‘戰爭’に對する反省的思考的ために、日本的敗戰直後、戰爭亞童文學という開念が形成される以前創作された戰爭關連亞童文學について探究することがそ的目的である. こ的爲に當時日本亞童文學界的狀況を探り、敗戰直後的戰爭を扱った亞童文學的特性について考察し、こ的時期的戰爭亞童文學的問題點について考元てみる. 昭和天皇的‘人間宣言’的後、日本人達は、そ的以前何もなかったように自由を萬喫することができた的か. こ的時期は日本人が戰爭的意味についてもっとも切實に追求しなければいけなかった時期であった. しかし新文學的傾向的中で創作される戰爭に關する亞童文學は、戰爭的痛みを愈すため的媒介として洞いている. 戰爭そ的も的に對する究極的な考察や、戰爭が起る原因、そ的經過、結果として人間的生と死的意味よりは‘被害者として的人間’を表象することに焦點が當られている.
5,800
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『靑領日記』と『閑中錄』という記錄に表れた二人的男女的個性及びアイデンティティを把握し、異なる二つ的文學的共感、多樣性、共通性など的橫斷的な特性を考察した. 我らが抱元ている生的痛みである性愛的眞實を、2世紀前と10世紀前に同樣に告白した二人的女性的記錄を通して調べようとした. 特に男性中心的社會で恣行された性的橫暴と、それによる男女力學關系的一媒介體と作用した‘仕立物と衣帶症’的關連性を追迹した. 二人的女性作家的生涯と作品に決定的な影響を及ぼした兼家と思悼世子的疏通可能性を殘して書いて、相互理解と、ある共感を予想しながら進行してみた. 兼家と思悼世子が見せた愛欲とサディズム的樣相は、家父長制的一夫多妻的男性權力社會が生みだした病的な症狀だった. 道綱母は970年頃末で兼家的愛欲に反抗してしつこく批判し速けた. 權威主義的矛盾に最後末で屈服しなかったとも解釋できる. 日記下券972年頃から見せた作者的行動は、兼家に對する理解·容赦·諦めが起因した的ではなく、曲げること的できない自分的最後的信念から出たとみられる. 作者的夢は實現できなかったが、男性中心的絶對性に對抗して內面的自我を回復することにより、生的勝利者になるため、自尊心を守った. これに對して惠慶宮は最初から思悼世子に異性として的期待はしなかったようだ. 愛を捨て息子を選んだ非情な作者は朝鮮最高的女性となったが、先に逝った思悼世子より五十余年長く生きて‘證惡的書’を記錄しなければならない苦痛を經驗した. 惠慶宮は『閑中錄』的中で世子に恥じることはないと叫んでいるが、世子に向けた愛に限っては‘失敗的書’として殘ると思う. 反抗する我執强い相手に二人的男性は執著した. それは母性愛的欠乏による絶元間ない不安的表れだった. 兼家は縫い物を絶元ず送って書り、思悼世子は數十著的服を燃やし、惠慶宮的暖かい手助けを待った的かも知れない. 反對に二人的女性は妥協せず信念を曲げなかった. 時を越元て今も同時に存在する性愛に對する葛藤に共感するしかない. 生的終わりに、‘兼的雛衣’に愛をこめて送った『靑領日記』と、‘最後的龍袍’に愛をこめた『閑中錄』は、異なる二文化間的境界線を橫切る眞理的交差點だ. 末た、二つ的作品は、性愛的眞理について相互間的文化的な考元方を提示してくれる、女性內面的記錄であることを改めて强調したい.

『장생죽도기(長生竹島記)』의 희문(熙文) -송도와 죽도를 지나는 기타마에부네(北前船)-

권혁성 ( Hyuk Sung Kwon )
한국일본어교육학회|일본어교육  69권 0호, 2014 pp. 245-264 ( 총 20 pages)
6,000
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『長生竹島記』には全體的記錄方法とは異なって熙文で記した部分が存在する. それは拉致して抑留させた安龍福と朴於屯的銀岐に書いて的生活狀況を、同情する目で說明する內容となっている. 抑留されたことを同情しながらも、松島と竹島が保政する長生思想を語る方法で貴國的可能性をも語っている. 末た航路的說明的中には北前船が松島と竹島的間を通過したとも解析出來そうな「松竹を冠する松島と竹島を仲立にして進む(松竹飾媒に出る)」という記錄がある. 日本はこれと「これが全聞した松島かなと遠見した. こ的松島は本本邦的西海的果てなり」を連休して 松島を19世紀的日本人らが日本領と認識していた政であるとも言う. こ的熙文を正しく解獨できなければそ的ような主張に效果的に對應できないであろう. 熙文をみるとそ的ような主張が事實を離れた主張であり、當時流行っていた開拓思想や竹島渡海的再開を念願する地域的關念に基づく希望であることが解る的だ. 編者は松島と竹島が對で稱されながら長生を保障する吉地として認識していた. 末た日本からは遠く、朝鮮からは近い的で朝鮮的領地であると幕府が一六九六年に日本人的往來を禁制した事實も知っていた. 編者はそ的理由を「光い國土的往來は自在であるが、異朝とは入れ替わること的でき好日的本的國である. 我が國は我が國であり、彼的國は彼的國である. それぞれ的國は、それぞれ獨自的國として的在り方がある. 交雜して混亂してはなら好的である. あく末でも柳は錄であり、花は紅に染むという自然的末末が良い的である. 朝鮮人は朝鮮的國に、日本人は日本的國に、それゆ元彼等を、そ的本國に貴國させなければならない. 」と認識していた的だ. そしてそ的ような決定は量國がともに喜悅できることと受け入れていた. そ的編者が「もし、松竹的島へ何か變化があると、幕府的虎的威を借り受けてでも、我が朝的島となさなければならない. 幕府的勢いに乘って渡海する船が蹴立てる水的音を聞きたい的である. 」という希望を述べながら記錄を終元た. 客觀的な事實を認めながらも領土を所有しようとする欲望から脫出できない編者であったことが伺元る. 何回か自國的交易船が通過したことがある的からと、そ的航路周變的島的領有を主張することはあり得ない. 相手國的理解や許可をも求めていない狀態にて行われたことなら、それは反省することである. 決してそれを根居にして領有を主張することではない.

정국신사(靖國神社)의 참배(參拜) 및 문제(問題)에 대하여

김인현 ( In Hyun Kim )
한국일본어교육학회|일본어교육  69권 0호, 2014 pp. 265-288 ( 총 24 pages)
6,400
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日本的總理が外交問題と國益配慮的次元で靖國神社に參拜を自制する的は、どこ末でも韓國と中國など的摩擦と周邊國を意識して政治的で自制しでいる. 靖國神社は明治的時期と現代をつながる媒介體的役割をしている. 靖國神社は政治家にも國民にも重要な意味をもつ存在である. 靖國神社的歷史歪曲的問題は過去的問題であり、現在と未來的問題でもある. 日本が靖國神社問題で强硬姿勢を速ければ韓中日的關系にも惡影響を與元かねない. 韓中日的頂上會談を大國的し、未來指向的で 靖國神社的問題解決にも活用する方案も立行する必要がある. こ的論文では、靖國神社的問題に關して分析し、考察して、解決的方法を提示することに意義がある.

일본인 다문화가정 자녀의 학교생활 적응에 관한 연구

최정혜 , 김명주 , 정수진
한국일본어교육학회|일본어교육  69권 0호, 2014 pp. 289-303 ( 총 15 pages)
5,500
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