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Journal of Japanese Language Education Association

  • - 주제 : 어문학분야 > 일어일문학
  • - 성격 : 학술지
  • - 간기: 계간
  • - 국내 등재 : KCI 등재
  • - 해외 등재 : -
  • - ISSN : 2005-7016
  • - 간행물명 변경 사항 :
수록 범위 : 70권 0호 (2014)

나쓰메소세키(夏目漱石)의 만년의 작품 『노방초(道草)』의 의미

한국일본어교육학회|일본어교육  70권 0호, 2014 pp. 157-170 ( 총 14 pages)
The novelist Soseki Natsume (1867-1916) is appreciated as a people‘s writer who represented the modern times of Japan. This appraisal on him is basically due to the excellence of his works, but also because of his prophetic criticism against the contradictions in the Meiji Age. He went on his way as a writer and civilization critic in the midst of conflicts between his dark view of Japan``s modernization on the one hand, and his strong affection and pride in Japan``s growing power in the midst of the age``s contradictions, on the other hand. His early works described intellectuals positively. This image reflected his literary ambition and determination before he set out as a full-time writer. After the Great Treason in 1910, his works concentrated on the description of humans`` inner conflicts and psychology. This was due to the government``s suppression inflicted upon all of Japan``s philosophical and cultural circles, which happened after the Great Treason, and he remained silent to this. Therefore, those intellectuals in his Later Triad were all practically powerless and bore the element of self-denial. After describing intellectuals this way, he won mental composure freed from intellectuals`` false conceptions when he reached Michikusa.
森鷗外(以下、鷗外とする)は、明治から大正期に至るまで活躍した人物である。人は彼を“文豪森鷗外·軍醫總監森林太郞”と呼んだ。東京大學醫學部を卒業した後、ドイツ留學を終えて태ってきた彼は、軍醫官僚として認められる一方、「舞姬」を發表して文學者としても名を馳せたのである。「舞姬」の發表に先立ち、彼は演劇批評を發表しており、鷗外は文學者としての初めの一步を小說作品ではなく演劇論によって踏み出した。演劇論において戱曲の重要性を主張した鷗外は、初の戱曲 「玉□兩浦嶼」を發表する。鷗外の後期文學における起点と見なされている 「半日」より7年も前に發表された 「玉□兩浦嶼」は鷗外が日淸戰爭を目前にして書いた作品であり、戰地に向かう軍人の心情を讀み取ることができた。<舟>に承った後ノ太郞の姿には軍人としての名を馳せようとする意志や毅然とした態度が現れており、同時に敵國に對する警戒心や緊張感もまた表していった。更に、日本最初の現代語歷史劇 「靜」、最初の現代劇 「假面」などを發表した。鷗外の戱曲は50回以上上演されたが、中でも批評家·觀客からの評判が最も良かったものが 「假面」である。「生田川」では、嫁に行く娘を持つ母親が二人の壻候補に、生田川にいる鵠を捕まえてくるようにと命じ、彼らは<舟>に承って出發する。しかし태ってきた<舟>の中には鵠と二人の男の亡骸があるのみであった、というところにこの<舟>の象徵するところがある。欲望を追い求め過ぎたばかりに死を迎えることとなった二人の男が承った<舟>は、鷗外が追求していた自分の意志、すなわち‘空ろな<舟>(これは莊子の「虛舟」に通じる)’のように世の中を生きようとする意志を表しているのである。「生田川」は‘空ろな<舟>’の意味が最もよく表われている戱曲であり、ここには視覺的な效果があるのである。これが鷗外の戱曲に見られる<舟>の特徵であり、後期文學の小說にも影響を及ぼした。以上、鷗外文學において、戱曲は見逃すことのできないジャンルであり、ここに現れる<舟>は作品の展開上必然的な要素であって、作家自身の意志を表現しようとする鷗外の意識があった。

『或敵打の話』 論

한국일본어교육학회|일본어교육  70권 0호, 2014 pp. 185-194 ( 총 10 pages)


한국일본어교육학회|일본어교육  70권 0호, 2014 pp. 195-211 ( 총 17 pages)
In the Murakami literary world, the other world is considered a dream as a slave of thought and an awakening world from dream. Murakami seeks to suggest a solution to readers. He believes that the modern age people have lost how to manage to control themselves in active terms instead of passive terms, overwhelmed by unconsciousness. Habitual reaction to something in reflection means that the very action is as good as a slave. The recovery of identity is needed to liberate ourselves from conditioned reflex. The system in encouragement comes up as conditioned reflex. A condition requires another corresponding condition, which is a process from awakening to dreaming to awakening. Thinking, a world created by humans, does not exist in real world. Even death might be a concept created by humans, since we cannot experience death itself. In order to balance a concept, Murakami asks his readers to breed another concept: death for life``s sake.
선(禪)의 세계에서 일컫고 있는 소의 의미가 일반적인 소의 개념과는 달리 그 자체가 납득하기 힘든 의도로 표현되고 있는 경우가 많다. 이에 따라 본 연구는 소세키가 소라는 존재를 자신의 문장에 어떠한 의미와 의도로 사용하고 있는지, 또 「십우도(十牛圖)」와는 어떤 관련이 있는지에 대해 고찰한 것이다. 소세키는 일찍이 청년 시절에 쓴 한시에 「心似鐵牛鞭不動(마음은 철우와 같아 채찍으로 쳐도 움직이지 않는다)」라는 시구(詩句)로 소에 대해 표현하고 있다. 이후 「철우」이외에도 「白牛(백우)」「황우(黃牛)」등, 소에 대한 문구를 도입하고 있으며 그것이 불교관련 경전 등에서 인용하고 있음에 주의하고자 한다. 그 근거의 하나로 깨달음에 대한 문답을 그림으로 표현한 廓庵師遠禪師(곽암사원선사)의 「십우도」를 들 수 있다. 이것은 소를 불교수행자의 마음에 비유하고 견성에 이르는 과정을 10단계로 간명하게 그려 나타낸 것으로 한 동자(童子)가 소를 찾아다니는 내용이다. 이 내용에서 「기우귀가(騎牛歸家)」「인우구망(人牛俱忘)」「반본환원(返本還源)」「입전수수(入廛垂手)」등의「십우도」에 등장하는 각 단계의 소의 모습을 소세키는 소설 특히 한시에 그 의취를 나타내고 있기 때문이다. 따라서「소(牛)」를 소세키 자신의 문장에 선의(禪意)로서 도입해 자신의 수행정도와 과정을 「십우도」에 의거하여 부분부분 표출한 것에 주목하고자 한다. 즉 소세키는 소의 선적(禪的)인 의미를 빌어 깨달음을 향한 자신의 선경(禪境)의 표현으로서 한시(漢詩)를 통해 단계적으로 시사하고 있다고 생각한다.

송강과 바쇼의 시가에 나타난 "산"의 이미지 고찰

한국일본어교육학회|일본어교육  70권 0호, 2014 pp. 225-240 ( 총 16 pages)
『□□日記』は、女流日記の嚆矢であり、夫に對する妥協を許さぬ態度や、夫との關係を通して執拗なまでに自分の感情や行動をつぶさに記して心の內面を描くという点で文學史上記念碑的な意味を持つ作品である。上流貴族である夫藤原兼家との21年間の苦惱に滿ちた結婚生活を描いたこの作品には多樣な人物が登場しているが、本稿では、『□□日記』に描かれている作者道綱母の父母について考察し、親と子との關係において、子としての道綱母の姿を考えてみたい。本稿で 「親と子」とは 「道綱母とその親」の關係をいう。作者の道綱母は、父倫寧と母春道女との間で生まれた子である。父倫寧は、藤原氏北家の祖冬嗣の子、長良の子孫で、娘の道綱母が兼家と結婚した天曆8(954)年陸奧の任官をはじめとして河內、伊勢、丹波など大國の受領を歷任しており、『□□日記』にはかなり裕福な生活を送っている樣子や樂しい家庭を營んでいることが描かれている。作者には「わが賴もしき人」「わが賴む人」と呼ばれているように、倫寧が道綱母へ與えて人生觀的影響は大きく、人間的に溫厚篤實で思慮分別に富み、家庭を愛し、道綱母が父を精神的に賴りにしていたことがよくわかる。そして、作者にとって父倫寧は惡いと言われても良いと言われても反對できない存在であった。道綱母の母は、主殿守春道女と推定される人物で、 『□□日記』には特徵的な呼稱として 「古代なる人」 「古代の人」と表現されている。作者の母に關する記事は父倫寧より量的には少ない方であるが、母の死や一周忌のことがこまごまと書かれており、母はまた父とは違い、彼女の日常的な保護者、話し相手として大切な存在であったことが窺われる。そして、『□□日記』の中で道綱母が告白しているように、母親が生きている間はどうにか過ごしていられる精神的な支えであった。作者の親は常に賴りない生活を繼けている娘道綱母の將來のことを思い惱んでおり、子としての道綱母は夫との不幸な結婚生活による悲しみや孤獨を親に抱かせていたと思われる。親子關係においては、親不孝な道綱母であるが、下卷に見られる 「古めかし人」の呼稱から年取った父親に對する憐憫の情や母の死や一周忌を悼む悲嘆にくれた姿から深い親思いが讀み取れる。


本鄕民男 , 권해주
한국일본어교육학회|일본어교육  70권 0호, 2014 pp. 257-269 ( 총 13 pages)
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